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1-22『やはり主サマにはアホ面が似合います』


 ぐん、と体が強い力で引っ張り上げられる。同時に感じたのは——ヤトがよく知る匂いと温度だった。

 ヤトの体からするりと力が抜けていく。


「まったくこんなに無茶をして……このお馬鹿」


 見上げれば、眉を寄せ不機嫌を露わにするジュゼートの顔があった。


「……ジュゼートだってボロボロじゃんか」

「ふん、掠っただけです。ポンコツ主と一緒にしないでくれませんか?」

「いじわ――」


 意地悪配下――いつものように返そうと開いたヤトの声が不意に途中で止まる。

 ヤトを抱えているジュゼートの手が僅かに震えている事に、気づいた。気づいてしまった。

 よく見てみればジュゼートの呼吸は荒い。おそらく肩で息をするくらいここまで全速力で飛んできたのだろう。


「主サマ?」

「……助けてくれて、ありがと」


 あとね、とヤトは続けて言った。


「ジュゼートが無事で、よかった」

「言ったでしょう。勝ちますって」

「ん」

「……主サマも——よくがんばりました」


 その言葉に押し留めていた感情溢れそうになって、ヤトは己の唇をぎゅっと噛み締めるとジュゼートの胸元へ顔を(うず)めた。


「ギャッギギャー!」

「あぁはいはいそうですね。あんたもよく頑張りましたね」

「ギギャッ!?」

「ところであの黒いの、どう言うわけか追いかけてこないみたいですねェ」


 ゴブリンのジト目をしれっと躱しながらジュゼートは後ろを振り返る。あれほどヤト達に執着を見せていたにもかかわらず、魔物はなぜか追いかけてきていなかった。


「……追いかけてくるようなら集中砲火でも浴びせてやろうかと思っていたんですケド」

「ジュゼートって意外と好戦的だよね」

「別にそういうわけでは――ああそういえば。アレはちゃんと生かしておいてますよ」


 その問いにヤトはばっと顔をあげる。その表情には驚きと、そして期待が滲んでいた。


「煮るなり焼くなり息の根を止めるなり配下に加えるなり主サマのお好きなようにどうぞ。……といっても、バグの原因を解決しなければならないので選択肢なんてないんですケド」

「ありがとうジュゼート」


 ヤトの口元にほんのりと浮かぶ笑みに気づいたジュゼートの頬が少し緩む。


「……やはり主サマにはアホ面が似合います」

「なんで僕いきなり貶されたの。……ッ! ジュゼート」

「えぇ、いますね」


 強張った顔でゴブリンをぎゅっと抱きしめたヤトを抱え直し、ジュゼートは険しい表情で己の背後を一瞥する。

 気づけばまた、ジュゼート達の背後に例の魔物がいた。


「速度を上げます。主サマ達はアレの監視を」

「グギャッ」

「わかった——ってああまただ」

「侵入者、ですか」


 ヤトが煩わしそうに顔を顰めながら頷いた。おそらく今も合図が脳内に鳴り続けているのだろう。


「出現間隔がどんどん短くなってきてる」

「それは……」


 バグが進行しているせい、なんてことは言うまでもない。


「お兄さんと早く主従契約(リンク)結ばないと」

「えぇ。ついでにこの現象も直ってくれたらなおいいんですがねェ。……キリマルからは?」

「なんの連絡もないよ」


 焦りと苛立ちを募らせながらジュゼートは小さく舌打ちした。


「何にせよ、まずは――」


 ヤトが言いかけたちょうどその時だった——真横の通路から何かが勢いよく飛び出してきたのは。

 反射的に黒い欠片を放とうとしたジュゼートは、それが見知った姿であることに気づきすんでのところで放つのをやめた。


「なんであんたがここに……」

「それは後! 今は——」


 青年が言い終わらないうちにビュンッ、とジュゼート達めがけて岩塊が飛来する。 

 咄嗟に旋回して躱した一行が目にしたのは——岩を投げ終えた姿勢の深緑の巨体だった。


「あいつ……姿が見えないと思ったらあんたが相手をしていたんですか!」

「話は飛びながら! とにかくあれは不味いッ!」


 青年の剣幕にただならぬものを感じたジュゼートはすぐさま青年に追従する事を選んだ。


「不味いって……確かに強そうですけど私たちなら別に倒せるのでは——」

「ヒッ」


 ジュゼートの肩越しに後ろを見ていたヤトが、突然小さく悲鳴をあげた。


「主サマ?」

「なに……あれ」


 ヤトの声につられジュゼートは後ろを振り返る。

 そこには、ちょうど黒い狼の魔物との間にジュゼート達の間に割って入る形で、深緑の魔物の姿があった。

 その魔物には本来あるべき『頭部』が存在していなかった。

 しかも、頭部の代わりなのか首の断面からはさまざまな魔物の頭がびっしりと生えている。

 ソレらはまだ生きているのか時折痙攣し黒くドロリとした液体を口と目から垂れ流していた。

 ぽたりぽたり——黒い液体洞窟の床を汚していく。


『異様』


 はっきり言ってその一言に尽きた。


「な……」

「ハハ……首落としたらあれになったんですよね」

「あんたほんと何しやがってくれたんですか!」

「俺何もしてませんよ!? 片っぱしから魔物屠ってただけですってば! あいつだけ何故か消えなくて、おまけにあんな化け物になったんです!」

「ああもうとにかくこのまま居住区に逃げ込みますよ! 居住区にはおそらくあれは入って来れないはずです!」

「グギャッ」

「まずいよ、黒い魔物が取り込まれてるッ!」


 ヤトの声をかき消すように、魔物の断末魔の叫びが響き渡る。ブチブチブチィと何かが引きちぎられていく音をBGMに一行は全力で飛んだ。


「ゔっわ……えげつな」

「ギギャァ……」


 ジュゼートの肩越しにその光景を直視してしまって顔色の悪いヤトとゴブリンの視線の先には黒い魔物の獣頭をズルリと生やした深緑の化け物の姿があった。

 その異形の魔物がゆっくりとジュゼート達の方へと頭部を向ける。

 そして――駆けた。


「おぎゃーーーーーーーーーーーーーッ! 二人とも全速力ゥーッ!」

「耳元で叫ぶなお馬鹿! 既に全力ですよ!」

「じゃあ全力以上! このままじゃ追いつかれるッ!」


 ダァンッダァンッと床を震わせながら疾走する化け物との距離が、みるみるうちにつまっていく。

 すぐ背後に化け物が迫る中、一向は遂に玉座の間へと辿り着いた。


「ジュゼート扉開けられる!?」

「無茶言わないでくださいよ!?」

「じゃあつっこむ!?」

「死にたいんですか!?」

「では、俺が時間を稼ぎますね」


 不意に、青年が呟いた。


「え」


 驚くように見開かれた紫苑の瞳に青年は穏やかな笑みを返すと、その身を翻す。


「待っ――」


 制止の声と共に伸ばされた手が空を切り、その指の隙間を若芽色の髪が通り抜けていく。


――ごめんなさい、ヤト様


 すれ違いざま小さく囁かれた言葉に、ヤトの表情が絶望へと染まった。


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