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幕間1 カルセメイヤと初めての料理


 それは、とある日の朝食のことだった。


「料理って…………その、俺でもできますか」


 おずおずと、少し控えめに告げられた言葉に、ヤトとジュゼートは食事の手を止めた。


「あんた、作ってみたいんですか?」

「そういう顔されると心外なんですけど」


 意外そうなジュゼートの視線に耐えれなかったのか、カルセメイヤは気まずげに視線をそらすとスプーンで掬った一口大の野菜をやや乱雑に口に放り込んだ。


「なんだって急に」

「別に、前々から思ってましたし。……なんか、いいなぁって」

「はぁ、まぁいいですケド」


 静かに動向を伺っていたヤトは、二人のやりとりに微笑ましさを感じていた。と同時にこのカルセメイヤの主張に安堵もしていた。

 カルセメイヤは自発的な発言を控える傾向があった。意見を尋ねても曖昧に笑って煙に巻こうとさえする事もある。

 それは彼の置かれていた環境で生き残る為の処世術だったのだろう。生死を左右したそれは、環境が変わってもなお彼に根深く残っているようだった。

 それに加えやはりヤトやジュゼートを殺そうとした負い目もあるのだろう。

 だからこうして主張する事はとても珍しいことだった。


「ふふ。カルセメイヤの料理、楽しみだなぁ。というか僕も一人で料理作ってみたいなぁ……ねぇジュゼート」

「それなら早速今日の夕食時でもやってみますか、カルセメイヤ」

「ちょっとなんで僕のこと無視するの!」


 ヤトが抗議しても、返ってきたのはジュゼートのジト目だけだ。


「主サマは手伝い以外認めません」

「なんでだよ! 僕魔王じゃん」

「魔王だからなんですか。以前の事、忘れたとは言わせませんよ!」


 その言葉にぐっと言葉を飲み込んだヤトは、代わりに恨めしげな顔でをジュゼートを見た。


「以前?」

「あんたが来る前の事です。今みたいに料理がしたいとせがまれたんですが……武器を構えるように包丁を持ったんですよこのお馬鹿。その上手を切りかけて……危ないったりゃありゃしません」

「もう持ち方間違えないもん!」


 ふんす!と鼻息荒く意気込むヤトに、ジュゼートはニッコリと作り笑いを浮かべた。


「却下。信用できません」

「なんでだよぉ!? 信用してくれたっていいじゃん意地悪ジュゼート!」

「誰が意地悪だこのポンコツ主! とにかく駄目ったら駄目です」


 もぉ――!と叫びながら机に突っ伏したヤトを尻目に、ジュゼートは少々疲れた様子でため息をつく。そして、眼下の後ろ頭を軽くぺしーんと引っ叩いた。


「それでは夕飯前にキッチンに来てくださいカルセメイヤ」

「……わ、わかりました」


 痛いぃ!と叫びながらジュゼートに頭突きをかまし始めたヤトに少々面食らいながら、カルセメイヤはなんとも言えない表情で頷いたのだった。





 そして夕食前。

 そわそわとキッチンに顔を出したカルセメイヤに予備のエプロンを被せ、ジュゼートの料理指導が始まった。


「それじゃあまずは切…………あんたねェ」

「えっ」


 きょとんとした顔で振り返ったカルセメイヤに、ジュゼートはこぼしそうになったため息をぐっと飲み込んだ。

 ヤトとは違い、包丁の持ち方こそまったく問題はない。ジュゼートが教えた通りの持ち方をきちんとしている。


「あんた、今何を考えてました?」

「え? えぇと……この獲物(野菜)をどう処したものかと」


 野菜と向き合うカルセメイヤの目つきはまごうことなく侵入者を屠る時のそれであった。野菜に向けるような視線(もの)ではない。


「野菜は魔物ではありませんからその殺気、しまってください」

「あ、なるほど。……確かに」


 そうして野菜を切り始めたカルセメイヤの後ろで、ジュゼートはそっと自身のこめかみを押さえると息を吐いた。

 日頃武器を扱っているからか、野菜の切り方はぎこちないし切られた野菜も不揃いではあるが初心者特有の危うさはない。

 だが別の意味で気疲れしそうだ、とこっそりキッチンを覗いていたヤトは思った。

 ちなみにヤトの他にお供のゴブリン達もソワソワとキッチンを見守っている。彼らもまたカルセメイヤの事が心配らしかった。


「まぁ、ジュゼートついてるし大丈夫だよね?」

「「ギャ」」


 そうしてヤト達にひっそり見守られながら、カルセメイヤはなんとか野菜を切り終え次の工程へ移った。


「面倒なので今回もスープでいいでしょう。水を入れたら野菜と調味料を鍋に入れて煮込みます」

「水と調味料の分量ってどのくらいですか」

「正直感覚なんですケド……えぇと、これを入れてください」

「はい」


 ジュゼートが箱のようなものの上に鍋をおき、箱についているつまみをカチリとまわした。次の瞬間、鍋の接地面がぼんやりと橙色に発光する。

 その道具――いわゆる IHコンロのようなものと言えばイメージしやすいだろう――が鍋を熱していく様子を興味深そうな顔でじぃっと観察するカルセメイヤに、ジュゼートが苦笑を浮かべた。


