夏休み➆
金井夫妻が自らの家へと戻って行くのを確認してから、焼きそばの下ごしらえをしていく。外を見ると昨日の営業時間をしのぐほどの行列がすでにできており、せっちゃんが非常に嫌そうな顔をしていた。
そもそも、今回の企画について三人が不平を漏らしていないのが驚きだ。イベント好きの悠陽はともかく、他の二人が何も言わないというのはいや、もう後戻りできない段階だと理解したのだろう。
せっちゃんに開店を促すと、けだるげな表情を浮かべながらも店の扉を勢いよく開く。開かれた途端、大きな歓声が沸き起こった。
「うおぉおお! 噂通りの美人だぁぁぁ!」
「……チッ」
「ちょっとせっちゃん。お客さんにその態度は!」
「うをぉぉおおお! ご褒美キタァァァァ!」
「今日は閉店にしましょうっす」
悠陽でさえげんなりとした表情を浮かべているのだから、せっちゃんと美樹の顔は言うまでもない。とはいえ、バイト代をもらう美樹はなんだかんだ真面目で、テーブルを一つ一つ丁寧に拭きあげていた。
営業を続けるか否かの決定権はせっちゃんにあるのだが、ここの営業を続けるために俺たちを呼んだ本人が、ここで断念するということもなかろう。
「さて、それじゃあ気合入れて頑張りましょうか」
元気いっぱいの後輩は「おーっ」とこぶしを天に突き上げた。対する二人は下を向いている。
「昨日のこともあるんだから、気をつけろよ? 休みたい時はすぐに休んでいいからな―—お前らには言ってないぞ」
入口に背を向け休憩室へと向かい始めた二人の首根っこを摑まえた。
「やるぞ?」
「「は、はい……」」
すんなりということを聞いてくれる二人は実に良い子である。少なくとも、俺が近くのテーブルに置いてあったヘラに目をやったこととは無関係のはずだ。
歓声を上げたお客は、濁流のようになってカウンターへと押し寄せてくる。
隣の海の家も同じようで、家の外まで長蛇の列が生成されていた。昨日まではすっからかんだったはずなのに、なぜ今日は……あ。
俺が目を凝らしていると、白い肌を惜しげもなく披露した美女——涼子さんが店頭で呼び込みをしていた。
ビキニの金髪美女VSジーパンにTシャツの赤、青、緑の美女、美少女。勝負はほぼ互角といったところか。いや、一対三の構造で拮抗を保っている涼子さん圧勝と言えるかもしれない。ビキニの力恐るべしである。
昨日の集客の差がよっぽど悔しかったと見える涼子さんはプラカードまでもって客寄せパンダに徹していた。
さて、そろそろ俺たちも始めますか。
「焼きそば一つとかき氷二つ、イチゴとブルーハワイで!」
威勢の良い客の声に、俺は準備しておいた焼きそばをパックに詰め込んでいった。
「焼きそば一つ、ブルーハワイ、イチゴっす!」
客の声に数秒遅れて厨房へとやってきた悠陽は元気よく注文内容を伝達する。
「聞こえてるよ。ま、元気そうで何よりだ」
「ご迷惑をおかけしたっす!」
「気にすんな。ほれ、これ持ってって」
俺は即座に作った焼きそばとかき氷を悠陽に渡す。昨日腕を磨かれたおかげもあってか、俺の海の家スキルは既にマックス。仮に異世界転生時にチートスキルを貰えるなら、きっと誰もがその取得を欲するだろう。
せっちゃんと美樹はせっせとテーブルを拭いている。やる気を出してくれたのなら文句はない。接客したくないだけ、の可能性は否定しきれないが。
結局この日、両海の家の列が途切れることはなかった。
ちなみに、今日の当選者は悠陽に票を入れた男性。当選発表をした夕方まで一人で海を満喫していたようだ。
商品は金井さんの言っていた通り、悠陽の手料理。男性は悠陽の作ったイカ墨パスタのような焼きそばを嬉しそうに抱えて帰っていった。
「よっしゃぁ、うちの家宝にするぞ!」と意気込んでいたので、そう簡単に食べることはあるまい。時間さえ経っていれば、腐っていたということにできる。この海の家の責任を問われることはないだろう。
