蹲る男
夕方まで美里加と買い物をして、それらを新居へ届く手配を取り、美里加は、自分の引越し荷物をまとめると言い、駅まで見送った。
ダイスケからの連絡では、都内のダイニングを予約したと、メッセージに店のURLを添付してあったのを、春は確認した。
店は、家庭的なイタリア料理を提供しているようで、スマホの地図を見ながら店を探し歩いていた。雑貨店で足が止まり、美里加が欲しいと言っていたチェストがあり、春は美里加に電話をかけた。
「そうか、赤レンガ倉庫にもあるなら、今度そこで買おう。わかった」
美里加は既にリサーチ済で、目星をつけているものの店を把握していた。そういう事は、美里加に任せておこうと、春は思いながら、スマホの画面を再び地図に切り替えていた。
「コーリくん?」
横から聞き覚えのある声が聞こえ、春は顔を上げた。
白いパンプスとブラウスに、カーキー色したロングのフレアスカート姿の紗良が目の前に立っていた。
「紗良!」
春は声を出して、紗良の名前を呼んだ。
巻いた髪を後ろで無造作にまとめて束ね、薄いピンクのリップを塗っていた。
「良かったー。人違いだったらって、ドキドキしちゃったよ。元気だった?」
紗良は目尻にシワを作り、くしゃりと笑んだ。
変わらない笑顔に、春は懐かしさを感じていた。しかし、以前のような胸の奥を締め付けるような感情が、消えている事に、春は気がついていた。それが、違和感と呼べるものなのかは、その時は良く分からなかった。
「お店まで、一緒に行こうよ」
白いカバンを肩に下げ、紗良は歩き出した。
「あぁ。紗良、そう言えば、ソノミから聞いたけど、事故に遭ったんだって? 怪我はもう大丈夫なのか?」
「うん。頭強く打って、しばらく意識なくて。あ、あとね、腕骨折してたけど、今は大丈夫だよ」
「そうか…」
春は、少し前に自分に話しかけていた事を、聞こうか躊躇していた。
「ふふ」
不意に紗良が笑みを浮かべ、そうして春の顔を覗き込んだ。
「私ね、事故に遭ってしばらく意識失って寝てたみたいなんだけど。その時にね、コーリくんの夢みてたんだよ。コーリくんが、未だにあの絵持っていてくれて、彼女さんと喧嘩してたり、なんか身近でコーリくんの事を見てたみたい。コーリくんとも、お話したりして。なんか、リアルな夢だったんだ」
けろりとした様子で、紗良は春に話していた。その様子に、春は事実であった事を口にできず、言葉を飲み込んでいた。
「なんかね。ながーい片想いから、脱出したような。そんな気持ちだった。目が覚めたときに、夫がそばにいたんだけど、涙流してたんだって、私」
紗良は笑顔のまま、春に話しかけていた。そうして、春は、紗良の言葉と、目の前にいる紗良を見て、再開した瞬間の違和感が、何なのか分かったような気がしてきた。
「あの絵は、たしかにまだ部屋に飾ってる。けど、オレの彼女が気に入らないって言うから、今度引っ越すんだけど、その時は、オレの荷物の中にそっと忍ばせたままにしておこうと思う」
「そうだね。コーリくんも、抜け出した感があるように見える。もう、あの絵は、飾らないでもいいんじゃない?」
ふふふと、悪戯に笑いながら、紗良は言った。
もう、あの頃の紗良ではないのだと、春は分かっていた。そうして、自分の心の中の紗良も、それが既に過去に変わっている事を、受け止めきれていた。
胸の中に、清々しい風が吹いているようだった。
「ダイスケ、まだ髭伸ばしてるんだねー。大学の頃と変わらないね」
店のテーブルでは、既にソノミとダイスケが来ていて、紗良はダイスケの顔を見るなり、はしゃぐ子供のように言った。
