1-4『本能レベルでの天敵ですね』
侵入者のいる場所までたどり着いたわけだが、その場にいたのはゴブリンでもコボルトでもなかった。
立ち尽くす810を尻目に、一歩前へと踏み出したジュゼートはその手に黒い靄をまとった鋭利な欠片のようなものを具現させた。
「待った待った待ったジュゼートちょっと待った!!」
「……なんですか」
慌てて止めに入った810に、渋々欠片を手元にとどめたジュゼートはたいそう不満気だ。
「ちょっと! 何しようとしてんの!?」
「いつものとは少し毛色が違いますが、侵入者でしょう? なら排除する一択じゃないですか」
「いやいやいやどう考えても今までの侵入者と状況が違うじゃん。排除する前に一旦キリマルに判断を仰ぐべきだと思う」
810はそう言ってジュゼート越しにその侵入者を見下ろす。
その侵入者は、人の形をしていた。何故かすでにボロボロの様相で、柔らかそうな若芽色の長い髪はひどく乱れ、纏っている丈の長い立襟の服――キャソックのような服装とでも言えば想像がつくだろうか――も元の色がわからないくらいに血と泥で汚れている。
過去このような姿で現れた侵入者は見たことがなかった。だからこそ正体がはっきりするまで慎重にならざるおえなかった。
「そう言う事なら始末するのは待ちますケド。主サマはあまり近づかないでくださいよ」
「わかった。ジュゼートを盾にしとく」
「おいこら」
ここまで騒いでも侵入者が目覚める気配はない。怪我の手当くらいはした方がいいのだろうかと考えながら、ふいに思い出したのは先程拾った羽だ。
「ところでジュゼート」
「なんです」
「この羽って何の羽だろ?」
「……ああ、それですか」
その質問に、ジュゼートは何とも言えない表情を浮かべた。
「アレの羽ですよ」
「あの侵入者の?」
改めて侵入者を見るが、どこにも羽らしきものは見当たらない。首を傾げる810に、ジュゼートはひとつ小さくため息をこぼすと己の背中を指さした。
「私と同じですよ」
「あぁ仕舞ってるのか。……白い羽を生やした人型の種族? あれ、もしかして——」
810の言葉に、ジュゼートはひどくつまらなそうな顔でふんと鼻を鳴らした。
「……種族は断定できませんが、天族系統なのは確かです」
「あーうん、なるほど」
だから機嫌が悪そうなのか、という言葉をそっと胸にしまい、810はチラっと侵入者を見た。
この世界の種族は主に7つの系統――神族、人族、魔族、天族、亜族、霊族、竜族だ――のどれかに分類されている。
そして、これらの系統にはそれぞれ相性というものが存在していた。
「ったく、よりにもよってなんで奴らが……」
「相性良くない感じ?」
「えぇ。なんかこう、見てるとイライラするといいますか……本能レベルでの天敵ですね」
「そっかぁ」
忌々しげなジュゼートを前に、余計な事は言うまいと810は曖昧に頷いた。触らぬ神に祟りなしだ。
「ジュゼート、どうしようか。起きるまで監視しとく?」
「時間の無駄では? いっそ叩き起こしますか——おや」
小さなうめき声に810とジュゼートは顔を見合わる。どうやら侵入者を叩き起こす必要はなさそうだ。
侵入者の閉じられていた瞼がゆっくりと開かれていく。
「……いきなり襲ってきたり、しないよね……?」
「はぁ……、何かあっても守ってあげますから。ほら、後ろにひっこんでいなさい」
「はーい。……うっかり殺しちゃダメだからね、ジュゼート」
「そんなヘマしませんよ」
810が後ろに隠れたのを確認して、ジュゼートは自身の右手に黒い欠片を次々と具現させ始める。
それらはより集まって、やがてひとつの剣――ファルシオンのような形状だ――を形作った。
◆
僅かに震えた瞼が徐々に持ち上がっていく。
「——」
その瞼の下から覗いたのはエメラルドグリーンの瞳だった。
「……?」
まだ焦点のあっていないそれが映し出したのは見慣れない岩の床だ。
侵入者——青年はぼんやり靄のかかる思考のまま身体を起こそうとする、が。
「……ぅ」
痛む体にうめき声がもれた。
不自然に途切れた自身の記憶からなんとか状況を把握しようと思考を巡らせる彼の視界にまず飛び込んできたのは鮮やかな空色だ。
「ーー! ーーーー」
青年の瞳が紫苑の瞳と交錯した。
混じる色は心配と好奇――後は少しばかりの警戒か。
まっすぐ見つめるその瞳に青年は自身の心がざわつくのを感じていた。