畳み掛ける少年
当たり前だが、眠ろうと努力したところでそう簡単に眠れるはずもない。
夜も明けて空がうっすらと白んできたころ、やっと弱まった腕の檻から抜け出して、フラフラしながら朝の支度を整える。
昨日の残りを温め始めたころ、気怠げなローレルも起きてきた。支度の終わった彼がテーブルの席に着くのを確認して、昨日の塩漬け肉のスープを出す。ローレルはそれを見て、明らかに豆スープじゃなくてよかったというような顔をした。
「おはよー、ローレル」
「おはよう」
静かに挨拶を交わし合って、向かいの席に着く。それぞれ朝の祈りを捧げてから、スープへと手をつける。
「ところでさ、ローレルくん」
おずおずと切り出した私に、ローレルの視線がちらりと向く。
「あのぅ……昨日は先に寝ちゃって、ごめんね」
「ああ、気にしなくていい」
よかった、ローレルの様子だと、少なくとも嫌がる彼に無理やりなにかを強要したとかはなさそうだ。
「あなたはどうやらお酒には強くないみたいだな。昨日もすぐに寝てしまった」
「そっかぁ、次は気をつけるよ。あの、それでね、」
いつになく真剣な顔をした私に、ローレルが首を傾げる。
「今朝のことだけど……」
ローレルは心当たりがないとでもいいたげに、訝しげに首を傾げている。
「じつは、朝起きたら君のベッドに入り込んじゃってて……」
途切れた声が、空中で瓦解する。ローレルの顔をちらりと伺う。
「ああ、あれか」
ローレルの声は、表情は、至って冷静だ。
「そもそも、私はあなたがずっと長イスで寝ていることに納得していなかった」
それは、前にも言われたことがある。成り行きでローレルを連れてきてしまって、寝室のベッドに運んで以来、なんとなくローレルに寝室を使ってもらって、私は長イスで寝ることが習慣になっていた。
熱を出したときはベッドに寝かせられていたが、そのあとも元気になってからは、切り出してくるローレルに首を振って長イスを使い続けていた。
「あんな固い長イスで寝ては、とれる疲れもとれないだろう」
「うーん」
「だからあなたをベッドに運んだ」
ひとまずはよかったと言うべきか。美少年の寝床に突入してむりやり同衾したとかじゃなくて、本当に心からホッとした。……でもね。
「わざわざありがとね。でも、じゃあ、どうしてローレルも同じベッドで寝てたのかな?」
そう問いかけると、まっすぐにこっちを向いていた視線が、そろりと宙へと逸らされる。
「……長イスは、固くて寝にくいから」
うん。そっかぁそっかぁ。長イスで寝るのがイヤだったんだなぁ、ローレルくんは。
「そっか。それじゃあこれからもローレルがベッドで寝るといいよ」
「そんなわけにはいかない」
再び向けられた視線に、困惑する。
そんなわけにはいかないって、でも君はたった今、固い長イスには寝たくないって言ったばかりじゃないか。
「自分だけベッドを使わせてもらうのは、心苦しい」
ローレルが眉尻を下げ、懇願するような表情になった。
いかん。まずい。こうなったローレルは私を丸め込む気だ。普段恐ろしく無表情なくせに、こういうときだけ彼は自分の顔面を惜しげもなく利用してくる。
「だからといって、あの固い長イスにはもう寝たくない。だったら同じベッドを使うしかない」
「あのねぇ……」
ため息をついて言い募ろうとした私を、珍しくローレルが遮った。
「そもそも、私たちはこれからもずっとこうして、同じ屋根の下に住む仲だ。だったら、今さら寝る所を同じくしたところでどうということもない」
それはまぁ、そう、なのか……?
