カニオ的耳袋、オカルト体験談2
『他人の空似と思う事にした話』
小拙は、子供の頃から割と頻繁にオカルト的な物を見てきました。
派手なヤツじゃ有りません、視界の端に何かチョロチョロとしていたり、何かが横切ったりとした感じで、怖いとか、不思議さを感じるより、ポカンとするのが先で、なんだ?と理解の方を先決する感じでしょうか。
そんな体験なら、大概の人がしている様で、大体は気のせいや目の錯覚として処理している様子です。
まあ、実害が無いのなら、そんな益体も無い事を考えるより、晩飯のオカズでも考えるほうが有益でしょうから。
小拙は仕事中かなりの頻度で晩飯の献立を考えていましたので。
今にして思えば、高校時代が一番そんな妙な物を見ていたと思います、ただ、その時の記憶が曖昧なんですが、それは加齢による忘却では無く、慣れからくる認識不良なんでしょうね。
つまり、何かが見えても、いちいち気にも留めて居なかったんですねぇ。
昼休みなんかに机に突っ伏して昼寝をしている筈なんですが、視界は枕代わりの腕やまぶたを透過して机の木目を眺めていたり、
また、突っ伏していて、分かる筈もないのに教室の様子や人の動きなんかが分かったり。
爆睡し夢まで見ていて、聞こえる筈がない隣クラスの生徒の会話を拾っていながら、全く周囲の音源を五月蝿く感じなかったり、またその逆で、二秒程急に全ての音が消えてしまったり。
そんな事は、不思議に思わない位に日常的に体験していました。
信号機の青色みたいな色の、光の火の玉を目撃したのも高校時代で、そんなケッタイな火の玉は、それ以降一度も見ませんね。
上空2.5m程の高さを、水平に視界を横切りました。最初は信号機の残光かと思いましたもの。
遮蔽物の無い橋の上でしたから、物理的にはあり得ない光の残光です、何だったのでしょうね、アレは。
また、この頃は矢鱈と学校関係者が亡くなりました。
生徒が心不全で亡くなった事は、まあ一学年150名もいた団塊世代なので、確率的にあり得ない事では有りませんが、在学中や小拙卒業後一年以内に、教員が二名病没、教員二名が事故死、同期一名事故死、学校飼育犬が一匹老衰死とは、多すぎると思いませんか?
病気も、心筋梗塞と確か癌だったと思います。
癌の方は治療休職を繰り返していたので仕方ないなとは思いますが、心筋梗塞の方は、それまで一度も健康診断に引っ掛かった事の無い体育教員でしたので意外に感じた物でした。
事故の方も、確率的に多い交通事故ではなく、一人は趣味の川釣りで足を滑らせての溺死でして、葬儀社時代も含め聞いたことの無い死亡原因でした。
葬儀社時代、ほぼ毎日死亡診断書、検案書を目にしていましたが、死因が溺死なのは見た事が有りません。
まあ、病院でお亡くなりになられた以外は(病院でのハッキリした死亡は診断書となります)、死亡検案書となり、お医者様が経験則を元に推測で書かれるので、例えば溺れる前に、脳溢血が起こった、心不全が起こったと記載されるので、死因溺死とは書かないのです。
件の溺死はそのまま川に流されたので状況判断上だとは思いますが。
同期のは勤め先での事故死と聞きました、詳しくは省きますが、鋼材を扱う会社に就職していたのですが、それ関係の事故死なので、即日火葬の無惨な状態だったそうです。
さて最後の教師は滑落死でした。これもあまり聞かない死亡原因です。
何でも学校の慰安旅行先での事故だったと聞きました。
これも詳しくは省きますが、いつまでも露天温泉から戻らない事を、不審に感じた同室の教師からの通報で、旅館従業員総出で探した所の発見だったそうでした。
状況から通路外をショートカットして足を滑らしたのでは?となったそうです。
当時大学生であった小拙に訃報が知らされたのは、既に葬式が済んだ後でして、たまたまゴールデンウィークに実家に帰る予定でしたので、その時線香を上げる事にしました。
件の教師はクラス担任だったので、他のお亡くなりになられた教職員より義理があったのです。
件の滑落原因も、その時に御喪家の方から聞いた話しです。そうでもなければそんな事は分かる話しじゃ有りません。
ここまでは前振り。
と言うより前振りの方が長い話しなのですが。
今にして思えば生意気な話しですが、小拙、高校卒業と同時に車の免許を取り、普段の足にしていました。
大学に生徒用の駐車場なんか有る訳が無く、大学周辺に通学用の駐車場を借りていたのだから、バブル期と云うのは金回りの本当に良い時代でした。
休日や講義をサボりドライブ何て事をよくしたのものです。
つまり、大学生活も慣れに慣れた頃です。その日も何時もの如くドライブと洒落込み、適当に流し、まあ飽きて帰路についたのですが、信号待ちの時、当時欲しかった車が後ろに付きました。
カラーも欲しかった色でして、バックミラー越しにしげしげと眺めたたのですが、何と運転手は件の担任では有りませんか。
間抜けな話しで、その時は“あの野郎、教員の安月給で新車だと”(販売時期的に中古車は無いだろうし、有ったとしてもほぼ新車価格なので)と妙に憤り“教師もバブルの恩恵か”などと余計を考えていたら、信号が変わりましたので発車しました。
まさか、降りて挨拶する程、脳天気では有りませんので。
“しかし久しぶりだ、平日だから野郎もサボりか”などと余計を考えていました。
“ほぼ一年振りか、教師を辞めたのかよ、最後に会ったのは同期の葬式ん時で………”
と、そこまで考えてハタと思考停止しました。
そう、その当の本人のご仏前にお線香を上げに行った事を思い出したのです。
同期の時は、引っ越し移動前だったから葬式に参列したのでしたが、その担任の葬式は参列出来ず、ゴールデンウィーク帰りの時、お線香を上げにいっているのですから、本当に間抜けな話しです。
背筋が総毛立ちバックミラーを見ましたが、もうそんな車は付いていません。
時間経過的に100mも進んでいません、だから車線変更して追い越されたとか、脇に逸れたとかは有りません、そもそもバイパス合流信号なのだから、脇に反れようが有りません。
ゾッとしましたが、他人の空似と自分に言い聞かせ、無かった事にしようとします。
実際、本当に他人の空似だろうし、車は後続車が間に入っただけなんでしょうが………
ただ、最近新車に変えて分かった事ですが、今の車のバックミラーはモニター式なので、後続車の運転手の顔もハッキリと分かりますが、当時の車のただの鏡のバックミラーでは、後方車両の運転手の顔の判別はまず出来ません。
出来る人もいるかもしれませんが、近視の小拙には無理です。
だから、ハッキリと判別出来た“他人の空似”は、それだけで不思議なんですよ。