歩き出した2人
6月も後半。梅雨が明けず、雨の日が続いていた。
物件探しは、3件目で決着が付いた。不動産屋へ美里加と2人で足を運び、契約の手続をしていた。
「雨降って地固まるですね」
不動産の担当をしていた年配の男性が、言葉を出した。1人、納得げな様子を見て、春は美里加と顔を合わせて苦笑いをしていた。
「あ、あと、ここにもサインし下さいね」
担当者が指をさした欄に視線を落とし、春は名前を書いては押印をするの繰り返しの作業をしていた。
「ご入居のお日にちは、いつになさいますか? 鍵の交換作業があるので、新しい鍵を受け取りに来ていただきます」
テーブルにあった卓上カレンダーを春に向け、担当者が尋ねた。
「7月の最初の週には。なので、いつ頃取りに来たらいいでしょうか?」
「だとすればね、えーっと、6月の25日までには終わると思いますから、それ以降でお願いします。今、決めていただいてもいいですし、来られる時に、事前にお電話でも結構です」
「じゃぁ、仕事の帰り道だから、オレが26日にでも伺います」
「ありがとうございます。26日ですね」
チェックシートに担当者がボールペンで、日付を書き込んでいた。
マンションの契約書の入った不動産屋の封筒を受け取り、2人は不動産屋を後にした。
雨が途切れる事なく降り続いている。2人で同じ傘に入り、春はそれをさして美里加と並んで歩いた。
美里加と寄りを戻した後、春は2人で一緒に暮らす事を話した。それは、ダイスケの影響ではないが、自分自身もそろそろ腰を据える時期なのかもしれないと、考えていたからだった。
春にとって、それが自分の気持ちへのけじめの1つであると言う事を覚悟したからだった。
「明日は、家具決めにいかないとね。カーテンの色は、私が決めてもいい?」
肩を並べて歩く美里加は、新居のイメージを描いているのか、あれこれ春にそれを話していた。春は、美里加の希望の殆どに容認する事にしていた。そうする事が、美里加を春が受け入れている1つの罪滅ぼしかのようだった。
「あぁ。美里加が選んでくれていい。腹、減ったから昼、どこか外で食べるか?」
「そうだね。この辺なら…パスタのお店があるから、そこにしよう」
美里加は機嫌良さげに笑みを見せ、そう言った。
寄りを戻してからと言うもの、美里加は機嫌が良く、春としては安泰な心持ちだった。引越しなどの準備で忙しくはなっているが、これから始まる2人の生活に事を進めてるそれが、どこか充実しているような気分だった。
あれ以来、紗良の声が聞こえなくなり、紗良に対する感情も春の中では何処かで、区切りが付いた気がしていた。そのせいもあってだろうか、より美里加への感情が穏やかになれている気がしていた。
平穏を自覚した矢先、何かが察知したのだろうかと言わんばかりに、パンツのポケットの中でスマホが短く振動した。
春は、それをしばらくそのままにしておいた。
嫌な予感までではないが、何か不穏げなそんな感覚が春の胸の奥を掠めた。
ランチタイムともあり、店内は混んでいたが席には直ぐに案内された。美里加がトイレに行くと言い、オーダーを春に頼んで席を離れた。春は、店員を呼んでオーダーを取ると、パンツのポケットからスマホを取り出して、掠めた不穏の正体を確認した。
『急で悪いんだけど。今夜、集まれないか? 紗良が帰国していたらしいんだが、月曜には帰るらしい』
ダイスケからのメッセージの紗良の文字に、春の胸がぎゅうっと締め付けられたようだった。
紗良への気持ちは既に着地していると、春は自覚をしていた。ただ、あの、声だけのやり取りを、紗良は知っているのだろうか、あれは本当なのだろうかと、春は紗良に聞きたいと思ってはいた。
春がダイスケに返信をして、スマホを再びしまうと、美里加が戻ってきた。そうして、春は、ダイスケから相談したい事があると言い、紗良を含む仲間内で会う事を伏せた。そうする事が、美里加にも自分にとっても幸せなんだと、春は思っていた。
「急な相談?」
「そう。アイツ、彼女との結婚で色々考えていたみたいだったからな。だから悪い。夜は出かけてくる」
「いいけど。明日は、買い物行くんだから、飲みすぎたり、遅くなったりしないでね」
美里加に、じっと見つめられ、春は視線をそらす事なく重ねていた。美里加に紗良と会う事を、見透かされそうで内心は焦っていたが、春は出来るだけ表情を変えずにいた。
「分かった」
美里加は、ダイスケとその彼女の今後の事に興味を持ったのか、話を掘り下げてきた。
「スゴイよね。高校の頃から付き合ってるなんて。もしかして、お互い初恋なのかな?」
「どうだろうな」
「えー。そう言う話、しないの? 男の人同士だと恋バナとかしない?」
美里加は小さく首を傾げ、結んでいたポニーテールがそれに合わせて揺れた。
「あまり、そう言う話はしないけどな」
「そうなんだ。知りたかったな。そうだ。ダイスケさんに会ったら聞いておいて。長く続く秘訣」
美里加は笑んでそう言っていたが、春はそれを、“ちゃんと聞いて、自分も努力しろ”と言われているように思えた。
「あ、あぁ。聞いとくよ」
苦し紛れに笑みを浮かべ、春はそう言った。
店員が、オーダーしたパスタをテーブルに運んできた。美里加は、生野菜の乗ったトマトの冷製パスタを。春は、カルボナーラをそれぞれの前に皿が置かれた。
美里加は、フォークとスプーンで上手に細いパスタを巻きつけ、小さな口にそれを頬張った。
「美味し」
春は、美里加の食べ方がいつも綺麗だなと、見惚れる事が多かった。
「春くんは、いつもスプーン使わないよね」
「あぁ。イタリア人はフォークだけで食うんだ。スプーン使うのは、子供がする事なんだ」
春は、パスタを口に入れ、モグモグと咀嚼しながらそう言った。
「ふふ。春くんはイタリア人だったの? でも、この方が、ソース跳ねないし、綺麗に巻けるし、スプーンの上で巻いて口に入れれば、ソースも一緒に食べれて美味しいよ」
美里加は小さくわらいながら、そして、スプーンの上に巻いたパスタを乗せて口に頬張ってみせた。
「ほら、美味しい。春くんもやってみればいいのに」
そんな子供じみた美里加の行いが、春には可愛らしく映っていた。
「オレは、美里加みたいな器用じゃないからな。こっちの方が食べやすい」
美里加と食事をしながら、他愛のない会話のやり取りに心地よさを感じつつ、脳裏には紗良に会える事への高揚する感情を抑えていた。
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次回は、いよいよ最終話です。
最後まで、お付き合いどうぞよろしくお願いいたします。




