幕間2 喧騒のあとで
ーー談話室にて
夜も更けてきた頃、ヤト達はテーブルを囲みながらソファに腰掛けていた。
「皆今日も1日お疲れ様! さて、それじゃあ早速ーー」
ヤトはソファの上に仁王立ちになると、配下をぐるりと見渡した。
「第1回配下の名前発表会開幕! はい拍手ー!」
素直にパチパチと拍手するゴブリン達をよそにジュゼートは呆れ顔だ。
「洗い物を終えて連れてこられたと思いきや、……なんの茶番ですかこれ」
「茶番言うなし! 名前を機に皆ともっと仲良しになって団結力を強める大事な作戦なの!」
「はぁ、作戦ねェ」
ふふんと自信げなヤトを前に、いまいち状況を飲み込めていないジュゼートはなんとも言えない表情を浮かべた。
「これ今日する意味あります? 明日の朝では駄目ですか」
「早く発表したかった」
「さいですか……」
ヤトらしい理由にジュゼートが納得した様子で肯いた。
ヤトがそれを思いついたのは、例のバグ騒動が落ち着いた後である。
あの騒動で、ヤトは配下のゴブリンを1匹失った。その死を悼む中でヤトはひどくものどかしさを覚えたのだーー悼むべき存在を形容するものが何もない事実に。
名付けスキルは魔王のレベル分しか発動できない為全員にこのスキルを使う事は出来ない、がしかしスキルを介さずとも名前をつける事自体は可能なはずである。
それなのに、名付けスキルを使用した名前持ちしか名前を持たないのがヤトのーーというより魔王にとっての常識であった。
名前持ち以外を種族名で呼ぶ事に何の疑問も持っていなかったのである。
今更ではあるが、ヤトにはこの事がひどく奇妙に思えてならなかった。
またカルセメイヤの一件もヤトの疑念を後押している。今はまだヤトの元にいる配下の数は少ないので全員に接することができているが、この先配下が増えていけば当然全員と接するなんて言っていられなくなるだろう事は想像に易い。ヤトの領域から第2のカルセメイヤが生まれる可能性がないとは言い切れなかった。
だからこそ、ヤトは配下全員に名前を送ろうと思ったのである。
『あなたが存在したって事、ちゃんと覚えていたいから』『あなたの代わりはいないんだよって事、ちゃんと知って欲しいから』
血で彩られる業を背負い続ける魔王と共に戦い、守り、そして散っていく配下達。
死体さえ残さず、最初からまるで存在していなかったかのように消える配下達の、せめてもの証となることを願ってーー
ヤトは、夜を吹き飛ばすような明るい声音で元気よく叫んだ。
「よーっしじゃあまずゴブリン達から名前から発表しまーす!」
和気藹々と進行する名前発表会を尻目に、ジュゼートは小さなあくびを咬み殺しながら黒いソファにぽすっと身を預けた。
既に名前持ちであるジュゼートが付き合う義理はないのだが、部屋に引っ込む事なくこうして参加するあたり案外付き合いがいい。
会の進行をぼんやりと見守っていたジュゼートの視界に若芽色がチラと映った。
「随分とお疲れじゃないですかー、ジュゼート」
隣に腰掛けてきたカルセメイヤを一瞥したジュゼートは濁すように、ええまぁと返す。
「……なんでわざわざ私の隣に座るんですか。どうせならあの中に参加してきてはいかがですか?」
「俺はもう名前を貰っちゃってますからねー」
「そう、ですか」
そっけない返答にカルセメイヤは苦笑を浮かべると、ジュゼートよろしくぽすりとソファに身を預けた。
それ以降特に言葉を交わす事なく、二人して目の前の光景をぼんやりと眺め続ける。
いつの間にかゴブリン達の名前発表が終わり、今度はコボルトとスケルトンーー新しく召喚した配下達だーーの名前発表が始まっていた。未だギャイギャイガウガウカタカタ十人十色な賑やかさだ。
楽しげな様子にカルセメイヤは口元を緩ませる。と同時に、エメラルドグリーンの瞳を僅かばかり伏せた。
「あまり、気負うんじゃありませんよ」
「別に気負ってなんてーー」
その声に振り向けば、うつらうつらしているジュゼートが目に入る。
咄嗟に言葉を返そうとしたカルセメイヤは、思わず言いかけた言葉を飲み込んだ。
「あんたも主サマも、……む…………ら」
「ジュゼート?」
「……、………」
「ありゃりゃ、珍しい」
カルセメイヤに話しているというよりは、もはや呟きに近いのだろう。どうにも睡魔に勝てないらしく言葉もだんだんと途切れ途切れになっていた。
「寝ていいですよ、ジュゼート。頃合いを見計らって起こしましょーか?」
「ん……」
少し逡巡していたようだが、結局抗う事はやめたらしい。割とすぐに寝息が聞こえてきて、カルセメイヤが呆れ笑いを浮かべた。
「……気負うな、なーんてどの口が言うんだか。一番気負ってるの、あなたじゃないですか」
バグ騒動を経て自身の強さに思うところがあったのだろう、ジュゼートが他の配下が寝静まった頃を見計らってこっそり鍛錬を始めた事をカルセメイヤは知っている。
隠れて鍛錬するのは、自身の弱さを気にしているヤトに配慮してなのかそれともそういった努力を知られたくないからなのか。
