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譲らない少年

 

 きっちりと最後まで薬を口移ししてきたローレルは、ふいと顔を背けたきりの私を見て、ちょっとだけ逡巡していたようだった。

 ややあって口元にふにっとなにかが当てられる。……ローレルが採ってきてくれた、木苺だ。

 唇に当てられたそれは退かされる気配もなく、ただただ押し付けられてくる。仕方がないので口を開けて受け入れる。薬とは違ってすぐに受け入れ、ムスッとしたまま咀嚼し始めた私に、フッと笑ったような、空気が揺れた気配がした。


「……?」


 片目を開けて、ローレルの様子を伺い見る。

 そういえば、今までローレルが笑う姿を見たことなんてない。もしかしたら貴重なその姿を見れるのかとも思ったが、目が合ったローレルはいつもの無表情だった。

 しばらくローレルは、そうやってせっせと私の口元に木苺を運んでいた。

 あまりにも際限なく運ばれてくるので、そろそろお腹いっぱいだと首を振る。もとより熱のせいで食欲もない。


「残りはローレルが食べて」


 そう言ったきり背を向けた私に、ローレルはしばらくそこにいたけど、やがてゆっくりと立ち上がって部屋を出て行った。


「……ありがと」


 その言葉が届いたか届いていないかは、わからない。

 ……でも、ちょっとだけ、嬉しかったんだ。誰も私がここにいることを知らない、なんのために生きるかもわからない。そんな日々を生きる中で、ローレルが唯一、私が生き続けることを願ってくれたみたいで。場違いにも嬉しいと感じてしまった。








 翌朝目が覚めたら、いつの間にか手のひらの傷に新しい布が巻かれていた。

 相変わらずだるい体を無理に引きずって、キッチンへと向かう。いつも私が寝るのに使っている長イスには、ローレルが丸まって休んでいる。掛け物もかけずに寒そうだ。ふと、そういえば長イスで使っていた掛け布がベッドにあったのを思い出す。自分が使えばいいものを、ローレルは自分の掛け布まで私に寄こしてくれたらしい。

 一旦寝室に戻って取ってくると、それをローレルに掛け直す。テーブルの上は昨日より数も種類も増えた木苺類で溢れていた。

 すっかり火の消えてしまったキッチンストーブの燃焼室の扉を開け、灰を掻いて薪をいくつか足す。それから手を掲げて魔力を使って火をつける。熱が出た体ではなかなか魔力の巡りも悪く、チョロリとした火しかつかない。

 なんとなく背後から視線を感じて、立ち上がって振り返った先。寝ていたと思っていたローレルが目を開けていた。


「おはよう、ローレル」

「熱はどうだ」 

「もう大丈夫」


 元気に見えるように、ニッコリと笑ってみせる。


「ローレルの薬のおかげかな。すっかりよくなったよ」


 なんともなさそうに装ってはみるが、ローレルは半信半疑といったように目を細めた。


「私には、」


 声音からして、疑ってかかっているのは明白だった。


「あなたが無理をしているように見える」


 ……だって、そうでもしなきゃあの劇的に不味い薬を今日も飲めと言ってくるに決まっている。

 悟られないように「そうかな」とだけ答えると、背を向けて朝食づくりに逃げ込んだ。

 まだ追求したそうなローレルに水汲みをお願いして、いつもの豆スープを作るべく鍋を火にかける。

 グズグズ煮え立ち始めた鍋の中身に気を取られていると、身支度を整えて戻ってきたローレルがおもむろに手を伸ばしてきた。額を触られないようにさり気なく後ずさる。緩慢に避けた私に、ローレルはまた疑わしそうにうっすらと目を細めた。


「……もうすぐ朝ごはんができるから、お皿出しといてくれる?」


 再び伸ばされた手を今度はあからさまに避けると、ローレルはますます目を細めた。


「それと、危ないからこんなところでしないでほしいな」

「動いているのはあなただ。大人しくじっとしてくれ」


 牽制をものともせずに、ローレルは手を伸ばしてきた。

 ローレルの手に捕まった私は、そっと額に手を伸ばされて、顔を顰める。触れた途端にローレルは責めるように見つめてきて、思わず降参するように手を上げた。


「これを作ったら、また休むから」


 お小言をもらう前にそう言い訳すると、その視線を避けるように、鍋の中身に注視する。熱があるとバレてしまった途端、張っていた虚勢が剥がれ落ちたかように、体のだるさがぶり返してきた。








