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晩餐を楽しむ少年

 

 帰宅したころには、もうすっかり太陽は沈んでしまっていた。


「ローレル、あのね……」


 改まって切り出した私に、ローレルは構えたように表情を強張らせる。これ以上なにを言い出すのかと、その表情はあからさまに警戒していた。


「じつは……」


 顔色を伺いながら食糧庫に隠していたボトルを取り出すと、その目が一気に呆れへと変わる。手に持っていたのは、安物の葡萄酒。


「まだあったのか……どこに隠していたんだ」

「いいからいいから」


 塩漬け肉をスープに入れて煮込んだ料理に、ドライフルーツにした木苺を混ぜた焼き菓子もどき。お酒のつまみにはちょっと貧相だけど、豆スープよりはマシだろう。


「君が自由になって、そしてこれからもここに残ってくれる記念日」


 ほかでもない奴隷印を握っていた私が言うとシャレにもならないが、幸いローレルはそこには突っ込んでこなかった。

 ただ自分のコップに並々と注がれた葡萄酒に、目を丸くして驚いている。


「……あなたはそのなりでお酒を嗜むのか」

「それ、そっくりそのまま君に返すけど……大丈夫だよね?」

「ああ、問題ないが……」


 次いで疑わしそうに細められた目から逃れるようにコップを振り上げ、「じゃあ、乾杯!」と音頭をとる。

 ローレルは渋々といった風情ながらも、私に続いてコップに口をつけた。

 口に入れた途端広がる久しぶりの香りに、思わず目を閉じる。忘れていた記憶が思い起こされる。たしか、前世ではそんなにワインは口にしなかった。あまりお酒は強くないほうだったと思う。……それは今もか。


「ローレルはお酒は飲めるほう?」

「どうだろう」


 葡萄酒を口にしながら、ローレルは思案気に宙に視線を遣る。


「酔い潰れたりしたことはない」

「じゃあやっぱり、強いのかなぁ」

「そうかもな」


 コップを空けると、間髪入れずにローレルが注ぎ込んでくる。


「君も遠慮せずに飲んでよ」

「言われなくても、飲んでいる」


 滅多にとらないアルコールをごくごくと喉に流し込む。ほわりと漂う甘い香り。次にやってくる懐かしい酩酊。つい感嘆の声を上げた私を、ローレルがじっと見ている。

 普段、食卓ではあまり会話を交わすことはなかった。もともと一緒にいてもお互いそんなに口数が多いほうではない。過去のことを話すことも、今まではほとんどなかった。

 それが今日を境に、ちょっとだけ変わろうとしている。


「なんだかあまり強くなさそうに見えるな」

「そうだね。いつもはほろ酔いで止めてるから、よくわからないけど」

「今日もそれくらいで止めたほうがいい」


 ローレルのコップに葡萄酒を注ぎ、誤魔化すようににっこりと笑む。


「でもさ、これ、じつは初めての乾杯なんだよ。そしてこの先も、これからもずっと、この体が朽ち果てるまで、私の乾杯の相手は君しかいないってことなんだよ」


 その途端、ローレルが盛大に咽せる。


「大丈夫? 本当はお酒弱いの?」


 そばにあった布を放り投げて渡すと、彼は見事にキャッチして、やや乱暴に口元を拭う。


「大丈夫だ。ちょっと不意打ちをくらっただけだ」

「そう? 気をつけてね。無理して飲まなくてもいいから」

「それにしても、様子がおかしい気がするが」


 胡乱げな視線に笑って見せる。


「もしかしたら、そうかもね」


 コップを持ち上げたままヘラリと笑って、また一口、口をつける。


「なんだか、安心したのかも。君がここに残るって決断してくれて。やっぱりなんだかんだ言っても、また一人きりになってしまうのは怖かったから」


 それはお酒の力を借りて出てきた、まぎれもない本心だった。


「君の意見は尊重する。決して無理強いはしない。でもそれでも、私は君とここで、一緒に生きていきたいよ」


 ローレルは参ったように額に手を当てて、首を振った。


「……もう隠しているボトルはないか?」

「さぁ、どうだったかな」

「あとで食料庫を見ておかないと……」


 珍しく会話しながらのささやかな晩餐は、ゆっくりと過ぎていった。








 いつの間にか眠ってしまったようだった。目を開けると、暗闇の中だ。暖かいものに包まれる感触。おそらくベッドへと横たわっている。またローレルに運ばせてしまったのだろうか。

 しまった。調子に乗って飲みすぎてしまった。この調子じゃあ、後片付けもなにもかもローレルに押し付けてしまったに違いない。

 起きて状況を確認しようとするも、体は動かない。体が押さえつけられている。巻き付いているのは、これはまさか……ローレルの、腕?

 とんでもない状況に、一気に目が覚めた。夢じゃない。冗談でもない。事実、私は後ろからローレルに抱えられてベッドへと横になっている。

 いったいどうしてこうなった。冷静になれと自分に言い聞かせながら、思い返してみる。

 私はたしか、酔っぱらったその勢いのままに昔街で暮らしていたときの思い出をつらつらとローレルに語っていた。たしか、ステイとエマの話をしたんだ。私が唯一信用している人たちだと言ったら、ローレルはどこか腑に落ちない顔をしていたけど。

 それから、それから……眠くなって、テーブルに突っ伏して、おやすみって言って……ダメだ。そこから記憶がない。なんでそこからこんな状況になっているのか、思い返してみても思い出せない。

 寝返りを打とうとして、ついでに腕の中から逃れようとした。私よりも若干体格の大きいローレルの腕は意外と重いが、動かせないものではない。そっと跳ね除けていつもの寝床の居間の長イスに戻ろうとしたけど、逆にとんでもない力でベッドの中へと引き戻されてしまった。

 あらら……ローレルも寝ぼけているのかな? さっきよりも近くなった距離に脱力する。

 別に今さら、どうこう騒ぎ立てるような恥じらいもないけれどね。でもこれ、明日起きたら、誰よりもショックを受けるのはほかでもないローレルでは。

 仕方がないのでベッドの中で最大限距離はとっておこう。そう思って背を向けようとして、でもその前になにかが私の耳に触れてくる。


「ひぇっ……」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまって、慌てて口を噤む。

 今の、これ、なに? 妙に柔らかい感触だった……。

 ぞわり。

 また変な感触がして、今度こそ悲鳴を上げる。

 あろうことかローレルは私を抱き込んだまま、耳に口付けをしていた。


「いったいなにを、君は……」


 巻き付いた腕。柔らかい感触。この状況はさすがにキャパオーバーだ。

 一気に醒めてしまった思考で考えてみても、なにをどうしたらこんな状況になってしまったのか、わからない。

 でも、一つだけ思い当たる節はあった。この世界のエルフ族は、親愛の情を表すときにお互いの耳に口付けるという。

 だったらローレルは、もしかして夢の中でかつての親しい人――親族か、もしくは恋人と過ごしているのではないのか、と。

 そこまで考えて、ズキリと胸の奥に痛みが走る。くすぐったい、どこか甘いその行為とは裏腹に、胸の奥はなんだか冷たく締め付けられる。

 なんだ、これ。なんで私はそんなことでショックを受けているんだ。

 とにかくその意味を深く考えることはやめにして、なんとかまた眠れないかと、まぶたを強く閉じる。

 酷だけど、明日ちゃんとローレルに注意しておこう。そしてもう二度とこんなことが起こらないように私も注意しよう。

 とりあえず夜明けまでは休みたい。まったく眠れそうにもないけど、兎にも角にも強く目を閉じて、また眠りにつこうと集中した。








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