提案する少年
とりあえず渋るローレルを説得して、私は再びあの港街へと訪れていた。
買い物もだが、ハイレイン傭兵団の動向も知りたかったからだ。
誰がどのような目的で、ハイレイン傭兵団に魔力探査機の奪取の依頼をしたのか。魔力探査機は今誰の手にあるのか。なにか進展はないかと周囲を警戒しながらも、慎重に聞き耳を立てて辺りを彷徨いてみる。
前回、ハイレイン傭兵団の噂話をしていた店主の店にも寄ってみたが、今日はあいにくとどうでもいい話ばかりで、なんの収穫も得られなかった。
……まぁ、噂はあくまでも噂だ。それが絶対の真実とは限らない。ある程度街中を回ったところで潔く諦めて、さっさと引き上げることにする。ここで魔力探査機に引っかかるようなことがあれば本末転倒だ。今日の収益品をしっかりと抱えて、黄昏時の薄闇に紛れるように、帰途へと着く。
「ただいまぁ……」
フードを下ろしてマントを外した私を、ローレルが出迎えてくれた。
「おかえり。……なにがあった?」
抱えていた荷物を引き取りながら、ローレルが訊いてくる。
「表情が暗い。どうした?」
うぅ、弱っている心に美少年エルフの心配顔が沁みるよ……。
「ローレル、あのね……」
思わず魔力探査機のことを愚痴ってしまう。買ってきた食料を棚になおしながら話を聞いていたローレルは、思案げに眉を寄せた。
「誰があなたを探そうとしているのか……か」
「そもそも、私を探すためなのかどうかもまだよくわからないんだけれど」
もしかしたら、枯渇し始めている魔石の新たな鉱脈を見つけたいがために、誰かが魔力探査機を欲しただけなのかもしれない。
だけど、魔石の産出量が減っているということは、魔導具のエネルギー源になるものの価値がますます上がるということでもある。
「一応、油断しないようにするよ。買い物もしばらく控える」
「そうしたほうがいい」
「でもそうなると、豆スープばっかりになるけど……」
「……それくらい、別になんともない」
ローレルは渋い顔をしたが、気丈にもそう言い切ってみせた。
「しばらくは、今あるもので乗り切っていこう」
そっと背中に手が当てられ、元気づけるように撫でられた。
「それに、少し考えがあるんだ」
かすかに浮かべられた微笑みに、目が奪われる。ローレルは最近ちょっとずつ笑うようになったんだけど、これがまた破壊力のすごいこと。
よくわからないけど得意げに微笑んでいるローレルに見とれているうちに、いつの間にか不安な気持ちも軽くなっていた。
小麦粉などを買ってきたので、今日は一日パン作りに励むことにする。
ここではパンを作るのにも、前世のようにベーキングパウダーなんて便利なものはないから、とにかく出来上がるのに手間暇がかかる。
まずは天然酵母の生種とやらを作るのに、小麦粉と水を混ぜるのを繰り返して、数日。それからやっとできた生種にまた小麦粉と水と塩を混ぜて、よく捏ねる。そして捏ねた生地をこれまた一日ほど寝かせて、これでやっとパン生地の出来上がりだ。
以前人間族の街で暮らしていたときのようにパン屋で気軽に買うことも、酵母の生種をもらうこともできないため、大変時間がかかる。おまけに膨らみも悪いので生地がずっしりと詰まってて、ちょっと重たい食感になる。味もそんなによくないし。
――それでも、さすがに主食が豆ばかり続くのはローレルがかわいそうで、彼がここにきてからは比較的頻繁に買い物に行っては作るようにしていた。
「ローレル、今回のは木の実を混ぜて焼いてみる?」
やっとこさ膨らんできた生地に、ローレルが採ってきてくれたクルミのような木の実を乗せるか訊くと、私の後方からパン作りを見守っていたローレルがコクリと頷く。
こんなふうに食生活を充実させようという気になったのは、それこそローレルがここにきてからだ。
以前の私は空腹が紛れればそれでいいと思っていて、数日に一回ほど、空腹を自覚したときにだけ、畑の野菜や豆でスープを作るのみだった。ちょっとやそっと食べなくたって、私たち長寿族は死なない体を持っている。だから、一人きりだった私の食事への関心なんてその程度だった。
