呪塊 その1
帰りのホームルームが終わった。心臓がドクドクと高鳴る。荷物をあらかじめ突っ込んでおいたリュックを背負い、なるべく人に気づかれないようコソコソと移動した。テスト週間で部活がなく、人がいないために体育館裏へは、誰にも見つからずにすんなり行くことができた。ポケットから手紙を取り出す。下駄箱に入っていた、妙に綺麗に切り取られた便箋の端。そこに書かれた「体育館裏で待ってます。」の文字。古典的ではあったが、まさか自分にこの日が来るとは思いもしなかった。
「木林太一君、だよね。」
突然名前を呼ばれたことに大袈裟なくらい驚いて振り向くと、あまり見覚えのない同い年くらいの女子がいた。制服はうちの高校のものだが、袖が地面につきそうなほど長い。
「実は、少し頼みたいことがあるんだ。」
眼鏡をちょいとあげる何気ない仕草にドキッとし、変な汗がだらだらと流れる。
「な、何でも大丈夫ですよ。」
「そう、ありがとう。」
彼女は長すぎる袖に包まれた手で器用に手帳とペンを取り出した。
「貴方の遭遇した怪異の話、聞かせて欲しいの。よろしくね。」
頭が真っ白になった。俺が黙っていると彼女は察したように応えた。
「告白じゃないよ。騙してごめんね。」
「い、いや、それもだけども、なんでその話を知ってるの!?」
「さあ、風の噂で。お礼は弾むよ。」
俺はあまり乗り気ではなかったが話すことにした。あの忌々しい記憶を自分と、アイツだけで抱えているのは限界だと感じていたんだ、いい機会だ。
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「太一、早く来いよ。」
草の生い茂るめちゃくちゃな山道をよろけながら歩く。自分の少し前を友人の赤田が悪路をものともせず突き進んでいる。
「なんだよ、ホントにこの先に神社なんてあるのかよ。道っていっていいのかどうかもわからんが、道あってるのか?」
「多分な、携帯も圏外で地図が見れねぇ。」
不意に赤田が足を止めて辺りを見回した。
「どうしたんだよ、赤田。そういうの止めろよ。怖くなるだろ。」
「なあ、先輩居なくねぇか。」
随分前に進んでいた吉川先輩の姿は長い時間見ていなかったが、まさか。耳をすましても、人が草をかき分ける音はどこからも聞こえない。
「あの人居ないと帰れないだろ。マジでどこに居るんだ。」
「一旦車に戻ろう、あの人も迷って戻ってるかもしれん。」
目を見合わせて頷いた後、二人で後ろを振り返った。多分、これまでで一番叫んだと思う。眼前に、顔面の焼け爛れた人が立っていた。尋常じゃないほど驚いた俺たちは尻もちをついた。赤田の腕に縋りながらソレを凝視していると、ソレは笑い出した。
「ビビりすぎだろ。そこまでいい反応されるなんて、用意しといてよかったな。」
顔に被ったマスクを脱ぐとニヤケ顔の蒸れた、憎たらしい顔面が現れた。我に帰った自分は、肩に縋り付いてきた赤田を振り払い、立ち上がった。
「ホントにやめてください。」
「先輩のせいで、ズボン泥だらけですよ。勘弁してくださいよ。」
俺たちが悪態をつくと、より先輩は嬉しそうに口角を吊り上げた。
「お前ら、あっち見ろ。着いたぞ。」
先輩がライトを照らした方を見ると、森林の間に木のない空間があり、夜闇の中に薄らと木造の建物が見えてきた。先輩を先頭に建物に向かって進んでいく。半分崩れた鳥居を目の前にすると、森の中とは違った異様な雰囲気を感じ取る事ができた。
「これが、噂の神社ですか?」
「そうだ、凄いだろう。インターネットにも流れていないくらいマイナーな所だ。」
ここへ向かう前に先輩が語っていた話によると、半グレもどきが度胸試しという事で森の中を散策してる時に偶然見つけたらしい。そのメンバーが仲間に話し、溜まり場となった。その後は、半グレメンバーが幽霊を見た、そのメンバーが事故死、神社を目指した人間が行方不明になったりと、まあ、ありきたりな心霊スポット的な噂がいくつも湧いてきて、誰も寄り付かなくなった。
「なあなあ、ヤンキーが居たらどうする?まだ、溜まり場にしてるかもよ?」
「先輩、いい加減にしてください。」
先輩は意地がなんでも俺たちをビビらせようしてくる。思えば、俺ら二人も先輩に煽られて来たからなぁ。崩れた鳥居によじ登ろうとする先輩を尻目に、俺らは持っていたライトで辺りを照らした。長い間放置されていたのだろう。石段や道に嵌められた石は所々外れていて、割れた瓦も無数に落ちている。逆さまになって地面に頭をめり込ませた狛犬は、恨めしそうにこちらを睨んでいるように見えた。
