1-20『ほんとうにあなた達は』
「あーあ……行っちゃった」
血相を変え洞窟の奥へと消えたジュゼートの後ろ姿を見送った青年がひとりつぶやく。
「あいつってばほんとひどいなぁ」
ここからそう遠くはない場所で複数の獣が咆哮を上げるのを聞きながら、しかし青年の顔はひどく穏やかだった。
1人ぼっちの空間で、諦めと寂しさと罪悪感――それらが滲んだエメラルドグリーンの瞳が宙を見る。
「散々引きずってきた挙句放置って。俺動けないんですけど……。でもまぁそれも――」
その後に続くはずだった言葉は、突如聞こえた足音により紡がれることはなかった。
ひたり、ひたり――徐々に近づく足音に青年の顔がこわばる。
わずかに動かされた青年の右腕からごく小さな光がパチリと弾けて消えた。
「あはっ、こりゃ打つ手なしだ」
青年は詰めていた息をふはっと吐き出すと自嘲気味に笑い、諦めたように目を閉じた。
「ねぇ聞いてくださいよ。どどうせこのまま魔物に殺されるくらいなら、俺的にはヤト様達の経験値にされたかったなーと思うわけで」
足音の主へ、饒舌に語り始めた青年の口調は場違いな程明るい。
「あいつほんとそこんとこ気が利かないっていうか。あっそうそうそういえば俺痛いのは嫌なんですよね」
少し震えを帯びた声に返事はない。ひたり、ひたり、ただ足音が聞こえた。
「おーい聞いてますー? なので殺るなら一思いにお願いしますよ」
ひた、と――足音が止まる。近くで聞こえる息遣いに緊張で表情を引き攣らせた青年の口から乾いた笑いがこぼれた。
しかし待てども待てども何も起きる気配はない。
やがてこの沈黙に耐えきれなくなった青年は恐る恐る閉じていたまぶたを開いた。
「「……?」」
視界に飛び込んできたのは不思議そうな表情で首をかしげ青年を覗き込むゴブリンの姿だ。
理知の色を灯す黄色の瞳を見ればそのゴブリンが魔物ではない事は一目瞭然だった。
「ググ? グギャギ?」
独自の言語を持つ低レアリティのゴブリンの言葉を解するのは主であるヤトか主を同じくする配下であるジュゼートだけだが両者ともここにはいない。
とはいえ状況と表情的に、内容としては「どうして寝転がっているの?」あたりだろうか。
「グギャギャギャッギャギャ、グギャギ?」
「いや『グギャギ?』っ言われても。ニュアンス的に何か問いかけてるってことはわかるんですけど……」
「ギーギャ?」
青年に言葉が通じていないことを理解していないのかなおも言葉を重ねるゴブリンに青年は困惑顔だ。
青年の表情を伺い見て口を閉ざしたゴブリンは、それから自身の手元と青年を交互に見渡していたかと思うと急に拳を彼の眼前へと突き出した。
今度は身振り手振りで伝えようとしてくれているらしい。
困り顔に笑みを浮かべた青年に、ゴブリンは彼の顔に押し付けるようにまた拳を突きつけると短く鳴いた。
「ギャ」
「いや俺……動けないというか……」
「グ……?」
そう言うと青年はあまり力の入らない腕を持ち上げゴブリンの拳にそっと触れる。たったそれだけの行為でぷるぷると震える青年の腕にゴブリンはぱちぱちと瞬きをくり返した。そして次の瞬間――ゴブリンは青年の口の中へ勢いよく手の中の物を突っ込んだ。
「ング!?」
「ググ」
「ケホッ、いきなり何を――」
何をするんだ、と言いかけた青年の口の中で何かがほろほろと溶けていく。代わりに広がっていったのは優しい甘さ。
「まさか、これ」
スッと引いていく身体中の痛みに青年の表情が驚愕の色に染まる。
ゆっくりと身体を起こした青年は唖然とした表情のまま自身の体を見下ろした。服こそボロボロのままだが怪我が綺麗さっぱり消えていた。
動揺を表すように揺れる瞳で青年はゴブリンを見やる。
「なんで――」
それは本来このゴブリンの傷を癒す為に渡されたものなのだろう。
その証拠に、ゴブリンの体には少なくない傷がいくつも刻まれていた。
それなのに敢えて青年に使った意味とは――何か。
「ギャ!」
ゴブリンは短く鳴くと、スッと洞窟の入口を指さした。
何かを訴えかけるような黄色い瞳が青年を強く貫く。
「ギャ!」
青年が黙っていれば、もう一度、先ほどよりも力強く鳴いた。
相変わらず青年には何を言っているのかはわからない。だが、言わんとしていることは理解できた。
「……助けに、行けって?」
主を助ける為なら自身よりも格上の存在に指図してみせるゴブリンに青年は苦笑を浮かべる。
「……ほんとうにあなた達は」
自身をなおざりにしてまでお互いを助けようとするその姿が青年にはとても眩しく、そして羨ましく——思えた。
◆
負傷したゴブリンが居住区へと入るのを見届けた青年は表情を引き締め白い羽をばさりと広げた。
「俺のせいでこうなった以上、……責任は果たさないと」
エメラルドグリーンの瞳に、新たな決意を宿して。
青年もまた、薄暗い洞窟の向こうへと消えていった。