「あなたは昨日私と同じベッドで寝て、なにか不都合があったのか?」
それがなにか? とでも言いたげに、ローレルは堂々と私を見据えてくる。
いや、不都合は大いにあったよ? でも、あなた昨夜、私の耳をやたらチュッチュしてましたよ、とまではさすがに言えず、口ごもる。
「私はベッドで寝たい。でもあなたを押し退けてまでベッドで寝たくない。なら、二人一緒に使えばいい」
「いやいや……え?」
「私と同じ場所で寝るのは、嫌か?」
眩しいローレルの懇願顔から目を背ける。そんなキャラでもないくせに、こういうときだけ惜しげもなくその顔面を使うものだから、余計に強烈すぎて直視できない。
その顔に絆されまいと思ってても、最後は負けてしまうんだから、私も大概どうしようもない。
「私はむしろ、隣にあなたの温もりがあると安心して眠れたんだ。それをまた一人で寝ろだなんて……」
「わかった、わかったよ」
そこまで言われて意地を張るのも変だと思って、とりあえず納得することにした。
「でも、だったら時間があるときにもう一台ベッドを作ってよ。それまでの凌ぎとしてだったら、まぁ……」
「わかった、まぁそのうちだな」
ローレルは大真面目に頷くと、スープが冷めると会話を切り上げて食事を促した。
「あの花束は、どこからとってきたんだ?」
あの日からしばらく経った、夕食でのことだった。
唐突にそう聞かれて、あの花束とは……と、一瞬考え込む。
「ああ、あれ? 近くに花畑があるんだよ」
「そんなところがあったのか」
「行ってみたい?」
スプーンを置いて尋ねると、ローレルはややおいて、気恥ずかしそうに視線を逸らしながら、コクリと頷いた。
「そしたら、明日晴れたら行こうか」
ニッコリと笑って提案すると、ローレルは躊躇いながらもまた頷く。
最近は、ローレルからこうやって話しかけられることも増えてきた。相変わらず私たちの間には、あまり会話はない。でも、二人の間に漂う沈黙も心地がいいことを、おそらくお互いにもう知っている。
食事の後片付けや寝る前の準備を済ますと、ローレルは私の手を引いて寝室へと連れていく。
いまだにローレルと同じベッドに入ることに抵抗があって、放っておいたらいつまで経っても寝ない私に、ローレルはいつのころからか、こうやって手を引いて私を先導するようになった。
ローレルはランプを持ったままなにも言わずに黙って手を引いて、二人夜の廊下を寝室まで歩いていく。ベッドに促されて横に並んで入り込むと、ランプの光が消える。
それからどちらからともなく「おやすみ」と言い合って、夜の暗闇に紛れるようにまぶたを閉じる。
隣にはローレルの体温。わずかに聞こえる、規則正しい呼吸音。彼はいつも静かだから、私には彼がいつ寝たのかはわからない。しばらく暗闇の中でローレルの様子を伺っているけど、気づいたらいつの間にか眠りに落ちている。
――そしてたまに。気づいたら夜中、ローレルに抱きかかえられていることがある。
ああ、またか。ふと感じた違和感のある重みに目が覚めて、覚めたと同時にそう思う。
またローレルの腕が巻き付いている。どうやら彼は本格的に私のことを抱き枕かなにかと思っているらしい。すぐにもぞもぞと彼に背を向けようとする。こうなると大抵、彼から次の攻撃がくる。その前に退避しないといけないのだが、間に合うときと間に合わないときがあって、今日は運悪く間に合わなかった。
ふに。生暖かい柔らかい感触が耳たぶに触れてきて、ビクリと身を竦ませる。もう何度となく繰り返されているけど、いまだにこの行為には慣れない。
ローレルの薄い唇が、優しく私の耳に触れている。半ば諦めの境地で、それでもなんとか彼に背を向けようと、振り切ろうとしながら、心の中はきりきりと冷え切っていく。
ローレルはいつも、私を誰と間違えているのだろう。かつてローレルが親愛の挨拶を交わし合っていたのは、家族、それとも……恋人?
こんなのいくら考えたってわかるわけないのに、気になるなら聞けばいいだけの話なのに、その一歩が踏み出せない。
相変わらず、ローレルは奴隷だった以前の過去を話そうとはしない。だから聞いたところで教えてはもらえないよと――そう言い訳して、自分に都合の悪い事実から目を背けた。