それはさておき、通常の業務に加えて個人的な鍛錬を追加しているのだから当然疲れだって溜まる。
その結果がこれだ。
「いくら居住区だからってちょっと不用心ですよジュゼート。俺を簡単に信用しすぎじゃないですかねー……なんちゃって」
それも仕方がないだろう、というのがカルセメイヤの考えだ。この領域の魔王たるヤト自体が非常に甘っちょろいのだから。
あの魔王の元でジュゼートはまだ用心できている方だといえるだろうが、カルセメイヤにしてみればどっちもどっちである。若干この領域の行く末が心配になってきたカルセメイヤであった。
「大丈夫ですかねー、宴」
今回宴の随行者にはジュゼートが選ばれている。実力的にはカルセメイヤが抜きん出ているのだが、魔王が集うとあってカルセメイヤの元主とばったり遭遇なんて事になったら目も当てられない。
そういった理由からカルセメイヤのお留守番が確定した……わけだが。
主従揃ってお人好しな彼らがなんだか別のトラブルに見舞われそうな予感がして。
「…………やっぱり不安だ」
どうにも落ち着かないカルセメイヤであった。
そんな事を考えていれば、ふいにヤトと目があった。名前発表は恙無く終了したようで、他の配下たちの姿は見当たらない。
約束通り、ジュゼートを起こそうとしたカルセメイヤだったが、人差し指を口元に当てるジェスチャーをしたヤトに気づきその手を止めた。
ぱたぱたと極力抑えられた足音にそちらを見やれば、ゴブリン達が丸めた毛布を抱えて向かってくる姿が視界に映る。
ヤトは足音を立てないようにそろりと歩み寄ると、熟睡するジュゼートの寝顔を覗き込んだ。
ーーお、つ、か、れ、さ、ま
声に出さずそう囁いたヤトは、ゴブリン達に礼を告げてから毛布を受け取り、そっとジュゼートにかける。
「起こすって約束しちゃってたんですけどね」
「このまま寝かしちゃおう。眠たい時は寝るべきだよ」
その言葉にヤトはいたずらっ子のような笑みを返した。
鍛錬の件だが実はヤトもすでに知っている。知らぬふりをしていたのは単にジュゼートの性格を考慮しただけだ。
「こっそり負担減らそうとしても、自分から仕事増やし始めるし……ほんと困っちゃう」
この頑張り屋さんめ、と囁いたヤトは黒紫色の髪を労わるようにそっと撫でた。
「このままソファに寝かせます? それとも部屋に運んじゃいましょうか?」
「うーん、運んだら起きちゃわない?」
「どうでしょう、ぐっすりなんで案外起きない可能性もありますけど。ソファのままじゃ寝違えやしないでしょうかねー」
「じゃあ枕でも出しとこっか」
魔本でしれっと枕を具現させたヤトにカルセメイヤは苦笑を浮かべた。
「後で絶対無駄遣いって怒られちゃいますよ、主」
「説教はいやだから内緒ね」
「そーですね。内緒です!」
ソファに寝かせる事を決めた後、起こさないよう慎重にジュゼートを横たえた二人は、謎の達成感から顔を見合わせ笑った。
「主はこの後どうするんです?」
「どうしよ、ここで本でも読んでよっかなって」
そう言って、ヤトは魔本を胸元に掲げて見せた。
「起きた時のジュゼートの顔が見ものだなぁ」
愉快な反応を想像してかカルセメイヤの口角が上がり、ニヤついた表情へと変わる。
ジュゼートの横に腰を下ろしながら、ヤトはその反応に苦笑いを浮かべた。
「あんまり揶揄わないでよカルセ」
驚いて目を丸くするカルセメイヤの反応に、ヤトはしたり顔だ。
「……ありゃ、俺にも新しい名前ですか?」
「皆の名前発表会って言ったじゃん。 二人はもう名前あるからさ、だったら愛称でもどうかなって」
どう?と首を傾げたヤトに、カルセメイヤは顔を綻ばせる。
「ふふっ、ありがとうございます。……いやー起き抜けに呼ばれたジュゼートの反応が面白い事になりそうですねー」
「えぇ……? そんな変な顔するかな。普通にしかめっ面して『呼びたければ呼べばいいんじゃないですか』とか言いそう」
「ジュゼートはツンデレ野郎ですからねー」
「?」
どこが?と胡乱げな表情のヤトにカルセメイヤは「なんでもありませんよー」と返した。
「それじゃあ主また明日。その、…………お、おやすみなさい」
「うん。おやすみ」
未だに言い慣れずはにかむカルセメイヤにヤトは口元を緩ませる。初々しさを感じるその反応はこの領域ではひどく新鮮だ。
自室へ向かうカルセメイヤの後ろ姿を見送ったヤトの脳裏にふと、先ほどの言葉が浮かんだ。
「変な顔、か」
ああ言われてしまうと、ちょっと……いや結構気になってしまう。
魔本をぱらぱらとめくりながら、ヤトはジュゼートの寝顔をまじまじと見た。
目を引く真紅の瞳は瞼に遮られ今は見る事は叶わない。たったそれだけなのにいつもの彼からは感じないあどけなさを感じるから不思議だ。
「……おやすみ、ゼト。よい夢を」
そうして静かな部屋の中、真心込めた呟きひとつ。
吐息と共に、こぼれて消えた。