 ローレルが苦々しい顔で豆スープと格闘している間、気持ち程度に木苺を摘みながらその顔を眺めていた。


「あまり進まないみたいだな」

「うん、やっぱりまだ食欲ないや。先に休んでくるね」


 ローレルが食べ終わる前にそそくさとそう言い捨てて、寝室へと避難する。

 今のうちに寝たふりでもしとこ。頭まで掛け布を被って、壁のほうを向いておく。

 調子はよくなったと思ったが、薬が切れたのか、再びだるさと悪寒が強くなってきた。傷口もじくじくと鈍く痛み出している。今度のばい菌はよほどたちの悪いものに違いない。

 しばらくすると、やっとこさ朝食を食べ終えたであろうローレルが、遠慮がちなノックと共に寝室へと入ってきた。

 ローレルは私がもう寝てしまったと思ったのか、音を立てないようにゆっくりと中に入ってくると、コトリとコップをサイドテーブルに置いてイスにかけたようだった。ギシリとわずかに木の軋む音がする。

 その様子を、掛け布の中でうとうとしながら伺っていた。

 さて、彼はどうするだろうか。私を起こすのか、それとも諦めるのか。できれば後者であってほしい。

 だけどローレルは私の予想に反して、それから物音を立てなくなった。ピタリと物音がしなくなって、掛け布ごしではそこにローレルがいるのかいないのかさえもあやふやになってくる。

 まぁいいや。横になっていたら本当に眠くなってきた。取りあえず一眠りしてから、どうやってあの薬をやり過ごすか考えよう。

 モゾモゾと寝返りをうって、体勢を整える。重だるい思考に沈む瞬間、掛け布の上から優しく撫でられた気がした。








 今日も目が覚めたら、もう夕方だった。

 しばらくぼうっと窓の向こうを眺めていたら、ローレルが寝室に入ってきた。起き上がっている私を見て、彼は片眉を上げる。そしてサイドテーブルに残っている口をつけていないコップを目にすると、彼は唐突にそれを口に含もうとした。


「ちょっ……ちょっとちょっと……ナチュラルに口移ししようとするのは止めようよ……」


 なんで第一選択がそれなんだろう。いきなり実力行使に出ようとするあたり、絶対に私が飲まないと思い込んでいるに違いない。……まぁ、間違っているのかと聞かれたら否定はできない。

 でも、そもそも口移しで薬を飲ませること自体、おかしいと思わないのかな、この子は。


「あなたはなにを言っても飲まないだろうと思って」


 事も無げに言われた言葉に、苦笑する。

 

「それほどまでに嫌なのか?」


 肯定しようとして、向けられた瞳の色に、言葉に詰まった。いつになくローレルが、澄んだ目でまっすぐに見つめてくる。


「あなたのために一生懸命に薬草を探して、早くあなたがよくなるようにと願いながら作った。その薬をあなたは飲んではくれないのか」


 ――その言い方は、あんまりにも卑怯だ。


「……こういうときに限って、そんな言い方はズルいよね……」


 ローレルはその表情をやめない。まっすぐな透き通った視線を向けられて初めて、この表情は私の弱点かもしれないと敗北を悟る。

 しょうがない。変な敗北感に打ちひしがれながらサイドテーブルのコップを視界に入れる。

 なみなみと注がれたコップの中には、青汁のような真緑のドロッとした液体。いや、まだ青汁のほうがマシかな? 青汁からは決して漂ってこないような妙な青臭さがプンプンする。

 なかなか手を伸ばさない私に、ローレルはコップに手を伸ばそうとした。

 ローレルに取られる前にと慌てて掴んで、その勢いのままに口に入れる。ドロリとしたなんともいえない苦い液体が口の中に入ってきて――私はそれをなんとか堪えようとしたけど、結局逆噴射して、盛大に噎せながらえずいてしまった。


「あなたという人は……」


 呆れたようなローレルの呟きに、さすがに申し訳なくなる。せっかく作ってくれた薬を無駄にしてしまった。

 ボタボタと床にこぼれている薬を拭こうと身を乗り出した私を制して、ローレルは淡々と後始末をしてくれた。

 いつの間にか元に戻っていた彼の無表情の目が、私に向けられる。そして噎せが落ち着いたのを確認すると、無情にもその手がサイドテーブル上のコップへとかけられた。


「昨日も言ったが、こればかりは諦めてくれ。どうしても止めたいなら、奴隷印を起動するしかない」

「……奴隷印は起動しない。でも思いとどまってほしいな」


 薬を口に含もうとしたローレルは、読めない表情で私を見下ろしてきた。


「そこまでしなくていいよ。君から奴隷印を取り上げた私に、そこまでする価値なんてないよ」


 トーンの落ちた私の声に、部屋の空気が冷える。ローレルはそれに答えずに、あくまで淡々と薬を口に含んだ。

 トンと肩を軽く押され、体が硬い敷布の上へと落とされる。


「君はもっと自分を大事に……」


 もう喋るなとでも言いたげに、柔い感触がふわりと押し当てられてくる。

 その行為はそれ以上言葉を伴うこともなく、密やかに続けられた。








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