「面白いですか?」


 そう問いかけられ、カルセメイヤはこくりと頷いた。鍋は順調に温まっているようで、鍋に手をかざせば先程は感じられなかった熱を感じる。


「この箱と先ほどの包丁や野菜、あと調味料というものも全部、マスターがポイントとやらを使って具現化したものなんですよね」

「ええそうです。なんでも、領域内に満ちる魔力を使って動く魔導製品の一つだとか」


 詳しいことは私もよくわかりませんが、と続けたジュゼートにカルセメイヤはへぇと関心した様子でつぶやいた。

 余談だが、魔導製品――又の名称を領域用魔導機械具という――には他にも冷蔵庫に似たようなものや洗濯機に似たようなもの、掃除機に似たもの等様々な種類が存在しており、これらは皆魔王の所有する魔本内のカタログに掲載されている。

 使用方法等はカタログ内の製品ページを閲覧した魔王の脳内に知識として自動的にインストールされ『なんのための道具なのか』『どう使えばいいのか』がすぐに理解できるようになっているとのことだ。一方で配下はこの限りではなく、使用方法もろもろは魔王から教えてもらい覚える他ない。


「使い慣れてくると便利ですよ」

「確かに、これがあれば魔物を生で食べずにすみそうですよね」

「あれって食べれるんですか?」

「いや美味しくはな——ジュゼート、食べた事ないんですか?」

「え、ありませんけど」


 その言葉を皮切りに、二人の間になんとも言えない沈黙が流れた。


「……」

「……」

「え、えーっと! なんかぶくぶくいい始めたんですけど」

「あ、あぁ! そうしたら熱を弱めてください」

「こうですか」

「そうそう、野菜が柔らかくなるまでもう少しこのまま煮込みましょうか」


 幸いにしてその気まずげな空気は鍋が煮立った事により打ち破られることとなったわけだが。

 結局二人とも、先ほどの話はなかったことにしたらしく、それ以上魔物食の話題が出ることはなかった。

 先ほどの沈黙を目の当たりにしたヤトは密かに決意する。

 この先、『宴』で別の魔王や配下と交流する事になったとしても食事関係の話はなるべく避けよう、と。



 それからは比較的スムーズに進み残すは最終調整だけなのだが、丁度そこでジュゼートが宴関連の事でキリマルに呼ばれてしまい、席を外している。

 味の微調整だけだ、特に問題も起きないだろう——そう判断したジュゼートにより後を任せられたカルセメイヤだったのだが。


「自分好みに調整って、どうすれば……」


 彼は現在、ほくほくと湯気立つ美味しそうな飴色のスープを前に一人途方に暮れていた。


——じゃああとは自分好みに調整しておいてください


 ジュゼートが何気なく放った一言には、『何を』調整すればいいのか抜けていた。普段から料理に携わっていればなんとなく『味』だろうなと想像つくのだろうが、カルセメイヤは料理初心者である。肝心なところがうまく伝わらなかったのはジュゼートの誤算であった。


「調整……調整……うーん、味とか?」


 ジュゼートから教わった事をなぞるように小皿にスープを取り分けおそるおそる味見をする。

 口の中にじんわりと広がっていく濃厚な野菜の旨味に、カルセメイヤの眉がへにょんと自信なさげにハの字を描いた。


「もう十分美味しいですし、何を調整すればいいんですかジュゼート!」


 半泣きになりながらカルセメイヤがぼやくが、未だジュゼートが帰ってくる気配はない。さて、ジュゼートのもう一つの誤算——それはカルセメイヤには『調整しない』という選択肢がない事だ。言われたからには調整『しなければならない』と思い込んでいる彼はなんとかして調整すべき点を必死で考え始めたのである。