「なあ、木林。おかしくないか?」
赤田はやけに低い声で俺に囁いた。
「何が?」
「ここ、雑草が一本も生えてねぇ。」
本当だ。まるで森とこの領域とを区別するかのように神社の境内だけ、全く草が生えていない。地面を石畳で覆っているわけでは無いのに、だ。
「おい、木林、赤田。写真撮ってくれ。」
鳥居の残骸の頂点に立った先輩がライトを振りながらこちらに呼びかける。二人で先輩をライトで照らしながら俺のスマホで写真を撮った。シャッター音がした直後、先輩は両手を大きく振りながらよろけ出した。まずい、あの高さだと絶対に怪我を負う。赤田も同じ事を思ったのか、同じタイミングで駆け出した。しかし、俺たちが先輩の下に着くより先に、彼は地面に激突した。先輩は後頭部を押さえながらよろよろと立ち上がる。どうやらリュックがクッションになって大怪我は免れたものの、衝撃で首をやったらしい。
「先輩、大丈夫ですか?」
「顧問の野郎に殴られたとかよりはマシだ。気にすんな。」
先輩はフラフラと歩き出した。それに続いて、俺たちも歩き出す。
「あー、手を清めるやつ、アレ無いか。首冷やしたいわ。」
「いや、あっても流石に汚いんじゃ無いんですかね。」
少し探すとそれらしきものはあったが、屋根は骨組みを残して崩落、水もどす黒く濁っていてとてもじゃ無いが、触れそうにも無かった。先輩は地面に落ちた腐りかけの柄杓を手に取ると俺らの方に向けた。
「ジャン負けした奴がコレで水掬う。」
なんて提案をするんだろうか、この人は。赤田も嫌そうな顔で俺の方を見てる。しぶしぶじゃんけんに参加したが、最悪なことに負けてしまった。先輩から受け取った柄杓は妙に湿っており、冷たい。恐る恐る水面に柄杓を付けると、水面に何か薄い膜のようなものが張っていた。少しずつ底に向けて柄杓を突っ込んでいく。硬いものを突いたと思った瞬間、急に大きな泡が立ち上った。水が飛び散り、服に黒いシミがついた。途端とんでもない臭いが辺りに立ち込め、吐き気がした。驚いた拍子に柄杓を離してしまって水の中に吸い込まれていった。
「安心しろ、まだ柄杓はあるぞ。」
先輩は俺に次の柄杓を押し付けて来た。
「もう十分でしょ。嫌です。」
「何だよ、根性なしめ。泡が出ただけだろ。なあ、赤田。」
赤田は一瞬俺に申し訳なさそうな目でこちらを見た後、どちらとも目を合わさない微妙な方向へと目線を向けた。先輩は、俺らの態度に対して不満そうにしながら手水へと近づいた。そして一気に水面ギリギリに手が来るほどに柄杓を突っ込んだと思うと、掻き回し始めた。
「底に何かある。」
先輩は手に力を入れて、何かを柄杓に引っ掛けて引っ張り出した。ドス黒い水から出て来たのは異様にデカい、蛇か何かの骨だった。頭や尻尾はなく、胴だけのようだったが。
「なんだこれ、アナコンダか?ペットでも捨てに来たんだろうか。」
先輩が骨を足先で小突いて転がすと、やけに重量感のある転がり方をした。その後、柄杓の先で関節を外したと思うと一欠片を手に取った。
「先輩、本当にやめた方がいいですよ。」
「いいじゃねぇか。記念品だよ。」
ドロリとした黒みのあるそれを先輩は持ってきたタオルで磨いていた。真っ白なタオルは、まるで炭でも擦り付けたかのように黒くなっていた。俺たちが呆れて先輩の様子を見ていると、突然背後から何かが崩れる音がした。咄嗟にそちらを見ると、どうやら神社の内側で瓦礫の山が崩れたらしく、朽ちた壁に空いた穴から砂埃が舞って出て来ていた。
「何か、居るのか?」
「風か何かですよ、絶対。」
心臓が痛いくらいに鼓動している。今すぐにでもここから立ち去りたいくらいだった。しかし、そんな思いとは裏腹に先輩少しずつ社に近づいていく。赤田は先輩の肩を掴み、無理やりこちらを向かせた。
「先輩、幽霊とかそういうの関係なしにマジに危ないです。ここで怪我しても救急車も助けも呼べませんよ。」
先輩のニヤケ顔が、途端真顔になった。赤田の目を真っ直ぐと見る先輩の目からは異様な雰囲気が感じ取れた。先輩が口を開いた。と思えばまた社の方に向き直り、歩き始めた。
「木林、帰るぞ。付き合ってられんわ。」
赤田はイラついた様子で先輩とは逆に歩き出した。
「赤田、先輩いないと誰が運転するんだよ、車を。」
「歩いて帰れない距離じゃないだろ。それに、どれだけ帰りが遅くなろうがいいじゃねぇか。親に泊まりって言ってあるんだろ?」
俺は赤田と先輩を交互に見た。俺はどちらにも着いて行くことができないでいた。
「木林、行くぞ。」
