1-28『騒々しくも平和な日々』
「序列……か」
「突然どうしたの、ジュゼート」
不意に、野菜を切っていたジュゼートの手が止まる。
彼の隣で丸い橙色の野菜と格闘していたヤトは不思議そうな顔で彼を見上げた。
ヤト達の領域が崩壊の危機にさらされた日の翌日から全魔王の領域で一斉にメンテナンスが行われる事となった。日数にして10日程、その間は侵入者が一切入ってこないように調整されているという。ゆえに、その10日間は侵入者退治から解放され、のんびりと過ごせるのだ。
かくいうヤト達もまた束の間の休日を過ごしている。
冒頭に戻るが休日2日目の現在、ジュゼートとヤトは居住区のキッチンにて昼食の準備を行っていた。
「一昨日の話を思い出しまして」
「一昨日かぁ――あっ皮むきおわったよ!」
話を遮ってにこにこと野菜を手渡してくるヤトにジュゼートはジト目を向ける。
「……主サマ?」
「ちゃんと聞いてるってば。で、次の野菜どれー?」
「本当に聞いてるんですかねェ……なら次はこれを」
「はーい」
次の野菜と睨めっこしながら皮剥きを再開したヤトを横目に、ジュゼートはため息をひとつこぼすと次の食材へ手を伸ばした。
トントントンと食材を刻む彼の脳裏に浮かぶのは一昨日の出来事だ。
――序列ってなに?
ヤトの質問に対するキリマルの回答曰く、魔王のランキングのようなものらしい。
らしい、と言うのはシステムの関係上序列と魔王の強さが必ずしも一致しているとは限らないからだ。
序列を上げるにはなりたい序列の魔王に戦いをしかけて相手の魔王を討ち取り勝利すれば良く、場合によっては一気に序列を上げることも可能だ。
とはいえ上位になればなるほど相応の強さがないと生き残れないのは間違いない。
「で、序列がどうしたの?」
「いえ、魔王の使命は生き残る事なのにわざわざ潰し合いをさせるのは一体何故なのかと思いまして」
「確かに」
皮を剥き終えた野菜をジュゼートに手渡しながらヤトは思考を巡らせる。何故魔王を戦わせようとするのか。
侵入者を退治し続ければ魔王は強くなれるのだ。手っ取り早く強くするためなのか、はたまた別の理由があるのか——。
「まぁ理由なんてわかりませんがねェ」
「序列と言えばナンバーズだっけ」
「……あのやる気なし男も名を連ねているんでしたよねェ」
序列2位の魔王、クロック。そして、序列一桁の魔王集団――通称『ナンバーズ』。
――ナンバーズ自体他の魔王とは一線を画した存在ですがあの方はさらに特別です。管理者様から直接仕事を賜る事もあるくらいなのですからな。……普段はあの通り極度の面倒くさがり屋なダメ男ですけど
とはキリマルの談だ。
「ジュゼート、なんかあの人に対する当たり強くない?」
「……ああいういい加減な輩は生理的に無理です」
もちろんそれだけが理由ではない。
クロックが扉を開けた時、ジュゼートは『闇』だけでなく彼にもまた気圧されてしまったのだ。
あの時、『闇』を牽制するように一瞬だけクロックから放たれた威圧。
それにジュゼートは圧倒され冷や汗が止まらなかった。あの威圧を常時浴びてしまえばきっと気絶するだろう。
予期せぬ事体で邂逅する事になった遥か天上の存在。
侵入者程度に優位を感じていた自分の矮小さを思い知らされた。
なんてことはない。あたりが強いもう一つの理由——それはただの嫉妬だ。
「……ジュゼート、大丈夫?」
その声にジュゼートははた、と我に返る。見下ろせば、心配そうに顔を覗き込んでいるヤトと目があった。
思いのほか長い時間黙り込んでしまったらしい、とジュゼートの口元に苦笑いが浮かぶ。
「大丈夫ですよ。そういえば先程キリマルに呼ばれていましたね」
「ああうん、なんか全魔王が集結する催しがあるんだって宴っていうんだけどね、これはその招待状」
「ちょっ出すなら手を拭いてからにしなさい」
ジュゼートのお小言が飛ぶのもお構いなしにヤトはガサゴソと服の内側から招待状と2つのバッジを取り出した。