「紗良も、相変わらずだな。もう、昔みたいに、悪戯で剃るなよな」
ダイスケは顔を両手で隠して、悪戯に笑って言った。
「ふふふ。もう、そんな事しないって。なんか、懐かしいけど。それなりにみんな、トシかさねたねー」
紗良がみんなの顔を見渡し、1人納得していた。
「まさか、紗良が1番先に、結婚するとはなぁ」
「そうね。ダイスケの方が、長く付き合ってる彼女と、もう、結婚してるのかと思ったよ」
紗良にそう言われ、ダイスケは少し身が固まった。
「どうした? 何だよ? ここで、何か告白するのか?」
春は、冗談混じりにダイスケを冷やかしたが、それでもダイスケの様子は変わらず、ゆっくり口を開いた。
「実は、来年、彼女と結婚することにした」
ダイスケは顔を赤らめ、みんなにそう言った。
「えー! めでたいじゃん。良かったな、ダイスケ」
「おめでとう」
「あー。紗良に続いて、ダイスケもか。郡くんは、まだ予定ない?」
ソノミに質問され、少し照れながら、口を開いた。
「結婚はまだだけど、来月から彼女と一緒に暮らすことにした」
「えー。なんか、いい話ばっかり。いいなぁ。私もそう言う事、言いたい」
ソノミが口を尖らせ、2人を羨ましがっていると、紗良はソノミに尋ねた。
「お目当ての人とは、どうなのよ?」
ソノミの隣で、紗良が肘を突いて質問した。
「お! なんだ、ソノミ、浮いた話あるんじゃないのか?」
「あるよねー。私達、時々メッセージし合ってるから、近況よく知ってるんだ。ソノミ、2人には話してないの?」
紗良がソノミの顔と、前に座っている春とダイスケの顔を交互に見た。
「まだね。なんか、そう言うの恥ずかしくて」
「じゃぁ、乾杯したら、ソノミの恋話を聞こう!」
ジョッキに入ったビールがテーブルに運ばれ、各々手に取り、グラスを軽く当てた。
「私たちの、再会に。かんぱーい」
紗良が音頭を取った後、
「ダイスケの結婚にも」
春が言葉を付け加え、さらに、
「郡くんの、同棲にも」
と、ソノミが口にすると、
「ソノミのこれから聞ける、恋話にも」
と、ダイスケがニヤリと笑い次々に言葉を添えた。
ごくごくと喉を鳴らしながら、ビールを口にした後、料理を待つ間、話はソノミに集中した。
合コンで知り合った、5歳上のサラリーマンと、今、いい感じになり、最近付き合い始めたらしい。
「付き合うとか、久しぶりだったから、なんだか照れくさいんだよね」
にやけながら話を聞く春と、ダイスケの顔を見て、ソノミは2人を指差した。
「ほら、こう言う顔して、冷やかすからさ。だから、話したくなかったんだよ」
「ソノミ、いいじゃん。1番楽しい時期だよね。2人だって、応援してるって。ね」
紗良は、2人の顔を見て、念を押すように言った。
「あー。なんか、居心地悪いよ。話変えようよ」
ソノミは恥ずかしくなり、顔を赤らめていた。
「もう少し、聞きたいところだけど、オレらも鬼じゃないしな」
ダイスケが春に目配せした。
「あぁ。でも、定期的に聞かせてもらってもいいと思うぞ。進捗状況は」
春が悪戯に笑って言うと、ソノミは
「もう! あんたらには、教えないっ」
と、更に照れて、答えた。
生ハムのサラダに、ブルスケッタ、ポルペッテとか言うトマトソース味の肉団子、魚介の揚げ物、チーズに、パスタ、ピザを食べながら赤ワインを飲んで、わいわいと話が尽きなかった。
そうして話題は、ダイスケの結婚に変わった。
「腹、括ったな」
春がダイスケにそう言うと、ダイスケは生白く細い腕を腕組みして、椅子に座り直した。
「すっごく悩んだんだけどな。色々考えた。ここで、決めておかないと、この先もずるずると行きそうだったし、仕事が軌道に乗った勢いも後押しの一つだったのかもしれない」
