別れを予感する少女
元々は、人と異種族はこんな関係性ではなかったらしい。
昔は、人間にとって魔力を使える有魔族とは、理を越えた存在だった。
人間とそのほかの種族の間にはどうやっても越えられない壁があって、でもお互いにそんなことは分かりきっていたから、だからこそ必要以上に干渉しないように生きてきた。
それに、それぞれの種族はちゃんと自分たちの領分をわきまえていた。神秘の美貌を持つ森の狩人、エルフ。大地を獣のごとく駆け、力でもって己を誇示する獣人族。魔力をもって理を操る有魔族。お互いを恐れつつも干渉し合わないようにしながら、それぞれの種族は生き永らえてきた。私たちだってか弱き人間族に対して、必要以上に関わったりなどしてないのに。
その関係性が一変したのは、人間が魔石を発見してからだ。この世界のバランスがおかしくなってしまったのは、あの魔石のせいだった。
極一部の地域からしか産出されない、魔導具の燃料となる魔石。その魔石を人間が偶然発見し、そして有用な使い道を発明すると、今まで我々が庇護するべき立場だった人間たちはみるみるうちに奇妙な力を身につけ、瞬く間にこの世界の覇者に君臨した。
昔は、ほかにもたくさんの種族がいた。妖精族、小人族、巨人族、魚人族……でも人間が魔導具を手にしてからというものの、ある種族は見世物として乱獲され、また別の種族は駆逐され、そしてある種族は決して人間の手の届かない日陰の場所へと姿を消してしまった。
私たち有魔族は、それでもそんな人間たちの脅威を侮っていたのかもしれない。
私たちには魔力を扱えるという驕りがあった。なにかあっても、自身の力で対抗できる。太古から圧倒的優位な立場を誇ってきた、強者たる故の驕り。そんな昔から変わらない侮りが、まさかの種族の存亡危機を引き起こしてしまった。
「リナリア、今日もこれを頼めるかい?」
工房がわりに使っている部屋のほうから、穏やかな父の声が響いた。
「わかった! 今日は、と……」
母さんが用意してくれたパンを咥えながら顔を出す。
「リナリア、スープも残ってるわよ」
咎めるような母さんの声が今度は居間から響いてきて、慌てて戻る。
今はみんな、茶色い髪に茶色い目に偽装している。平凡などこにでもいる人間の見た目の私たち。ただの人間の家族。いつまでも変わらない、平穏で単調で、でもそんな日常にわずかに潜む、緊張感。
「……そういえば、近ごろまた新たな魔導具が開発されたらしい。魔力探知機、だそうだ」
包み終わった薬を持って、父さんも居間へと現れた。調薬が一段落ついたのか、母さんの差し出したお茶をゴグゴクと飲み干したあと、そんなことを呟く。
「有魔族の数に限りがあることを、奴らはやっと深刻に捉えだしたようだな。残り少ない彼らを見つけるために、かなりの資金をつぎ込んで完成させたらしい」
「まぁ……」
母さんの顔が、わずかに青褪める。
「そろそろ、人里を捨てるという選択肢をとるべきときかもしれないな」
「そうね。でも……」
「私は平気だよ。いつでもその覚悟はできてるよ」
浮かない表情の母さんに慌ててそう答えるけど、二人とも静かに微笑んでなにも答えなかった。
多分、このときの私の内心なんてバレバレだったんだと思う。――正直、まだこの居心地のいい港町を離れたくなかったから。こんなに仲の良い友人ができたのは、この世界に生まれて初めてだったんだ。
そろそろ、この町ともお別れかぁ。
ぼんやりと道を歩きながら、そんなことを思っていた。
おそらく次はもう、人里に降りることはないだろうな。同じように人間に見つかることを厭い、どこぞとしれない森の奥に消えていった同族もいるそうだ。そして私たちもその同族たちのように、もう二度と人前に姿を現すことはなくなるだろうことは、言われなくてもわかっていた。
