1-16『え、ちょっこれ僕らもまずくない?』
――時は少し前に遡る
玉座に座り画面を呼び起こしたヤトは、ゴブリン達と共にジュゼートと青年の戦闘を固唾を飲んで見守っていた。
「あっ!? ジュゼート押されてない? わあああ掠った! 今あの光のやつ掠ったよね!?」
槍や羽がジュゼートを掠める度に先ほどからヤトはびくりと肩を跳ね蒼白な顔で小さな悲鳴をあげている。
ジュゼートが押されているのを見るのは、これが初めてだった。ヤトにとってジュゼートとは強い存在で。だからこそ、見送った時も不安こそありはすれ内心どこか勝つだろうと慢心のような気持ちさえ覚えていた。
だからこそ大袈裟に叫んでは、自身の中で首をもたげる恐怖を必死で散らす。
そんなヤトの内心を知る由もなく、ゴブリン達はただその大袈裟なビビリっぷりを見て慰めるような視線をよこした。
その視線に気付いてはいたが、ヤトは決して画面から目を逸らそうとはしなかった。
「…………僕本当にここで待機してるだけでいいのかな」
何度も、思う。ジュゼートはああして命を危険に晒しながら戦っているのに、自分がしている事といえば——のうのうと画面越しに見ているだけだ。
「ギャギャ!」
「わかってるよ。僕があの場に行ったってジュゼートの足を引っ張るだけだもの」
ヤトがあの場に行こうものならいい的にしかならないだろう。そも、ジュゼートはヤト達を守る為に戦っているのだ。ヤトが出向いたら本末転倒もいいところだ。
かえってジュゼートを危険に晒す事になる。
「……それでも、やっぱり思わずにはいられないんだ——僕が強ければって」
戦いを見つめる紫苑の瞳には悔しさと歯痒さが滲んでいた。強さだけはどうしようもなかった。
そんなヤトの独り言を聞きながら傍ではゴブリン達が顔を突き合わせて話し合っていた。彼らは種族柄あまり複雑な事は考えられない。
だがヤトの悔しい思いは伝わった、己の配下を案じる気持ちも伝わった。だからなんとかして画面の向こうで戦う仲間をサポートできないか、知恵を出し合うのだ。
青色の目のゴブリンがヤトを見上げ、「ギャッ」と鳴いた。
「ギャググ、ギギギギャグッグギャ、ギ!」
「罠か。…………ごめん、罠は誰かがいる一定範囲の場所には設置できないんだ」
「ギ……」
「ううん、ありがとう」
落ち込むゴブリン達を慰めながらヤトは思う。ただ後悔しながら画面を見上げているよりもずっと、いい。
離れたところから支援できる事はないか探そうと魔本を取り出したところで、ヤトの脳裏に無常にも——侵入者を告げる合図が鳴り響いた。
「ギャギャギ?」
不自然に言葉を止めたヤトを不思議そうな3対の瞳が見上げる。ヤトの表情が強張っていく。
「……え、ちょっこれ僕らもまずくない?」
近いのだ、出現場所が。
ぎこちなく振り向いたヤトの視線の先、まるで自身の存在を示すかのように入口から獣の咆哮が聞こえた。
◆
ポタリ――洞窟の床に鮮やかな赤が滴り落ちた。
不自然な咳と共に青年の口から溢れた血液が彼の口元を赤く染めていく。飛び退った青年はじくじくと痛む脇腹を押さえながら驚愕に染まった表情でジュゼートを見た。
「なん、で」
「さぁ、なんででしょうかねェ?」
血で汚れた口元を手の甲で乱雑に拭いながら立ち上がったジュゼートは不敵に口の端を吊り上げた。その真紅の瞳は未だ生気に満ちている。
そこでようやく、違和感に青年は気づいた。目の前の対象が、爆発に巻き込まれる前よりも元気になっているように見えるのだ。
彼の纏う服はあちこち切り裂かれ焼け焦げボロボロであるから、彼だけ爆風に巻き込まれていないとは思えない。
青年とて結構なダメージを受けているのだ。
だから、自身よりも格下の存在が動けるはずがない——そう思ってしまった。
嘲りと慢心由来の思い込み——それこそが青年にとっての隙であり、ジュゼートにとっては一発逆転のチャンスであった。
その事に青年が思い至った時には目の前に新たな黒い欠片が迫っていた。
それを躱し、いつのまにか肉薄していたジュゼートの剣を光の槍で弾く。
どうやら考える暇を与える気はないらしい。青年は忌々しげに舌打ちした。
「ほら、続けましょうよ。まだ終わってなんかいませんよ」
形勢逆転、今度は青年がジュゼートに押されていく。
疲労と怪我の蓄積で動きに精細さを欠いていく青年。その一方で、戦い始めた当初のように軽快な動きを見せるジュゼート。
「『安心して』、だァ? ふざけんじゃねーですよ」
先ほどの仕返しとばかりに苛立ちを乗せた黒い剣が勢いよく青年の槍を弾く。
「…ッ!」
「私の大事な主を害されてたまるかってんですッ! 絶対負けてやるもんですかッ!」
ジュゼートが振り抜いた剣の勢い負け、青年がのけぞる。
その隙に至近距離まで一気に距離を詰めたジュゼートは剣を投げ捨てると青年の首を掴みその勢いのまま壁に押し当てた。
ガンッと鈍い音が洞窟内に響いた。カハッと衝撃で息を詰まらせた青年の手から槍がこぼれ落ち、消えていく。
