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信じることにした少年

 

 ローレルの自己犠牲的とも言える看護のおかげで、私はいつになく早く回復した。

 ローレルは結局、最後まで薬を飲ませるのを妥協しなかった。だから私ももうなにも考えずにただ享受した。……あの行為のことをそれこそ深く考えてしまうと思考が泥沼に落ちそうだから、敢えてもう目を逸らしている。

 ローレルは私が思っていたよりもはるかに有能だったことがわかったから、結果オーライだと良いほうに捉えることにした。

 あれから彼の役割もぐっと増えた。資材庫の管理と家の修理に加えて、食べられそうな果実の採集や、今回の薬草を保存できる丸薬に成形することまで。

 ローレルは、ここに来た当初よりも少し打ち解けてくれたような気がする。


「ローレル」


 今日もどこからか木苺類をとってきてくれた彼に、話しかける。


「いつもありがと。明日は買い物に行ってくるから、おうちのことお願いしていい?」

「この間、行ったばかりだろう」


 コクリと頷くだけだったローレルは、最近は話しかけると言葉を返してくれるようになった。


「ローレルがいっぱい木苺をとってきてくれるから、そろそろ余った分はジャムにでもしようと思って。それでパンを焼きたいし、ドライフルーツやお菓子も作れそうだから、そうしたら卵とかほかの材料も必要になるし……」


 つらつらと言い連ねていると、なんだかローレルが妙な目つきでこっちを見ていることに気づいて、口を噤む。


「あなたが人間に見つかる危険を冒してまで、そう頻繁に買い物に行かなくてもいいと、少なくとも私はそう思っている」


 今度は私が奇妙な目でローレルを眺める番だった。


「この前から、そうだけど……」


 声音の変わった私に、ローレルは木苺を洗う手を止めた。


「ローレルって、随分と心配性だね?」


 ローレルは一瞬、視線を逸らした。


「でも……私のことは気にしなくていいんだよ。私は君の奴隷印を持ってるんだから。君がどこにも逃げないようにここに縛り付けて、なにかあれば奴隷印を使うって脅している。そんなことをしてくる相手を気にかける必要はないよ」

「だったらなぜ、あなたこそそんなふうに接してくる」


 ローレルからはなんの反応も返ってこないかとも思ったが、案外と感情的に、彼は返してきた。


「あなたは私の奴隷印を握っているという。私を奴隷としてここに縛り付けていると言うのなら、だったらもっと容赦なく奴隷印を使って使役すればいい」


 初めてだった。いつも心の内を見せないようにしているローレルが、初めて見せてくれたその心の片鱗。


「言うことを聞かせたければ、容赦なく使え。今までの持ち主は躊躇うことなくそうしてきた。その魔導具がある限り、私は奴隷だ。それを手にした者の所有物だ。所有者の意のままに従い、望まれる役割を果たす。それが強制された私の役割、だったのに」


 ローレルの口端が歪む。


「あなたは私にここにいること、それを望んだきり、そのほかのなにも強制しない。ここには私に無理やりあてがわれた役割などない」


 ローレルはそう言うと、口を噤んだ。しばらく無言の時が流れる。再び口を開いたときには感情的に昂った声は静まり、いつもの淡々とした語り口に戻っていた。


「あなたが許可したんだ。私に、私としてここにいていいと。ほかでもないあなたが許した、私であることを」

「私は……」

「これはあなたがそう望んだ結果だ。私が私として考えて行動した結果が、ただこうだったというだけだ」


 私は、ただ。

 彼にここにいてほしかっただけで。


「そう、だね、でも……」

「だったら」


 それでもやはり後ろめたさが消えない私に、ローレルは一歩近づいてきて屈んでくると、下から覗き込むように目を合わせてきた。


「私が自らの意思でここに留まると言えば、あなたはもう気に病まないか」


 向けられたリーフグリーンの瞳をまじまじと見上げる。


「どのみち逃げ出したところで、行くあてなどなかった。どうせすぐに捕まって、下手したら死ぬだろうこともわかっていた。それでも、このままずっと屈し続けるよりも、飛び出したほうがよほど“自分らしい”と思えたんだ」


 まさかそんなことを言われるとは思ってなくて、意表を突かれて言葉が出てこない。


「飛び出した私を受け止めてくれたのは、あなただった。そして私の感情も、気持ちも行動も、あなたは強要しなかった。私でいられる権利を返してくれたんだ。だったら、」


 唖然とローレルの顔を見つめる。屈んで私の顔を覗き込んでいるローレルは、かすかな笑みを浮かべていた。


「だったら私はあなたを心配するし、あなたの身を案じる。あなたがそうしなければならなかった意味を考えるし、あなたがどうしてそんなにも生きることになげやりなのか、頭を悩ませる。あなたが非情になりきれずに苦しんでいるのなら、苦しまなくてもいいと教えてあげたいし、私がいることで少しでも楽しいと感じるのなら、それを嬉しく思う」


 ポカンと口を開けたまま、なにも言えない私の顔を、ローレルはそうやってしばらく眺めていた。


「……君は、どうしてそんなに優しいの」


 こぼれるように出てきた言葉に、ローレルは目を伏せる。


「優しい……か。わからない。これは優しさなのかどうか」


 再び向けられたリーフグリーンの瞳。目を逸らせない、その輝き。


「ただ、あなたが返してくれたこの頭と体は、そんなふうに考えて行動する。それだけだ」


 私は不覚にも、ローレルの顔を穴が空くほどにまじまじと見つめてしまった。








 やっぱりあの日から、ローレルとの関係が少し変わった、と思う。

 たぶん、吹っ切れたんだと思う。奴隷印とかその持ち主とか、そういうことを一旦置いといて自分たちの関係を考えたときに、ローレルは自分が私に使役される奴隷でなく、ただの“ローレル”としてここにいることに腹を括ったのだと思う。

 おそらく、お互いにそういうのをいちいち考えるのを止めた結果なのだろう。私も彼も、難しい屁理屈をごちゃごちゃこねくり回すのを一旦止めにして、ここで力を合わせて生きていくことに集中しよう、って。そのおかげなのかはわからないけど、あれから私たちの間には少しずつ、遠慮を取り払った会話も増えてきた。

 ――でももし、今後ローレルが自らの意思でここを出ていくと決めたら? 

 そのときは、私はいったいどうするのだろう。


「信じられないのなら、その奴隷印を持っていてもらって構わない。奴隷印が手元にあることであなたが安心できるというのならば、私はそれでいい」

「それは……、っ」


 黙り込んでしまった私に、なんでもないことのようにローレルはそう言う。


「私は、あなたを信じたいと思った自分の心に、賭けてみることにした」


 彼は私を信用すると、そう言っているのだろうか。

 信用して、私が奴隷印を乱用しないと信じているから、そんなことを事も無げに言ってくるのだろうか。

 ――わからない。私にはわからない。

 それは私を油断させるための嘘かもしれないし、たとえ真実だったとして、私はその信用に足る人物だという自信もない。


「あなたはあなたが思うほど、酷な人ではないと思う、から」


 なんでだろう。どうしてだろう。私にはローレルの考えていることはわからないけど。


「私は、そう思った自分を信じて、あなたを信じる」


 それでもそう言われたときにこみ上げてきた、この感情は。

 まっすぐに向けられるローレルの目に、その目に心の内が溶かされるような錯覚に、思わず胸の前で手を握り締めた。








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