約束する少年
翌日、せっかく作ったからと、ローレルに頼んで小屋の木壁に釘を二つ打ち込んでもらった。そしてそこに昨日作った花冠を隣同士に飾る。並べてしまうと私の作ったほうの歪さがより際立つが、どうせ家を訪ねて来る者などいない。見るのは私たちだけだ。
「ローレルのお母さんじゃないけどさ」
壁に飾った花冠を眺めているローレルに、提案する。
「また今度、花畑に行ったら作ろうよ。そうして行く度に作って、飾って、この家の中を花でいっぱいにしよう。一緒に過ごした思い出で、この家の中を埋め尽くすんだ」
まるで夢見心地の子どもがするような提案に、しかしローレルは否定もせずに微笑んだ。
まるでこの先もこれから先もずっと、一緒にいることが当たり前だとでもいうかのようだ。
「いつか朽ち果てて消えてしまうそのときまで、ローレルがここにいてくれたらいいなぁ」
「いるさ」
ローレルが振り返ってきて、少し眉を顰める。
「この壁を思い出でいっぱいにするんだろう? すぐに家の中だけじゃ足りなくなる」
「ねぇ、“ガレン・オスト”って、知ってる?」
言葉を続けようとしたローレルが、ふと口を閉ざす。返事はなかった。
「遠い昔に聞いた話だけど、エルフ族には誰もその場所を知らない、隠された王国があるんだって。そこには人間族の支配から逃れたたくさんのエルフ族が暮らしてるって。決して他種族には見つからない、深い深い森の奥に、その王国はある」
ローレルはなにも言わない。急速に沈んでいく瞳になんの感情が浮かんでいるのか、私には伺い知れない。
「私はここで、ローレルと生きていきたい。だけど……それでもいつかは、君をそこに送り出してあげたい気持ちもあるんだ。いつまでもずっと、こんな寂しいところに君を縛り付けるのは……」
「私は絶対にあなたを独りにはしない」
そこでローレルは、強い口調で遮ってきた。
「今の私の帰る場所は、ここだ。ほかに帰るべき所などない」
それは本当に、今までになく強い口調だった。
「長い長い時間を経て、あなたと私、どちらが先に肉体が朽ち果てるのか知らないが……そのときまで、私はずっとそばにいる」
明るいリーフグリーンの瞳には、どこか責めるような色さえある。
「そしたらさ、せめてこれだけは約束してよ。もしもほんとに最期の最期までそばにいてくれるのなら……肉体が朽ちるそのときには、私に君の髪を遺して」
ローレルは戸惑ったように瞳を揺らした。
「私たちの古い慣習なんだ。この体は命燃え尽きたそのときには、大地になにも遺さないから。消えてなくなる前に、切り取った頭髪を家族に遺すの」
ローレルの視線が、私の長い髪に向く。
ローレルがよく私の髪を眺めているのは知っている。普段はそうでもないが、時折感情が揺らいだときに、思わずといったように私の髪を撫でたがるのも知ってる。
「私が先に朽ち果てるときには、君にこの髪を遺すから。だからもしも君が私をおいて行ってしまうのなら、せめて君の髪だけでも私に遺して」
縋るように震えた声に、ローレルの手が伸びてくる。その手はいつものように髪の上を滑って、そしてひんやりとした指先が、私の耳朶を擽った。
「約束する」
耳に当てられた彼の手をそっと掴む。
私は、父と母の頭髪を手にすることは出来なかった。人間族は私から両親を取り上げてしまって、そして今もまだ、あの紅の塔へと閉じ込めている。
なにも遺してもらえなかった私にも、せめて今度はと請うように、ローレルの手を握り締める。
「遠い先にこの体が朽ちてしまったとしても、それでもその先も、あなたのそばにいると約束する」
そう言って微笑んでくれたローレルの優しさに、私もやっと微笑むことができた。
久しぶりに、森に雨が降った。
昨日の夜からポツポツと降り出していたけど、朝になったら本格的に雨足が強くなっていた。こういう日は、小屋の中で大人しく過ごすしかない。
ローレルが少しずつ小屋の中を修理し続けてくれているおかげで、以前はとんでもなかった雨漏りも、今は大分程度が収まっている。
