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日常を生きる少女

 

「それじゃあ、行ってきまーす!」

「気をつけて行っておいで、リナリア」


 玄関から元気よく声を上げた私に、家の中から父の声がくぐもって聞こえてきた。

 父に頼まれた配達の荷物を手押しの荷車に並べて、きしむ取っ手を持ち上げる。

 遠い広がる青い空には、鳴き声を上げる海鳥の群れ。


「まずはハイレイン傭兵団の船、か……」


 もう随分と馴染みになった少年の姿を思い出して、配達に向かう足取りが早くなったことに思わず苦笑を浮かべた。







 私はおそらく、転生したのだと思う。

 以前生きていた世界とはまったく違う場所で目覚めたときには、すでに生前とは別人になっていた。

 なんと、この世界の私は両親曰く、希少種である“有魔族”であるらしい。そしてそのわずかな生き残りのうちの一人だ、とも。

 生前の世界ではお目にかかれないような色彩の両親を目に、なんとなく、そういうものかなと腑に落ちた。前の人生とはまったく違う環境、世界、種族、そして自分自身。でも不思議と、それが今の自分なのだという実感。ああ、今度はこの世界で生きていくのだと。

 有魔族というのは、文字通り体の中に魔力を有する種族のことらしい。ということは、今の私は前世ふうに言うと魔法使いってことになる。やったね、これで魔法が使いたい放題!

 でもそう喜んだのも束の間、私たちには気軽に魔力を使えない事情があった。

 私たち有魔族は、ある理由から人間族に迫害を受けていた。唯一魔力を有する私たちは人間族にとって貴重な資源になるらしく、大規模な有魔族狩りが横行したらしい。今では有魔族といったら都市伝説並みの希少な種族となってしまったそうで、もしも彼らに見つかってしまったなら、あっという間に第二の人生も終わってしまうだろう。

 だから、今生の人生は初めからずっと、ただの人間として生きる人生だった。人間のフリをして、魔力を有するとバレないように、地味にささやかな生活を送る毎日。

 幸い有魔族が人間のフリをするなんてことは、魔力を使わなければ造作もないことだったから、それについてイヤだと思ったこともない。魔力で偽装してしまえば有魔族などとは一見ではわからないので、隠れ住むのはそこまで苦ではなかった。私自身、前世は人間だったわけだから、人間のフリをするというよりも、もはや完全に人間として生きていた。

 というわけで私たち親子三人は、どこにでもいるありふれた人間として各地の町や村を転々としながら、緩やかな流浪生活を送ってきた。人間族と違ってとてもゆっくりと年をとっていくため、他種族だとバレないうちにその土地を去る、根を張ることのないあてのない毎日だった。

 なかにはよそ者に厳しい所もあったから、楽しいことばかりではなかったけど、でも父は薬学に精通していたし、誠実な商売を心がけていたから、旅する薬師一家としては、概ねどこの町でも受け入れてもらえたほうだと思う。

 そうやって随分といろんな場所を旅してきたて、ちょうど今足を休ませているのは、真っ青な海が眩しい港町。

 ここは、ほかの町と比べても本当に暮らしやすい所だった。港からは常に様々な出身の、それも様々な種族の者が出入りするから、私たちの身元をいちいち詮索するような者もいない。よそからきたからと闇雲に背を向けられることもない。誰もが友好的で、それでいて無関心で、でもだからこそ成り立つ居心地の良さがあった。








 港のほうへと歩いていくと、埠頭にたたずんでいる一人の少年が目に入ってきた。襟ぐりの開いたシャツを鮮やかなサッシュベルトで留めている、この港町では珍しくもない格好。青みがかった黒髪は長く、あちこちに跳ねているそれを彼は一纏めに結っている。果てもなく広がっている明るい海を彷彿とさせる、鮮やかなマリンブルーの瞳は、鋭く向こうの景色へと向けられていた。


「リナリア」


 私に気づいたステイは振り返ると、にっこりと笑いかけてきた。それに片手を振って応える。


「そろそろ来るころなんじゃないかって待ってたぜ」

「相変わらず勘がいいね。はい、いつものだよ」


 荷車の中の包みを一つを取って渡すと、ステイは懐に手を突っ込んで、お代を渡してくる。


「今日の配達は多いのか?」

「うーん、そうだね、すみっこの靴屋のおじさんに、肉屋のおかみさん、それからあの花屋の若夫婦にも今日は呼ばれてる。……あの夫婦、新婚だから最近惚気話が長くて、薬がほしいのか話を聞いてほしいのか、とにかく呼び止められるんだよねぇ」

「俺なら秒で逃げ出す自信があるな」


 その途端顔をくしゃくしゃにしてみせたステイに、ついクスリと笑ってしまう。

 ステイは、今この街に停泊しているハイレイン傭兵海賊団の船長の子どもだ。生まれるときに産婆さんの到着が間に合わず、「待て!」と言われたにもかかわらず生まれてきたからこの名前がついたのだと、初めて会ったとき、ステイは笑ってそう教えてくれた。