「オトコだねぇ」
「なんだよソノミ、オレに対する冷やかし返しかよ」
照れ笑いしながら、ダイスケはソノミに向かってそう言った。
「いいじゃない。次に、紗良が日本に来るときにはさ、ダイスケ、パパになってるかもね」
「コラ、さらに冷やかしてんじゃないって。まだ、そこまでは、考えられないけどさっ」
ソノミに煽られ、ダイスケは気が動転して組んだ腕をほどき、身振り手振りが大げさに見えた。
笑いながら、春が赤ワインを一口飲んだ。その一連の動作を、紗良はそっと眺めていた。そうして、小さく息を吸うと、みんなの顔を見た。
「ダイスケだけじゃなくて、コーリくんも、ソノミも、もちろん私も。みんな、変わってないようで、変わっていくんだね。しょっちゅうは日本、帰ってこれないけど。また、帰ってきたときには、こうしてみんなでテーブル囲んで話したい」
「そうだな。歳は重ねても、こうしてまた会えたらいいな」
紗良と春の言葉に、みんなが頷きながらそれぞれが、歳を重ねて今日に至る実感をしみじみと感じていた。
「で、コーリくんは、喧嘩した彼女、元サヤに戻ったの?」
けろりと紗良は、話題を変え、春の顔を見ると、小さく首を傾げていた。丁度、春はワインに口をつける所で、危うく吹き出す手前で済んだ。
「えー? 何それ? 元サヤ?」
ソノミは、さっきの様子とは打って変わって、余裕ある態度になり、春を見て言った。
「なんだよ、郡。結局、元カノに戻ったのか?」
春に質問が集中され、右ひじをつき、頭を抱えた。そうして、紗良は、本当に自分に話しかけていた事が、夢だったのだと思っているのか、疑問に思ってしまった。
「まぁな」
「え、それだけ? 何か、決意表明はないの? ダイスケは、結婚するんだよ」
目を丸くして、紗良は真顔だけれど、意地悪気に春の痛い所を付いてきた。
「ずいぶん、追い込むなぁ。ちゃんと、彼女の事は、大事にするつもりで、今回、一緒に暮らす事にしたんんだ。一応、そう言うのを、前提に」
「そう言うのって?」
紗良の目が、春の目を捉えるように、顔を覗き込んで言った。
「だから、結婚。ちゃんと、お互いの親にも会いに行ったんだ」
春がそう言うと、紗良はニコリと満面の笑みを見せた。ソノミは、両頬に手を添えて、ニヤついていた。
「郡くんも、やるじゃん。あー。私、出遅れてる? 紗良、私、大丈夫かなぁ」
ソノミが、紗良に言い寄っている最中、ダイスケはそっと春と話していた。
「よかった。お前が、まだ紗良の事引きずってんのかと思って、少し心配してたけど。ちゃんと元カノとうまくやってたんだな」
「それは、もう、終わった事だからな。今は、ちゃんとアイツを大事にしようと思う」
春は、まだ、ソノミに絡まれている紗良を、ちらりと見た。
紗良が言ったように、変わっていくのだと実感しながら、2人を温かい眼差しで見ていた。
1ヶ月後
転居先の生活も落ち着き、梅雨が明けた途端に、気温がぐんと高い日が続いた。
クローゼットの上の棚には、アルバムや大学時代の作品と一緒に、紗良に貰った絵が仕舞われていた。
「春くん、そろそろ出かけるよー」
玄関先で、美里加が春を呼んでいた。春は、クローゼットの奥にある、それが入った箱から目を離して、扉を閉めた。
蹲る男 終わり
お読みいただき、ありがとうございました。
このお話を書く前に、頭の中で一枚の絵が浮かびました。そこから、このお話が広がりました。(画家さんの絵とかではないです)
次作。
短編やら中編やらをまたここで、投稿できたらと思います。
その時はまた、ご覧いただけたら嬉しいです。




