プロローグ④
「せっちゃん、今日もお疲れ様っす。今日もちゃんと先生してたっすね」
部屋に入ってきた緑川先生に最初に話しかけたのは悠陽だった。
「それが仕事だからな」
「ほら、もう疲れたっすよね。ゆっくり休むと良いっすよ」
そう言いつつ、悠陽は緑川先生の眼鏡へと手をかけ、ゆっくりと外した。
その刹那、覇気に満ち溢れ見るものすべてを貫きそうな眼光を持っていたはずの透き通った緑色の目が一気に——汚れた。
「はぁ、今日も私なんかに教えられているの生徒たちがかわいそうです。私はいつクビになるんですかね」
え、この人だれ。何か見てはいけないものを見ている気がするぞ。
俺が戸惑っていると、先生はなおも続けた。
「そういえば、この部屋すごくきれいになってます。志島君のお陰ですね。この二人にお片付けなんてできるはずがありませんから」
反論の余地がないのであろう二人は、何をいう訳でもなく諦めたような目をしている。
「かくいう私も、掃除なんてここ数年一度もやってませんが。私の方が年上なのに……はぁ」
「この人だれですか」
意を決して聞いた俺の質問に答えたのは、誰の声でもなく悠陽の手であった。先ほど外した冷酷な印象さえも与えかねない銀縁の眼鏡をもう一度緑川先生にかける。
「すまん。気にしないでくれると助かる」
そこにいたのはいつもの先生。そして、外されるメガネ。
「あと、できれば忘れてくれると助かるんだけど……どうせ、私のことなんてすぐ忘れるよね」
かけられるメガネ。
「という訳だ志島。誰にも言うんじゃ——」
外されるメガネ。
「ないですよ、ほんとお願いし……」
かけられ——。
「ええい! 私で遊ぶんじゃない赤坂! そう言えば貴様、今日も小テストの点数はどうしたんだ? いくら奨学生と言えど学業を軽んじてはならんぞ。分かっ……」
外——。
「てくれましたか? まぁ、私の作った小テストなんか答えたくないという気持ちは分かりますが……」
「とまぁ、こんな感じっすね」
一通り楽しんだのか、悠陽が満足そうな表情でこちらを見る。
先生の方は先生で、疲れたのか目の前のちゃぶ台に突っ伏した。
「おすすめは怒られているタイミングっす」
そんな裏技を教えてくれる悠陽に聞いてもらちが明かなさそうなので怒られるのを覚悟で、美樹に質問することを決意した。
「二重人格か何かか」
「そこまでものではないみたいよ」
鬱陶しそうなそぶりは見せたものの一応答えてくれる気はあるらしい。
「キャラを作ってるって本人は言ってたわね」
「どっちの」
「もちろん、スーパーせっちゃん先生の方よ」
その名称はどうなんだと一瞬思ったが不平を言っても数倍になって返って来るだけなのだから、やめておこうと思う。
「あのメガネをかけてると自信が持てるそうよ。外すとああなるわ。私もついこないだ知ったの、悠陽さんがふざけたのが原因でね」
ほんの二か月で緑川先生の眼鏡に手をかけるとは、こいつは本当に何を考えているんだ。
「緑川先生。大丈夫ですかー」
突っ伏したまま、一向に動かない先生に声をかけると体勢を変えることなくもごもごと返事が来る。
「大丈夫ですよ……。あと、私のことなんかはせっちゃんでいいです。先生なんて敬称をつけるほど優れた人間ではないので」
「わ、分かりました。じゃあ、せっちゃんは何でここに?」
「一応、ここは部活という扱いなので。まぁ、奨学生の監視というのが主な目的といったところですが。私はここの顧問なんです……すいません」
「謝る必要はないけど」
改めて、部屋を見渡す。畳の上のちゃぶ台に向かって勉強をする美樹。畳の上で、ボールに猫のようにじゃれる悠陽。死んだ魚のような目で突っ伏すせっちゃん。
「何だこの部活は」
心の中で呟いたはずが、いつの間にか口から出てしまっていたらしい。
汚すぎる部屋。そして、とても一人では生活できなさそうな三人。俺がなぜここに呼ばれたのかが、分かったような気がした。
*
と、そんなこんなで出会った俺たち四人。あれから一週間、特に用事もなかったため部室に顔を出すことはしなかった。
たった一週間。たった七日間。何を間違えれば、こんな部屋に急成長を遂げるのだろう。部屋を間違えたのだろうと考えなかったわけではないが、目の前にいるのが絶世の美女三人組である。あまりにも美しく、きれいであるが故に人工的に作られたという可能性もないとは言い切れ……だめだ、疲れでも出てきたか思考がおかしくなっている。
もはや、女子力でどうにかなる気がしない部屋を見ると、全く気にした様子のない三人組がトランプを続けていた。
「克人さんも参加しますか?」
もう俺一人の力でどうにかできるとは思えない。せっかくのお誘いは有効に活用させていただこう。
「分かった。その代わり一位以外は罰ゲームだ」
『罰ゲーム?』
「この部屋を掃除してもらう」
三人そろって頭の上にクエスチョンマークを浮かべやがるこいつらは罰の内容を知るなり、それぞれ違った反応を見せた。
「学年一位の私にトランプという頭脳戦で勝とうなんて百年、いえ一生かかっても無理な話です。受けて差し上げましょう」
「罰ゲームっすか。面白そうっすね。やりましょう。はいせっちゃん、これをどうぞ」
「私に挑むとは、恐れ知らずにもほどがあるぞ志島。その勝負受けてやろう」
美樹は自信たっぷり、悠陽は楽しそうに、覚醒状態のせっちゃんはこちらを小馬鹿にするように、戦意を示した。
よし、ひっかかったぞ。俺は何を隠そうトランプが信じられない程に強い。流石に神経衰弱のような美樹が強そうなゲームや多少の身体能力や動体視力が関わってくるスピード、せっちゃんは全部得意そうだが、とりあえず、先ほどの二つを避ければ俺が負けるはずがない。
「せっちゃん、目元にゴミついてるよ」
「せっちゃん呼ぶな。ここか……いや、なかなかとれんな。志島、ちょっととってくれ」
覚醒状態のせっちゃんは緑川先生と呼ぶようにせねば、殺されかねないように思われる。
「仕方ないですね、ほらっと」
「すまんな……あ、貴様っ!」
「あ、すいません。これゴミじゃなくてメガネでしたね」
「かつとくん……」
よし、これで俺の勝率は上がっただろう。もちろん、性格が変わるだけで能力まで変動するとは思わないが、ここは気持ちの問題だ。他二人の女生徒の視線が刺さるがこれは、彼女たちのためでもあるのだ。ここにいる女共三人で掃除をさせることがこれからの彼女らの人生にもプラスに働くだろう。
*
「俺の勝ちだな」
俺は手に手に持っていた五枚のカードを場に投げると共に、勝利を宣言し、罰ゲーム内容を告知した。
「じゃ、三人。この部屋明日までに片付けとけよ」
項垂れる三人は意外と律儀なのか、文句の一つも言わずに作業に取り掛かる。この部屋の惨状を改善したいという気持ちは少なからずあったのだろう。俺は無慈悲にも思われるが、その場を黙って後にした。
翌日、予想通り。部屋は汚い汚部屋に逆戻りしていた。
いや、女子力云々は関係ないだろこれ。
こうして俺の生活は、多額の学費免除と共におかしな優等生たちによってかき乱されることになったのである。