 快活な笑い声が眩しい、よく笑う明るい少年。ステイは、朗らかで親切で、世話焼きな男の子だった。


「あ! いた! おーいリナリア!」


 大きな甲高い声で呼ばれて振り返る。ステイによく似た女の子が目を吊り上げて、こっちに向かって駆け寄ってきていた。

 ステイと同じ青みがかった黒髪を長いおさげにした、勝ち気で元気な少女。彼女はエマ、ステイの妹だ。

 二人と初めて会ったのは、ステイのお父さんに薬の配達を頼まれたときだ。船まで届けてくれと言われて港に行ったはいいものの、どこに停泊しているのか分からずに立ち往生していた私に声をかけてくれたのが、ステイだった。

 それ以来、二人とはこうして町中で顔を合わせると話す仲になっていた。


「リナリア! ちょっとこっちに来てよ! 見せたいものがあるんだ!」

「えっと、でも、今日はまだ配達が残ってるんだ。ごめんね?」


 そう言うと幼いエマは不服だったのか、ぷぅと頬を膨らませてしまった。


「そんなのヤダヤダ! どうしても今リナリアに見せたいんだ!」

「ごめんねー、エマ、配達を待ってる人がまだいるからね」

「〜っ兄貴! どうにかしてよ!」

「しょうがないなぁ、エマは。駄々ばっか捏ねて」


 仕方がなさそうに頭をかいてこっちに向かってきたステイに、嫌な予感がして後ずさる。


「俺が配達手伝うから、それ以上リナリアを困らせるな。な?」

「え、私なら大丈夫だから! いいよ、遠慮する!  配達終わったらすぐ行くからさ!」

「そうして! 兄貴! だってリナリア一人じゃいつまでも経ってもちんたらして終わらないからな!」


 言うが早いが、ステイはあっという間に私から手押し車を奪い去ってしまった。


「リナリア、中に乗れよ」

「いや、いいよ! 手伝ってもらうの悪いから」

「そんなこと気にしないで、早く乗れって」

「私のことはお構いなく、って……っ!」


 ステイはひょいと私を抱え上げて荷台に乗せると、次の瞬間にはもう手押し車の取っ手を持ち上げていた。


「あの、お願いだから、くれぐれも安全運転で……」


 そう言い終わらぬうちに、ステイはあり得ない速さで駆け出し始める。


「ステイー-!! 安全運転でってばー!!」


 慌ててそう叫ぶも、届いているのかいないのか、ステイがスピードを緩める様子はない。後ろからはご機嫌になったエマもキャッキャッと笑いながらついてきている。

 ――おそらくステイたちには、他種族の血が入っていたのだと思う。獣人族か、もしくはエルフ族。外見上は一見これといった特徴はなかったが、二人には人間にはありえない、驚異的な身体能力の高さがあった。

 ステイたちはあっという間にすべての配達先に薬を届け終わると、ぐったりしている私に出店から搾りたてのジュースを買ってきてくれた。


「あの、いつも配達を手伝ってくれるのはありがたいんだけど、あのスピードはもう少しなんとかならないかな……?」

「リナリアってほんとひ弱だよなー」


 呆れたように半眼になるエマの隣で、ステイが少し困ったように頭をかいている。


「今日はゆっくりめに行ったつもりだったが、まだ早かったか?」


 あれでもゆっくりだというステイにがっくりと肩を落していると、まぁまぁと宥められた。








 それから二人は、私を“見せたいもの”とやらの場所まで案内してくれた。

 桟橋から小舟を一つ拝借して、少し沖に出て陸沿いにぐるりと回ったところ。

 そこにはなんと、野生のイルカの群れが遊びに来ていた。


「初めて見ただろ。こいつら、すっごい人懐っこいんだぞ!」


 前世で水族館で見たことがあるとは言えず、エマの嬉しそうな満面の笑みに曖昧に返す。


「リナリアも手を伸ばしてみろよ!」


 ニンマリと笑ったエマにそう促されて、私はおそるおそる水面へと手を差し出した。


「……わっ!」


 しばらくしてから、様子を伺っていたイルカたちのうちの一頭が近寄ってきて、ちょんと鼻先でつつかれた。湿った感触に驚いて手を引っ込めた私に、ステイは声を上げて笑っている。


「そう驚かなくても、食われたりはしないさ」


 眩しい太陽の下で、明るい笑顔がキラキラと輝いている。あまりにもその笑顔が眩しくて、なぜだか目が離せなかった。


「怖がりだなぁ、リナリアは。ほら、手を貸して」


 じっと見つめていたその視線を勘違いしたのか、ステイは暖かな笑顔に少し苦笑を交えて、私の手に手を重ねて、そっと差し出してくれた。


「慣れたらかわいいもんだ。な?」


 そうやって至近距離から見下ろしてくる視線に、いつにも増してドギマギする。太陽の光を浴びたステイの瞳は、どこまでも澄んだ海の中を覗いているようで、その輝きが私は大好きだった。


「まーた兄貴が兄貴風を吹かしてるよ」


 呆れたようなエマの声も気にならない。それほどまでに、二人と過ごす時間は楽しかった。

 二人は、人間として暮らしていた中で、ただ唯一、心を許した人たちだった。








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