編む少年
願い通り空は晴れ渡って、いいピクニック日和だ。
小屋から歩くこと、数時間。鬱蒼とした獣道をかき分けていった先にある、開けた花畑に連れていくと、ローレルは驚いたように辺りを見回した。
「こんなところがあったのか」
色とりどりの様々な種類の花が咲き誇る様を、ローレルは眩しそうに目を細めながら眺めている。
「それにしても、いったいここは……」
丸太に腰掛けると、隣にやってきて荷物をおろしながら、ローレルが辺りを見回している。
花畑の先には、同じような鬱蒼とした木々が生い茂り、果てなく森が続いている。ここは人間の文明とは隔絶された、未踏の地。
「今私たちが住んでいるあの小屋はね、昔、父さんの友だちがご両親と建てて暮らしてたんだって。人間族にうんざりして、誰にも見つからない場所を求めて、家族で移り住んだところ」
明るいリーフグリーンの瞳は、なんともいえない感情に揺らぎながら、わたしを見つめている。
「転送ポイントは、そのときの名残かな。そうはいっても、やっぱり人里を利用しないとままならないこともあったみたいだし。それに、父さんも本当に時々だけど、様子を見に行ってたみたい」
でも、そうやって一緒に暮らしていた家族も、いずれ時がくればその体は自然に還り、跡形もなく消え失せてしまう。
わたしがあの家に辿り着いたときには、すでに誰も住んでいなかった。残された家の中には、いくつかの生活用品と本が大量に収納されていて、その事実にかつての家の持ち主の孤独を垣間見た気がした。
ときおり吹きすさぶ風は、お互いの髪をいたずらにかき乱していく。草の青々しい匂いや、かすかな花の香りがわずかに漂ってくる。
「ご両親が亡くなったあと、残された父さんの友だちはしばらく一人で住んでたんだけど、やっぱり孤独に耐えられなくなって、やがて人間の街に引っ越したそうだよ。そのあとどうなったかは、知らない」
それきり、父さんは彼と連絡を取り合うのを止めた。お互い行く先を知っていれば、人間に捕まったときに居場所を暴露する羽目に陥るかもしれない。そう憂慮しての別れだった。
彼はもしかしたら今も、いまだにひっそりと人間に混じって暮らしているのかもしれない。でもそれを知る術は、もうない。例え街ですれ違ったとしても、魔力を使わない限りはお互いに有魔族だとはもうわからないだろう。
「わたしもこのまま一人だったら、いずれは街に戻ってたかも……あんな形だったけど、それでも私はローレルと出会えてよかったって思うよ」
そう言うと、気遣わしげだったローレルが一瞬きょとりとする。
「あなたはまた、そういうことを恥ずかしげもなく……」
深く息を吐いたローレルはそうぼやいて、空を見上げた。
彼はしばらくそうやって空を見上げていたけど、やがて地面から花を引き抜くと、おもむろに手先を動かしはじめた。
「……昔、母がよく作ってくれたんだ」
いくつかの花を吟味しながら選び、細長い指が慎重に花を編んでいく。
白とオレンジと赤の花を器用に整えながら、思い出を探すように視線を彷徨わせながら、ローレルは話してくれた。
「とても器用な人だった。今思うと、色々なものを作っていたな。栞やドライフラワー、いい香りのサシェ……部屋にはいつも母の作ったもので溢れていた。花に囲まれて、花の似合う人だった」
過去を懐かしむように、ローレルが微笑む。太陽の光に照らされながら、花に囲まれて微笑むローレルはとても眩しくて、まるでおとぎ話の挿絵のような光景。
長いまつ毛が物憂げに瞬いて、淡いリーフグリーンの瞳に郷愁を乗せる。
「……あの花園は、今はどうなっただろうか」
遠い思い出に馳せるその横顔を、見つめる。
それきり、ローレルは口を噤んで、ただ黙って手を動かしていた。器用な指先がせわしなく動き、バラバラだった花を一つの冠へと仕立てていく。
「できた」
そうして完成した鮮やかな花冠を持ち上げると、ローレルはまた笑ってみせた。
「意外と覚えているものだ。昔のことなど、とうに忘れたと思っていたが……」
完成した花冠を、ローレルは私の頭にそっと被せる。
「あなたのその髪色には敵わないが、うん、よく似合っている」
いつになく動揺している自覚はあった。
花冠を乗せた彼の手がそのまま宙に留まり、指先が髪を掠めていく。
「そうしていると、まるで花の精みたいだ」
「なっ……」
面食らったと同時に、恥ずかしさに襲われる。カッと顔が熱くなっていく。
「はっ……花の精って……」
アワアワと口を開けたり閉じたりしている私を、ローレルはしばらく目を丸くして見ていたけど、やがてクスクスと笑い出してしまった。
「だ、だってっ……そんなこと、誰にも言われたことなくて!」
「あなたのその姿を知っている人は?」
「両親のほかには、誰も知らないよ」
「だったら、あなたの本当の姿を知っているのは、今は私だけ、ということになるのか」
ローレルはよりにもよってそんなことを言ってくると、本当に嬉しそうに笑った。
「うぁ……」
あまりの眩しさに言葉もなく震える。尊いってこういうことか。
この光景をこのまま切り取って保存しておきたい。今の私にはカメラもスマホもないから、そんなことはできないから、せめて心には深く刻みつけておこう。
「……あなたも作ってみるか?」
私の視線にどこか気恥ずかしそうにローレルは目を逸らすと、視線を花の上に彷徨わせた。
「うん、作ってみたい」
「どの色の花を使う?」
「じゃあ、ローレルが使ったのと同じ花で」
ローレルは頷くと、地面からまた一本、丁寧に引き抜いた。
四苦八苦しながらぎこちない指遣いで花冠を編んでいく。ローレルは丁寧に教えてくれたが、大分時間がかかったわりに、明らかに歪な形の花冠が出来上がった。
「初めてにしては、上出来だ」
慰めを口にしているローレルに、嫌味のつもりで被せる。ローレルに花冠は驚くほど似合っていて、美形はなにしても美形なんだなと思わず感心した。
「そうしてると、それこそローレルだってエルフの王子様みたいだよ?」
さっきの当てこすりのつもりで言ったが、ローレルの反応はちょっと思ってたのと違っていた。
彼は驚くでもなく嫌がるでもなく、寂しそうに微笑んだのだ。
その表情がなにを意味しているのかわからなくて戸惑う。言葉の途切れた私に、ローレルはとりなすように手を差し出してきた。
「だったら、さしずめ私は花の精を捕まえにきた王子様、ということになるのか」
ローレルは立ち上がって、私の手を引っ張る。
「“ああ……美しき花の妖精よ。ここはじきに日が暮れる。さぁ、この手を取りなさい。私とともに来るのなら、あなたは一人、孤独に枯れ果てることもない。鮮やかな色が人知れず萎れていくのを見過ごすことは、私には耐えられないのだ”」
「まるで、劇の一幕みたいな台詞だね」
引っ張られて立ち上がった拍子に、朱銀の髪が跳ねる。いつの間にか沈み始めた太陽の光を受けて、その色は目に痛いくらいに反射した。