絶え間なく降り続く雨の音を聞きながら、居間の長イスで読書に耽っているローレルを見るともなしに眺める。
もう拾ったときの面影はない。昏く光っていた瞳は穏やかで、強張ったように動かなかった表情もなんとなく読めるようになった。なにより自分の意見や感情を素直に伝えてくれるようになった。
一人でいたときは、こういう日はなにをしていたっけな。何度も目を通した本をいやいやながら読み返していた気もするし、濡れるのも構わずに窓をいっぱいに開け放して、外を眺めていた気もする。
薄暗い小屋の中、時折ランプの炎が揺らめくのに合わせて、仄かに映し出される影も揺れる。
ローレルは相変わらず、あの自給自足で生きていくための実用書シリーズを熟読している。今は買い物に頼っているものも、いずれはほとんどを自力で賄いたいと思っているようだ。
「……あなたのその髪は」
開け放した窓の外に視線を遣ると、本から目を上げて休憩することにしたらしいローレルが、話しかけてきた。
「ご両親もそのような色合いだったのか」
「うーん、父さんと母さんはもっとこう、燃えるような紅い髪だったかなぁ」
髪の束を引っ張ってみせると、ローレルは眉間を揉んでいた手を離して、マジマジと見つめてくる。
強い魔力を持つ有魔族は、ごく稀にこうして頭髪の色が混じることがあるらしい。父方の祖父が見事な朱金の頭髪をしていたそうで、その遺伝じゃないかといつかの日に父さんに言われたことがある。
「私的には、どうせ生まれ変わるなら、君みたいな綺麗な人になりたかったけど……」
そこまで言って、失言したことに気づいて、ハッと口を噤む。ローレルは少し眉を顰めたが、幸いにもそのことについてはなにも言ってはこなかった。ただちょいちょいと手招きをされ、呼ばれるがままに彼の隣に座り込む。
ローレルは腕を伸ばして、私の長い髪束を一房掬い上げた。
「いつ見ても、不思議だ」
うん、私もそう思う。いったいどんな規則性で、このように朱と銀がきれいに分け合って生えてくるのだろうか。
「こんな髪色だと、人間に狩られても不思議はないな。奴らはなんでもすぐにコレクションしたがる」
「うーん、魔塊をほしがられることはあっても、そういった需要はなかったよ。ほら、見目は完全に君たちに負けているし」
「だがこのような頭髪、そうそうお目にかかれるものでもない」
「人間にはそんなこと、関係ないよ。必要なのは半永久的燃料としての役割だもの。私たちに君たちのような飾りとしての機能は期待されてない。だから私は見つかったらすぐに薬を打たれて、」
ブスリと注射を打つマネをすると、ローレルはあからさまにイヤそうな顔をした。
「そうしたら体が溶け始めて、それで終わり。あとには魔塊しか残らない」
「……」
ローレルは繊細な手付きで私の髪を撫でている。
それにしても、そんなにこの色が気に入ったのかな。ローレルって、案外と派手好きなのかも。
「ローレルだって、君の髪、ふわふわで柔らかくて、絹の糸みたいに繊細で輝いていて。とっても綺麗じゃない」
「それは……以前にも言ったが、エルフ皆に言えることだ。私だけに突出して言えることじゃない」
遠目に見たことがあるエルフたちは、淡い色味の輝くような美貌の麗人ばかりだった。
「大体皆が皆、似たような背格好だな。薄い色素に比較的華奢な体格、穏やかな性格の者が多い。あなたはどのエルフ族に会っても、やれ綺麗だの輝いているだの、べた褒めするつもりか」
「そう……そうかもね。だってみんな、ほんとに綺麗だもの」
肩を竦めた拍子に、ローレルの手からさらりと一房髪が零れ落ちる。
「この先、ローレル以外のエルフ族の人たちと会う機会があるかどうかは、わからないけどね」
私は、時代の中で歩むことを止めたから。ここでたった二人きりで、まるで時の流れからも見捨てられたかのように、ひっそりと生きていくことを選択したのは、紛れもない自分だから。
「今の私にはローレルしかいないよ」
広々とした森に囲まれた、それでいてお互いに雁字搦めにするような、閉塞した生き方。それでもローレルは満足そうに頷いて、私の耳にそっと触れた。




