彼女の才能
「1年前に会ったことがあるからなんなんだ」
「……俺は何度か父上に代わってルートンに視察に行っている」
ルートンとは公爵領の北に位置し、隣国とを隔てる険しい山脈と隣接する土地に位置する。自然災害が頻発する土地で、災害が起きる度に発生する問題を解決する事業のためにお義父様やジョエル様が何度も現地に足を運んでいる。
本件は王家、アドラー公爵家、クロッシェン侯爵家が手掛ける重要な事業であり、私と旦那様が結婚することとなった理由の一部でもある。
「ルートンに視察した際は領主の屋敷で世話になるんだが、何年か前から領主が屋敷に接待のために旅芸人を呼ぶことがあった。……そして1年前に屋敷にやって来た旅芸人の催し物は「歌」だった。素顔を深い青のベールで隠し、顔では無く“歌”で魅せるのが珍しかった。その歌姫がミアだそうだ」
旦那様は苦しそうな表情を一瞬緩め、優しく微笑んだ。
心の中のミア嬢にほほえみかけたのだろう。
旅芸人の女性ともなれば芸だけでは無く、美貌なども含めて話題になるため芸事だけで領主の館に呼ばれるのは確かに珍しい。
「そして、……気を利かせた領主が寝所に娼婦や踊り子…歌姫を送り込むことがあった」
ハ、と息を漏らしたのは誰だったか
「抱いたのか」
苦いものでも飲んだようなクリフの声がザラリと撫でた。
「……ミアは閨でもベールを取らず、また褒美を求めてくることも無い人だったよ。だからあの歌姫がミアだとわからなかった。気付くとルートンに行けば必ずベールを被った歌姫が待っていた」
旦那様から語られるものは現実だろうか
地方でそういった接待が暗黙の了解としてある…のだろうか
クリフの顔を盗み見ると、特に驚いてもいなかった。私が知らないだけで普通のことなのかしら…
ふと、可能性に気付いてしまった。
「…もしかして婚姻の式前の…あの春先の視察も
今回のルートンでの視察でも…お会いされていたのですか」
「…ルートンへ視察に行ったのなら、そうだろうね」
固く握った手が震えた。
「それでは尚更、兄上の子どもかどうかなんて怪しいじゃないか。兄上はルートンでしかミア嬢と会っていないのだろう。それ以外の日にはミア嬢は他の男相手に“仕事”をしていたんだろう」
「ミアには他の客を取らぬよう金を渡していた」
「顔も知らなかった女に金？ハ、兄上、何やってんだよ」
「彼女の“歌”に対する後援だ。パトロンとして彼女の才能を支えたかったんだ。彼女は男に抱かれるためだけの女性じゃない」
ルートンへ行く度に旦那様は……
「そのような女性ではないとおっしゃいながら、彼女と床を共にしたのは旦…ジョエル様ではないのかしら。
彼女の才能を後援したかったとおっしゃるならば、尚更、そういったことをしてはならなかったのではないでしょうか。ジョエル様の行いが彼女の才能を愚弄しているように感じますわ。それを後援などと
…一度でも後援者と一線を越えてしまえば、他にも同じような後援者が存在してもおかしくないと勘繰る方がいらっしゃるのも当然ですわ」
「ミアには俺だけだ！俺しか…知らぬ」
そんなこと証明のしようが無いわ。
でも旦那様はそれを信じていらっしゃるのね…
「…それで」
逸れてしまった話を戻すように続きを促す。
「…ミアの子は俺の子だ。」