「つまり調整すべきは味ではない? ……あ、それなら!」


 思考をあらぬ方向へ不時着させたカルセメイヤの視線が何かを探すようにキッチン内をさまよい始める。そうして——ある一点で動きを止めた。


「……これだ!」


 やっとのことでたどり着いた彼なりの答えに、カルセメイヤは明るい表情で手を伸ばした。





「…………まさかそうくるとは」

「どうですジュゼート! 自分好みに調整しましたよ!」


 やり切ったと言わんばかりの顔で出迎えたカルセメイヤを尻目に、ジュゼートは恐る恐るといった様子で鍋の中に鎮座する異彩を放つスープを覗き込む。

 匂いは至って普通のスープなのだが、如何せん色が毒々しい紫色をしていた。最初覗き込んだとき思わず二度見してしまうくらいには衝撃的であった。


「……ちなみに何入れたんです、これ」

「ふふん、これです、これ!」


 ジュゼートの動揺に気づかず、ニコニコ顔でカルセメイヤが差し出したものは、野菜の皮であった。


「自分好みに調整をとのことだったので好きな色になるよう調整しました、けど…………あの、俺もしかして間違えました?」

「あー……いえ、特に問題はないでしょう。皮も捨てるだけでしたし、まぁ、その、有効利用できたのでは?」


 どこかぎこちないジュゼートにだんだん不安になってきたのか、カルセメイヤの声が次第に自信なさげなものに変わる。

 どこか不安げに揺れるエメラルドの瞳から一瞬ハイライトが消えかかったように見えて、言いかけた言葉をジュゼートはとっさに飲み込んだ。この様子じゃ「味の好みを調整して欲しかったんですが」なんて言えば冗談ではなく最近ようやく安定してきた精神が一気に不安定へ逆戻りだ。

 苦しげなフォローにほっとした様子の彼を見て、ジュゼートは己の判断が間違っていなかったことを悟った。


「あんた、紫が好きなんですか」

「好きですよ? だってマスターの瞳の色じゃないですか。それに今回(マスター)が楽しみにしてるって言っていましたし……」

「なるほど」


 この分だとヤトの瞳が緑や青だったらその色のスープが出来上がっていそうだと考えながら、ジュゼートはスープ用の皿を用意すしていく。


「あっあの……ジュゼート」


 何事かと振り向けば、おずおずと味見用の皿を差し出すカルセメイヤの姿があった。


「味見、お願いしてもいいですか。その、このままマスターに食べてもらうのは不安で……」

「念のため聞きますが自分でも味見したんですよね?」

「しましたけど、でも——」

「ほら。皿、貸しなさい」


 カルセメイヤがネガティブな思考に染まる前に、ジュゼートはそう言って手を差し出した。


「ま、上出来でしょう。これなら、主サマも喜ぶんじゃないですか」


 そんな、少しそっけない褒め言葉を聞いて。

 カルセメイヤは嬉しそうな、それでいてどこか泣きそうな顔で——笑った。





 目の前の毒々しい色のスープと、少し緊張を孕んだ笑みを浮かべるカルセメイヤをしばし交互に見やったヤトは、「……ワァ」とぎこちなく笑いながらスプーンを手に取った。


(マスター)どうぞ、……召し上がってください」

「ウ、ウン! い、いただきまぁ……す」


 目の前のスープを一口分だけすくったスプーンをヤトは意を決して口の中へ運ぶ。ほろり、と口の中で解けた野菜が優しい味のスープと共に喉の奥へと流れていった。


「おいしい!」


 ヤトの言葉に、カルセメイヤの表情がパァっと明るいものへと変わった。本当に嬉しそうなその笑顔にヤトもつられて笑顔になる。


マスターのお口にあってよかったです!」

「うん、とってもおいしいよ! 色が……その……鮮やかでびっくりしたけど」

「実はそれ、マスターの目の色をイメージしたんです」


 えへへ、とはにかみ笑いを浮かべるカルセメイヤを前にヤトは様々な感想を飲み込むと、菩薩のような顔で「そっかぁ」と微笑んだ。

 美味しそうに食べるヤトから視線を離し、ふとカルセメイヤは周りを見渡してみる。

 ヤトだけでなくゴブリン達も楽しげに、カルセメイヤの作ったスープを食べていた。


「(いつも、ジュゼートが羨ましかった。でも俺なんかがジュゼートと同じ事、できるはずないって諦めてた。でも――)」


 カルセメイヤは自身の手元を見下ろした。そこにあるのは自分が作った紫色のスープだ。

 ジュゼートにフォローされながら作ったので完全に自分が作ったとは言えないかもしれないが、それでも。

 料理で、目の前にあるこの団欒を、この光景を生み出したのは——。


「(……生み出した、のは——俺だ)」


 カルセメイヤにとって、それが何よりも嬉しかった。


「(以前の俺は命令通りに動くだけの存在で、何かを生み出すことはきっとできなかった)」


――だからもう昔の俺とは違う


 ただの駒から個へと変われたのだ、と。ようやくそれを受け入れることができたように思う。


「ジュゼート、ありがとう、……ざいます」


 声が震えていたのを誤魔化すように料理を頬張ったカルセメイヤに、ジュゼートは苦笑いを浮かべた。


「……どういたしまして」


 ポタリ、スープに波紋を立てた小さな雫には見ないふりをして、そう呟いた。


「へへ……次はジュゼートの目の色のスープ、作ってあげましょうか」

「赤い野菜なんてありましたかねェ」

「………………血とか」

「謹んでお断りします」

「わっ本気で引かないでくださいよ! 冗談ですって」


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