定期試験④
「おはよう」
俺がせっちゃんの授業ノート——これは俺のもの、を振り返っていると、畳の上で気持ちよさそうに横になっていた悠陽がバタッと起き上がった。お茶を所望するだけ所望して飲まなかった悠陽に声をかけると、彼女は顔に冷や汗を浮かべながら肩で息をしていた。
「大丈夫か?」
俺がいつものようにお茶を差し出しつつ——勿論、先ほどのものとは入れ替えている、目を向けると、悠陽は物憂げな表情でぼーっとしていた。
「おーい。生きてるかー?」
「あっ、は、はいっす!」
悠陽は慌てたように俺の差し出したお茶をあおる。
ぷはっーっと息をついた悠陽は先ほどまでの表情をどこかに忘れてきたようで、いつもの快活な表情へと戻っていた。
そんな悠陽に俺は、彼女が眠りについた時から思っていたことを伝える。
「あのな、俺も男なんだから。そんな無防備に目の前で寝るなよ」
「あ、すいませんっす——襲ったりはしてないっすよね?」
「襲った」
「え!?」
「嘘だ」
「そうっすよね」
冷静な口調でさも当たり前かのように言う悠陽は、俺のかけた掛布団を胸の前で抱きかかえた。
「襲ってくれても良かったんすよ?」
「どのみち捕まるなら相手くらい選べせてくれ」
冷静に俺が言うと、悠陽は何が不服なのか矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「なっ! あたしには襲う価値もないって意味っすか!? そうっすかそうっすか。どうせあたしみたいなのよりもせっちゃんみたいな方が好みっすか!? 美樹さんに言いつけてやるっすからね!?」
本当にやめてくれ。「悠陽&美樹VSせっちゃん」の構図となればもう何のことか言葉にしなくても分かってしまう。俺がすべて理解したことを、悠陽も理解したようで、いつになく悠陽の目が鋭くなった。
「これだから男は」
悠陽は吐き捨てるようにそう言うと、俺の方に掛布団を投げてきた。
「ま、克人さんが女の子を襲うほどの度胸があるとは思えないっすけど」
さりげなく俺を馬鹿にしてくるが、生憎かまってやる暇はない。なんとなく起こすのも悪い気がして寝かせたままというか布団までかけてやったが本来ならばたたき起こすべきであった。ついつい世話を焼きたくなるのは俺の悪い癖である。
俺は世話焼きモードから鬼畜モードへと意識を切り替え再度悠陽に勉強を促すことにした。
「さて勉強するぞ」
俺の号令に、悠陽は勉強は嫌だという意思を固めたのか抵抗を見せてくる。それも、今までのようにおちゃらけたものではなく至って真剣な表情で。
「あたしには勉強は無理っすよ」
「どうした?」
訴えかけるように、そして諦観を滲ませた表情で悠陽は俺に訴える。
「昔っから勉強は苦手っす。小学生のころの漢字テストでも何回も再テストになってましたし。それで、教室に残されて、先生と一対一で補習を受けて。そして、クラスメイトに笑われて」
堰を切ったように語りだした悠陽はなおも止めるつもりはないらしく、うつむいたまま俺の出したコップを両手で握った状態で独白を続けた。
「クラスメイトにはバカって言われて、先生には何でできないんだって言われて、それでも慰めてくれるお母さんはとても優しくて、でもおそれが辛くて。家庭訪問の時とか、面談の時から先生に対して申し訳なそうにしてるお母さんの顔は今でも覚えているっす」
語るにつれて手に力を込めているのだろうコップを握る両手が微かに震えている。
「だから、あたしは決めたっす。お母さんが胸を張れる娘になるって。いなくなったお父さんの分まであたしを育ててくれたお母さんのために。だから、あたしには勉強してるいまなんてないっす!」
「おい」
俺は悠陽の長々とした演説を聞きながら新聞紙で作っていたハリセンで引っぱたく。しなしなな新聞を材料に使っているため痛いはずなどないのだが、悠陽は脳天を両手で押さえながらこちらを睨んだ。多分この睨みは、痛みからくるものではなく恥ずかしさからくるものなのだろう。頬が赤みがかっている。
「こんなあたしに付き合ってくれる克人さんのことは大好きっす」
当然そんなことを言ってのける悠陽は男勝りというか、男前というか。
「ほら、くだらないこと言ってないで勉強するぞ」
俺は話を切り上げるようにして、悠陽にとあるプリントを渡した。
国語にも疲れただろうから次は数学のお勉強。先ほど悠陽が寝ている間に職員室に殴り込みをかけたところ有益な情報を手に入れることができた。その情報をもとにしたプリントだ。
職員室にいた三十代そこそこの気の弱そうな男性教師に詰め寄ったところ、「そんな怖い顔しないでよ……流石に一人に有利になるような情報公開をする訳には」と渋い表情を浮かべられた。
悠陽の点数をあげないと俺が緑川の先生に殺される、と特殊な脅迫をかけると「……分かったよ。今日答えたことは今度の授業で他の生徒にもちゃんと伝える。君も災難だね」と、想像以上の効果を発揮した。せっちゃんの恐怖は教師に対しても有効らしい。
俺の記憶が正しければせっちゃんはまだ二十代のはずである。年上の男性をここまで竦み上がらせるせっちゃんに俺のような若輩者が挑もうなんて無謀な挑戦にもほどがある。反抗するときはちゃんとメガネを奪おう。
俺が得た情報は二つ。中学生レベルの基礎的な計算問題が数問出題されるということ。あともう一つは、指定されたワークの最後の問題が出題されるということ。
この二つを取り切れば、三十五点。つまりは赤点が回避できるということである。
俺はこの得られた情報から、悠陽専用のプリントを作成しておいた。
「それじゃ、早速やろうか」
中学生レベルの計算問題はどうにかこうにか、なんとかなりそうである。勿論、計算ミスをしないことが絶対条件ではあるのだが。
問題は得た情報の二点目。難易度は本来そこまで高くないが、それは普通の生徒に限った話。そもそもこの学園は基本的に頭の良い生徒が集まっているのである。それに対し悠陽は明らかなイレギュラー。スポーツ推薦のような形で入学しているのは悠陽のみ。つまり、この学園の学力基準を無視しているのは悠陽のみな訳である。
「どうやって教えたものかなぁ……」
俺が悩んでいると、不意にスマホがその着信を伝える。画面を見ると、つい先日登録した、嫌な名前が示されていた。
『もしもし』
『志島。出るのが遅い。ワンコール以内に出ろ』
『何ですか。ってか早く戻ってきてくださいよ。悠陽に勉強させるのも一苦労なんですから』
『あ、そのことだがな。今日はいけなくなった。そういうことだ』
『は!? いや、悠陽の荷物は!?』
『あ……うん』
『せっちゃん!? 完全に忘れてたよねぇ!?』
『赤坂家にはお前が行ってくれ』
『悠陽を一人にはできないと思いますけど』
『なら、二人で行ってこい』
『いや、それ本末転倒にもほどがあるでしょ』
『つべこべ言うな。減点十点。じゃあな————ツーツーツーツー』
切りやがった。
途中からスピーカーにしていたため、悠陽にも会話内容は聞こえていたはずだ。
「来るっすか?」
「気分転換に散歩だな」
「送り狼?」
「残念ながら荷物をとったらすぐここに帰還だ」
せっちゃんに逆らうなんていう選択肢はあるはずなく、俺と悠陽は言われるがままに行動を決めた。