そして俺は現在、せっちゃん実家の露天風呂。一日蓄えた汚れを落とした俺は、精神的な汚れを落とすために大きく息を吐いた。
「それで、昨日の話の続きを聴きたいっす!」
「話すのは良いが、体調悪くなったらすぐに言うんだぞ?」
悠陽とせっちゃんの声が、壁越しに聞こえてくる。昨日の話の続きのようだ。俺は、壁の方へざぶざぶ寄って行き、耳を澄ませた。
「昨日話したのは、そうだそうだ。私に見合い話が舞い込んできたところまでだったな」
「そうでしたね。確かそのお相手がという時に、悠陽さんが茹で上がったんでした」
「面目ないっす」
「そう、私はあの時こう悟ったんだ。あ、こいつはやばい奴だとな」
「なんで急に回想口調なんですか」
「黙って話を聞け」
壁際から聞こえてくる美樹のツッコミにも、せっちゃんは動じることなく話を続けるのであった。
なんでこんなに人の回想話を聞かねばならないのだろう。俺は心の中でつぶやくも、気になることに変わりはないので、遠くから聞こえてくるさざ波の音だけを耳から遮断した。
*
「本日はお会いできて光栄です。家の関係も色々とありますが、そういったことは一旦置いておいて、今日は節さんとお話しできればなと思っております」
私の目の前に座る青年はこれでもかというほどにさわやかな微笑みを張り付けて、口上を述べた。すらすらと出てくる言葉の流れはこのセリフが事前に準備されていたのだということを示しているのだろう。
「こ、こちらこそ」
「そんなにかしこまらないでください。コミュニケ―ションが苦手だということは聞いておりますので、萎縮なさらず、いつも通りのあなたを見せていただければ」
いつの間にか会話の内容がこちらを品定めする面接官のそれとなっていた。しかし、目の前にいる青年は先ほどと同じ微笑みのまま。悪気などみじんも感じさせない、いや、少し違うか。
彼は文字そのままに私を品定めに来ているのだ。家の借金を取るのか、私という女を取るのか、要するに私という女の価値を見ているのである。とはいえ、借金の件についてはこの席を設けた時点で精算されることになっているので、残るは私の身体なのだがこれからの両家のことを考えると、私から断るなどという選択肢は最初から用意されていない。
「どうされました?」
私が頭の中で考えを巡らせていると、青年はこちらを気遣うように声をかけてくれる。私は昔からこうだ。頭の中では考えられるのに、それを言葉に出すことができない。どんなに崇高なことを考えようとまったくもって意味をなさず、時間だけが過ぎ去っていく。
「お淑やかな方なのですね。私は好きですよ。そういった女性らしい方は」
私が口を開いていないのによくもまぁ、壊れた蛇口のようにぺらぺらと言葉が出てくるものだ。
「女性はやはりそうあるべきだと思います。男の半歩後ろを歩くというか。男を支えるというか。節さんは実に女性らしい。私のタイプにぴったり当てはまります」
なぜこの人はこうも上からモノが言えるのだろう。不思議で仕方がない。
「は、はぁ……」
「最近の女性は強気なのが増えてますから。男をたてるってことを知らないんですねきっと」
子供の頃から何度も聞いた言葉だ。女性らしく、女らしく、それが良家の娘の使命なのだと。何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
その結果私は自分の意見を表に出さず、よく言えばお淑やかに、普通に言えば主体性のない人間へと成長を遂げていた。
きっと、目の前の青年もそうなのだろう。男とはこうあるべきで、女のとはこういうべきだと、前時代的な思想を幼少期から埋め込まれているのだ。そう思えば、腹も立たない。
私も彼も、こんな家に生まれたばかりに性格を歪められた被害者なのである。
「すいません。少し席を外させていただきます」
深くに行き過ぎた思考をリセットしようと、外の空気を吸いに出た。