それは、黒いマット調の封筒の表に810の番号が金字で記された招待状だ。突然目の前に現れたキリマルが渡してきたのだ。
幾何学模様が描かれた指先ほどしかない鈍い金色のバッジ――キリマル曰く、これがないと会場に行けないらしい。
「そのバッジ、うっかり無くさないでくださいよ」
「無くさないよ……っていうか怖くて無くせないから」
「?」
「見てこれ」
首を傾げるジュゼートにヤトは二つ折りになっている招待状を広げて見せた。
そこには全魔王強制参加の宴の詳細が淡々と書き連ねてある。
宴の開催は今からおおよそ60日後。
必須条件は『魔王レベルが5以上である』事、必ず『配下を一人随伴させバッジをつけた上で参加する』事の2つだ。
なお条件を満たしていなかった場合は不良個体として領域ごと抹消される旨が文末に赤字でデカデカと書かれている。
「…………抹消」
「実際それで消された魔王がいたらしいよ。こんな事で消されるのもなんか悲しいし……絶対に無くせないよね」
招待状をしまい皮むき途中の野菜へと手を伸ばしたヤトがぼやく。
「後には1つはレベル条件ですか」
「ん。5だから1つあげないといけないんだよね」
ジュゼートは鍋の準備をしながら、おやと首を傾げた。
「もうレベル4に?」
「うん、言うの忘れてたけどジュゼート達が魔物を討伐しにいったときに上がったんだよね」
「そんな大事な事、伝え忘れないでくださいよ……」
「えへ……ごめんて」
誤魔化すようににへらと笑うヤトに呆れ顔を向けつつ、どうりであの短時間に全員分の飴が作れたわけだ、とジュゼートは内心納得しながら頷く。
レベルがあがったことで魔本でできる事も増えているはずだ。後でちゃんと聞き出さなければと考えながらジュゼートは鍋に水と野菜を入れていく。
「ところで——」
ジュゼートはなんともいえない顔でヤトを見下ろした。正確に言えば、ヤトの服をである。
「宴、その服で行くのはやめてくださいよ」
「なんで? 服装指定なんかなかったよ?」
「全魔王が集まるんでしょう? せめて服装だけでも魔王らしく取り繕わないと。……焼け石に水かもしれませんが」
「どういう意味それ!」
ぶつぶつ文句を言いながら野菜の皮をベリベリ剥いでいくヤトの手つきは先ほどよりも少し荒い。
魔王としてはあまりにも威厳のないもとい可愛らしい怒り方にジュゼートはやれやれと肩をすくめた。
「主サマ、そろそろカルセメイヤに飴を与える時間では?」
「あっそうだった!」
そう言ってヤトはスクっと立ち上がる。
『闇』に漂流していた記憶を取り戻したカルセメイヤはやはり精神を悪化させた。
本来なら数分でも錯乱状態になりかねないソレに浸かっていて、どうして悪化止まりなのか。
それは単にヤトのスキルで作った飴を摂取しているからであった。
魔王が作ったものには『闇』を別のものに変換するという魔王の性質——ある意味一種の浄化機能みたいなものだ——が少し宿るのだという。
それを摂取する事で内に入り込んだ『闇』を緩和できるのだ。
「まだゴブリン達と菜園室に籠っているはずですよ」
「気分転換になってたらいいけど」
作りたての飴を手のひらで弄びながらヤトは菜園室のある方角を見た。
菜園室とは部屋の中なのに天井には一面の青空が広がり、昼には太陽が、夜には月が昇るという摩訶不思議な部屋である。
カルセメイヤとゴブリン達にはそこで土を耕し新しい野菜の苗を植えてもらっていた。
「主サマ、そろそろ土を落として戻ってくるように言っといてください」
「はーい! それじゃあ行ってくるー!」
ドタバタと慌ただしく出て行ったヤトを見送ったジュゼートは鍋をかき混ぜる手を止めため息をつく。
「いつも走るなと言ってるのに、あのお馬鹿さんは」
しばらくはこんな騒々しくも平和な日々が続くのだろう。
ヤト達の物語はまだまだ始まったばかりだ。




