1-15『約束を破るわけには、いきませんしねェ』
天井付近に展開された光の羽がジュゼート目掛けてスコールのように降り注ぐ。局地的な光の雨を躱すジュゼートを青年の槍が襲った。
体を捻り躱したジュゼートの脇腹スレスレを槍の穂先が掠めていく。
「……ッ!」
剣を薙ぎ、距離をとったジュゼートは肩で息をしながら恨めしげに舌打ちした。
戦い始めて既にどのくらい経過しただろう。荒い息を整えながらジュゼートは剣を構えつつも青年を観察する。
青年の方もまったくの無傷という訳ではなさそうだが、疲労の色は薄い。対して疲労が色濃いのはジュゼートの方であった。
戦ってみれば嫌でもわかる。この青年は明らかにジュゼートよりも強かった。危惧していた通り、だったともいえよう。
だが、しかし——。
「約束を破るわけには、いきませんしねェ」
脳裏にチラつくのは、先程の別れたヤトの——泣くまいと唇を噛みしめる毅然とした顔だ。己の無力さに苛まれながら吐き出した言葉に込められた苦痛はきっとヤトにしかわからない。
だからこそジュゼートはここで負けるわけにはいかない。何がなんでも勝たねばならないのだ。
そも、ジュゼートが負けてしまえば遠くないうちにヤト達はこの青年に殺されてしまうのだから。
青年の一挙一動に注意を払いながら頬を伝う血を乱暴に拭ったジュゼートの、闘争心にギラつく真紅の瞳が青年を射抜いた。
次の——瞬間。
黒い剣と光の槍が甲高い不協和音を立ててぶつかり、弾かれる。
一息つく暇もなくジュゼート目掛けて的確に打ち出された光の羽を躱し、時に剣で切り落としながら、青年目掛けて黒い欠片を打ち出していく。
ことごとく光の羽で相殺されていくソレにジュゼートは思わず舌打ちした。
彼が押されている理由は正直なところ青年の強さだけではない。格下のゴブリンやコボルトとしか戦ったことがない事に加え同格の人型との戦闘経験が皆無という、経験不足も理由の一つといえた。こうして青年を相手に食らい付いていけてるだけでも僥倖なのだろう。
――もし勝機を見いだせるとしたら
攻撃を捌きながら、合間に必死で考える。考えろ、思考を止めるな。動かなければ——それすなわち死あるのみ。
——魔力切れまでもっていくことができれば、或いは
チラリと、自身の胸あたりをみた。
できれば、ではない。やるしかないのだ。
ジュゼートがそんな風に思考を巡らせていると、ふいに青年の体が小刻みに震え始めた。
何事かと警戒するジュゼートの前で、震える青年の口から漏れたのは——。
「フフ……フフフフッ……、アハッ、アハハハハッ!!」
笑い声、だった。
何がおかしいのか、青年はただただ狂ったように笑う。
隙だらけだ、今攻撃すれば当てられるかもしれない。一瞬浮かんだそんな考えは青年の異様な気迫を前にあっけなくかき消された。
「アハッ、目障りなんだよ……お前さアッ」
理性をかなぐり捨てどす黒い感情を剥き出しにした青年の爛々と輝く濁った瞳がジュゼートを捉える。嘲笑、羨望、憎悪、妬み——限界まで溜め込まれた負の感情を表現できる表情はもうないのだろう。それゆえ荒々しい口調とは打って変わって恐ろしいほどの無表情だ。穏やかな微笑みをたたえていた彼の面影はもうそこには見当たらない。その豹変ぶりに、ジュゼートはまるで得体の知れない物に遭遇したような顔で青年を見た。
「自分が恵まれている事にも気づかずのうのうと過ごすお前が、どれだけ! ……どれだけ、憎かったか。アハ、なんでなんだよぉ! 俺は、ずっと苦しんできたのにッ! なんでお前は、当たり前のように……俺の欲しいもの、全部持ってるんだよッ! おかしいだろッ! ……おかしい、だろ」
「あんたは――」
吐き出されるように紡がれた言葉は、紛れもなく心の悲鳴だった。
すべてを吐き切ったのか、青年は口を閉ざすとヨロヨロと油の切れた人形のような動作で顔をあげた。表現の許容を超えた彼の顔には、相変わらずなんの表情も浮かんでいない。
「でももうどうでもいいんです」
諦めと安堵を孕んだような言葉だった。その言葉を皮切りに、青年の周囲に尋常ではない程の光の羽が展開されていく。
おそらくこれですべて終わらせるつもりなのだろう、おびただしい数の光の羽に照らされた洞窟内は今や尋常ではないくらいの明るさだ。
ジュゼートも黒い欠片を具現させていくが、現状では迎え撃つのはおろか相殺すら危うい。焦燥を帯びていく頬を冷たい汗が流れ落ちた。
「今からぜーんぶこわれてなくなるんですからぁッ! アハハハハッ」
刹那――狂気を孕んだ泣き笑いのような声をBGMに白と黒、二つの光の奔流が流星のように打ち出され、そして——衝突する。
洞窟内を迸る閃光。一拍の間を置いて鼓膜を揺さぶる衝撃音を轟かせながら、爆風が吹き荒れる。
土煙に覆われた洞窟の中に、ゆっくりと立ち上がる人影があった。ケホッと小さく咳き込みつつ土煙の中から現れたのは青年だ。
爆風に煽られ地面へ叩きつけられでもしたのだろう、青年の服は粉塵と血に塗れている。所々焦げた部分もあってボロボロだ。
その様相とは裏腹に青年の表情はひどく晴れやかだった。
「アハ……やった」
そう呟いた青年の視線の先には、地面へ倒れ伏すジュゼートの姿があった。
勝利を確信したエメラルドグリーンの瞳が弧を描く。
「安心してください。ヤト様を苦しませて殺しはしません、……絶対に」
青年がジュゼートめがけて槍を振りあげる。その手が震えているのは、果たして傷のせいなのか。それとも——。
「それじゃあ、死んでください」
――ザシュリ
肉を切り裂く音が洞窟内に虚しく響き渡った。