赤田が俺の腕を掴む。俺は咄嗟にその手を振り払ってしまった。呆れと怒りの混じったような表情をした赤田の顔を見た時、全身から嫌な汗が流れ、体中が痒くなった。
「お前、どういうつもりだ?」
「ダメだ、ここでバラバラになったら、きっととてもまずい事になる。」
「お前までおかしくなったのか?」
「違う、正気だ。だから、いや、お前がおかしいというつもりはない。けど、やっぱり、先輩を一人ここに置いていくことは出来ない。」
少しの間沈黙が流れる。先輩の足音だけが不気味な闇にこだまする。
「じゃあ、どうすんだ。羽交い締めにして連れてくのか?」
「お互い怪我する。それはダメだ。」
先輩の方を見ながら少し考える。何かに取り憑かれたように真っ直ぐと進み続ける先輩の背中を見ると、余計に方法が思いつかない。
「先輩に、着いて行こう。」
「......バカ言うな。」
「先輩も正気に戻るかもしれない。」
「ふざけんな!あんな自分勝手な人と心中できるか!!危険な真似をして危険な目に遭うのは自業自得だろ?何で俺らが巻き込まれなきゃならないんだよ。」
「俺らも断らずに着いて来たし、先輩を止めなかっただろ。なら、三人でちゃんと帰れるようになんとかする責任がある。それも、俺らの自業自得だろ。」
赤田は両手を強く握った。溜まった何かを吐き出すようにクソッと呟くと、砂利をわざとらしく蹴り上げながら先輩の方へと歩み寄っていった。俺は汗を拭いながら赤田に続いた。先輩の前の方に懐中電灯を向けると、そこには大きな穴があるようだった。相当深いようでまだここからでは穴の底が見えない。心なしか少し焦げ臭いような気もする。俺が赤田の方に視線を向けようとした時、突然先輩が走り出した。間に合わなかった。先輩はあろうことか穴の中に飛び込んでしまった。赤田と恐る恐る穴を覗き込んだが、そうしたことを心の底から後悔した。穴の底は、闇だった。まるで懐中電灯の光を全て吸収しているかのように全く色のない、吸い込まれそうなほどの真っ暗闇だった。先輩を探そうと思ったが、先輩の形をしている影すらも見当たらなかった。俺たちは全く動けなかった。懐中電灯で穴の闇の周りを照らすのをやめてしまったら、夜闇さえも穴の闇と同化してこちらを飲み込んでしまう、そんな風に考えてしまったからである。赤田と顔を見合わせた後、一歩ずつ慎重に穴から離れていった。穴の中の闇が見えなくなるかならないかというところで、俺たちの意識は後ろから不意に聞こえた物音に向けられてしまった。リスだった。俺たちがホッとした束の間、頭頂から足の先まで血液が抜けたような感覚に襲われた。
聞いた気がした...
見た気がした........
触られた気がした........
連れていかれる................
気がつけば俺らは先輩の家の前にいた。全身が、汗だか涙だかわからないがびしょ濡れになり、身体がどっと重たくなったような気がした。どうやら俺たちはあの後無我夢中で山を駆け降りてきたようだ。先輩は、見当たらなかった。太陽は既に出始めていた。
それからは、先輩が行方不明になった事で警察から事情聴取を受けたが、そんな神社はどこにも無かったと言われてしまった。先輩の痕跡は、あの日乗ってきた車だけだった。
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「なるほど、そんな事があったんだね。」
彼女は、僕が話している間メモ帳とペンをひたすら走らせていた。
「こういうこと言うのは失礼だとは分かってるけども、その後先輩を助けに行こうとかは思わなかったの?」
俺は彼女に詰め寄った。
「なんで当事者じゃ無いくせにそんなこと言えんだよ。」
彼女は俺を制すように布の塊に隠された腕で遮った。
「なるほど分かった。私が不躾だったな。」
彼女は何かを少し書き足した後、俺と目を合わせた。
「出来れば、そこまで案内してくれないか?」
正気だとは思わなかった。腹を立てていたこともあって、俺は無視をした。すると、彼女は少し考えるような仕草をした後にいたずらそうに笑って言った。
「信じるかどうかは君に任せるが、私は幽霊がすこーしだけ見えるんだよね。」
俺の目玉は無意識に彼女の方を向いた。
「どうして私が君に声をかけたんだろうねぇ。」
もしかして、俺にあの神社の悪霊が......?
「知り合いに腕のいい専門家がいるんだ。紹介してあげるから、な、良いだろう?」
鳥肌が出て血の気が引くのを感じた俺はもう首を縦に振るしか無かった。




