1-14『まぁったく世話が焼けますねェ主サマは』
「……ッ、…………!」
「……おどろかせるつもりは、なかったのですが」
目を大きく見開いたまま硬直するヤトを見て、青年はひどく申し訳なさそうな顔をした。
とはいえヤトが勘違いしたのも無理はない。乱れた若芽色の髪に蒼白い顔——青年は幽鬼の類いと勘違いしそうな姿であった。
夢見が悪く眠れないと言うのもあながち嘘ではないのかもしれない。
「せめて足音くらい立てたらどうです。主サマが漏らしたらあんたどう落とし前つけるんですか」
「……え? まさ——」
「待って、漏らしてもないからね!? ジュゼートも適当なこと言わないの!」
「でもこれで怖さもすっ飛んだでしょう?」
「すっ飛んだけど僕の尊厳も一緒に飛びかけたよ……」
ヤトの非難じみた視線を受けてもなお素知らぬ顔のジュゼートに、ヤトは疲れた混じりのため息をついた。
「で、あんたはこんな夜更けにふらふらと何してるんです」
そう尋ねる口調はヤトに話しかける時とは違って問い詰めているかのように鋭い。
ジュゼートの鋭い視線に青年は「……ねむれ、なくて」とつぶくと困った表情で微笑んだ。
否。実際は微笑みではなく——口角を歪に引き攣らせた、だけだが。
どういうわけだか自身の状態を正しく認識できないほど精神的に参っているらしかった。
今ここで下手に青年を刺激すれば、何が起きるかわからない。余計な事は言うまい、とジュゼートは言葉を飲み込んだ。
「……おふたりは?」
「侵入者の対処です。夜でもたまに出ますからねェ、魔物は」
その言葉に俯き気味だった青年の顔が上がる。
「……ごいっしょ、させていただいても?」
「えっお兄さん今日は体調がよくなかったんだし、休んだ方が――」
「……ふふ、だいじょうぶ、です。いまは……きぶんが、いいのです」
青年の纏う奇妙な気配に気圧されるヤトの隣でジュゼートがふぅと息を吐き出した。
「え、でも——」
「丁度いいです、どうせなので2人で行ってきます。主サマは部屋に戻っていてください」
「!?」
ヤトはぎょっとした顔でジュゼートを見上げた。危機感に疎いヤトでも青年の様子がおかしいのは理解できる。
「また先程のように叫ばれても嫌ですし、主サマは部屋で布団にでもくるまっていてください」
「な」
「あぁなんですもしかして一人が心細いんですか。まぁったく世話が焼けますねェ主サマは」
ジュゼートは少々芝居がかった態度で肩をすくめると、唖然とするヤトを抱きしめた。
「!?!?!?」
彼らしからぬ予想外の行動に目を白黒させるヤトだったが、直後耳元で囁かれた言葉に表情を強張らせていく。
そんなヤトの頭を軽くひと撫でしてからぱっと体を離したジュゼートは、不敵な笑みを浮かべて言った。
「せっかく私が励ましてあげたんですから、これで部屋くらいには戻れるでしょう?」
「…………すぐに効果切れそうだからなるべく早く終わらせて帰ってきてよ」
「堂々と情けない事言わないでくれませんかねェ、そんなだからポンコツって言われるんですよ」
「言ってるのジュゼートだけだし。……怪我、気をつけて」
「はいはい、善処しますよ」
扉の開閉音が聞こえ、足音がしなくなってもヤトは少しの間動けなかった。ジュゼートの言葉がヤトの頭から離れない。
――ゴブリンを叩き起こして玉座にいなさい。万が一私に何かあっても絶対に来てはいけませんよ、……いいですね?
ゴブリン達のいる部屋へ走るヤトの心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。
「だ、大丈夫。だってお兄さんが今日動くとは限らないじゃん。それにジュゼートは強いもん。……大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせるように楽観的な言葉を紡ぐのは、そうしていないと心臓も頭も不安に押しつぶされそうだったからだ。
廊下の真ん中で、ふいにヤトの足が止まる。シンと静寂に包まれる廊下に、バチンと威勢のいい音が響いた。
「しっかりしろ、僕! 僕は魔王! 不安になっちゃだめだ、良しッ!」
ジンジンと鈍い痛みを訴える頬に、不安に曇りかけたヤトの思考が少しクリアになる。
それでもなおこびりつく不安は頭を振って振り払うと、ヤトはキュッと口を引き結びゴブリン達の眠る部屋へと再び走り始めた。
◆
薄暗い洞窟にジュゼートと青年――二つ分の足音が響く。
現在は、侵入者であるコボルトの討伐を無事に済まし居住区へ戻るところだ。今のところ青年に妙な動きはみられない。
ふいに、ジュゼートが立ち止まる。
「先ほどから少々視線がうるさいんですケド」
一歩遅れて青年もまた立ち止まった。
「……それは、もうしわけ——」
「言いたいことがあるなら言えばいいでしょう?」
おそらく、その一言が引き金となったのだろう。
「やとさまって、とてもやさしいですよね」
「……は?」
なんの脈略もなく発せられたその言葉の意図が読めず、ジュゼートは眉を顰めた。
「……こんなわたしにも、やさしくしてくださいました」
青年の一人語りは続いていく。
それはまるで——ジュゼートを観客とした、青年ただ一人が主演の舞台のようであった。
「……やさしいやとさま。あの方なら、きっと」
恍惚とした表情で言葉を紡いでいく青年に、ジュゼートは薄寒さを感じて一歩後ろへ下がる。
ジュゼートの頬を冷や汗が伝った。
「わたしのために、ころされてくれますよね」
その手に光の槍を具現させた青年の、暗澹と狂気に渦巻くエメラルドグリーンの瞳が殺気立つジュゼートの姿をゆっくりと捉えていく。
「……そうすれば——こんどこそ。おれをみてくれますよね、ますたー」