この便利で賑やかな生活を捨てるのには後ろ髪を引かれるが、命には代えられない。――そろそろ腹を括らないといけないんだろうなぁ。
「リナリア」
ぼーっとしながら歩いていたら、ステイに呼び止められた。顔を上げると、明るい海のような瞳に覗き込まれていた。
「リナリア?」
私の顔に現れていたのだろうか、ステイが怪訝そうな顔になる。
「ステイ……」
「今日はやけに上の空だな。なにか心配ごとか?」
いつもと変わらないステイの姿に、つい絆されそうになる。
「いったいどうした」
ステイは私をじっと観察しながらも、手押し車の取っ手に手をかける。
「配達手伝ってやるから、話してみろよ、な?」
次の瞬間にはもう手押し車の空いたスペースに押し込められていて、やっぱりステイには敵わないなと観念した。
結局、ステイは配達をさっさと終わらせてしまうと、市場で私の好きなフルーツジュースを買ってきてくれて、そして広場の噴水の縁へとちょいちょいと手招きしてきた。
聞こえてくる喧騒は今日も変わらず騒がしく、後ろからは噴き上がった水流が落ちてはまた巡る、絶え間ない水音が響いてくる。
いつもより口数少なくなかなか話そうとしない私に、ステイは常になく真面目な顔になった。
「……あのさ」
もらったジュースを飲み干して、それからたっぷり広場の様子を観察して、それからやっと私は切り出すことができた。
「私たち、もうすぐここを出ていくんだ」
「ああ……そっか」
ステイはしばらく黙っていたけど、やがて思い出したように呻いた。
「そういや親父さん、流れの薬師だったな」
「うん」
「まぁ、俺たちもあちこちに拠点を移しているから、なんとも言えないけど、うん、そっか」
こっちに向けられていた明るい海のような瞳が、ぼんやりと市場のほうに逸らされる。
「そろそろ行ってしまう、か」
やがてステイはがしがしと頭を掻くと、いつものように明るい笑顔を浮かべて、再びこっちを向いた。
「まぁ、広く見えても案外と狭い世界だ。またいつか、こうしてどこかで会えるさ」
「……」
そうだねと、一言言ってしまえばよかったのに、そのときはなんの言葉も出てこなかった。
いいや、おそらくもうこうして出会うことはないだろう。
私たちは人間社会から姿を消して、そして消えていったほかの幾つもの種族と同じように、その存在を曖昧にぼかしていくのだろう。
もうここには戻ってこない。残り長い生を、私は滅びを待ちながら家族と共に過ごしていく。
「俺は、また会えると信じてるよ」
なにも言わない私を見兼ねて、ステイはなおも言い募ってくれた。
「なぁに、ハイレイン傭兵団は顔が広いからな、リナリアの親父さんの噂を聞きつけたら、そんときは必ず会いに行くさ。うちの親父も、リナリアの親父さんのことは気に入ってるんだ。あんな良心的な価格で質のいい薬を提供してくれる薬師はほかにいないって。でも、親父が知ったらがっかりするだろうなぁ。いっそ、傭兵団にってスカウトかけてくるかもな!」
いつでも前向きで明るいステイ。俯いた私を励ますように、そっと右手が握られる。ビクリと一瞬驚きで跳ねたけど、ステイは離さなかった。
「それに、今すぐってわけじゃないんだろ?」
「うん」
「だったら、それまでは楽しい思い出をいっぱい作っとこうぜ。離れてもしばらくは寂しくないように。今のうちにたくさん、な?」
「うん、そうだね」
やっと顔を上げ、微笑んだ私に、ステイは思わずといったようによしよしするように頭を撫でできた。
「え?」
思わず頭を抑えて仰反ると、「あ、悪い」と悪びれもなく謝られる。
「つい、いつもの癖で。」
「いや、うん、いいんだけど……」
そっかぁ、そうだよね。妹と同じ扱いかぁ……。
私がなぜ凹んでいるかわからなくて首を傾げているステイに、誤魔化すように首を振り返した。