1-3『まぁ、勝てるといいですねェ』
「んー……現れた場所から動いてないっぽい」
そう言って、810はぱちりと目を開ける。
「動かない侵入者とは、また珍しい」
「ね、僕もそう思う」
「警戒心が強いのか、既に弱っているのかは知りませんが。それにしても――」
主サマのその能力は便利ですよねェ、なんてちょっと感心した様子でのたまうジュゼート。
一瞬、『能力だけは』なんて副音声が聞こえてきたのは、妙に含みを感じる彼の言い方のせいだろうか。
810はなんとも言えない表情でジュゼートを見上げた。
――領域内探査能力
先ほど810が使っていた能力の名称だ。
これは魔王が最初から保有している能力の一つである。どんな能力か、簡単に言えば己の領域内に現れた異物をいかなる場合において察知及び探知できるというものであった。
ここでいう異物というのは、魔王とその配下以外の存在のことである。具体例を挙げれば魔物や表層の住人、他の魔王とその配下といったところだ。
余談だが領域内に侵入するこれらを810は総じて『侵入者』と称している。
なおこの能力、侵入者が領域に侵入した瞬間その位置を察知できるのともう一つ一度察知した侵入者の現在位置も追跡が可能だ。
常時発動の前者に対し、後者は意図的に意識を集中して探る必要がある為行使タイミングは限られてくるがそれでもかなり有能な能力であると言えよう。
ちなみに侵入者と遭遇しない限り相手が何者であるかまではわからない。
「こっちの道を進めばもうすぐ目的地だよ」
810の先導で、二人は入り組んだ洞窟をひたすらに進んでいく。どこもかしこも岩壁が続く殺風景な道は慣れた810達でもうっかりしていると迷いそうだ。
「侵入者ねェ、またいつもの魔物でしょうか」
「そうじゃない? しばらくは魔物以外は侵入してこないってキリマル言ってたし」
キリマルとは、管理者によって派遣された魔王の補佐妖精の事だ。補佐と言うだけあってあらかたの知識は把握しており、大抵の事は聞いたら教えてくれる。とりあえず動くウィ●ペディアみたいな存在とでも覚えておいて欲しい。
閑話休題、キリマル曰く魔王の領域内に現れる魔物は魔王レベル――810の場合、魔王レベルは3だ――に相応したものだけが出現するようになっているとの事だ。加えて、ある程度レベルが上がらない限り表層や他の魔王の領域との接触手段が持てないらしい。
そんなわけで810のレベルが上がらない限り新しい魔物は出現しないはずだ。
「ゴブリンかコボルトか。今回はどちらだと思います?」
ジュゼートに尋ねられ、810は思わず小首を傾げた。ゴブリンは緑色の肌を持つ小鬼で、コボルトは二足歩行の犬だ。どちらも810の腰ぐらいまでの背丈でかなり小ぶりな部類の生物だ。
「個人的にはゴブリンがいいかなぁ。リベンジマッチができるし」
「ふぅん? 何か勝てる方法でも思いついたんですか?」
「気合!」
やる気があるのはいい事だが、気合だけでどうやって勝つ気でいるのだろうか。根性論で勝てるほど現状は甘くない。
今日も絶好調のポンコツっぷりを発揮する810に、ジュゼートは深くため息をついた。
「気合、ねェ……」
「僕だって魔王だもん! 前回はあれだったけど、今度こそ魔王らしくゴブリンに勝ってみせるし! 何さ文句ある」
文句、というかツッコミどころは満載である。もう1度言うがゴブリンはこの世界で最弱の魔物である。
ゴブリンは魔王らしく勝つような相手ではない。
突っ込みたくなる気持ちをぐっと堪えたジュゼートは、なんとも言えない表情で810を見下ろした。
「……いいえ。まぁ、勝てるといいですねェ」
「なんだよもー! どうせ勝てないって思ってるんでしょ」
「別に勝てないとは言ってませんよ。万が一ということもありますし」
「万が一って何さ! ふんっ、見てろし絶対勝つもん!」
ビシッと指を突きつけ捨て台詞を放つ810にジュゼートはもはや呆れ顔である。
おまけに待ってろゴブリン!等と叫んで勢いよく走り始めるものだから、いい加減にしてくれと頭が痛いジュゼートであった。
「なんで止めるの」
810の空色のパーカーのフードをつかみ嘆息するジュゼートをよそに、行動を阻止された810は不満げな表情だ。
「このお馬鹿、先ほどつっぱしるなと説教したばかりでしょうが」
「あっ」
どうやらすっかり忘れていたらしい。ジュゼートは心底呆れたと言わんばかりの表情で濃いグレーの頭を見下ろした。
「ごめんってば。あ! 目的地についたよ!」
「ったく調子のいい……」
これ幸いと話をはぐらかした810がきょろきょろと周囲を見渡す。しかし見える範囲に動くものは見当たらない。
「どこだゴブリン! 覚悟を決めてさぁ出てこ――え?」
意気揚々と叫んだ810の足元を、ふわりと横切るものがあった。
「……これって、羽だよね?」
初めて目にしたそれに、思わず810の歩みが止まる。
おそらく元は白い羽なのだろうそれは、土と血で薄汚れていた。
洞窟内を見渡せば、地面の上には同じような羽が落ちている。
「主サマ」
そのどこか固い声音に、どうしたのかと見上げれば、何かを見つけたらしいジュゼートが険しい表情である一点を見つめていた。
その視線を追いかけた810の紫苑の瞳が、大きく見開かれる。
「なに、あれ……」
視線の終着点にあったもの——ぴくりとも動くことなく地面に倒れ伏しているソレはおそらく今回の異物であった。
810の瞳に浮かぶのは僅かばかりの警戒、そして——困惑。
今まで目にした事のない存在を前に810は間抜けな顔でその場に立ち尽くしていた。




