1-12『どうして、』
「なるほど、バグのメンテナンスですか」
早朝、一行は談話室にて朝食――サンドイッチとスープだ――をとりながらキリマルから伝達を受けたバグの件を話合っていた。
色んな具材のサンドイッチに指を迷わせていたヤトはふと青年が青白い顔をしている事に気づき心配そうな表情を浮かべる。
「お兄さん大丈夫? 体調悪い?」
食欲もあまりないのか彼の皿に置かれたサンドイッチは手付かずのままだ。
問いかけられた青年はびくりと肩を震わせるとぎこちない笑みを浮かべて首を横に振った。
「あ、あぁええと……少し、夢見が悪くて」
「ったく寝不足ですか紛らわしい」
「ジュゼート」
嗜めるようなヤトの声にジュゼートはふんと鼻を鳴らすとそれ以上は特に何かを言うこともなく淡々と食事を再開させた。
「お兄さん、ちょっと寝た方がよくない?」
「ご心配おかけして申し訳ありません、大丈夫ですよ」
「でも顔真っ青だよ?」
「このような事で魔物に遅れをとる事はありませんから、本当に問題ありません」
頑なに休もうとしない青年に苛立たしげなジュゼートの視線が突き刺さる。
「ああもう煩わしい。意地張っていないで休めばいいでしょう? 途中で倒れられても迷惑で――」
「——れは役立たずって言うんですかッ!」
青年が突如声を張り上げた。シン、と談話室が沈黙に包まれる。
俯く青年の表情は前髪に隠れて見えないが、膝の上できつく握り締められ小さく震える拳からは何かしらの激情を抱えている事が窺い知れた。
「お……お兄、さん?」
その声に、青年はハッとした様子で顔を上げた。そして今しがた自分がやらかしたことに気づいたのだろう、もともと蒼白だった顔をさらに青白く染めると力なく俯いた。申し訳ありませんでした、と謝る小さな声がシンと静まり返った朝食の席に響く。
「さ、さぁほら! 食べようよ皆!」
「ギャッ!」
取り繕うようなヤトの声に、一同がぎこちなくも動きを再開させた。
「ほらほらお兄さんも。食べないと元気でないよ」
「え、えぇ」
ヤトに手渡されたサンドイッチをしばし見下ろしていた青年は、やがてのろのろとそれを口に運び始める。
その様子を眺めるジュゼートの瞳がスッと細められた事に誰も気づくことはなかった。
◆
「お兄さん、もし体調が悪くなったらすぐに戻ってくるんだよ?」
「ありがとうございます、それでは行ってきますねヤト様」
侵入者の対処へと向かう青年の後ろ姿をヤトは不安げな面持ちで見送った。
落ち着かない様子でヤトが玉座に座っている一方、その隣に立つジュゼートの表情はどことなく険しい。
「主サマ、朝のアレ……どう思います?」
「うーん頑なに休む事を嫌がっていたから何かトラウマでもあるのかなって思った」
玉座に座るヤトの前にはいつものごとく画面が表示されており、魔物を次々と討伐していく青年が映し出されていた。
いつも通りキレのある槍さばきで、今のところ不調さは感じられない。
「嫌がっていた、と言うよりは怖がっていたように感じましたケド」
そう指摘されて、ヤトの脳裏に浮かんだのは青年がこの領域に来た時の姿だ。あのとき青年はボロボロだった。
もしかすると――負傷した彼が主に休息を命じられ命令通り休息をとっている間に殺されてしまった、なんて事があったのかもしれない。それなら彼のあの反応も理解できる。
とはいえこれは推測にすぎないのだ。実際のところは青年に聞かなければわからない。
「いつまでもお兄さん呼びは寂しいしそろそろ名前くらいは教えて欲しいなーとは思うんだけど、そう簡単に心の整理はできないよね」
「名前ねェ。案外、本当に名前が無かったりして」
「ジュゼートひねくれすぎじゃない? そもそもあれだけ自我があるのに名前持ちじゃないってある?」
「冗談ですよ。ただ、自我は判断材料にしない方がいいのでは? それなりに過ごしているだけでも自我は育つといいますし……現に主サマのゴブリン達も数日であれだけ自発的に行動するんですよ?」
「確かに」
そう、名付けを行わなくとも自我は開花していく。ただしスキルとは違い環境や経験に左右されるのでそれなりに手間はかかるのだ。
燕脂色の背もたれにぽすんと寄りかかったヤトが見つめる先には3匹のゴブリン達が呑気に戯れる姿があった。いつ侵入者が現れるとも知れないのに、肝が据わっているのかはたまたあまり考えていないだけなのか。
彼らの様子を口元をほころばせながら見守るヤトの横で、ジュゼートは思案顔で画面を眺めていた。
「役立たずって言葉もなんか引っかかるんですよねェ……。ただ、アレは居住区を知らなかったんでしょう? ということはアレの主は主サマと同世代の魔王の可能性が高いでしょうし……うーん」
「同世代ってなんで?」
「戦力に重きを置いていたとしても限度はあるでしょうし、第9世代よりも前の魔王の配下が居住区さえ知らないとかあり得ますかねェ。キリマルだって魔王の大半は導入するとか言っていましたし」
主の消滅に心を痛める青年を見る限り魔王との仲も良好だっただろう。それならば青年が知らない事はつまり魔王も知らないと考えてもいいのではないか――と言うのがジュゼートの見解であった。
「魔王に殺されたということはアレの主はレベル5以上、当然名付けスキルは使えるでしょうし特殊召喚の配下を名無しのまま放置ってあり得ます?」
なるほど確かにとヤトは納得したように頷いた。
画面を見ればちょうど青年が光の槍で侵入者を対処し終えたところであった。
パッと見た感じどこも怪我はしていないようでヤトが表情を緩ませる。ちょうどそのタイミングで聴き慣れた合図が脳裏に鳴り響いた。
「あ、また侵入者」
「今度はどこですか?」
「お兄さんのいるところに近いよ」
「私は行かなくても良さそうですね、遭遇したようです」
「あっほんとだ。今度の魔物はなん——」
そう言いかけた次の瞬間、ヤトの表情がみるみるうちに強張っていく。
かと思えば弾かれたように魔本を取り出し、ひたすらページをめくり始めた。
「……やっぱりだ」
探し求めていたページを見つけて、ピタリと手を止める。そして、ヤトは不安定に揺れる瞳で画面に映る青年と魔物を——見た。
「主サマどうしました?」
「ねぇ、ジュゼート」
ヤトは震える指で画面を指さした。画面の向こうでは、青年の足元に白い骨のような残骸が散らばっている。
じきにあれも青白い粒子と化しいつものように消えていくだろう。
「あれがどうかしました?」
「これ、見て」
ヤトが指先に視線を巡らせたジュゼートの表情が一転して険しいものになる。
――『日別討伐数』………………レアリティE スケルトン 1
「僕のレベル、まだ上がってないよ。だからレアリティEのスケルトンなんて出るはずないんだよ」
ヤトの言葉に耳を澄ませながら、ジュゼートは鋭い眼差しで画面に映る青年を睨みつけた。
状況的に2つ目のバグが起きている、と考えて間違いないだろう。
青年は嘘をついている。それもとびっきりタチの悪い嘘だ。
「お兄さん……どうして」
重苦しい静けさの中、途方に暮れたようなヤトの声がぽつりとこぼれ落ちた。