庭を見ると、池の中で泳ぐ鯉が尾をぴちゃっと水面の外に出し、水しぶきを上げている。池の中にとらわれているとは知らずにずいぶんと優雅なことだ。
私は深呼吸をした後、どうやってこの見合い話を反故にするか考えながら部屋に戻るのであった。
*
「と、こんなことがあってな」
「「「メガネは!?」」」
壁を挟んだ俺と、美樹、悠陽の声が完全に一致した。
「おい志島。女湯の会話に入り込むとは。女子力女子力と言われてるが貴様もやはり男だな」
「志島君。あなたという人は……と言いたいところですが、今回ばかりは緑川先生が悪いので不問としましょう」
「そりゃどうも。それで、メガネはどうなったんです?」
「うるさいな女子力の権化め。だいたい、女子力なんて言葉は誰が作ったんだ。女子がこうあるべきだ、なんて差別意識にもほどがあるだろう。私は社会という学問を教えるものとして、この意識をぶっ壊していきたい。まずは志島、お前からだ」
「俺を壊しても、その意識は壊せませんから。女子力という概念に対する考え方には賛同しますよ。まぁ、家庭科力よりもゴロが良いってだけな気はしますけど」
「話がそれてるので、メガネの話をお願いします。ちなみに私も女子力という言葉には否定派です」
「あぁ、メガネの話だったな。私には尊敬できる人が一人いてなその人にもらった」
「さっきのお見合いの話はいよいよなんだったんですか」
「本格的にこっちの話に入ってきたな。さっきの話をその人にしたら、女子力なんてクソくらえとこのメガネをくれたって訳だ」
せっちゃんは話がひと段落したと考えているのだろう、これ以上何かを続けることはなかった。
「せっちゃん。あたしがバカだからかもしれないっすけど、話が見えないっす」
「貴様はほんとに馬鹿なやつだな。他の二人は分かっているだろう?」
「自分でいうのもなんですが、学年一位の私でも理解不能でした」
「俺も」
「仕方のない奴らだな。見合い相手が私のような奴が好き。私は相手にフラれたい。性格を強気にすれば良い。でも、そんなことができていたら苦労しない。そこで私の尊敬する人が、自分を変えるのではなく、誰かの真似をしてみろとアドバイスをくれた」
せっちゃんは身振り手振りを使って説明しているらしく、湯面が揺れる音がこちらまで聞こえてくる。
「ちょうどその尊敬する人が強気な女性だったんでな。その人を真似しようと思ったんだがうまくいかなかった。そこでその先生が掛けていたメガネをを借りたんだ。思い込みというのは思いのほか影響があるようでな。私は見事に強気女性へと成り上がったと言う訳だ」
「それが、二重人格の秘密という訳でしたか」
「ま、ありていに言えばそういうことになる」
「それで、そのお見合い相手とはそれっきりなんすか?」
「いや。何度も席は設けられている。その度にメガネをかけて挑んではいるんだけど、本当の節さんはそんなんじゃなかったはずだ! 必ずや以前のあなたを取り戻して見せます! って言ってきてな」
「そうっすか。それはご愁傷様っす。メガネはアーティファクトじゃなかったんすね。つまんないっす」
「人の思い出をつまんないで片付けるんじゃない」
——ぴちゃっ。
一瞬なんの音かとも思ったが、すぐに悠陽がせっちゃんの眼鏡を取ったのだと理解できた。
「そうですよね。私の思い出なんて誰も興味ないですよね」
「そのお見合い相手は、これを見てお淑やかって言ってたんすか?」
「お淑やか……ダメ人間ですよね。せっちゃん先生は」
「そんなに言わなくても……」
(せっちゃん、ドンマイ)
俺は心の中で合掌をすると、静かに露天風呂を後にした。
「克人君もそう思いますか? ……克人君? 克人君!? 私としゃべるのも嫌なんですか!? 無視しないでくださいよ!」
相当女子陣に口撃されたのであろうせっちゃんは、らしくないほどに大きな声をあげて俺を呼んでいる。関わるとめんどくさそうなので、俺は背後から聞こえてくる声を無視し、黙って脱衣所へと歩を進めた。