青年に追い討ちをかけるように、今度はジュゼートの背後で先端の尖った黒い欠片が生み出されていく。
視界を埋め尽くしていく黒い欠片に、青年は恐怖で表情を凍りつかせた。
「なん……ッ!? まだそんな魔力が残って――」
「ずべこべ言わずにこれでも食らいやがれッ! 性悪天族 !!」
普段の敬語をかなぐり捨てた怒声混じりの叫び声を合図に青年目掛けて大量の黒い欠片が殺到する。
がむしゃらに打ち出されたソレの一部が壁に当たり、砕け散った欠片が周囲に舞った。
光を反射しキラキラと幻想的な光景を作り出しながら無茶苦茶な攻撃が滂沱のごとく青年へと降り注ぐ。
土煙が晴れた先には地面に倒れ伏す青年の姿があった。
意識はまだあるようだが血と砂にまみれどうみても満身創痍だ。
警戒しつつ青年に近づくと、ジュゼートはその首筋ギリギリに黒い欠片を具現させる。
「……冗談で気合と答えましたけど。……あながち間違いではなかったような」
ジュゼートはなんとも言えない顔でそう呟きながら上着の内ポケットをごそごそと探り指先ほどの半透明の球体を取り出す。
ヤトの瞳を彷彿とさせるような紫色のそれを、ぽいっと口の中へと放り込んだ。
「主サマの固有スキルさまさまですよねェ………こんな戦い方は二度と御免ですケド」
『固有スキル』とは、魔王1体ごとに与えられたその魔王だけの特別なスキルのことである。
この固有スキルは大なり小なり戦局を覆す強力な一手となるのが常で、ヤトも同様にこのスキルを持っていた。
――固有スキル:飴生成
簡単に言えばヤトの魔力を対価に体力魔力疲労回復――注ぎ込んだ魔力に応じて回復度合いも変化する――というトンデモ飴が作れるスキルであった。
また、今回これがジュゼートの切り札でもあった。
青年がゆっくりと顔を上げる。それさえもしんどそうに目をすがめ苦しげに吐息を漏らした様子を見るに体を動かす事は無理そうだ。
その首に黒い欠片を押し付けても光の槍はおろか羽さえ具現しないあたり魔力も底をついているらしい。
「……あんなの、卑怯だ」
「はぁ? 命のやりとりに卑怯もクソもあるもんですか。勝ったもん勝ちですよ」
「負けるとは、思わなか、っ…………」
から笑いを浮かべた青年だったが傷に触ったのだろう不自然に言葉を途切れさせた。
戦意の消えた青年の瞳に宿るのは無念、諦観、自嘲あたりだろうか。その一方でどこか安堵の色も混ざっているように見えた。
「”自分が恵まれている事にも気づかず”、後は――”今度こそ俺を見てくれますか”、でしたか」
その言葉に青年の表情がこわばる。ジュゼートは憐憫の色が混じる表情で青年を見下ろした。
「今思えばあんたが決まって言葉を濁すのは生活についてでしたねェ。領域の運営については話すのに、生活関係だけは徹底して話さないというのも正直おかしな話でした」
初め、心を許していないからだとジュゼートは考えた。だがそれにしてはヤトに向ける親愛の大きさがなんともチグハグで奇妙だった、のだが——。
「話さなかったんじゃなくて、話せなかったんですね。あんた、名無しですか」
「……だったら、なんです」
「それは追々。さて、それじゃあ事情聴取とでもいきましょうか。あ、攻撃動作を見せたらサクッと殺して私と主サマの経験値になって貰うのでそのつもりでお願いします」
ジュゼートの合図で、黒い欠片の一つが首に一筋、青年を脅すように赤を描いた。
「この状態で、攻撃とか」
「いやぁ、どこかの誰かさんみたいに足元掬われるようなドジ踏むのは御免ですからねェ」
「……これだから、魔族系統は」
「何か言いましたか負け犬天族野郎。……さて、あんたの意識があるうちにさっさと済ませてしまいましょうか」
そう言ってジュゼートは青年の近くにしゃがみ込む。
「まず初めに、あんたは魔王から一体どんな命令されているんです?」
「……」
「無事に魔王を殺せたら晴れて名前持ちになれるとかではないんですか? まぁここからどうやって元の領域に戻るつもりだったのかは知りませんけど」
「あの魔王、が俺なんか、に……命令なんて……出すはず、ない、じゃないですか」
青年が力なく告げた一言にジュゼートは思わず目をまたかせた。
「は? あんたの独断なんですか。忠誠心ですか、それとも思い込み?」
「――あの、方が、言ったんです。貢献すれば、或いは……って」
「あの方、ねェ。唆した奴がいるんですか……」
新たなトラブルのにおいにジュゼートは面倒くさそうな顔をした。どうやら主とは別に余計な事を吹き込んだ輩がいるらしい。
「それが、ただの方便だって……わかってましたよ、わかってましたけど……少しは……夢を見たって……いいだろぉ……」
「うん? もう一度確認させてください。あんたは手柄を立てたくて他の魔王を殺す為に領域の外へ出たんですよね?」
「まさか」
青年は傷の痛みに顔を顰めながら、自嘲気味に笑う。
「出された、んだ。俺がいた……場所じゃ、要らない奴は、いつもそうやって、処理……されるんです」
予想外の言葉に、ジュゼートは絶句した。




