プロローグ①
「おい、そこの美人ども」
俺の声に気づかないはずはないのだが、目の前にいる美人三人は、手に持っているトランプを置く気がないらしい。
こちらを一瞥してすぐさま目の前のカードに目を戻した青髪の少女。
にこっと笑いながらこちらを振り向く赤髪の女の子。
そして、こちらを死んだ魚のような目でぼーっと眺める緑髪の女性。
「そこに正座しろ!」
別に俺はサディストでもなければ、むしろ女性には優しくするよう心掛けている人種だ。そんな俺が美しき女人に怒号を浴びせているのには理由がある。
「なんでまたこんなに散らかっているんだ……!」
俺が漫画の登場人物であれば顔の上半分が青くなり縦線が無数に入ることだろう。
絶望する俺の前には、それはそれはたいそう散らかりまくった情景が。もともと茶道部が使っていたらしい向こう半分が畳の部室。律儀に靴を脱いで上がっているものの、なぜか畳の上には無数の土片。
「先週、掃除したよな。なぜこんなに汚い汚部屋ができているんだ。空間転移の魔法でも身につけた奴がいるのか?」
「志島くん。“きたない”と“おべや”では同じ言葉が二回使われているので国語的な違和感を感じます。訂正を。」
「空間転移の能力ですか! あたしもそれ欲しいっす! 克人さん、もしそんな能力が手に入ったら何しますか」
「かつとくん。同級生に向かって『奴』なんて言ってはいけませんよ。あ、教師である私に対しては言ってもいいと判断したのですか。そうですか、そうですか……くすん」
(あぁ、もうこいつら……!)
「まず! それくらいしないとこの部屋を描写できねぇんだよ! そんな能力はこの世に存在しない! あったとしたらお前らを異空間に飛ばしてやる。勝手に解釈してネガティブモードに突入すんな!」
青、赤、緑の順にボケ散らかしてくるこいつらの面倒をなぜ俺がみなけりゃならんのか。そうだ全ての間違いは、俺がこの世に生を受けたことなのでは……? おっと、どこかの緑教師の特性が俺にも影響を与えているらしい。気をつけねば。
俺はこいつらと初めて出会った日のこと——と言っても一週間前の話——を嫌でも思い出してしまった。
*
「志島、お前部活には入ってなかったよな」
帰りのホームルームが終わるや否や声をかけてきたのは、緑の髪を後ろで一つに結んだポニーテールの女性。俺のクラスの担任である緑川 節である。
春の柔らかな日差し……が影を潜め始めた、梅雨間近のこの季節。ギリギリ冬服ということもあって、全員が難から逃れるように校舎を後にしていく。ここ二年一組も例外ではなく、教室に残っている者は非常に少ない。
「先生、何ですか? これからバイトの面接があるんですが」
「そうですか、それは良かった」
「良かった? いや、すぐ行かないと遅刻……」
先生は持ち前の冷ややかな瞳を俺の内面までも見通しているかのように細める。
「いやな、君にもそう悪い話ではあるまいよ。この学園に奨学生というのがあるのは知っているよな」
「知っていますよ。確か、特別秀でた能力のある生徒の学費を免除するとかなんとか。まさか、俺がその奨学生に……」
確かにそれならば俺にとって悪い話ではない。バイトをしなければならない理由の大半は学費を捻出するためであって、払うべき学費がなくなればバイトをする必要もなくなる。俺が期待に満ちた眼差しを先生に向けたが、その視線は無残にも一蹴された。
「学業成績三百人中二十位。運動能力三百人中十五位。まぁ、悪くはないが非常に優れているとは形容しがたい成績だな。それに君の場合は生活態度が最悪だ」
「調子に乗ってすいませんでした」
手元の資料をめくっいる先生はまさにできる女といった風貌で、嘆息交じりに続けた。
「そう結論を急ぐな。人間を測る物差しは一つや二つと限られてはいない。知っているだろう。この学校は何よりもその能力が重視される。多少、生活態度が悪いくらい特出したものがあれば目を瞑られる。君が特出しているのは女子力だ」
「…………」
「君は女子力をこの学園に認められ、学費が免除される」
「…………」
「家庭科の成績が学年で一番。調理実習では当学園の家庭科教師を涙させる料理をを提供し、裁縫ではほかの生徒がエプロンを作るさなか、クマのぬいぐるみを作成。それも早く終わった君は着せ替え用の服を製作し、作ったエプロンがクマのぬいぐるみサイズという快挙というか、もはや暴挙だなこれ。君は私の知らないところで何してるんだ」
「すいません」
自分で言って、ジトっと向けられる視線は特定層にはご褒美かもしれないが、俺にとってはただの脅威に他ならない。反射的に謝罪を述べる俺に対し、先生はあきれたように一呼吸を置いてから、銀縁の眼鏡を中指でクイっと上げた。
「財閥の子息や令嬢が在籍するこの学園に珍しく、一人暮らしも完壁にこなしているそうだし、女子力はこの学園でトップであることは間違いないだろう」
「女子力あまり関係ない気がするんですが」
「ごちゃごちゃ言うな」
美人に諭されるのは悪いものではないような気がしてくるから、容姿とは非常に不思議なものである。諭されているという表現が正しいかは別として。
「という訳なんだが、奨学生には例外なくとある部活に所属してもらうことになっていてな」
「そういうことでしたら、喜んで」
「そうかそうか。それは良かった。では、この後学園長室に向かってくれ」
先生はそれだけ言うと、俺に背を向け立ち去った。スーツのタイトなスカートがなんとも言えない艶めかしさを……これ以上はやめておこう。
何はともあれ俺は面接に行くはずだったファミレスに断りの電話を入れ、学園長室へと向かった。
「君が志島君かね。そうかそうか。君が……」
俺を学園長室で迎えた、この初老の男性はまごうことなき学園長である。初老とは言っても、まだまだ現役であることに違いはなく、多少白髪のちりばめられた頭が彼の威厳を高めていた。
「はい。この度は、奨学生にしていただけるということでこちらに伺ったのですが」
自分で言っていてよく分からないセリフに違和感を覚えながらも、俺は学園長に首を垂れた。
「うむ。その通り。なぁに、そんなに畏まらんでもよい」
気楽に言ってのける学園長であるが、そもそもこの部屋に入ったことさえ初めての俺には緊張しないなどと言う選択肢はない。バイトの面接など比にならないだろう。普段生活しているこの学校にこんな豪勢な部屋があるということ自体、不思議でならない。赤い絨毯にひじ掛けのついた椅子。ここが、首相官邸ならむしろ緊張せずに済んだかもしれない。普段いる世界にぽっかりと、異世界が紛れ込んでいるような感覚。
「これが正式な決定書類だ。事務的な手続きはほとんどないが、一応目を通しておいてくれ」
そう言って学園長は俺に封筒を一通渡した。賞状を受け取るときのように、一応礼をしつつ両手で受け取る。顔を上げると同時に見た学園長の目が、がなぜか申し訳なさそうに泳いでいたのは俺の気のせいだろう。
俺みたいなやつが奨学生か……。いくら能力が最優先の学園とはいえ、大丈夫なのかこの学校は。
ここ、私立彩華学園において最も異様な奨学生が誕生した瞬間であった。