ローレルと一緒に丸めた生地をキッチンストーブのオーブン部分に並べ入れる。あとは焼き上がるまでそれぞれ思い思いに過ごすだけだ。まぁ、いつも思いどおりに焼き上がるわけじゃないけど。でもこんな辺鄙な場所で人目を忍んで二人きりで過ごしている割には、これでも随分と豪勢な食事になるというものだ。
「そういえば、あなたの力で矢尻を作ることはできないか」
元々この家に置いてあったボロボロの古びた本から目を上げながら、待ってる時間にローレルがそんなことを言ってきた。
「矢尻?」
「ああ」
ローレルが今読んでいる本のページを指す。
そこには弓矢の詳細な仕組みを描いた図解があった。
――私は魔力で、少量であれば土の中の鉱物を操ってものを成形することができる。大型のものは作れないし、大量生産もできない。だがこの能力のおかげで僅かな手持ちだった硬貨の偽造を行い、なんとか食い扶持を繋いでいた。
もちろん、それにはデメリットもある。魔力で作ったものには魔力残渣が発生するし、なにより本物そっくりに作れるようになるまで、それこそ硬貨の偽造なんて十年単位の年月が必要だった。
本来なら、父の遺した薬草作りの知識を元に製薬したものを売って稼ぐほうが、手っ取り早くて確実だったろう。ただ、私には気の遠くなるような時間が残されていたし、あんな仕打ちをしてきた人間相手に誠実な商売をするのもバカげていると妙な反発を抱いていたので、ある意味執念にも近い根気強さで贋金造りの腕を磨き上げたのだ。
「いいけど、でもちゃんとできるかな? それになんに使うの?」
構えた私に、ローレルがうっすらと苦笑を浮かべる。
「資材庫に壊れた弓があったんだ。……弓の腕には少しばかり覚えがある。あなたがわざわざ人間の街に買い出しに行かなくても、肉を確保できないかと思ってな」
内心の恐れがきっと顔に出ていたんだろう。安心させるように言われ、知らずに入っていた肩の力を抜く。
まさか、それを持って本格的にここを出ていく準備をするつもりじゃ――なんて、ちょっとだけ頭を過ぎってしまった。
「……そっか。ローレルって弓を扱えたんだね」
「昔、こうなる前は、やがて随一の名手になるだろうとも目されていたんだ」
遠い過去に思いを馳せるように、ローレルの視線が彷徨う。
「もう関係もないと、二度と握ることもないと思っていたが、いつどこでどう役に立つことになるのかわからないものだな」
しみじみとそう呟いた彼を見つめる。
少しだけ、彼がこのまま奴隷になる前のことを話してくれないかなと期待してしまった。
弓の名手になるだろうと期待された彼。彼はいったいどこでどんな人生を歩んで、そしてどうして奴隷へとならざるを得なかったのだろう。
だけど、ローレルはそれきり口を噤んだきり、もう過去のことを口にはしなかった。再び視線を伏せてしまったローレルに、私も迂闊に尋ねる勇気も出なかった。
ある日、いつものあの古びた本を読んでいたローレルに、唐突に声をかけられた。
「海に行きたい」
あまりに突然の提案に固まってしまった私に、畳み掛けるようにローレルが続けてくる。
「海水から塩が作れるそうだ」
ローレルの手にある本は、この小屋の以前の住人が揃えたものだ。私もここに来た当初、余りある暇を潰すために、いやになるほど繰り返し読み込んだ。自給自足で生きていくために揃えられていたのだろう実用書の数々だったが、如何せんそのうち生きようとがむしゃらにもがく意欲もなくなったので、その本の中身を実行に移したことはほとんどなかった。
「塩を作れれば、買わなければならないものがまた一つ減る。そうだろう?」
同意を求められるように首を傾げられて、それに戸惑いながらも頷きは返す。
ローレルはこのところ、私が人間の街に買い物に行かなくて済むようにと、どうにか模索してくれているようだった。
私としても、買いに行く頻度が減らせればたしかに気も楽だし、手間暇も省ける。人間の街に繰り返し出現し続ければ、それだけ見つかるリスクも高くなる。
だけど、街に行かなければ人間族の動向は把握できない。それはそれで、現状がまったくわからなくなることへの恐怖もあった。
それでもおそらく私を心配してくれてそう提案してくれているローレルの気持ちは、純粋に嬉しかった。
「じゃあ、今度晴れた日にでも行こうね」
そう約束すると、ローレルは安心したようにかすかに微笑んだ。




