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蹲る男  作者: 未月かなた
10/13

ダイスケの悩み

土曜日。


自分の部屋を掃除していた春は、日常を実感している思いだった。これまでは、美里加が来ては、掃除をしたり料理をしたり、一緒に出かけていた。

別れた今となっては、自分でそれをするようになり、充実しているなと実感していた。

ベランダに干した洗濯物が、風に揺れるのを眺めながら、一息つくのにタバコを吸った。

部屋の時計に目を移し、11時を回っていた事を確認すると、春は出かける準備を始めた。

黒のスキニーパンツに、春物のニットを合わせ、春は部屋の鍵と財布をカバンに入れ、スマホをパンツのポケットに入れて出かけた。


亜弥とは、イタリアンの店でランチを一緒にした。その後は、春が出かけたかった個展に一緒に観に行く事にした。

「いいのかな? オレの行きたい所で?」

ランチをした店を出ると、春は亜弥に念を押して聞いた。

「はい。いいですよ」

にこりと笑みを見せ、亜弥は言った。ふわふわとした髪が揺れ、花のような髪の匂いが、春の鼻についた。

そうして、2人で個展のある会場まで移動した。情報は、ダイスケからだった。面白そうな個展だったからと、勧められて興味があったが、なかなか足が運べずにいた。

なるべく、プライベートだから仕事の話は控えようと考えつつも、春は亜弥に仕事の話をするばかりだった。個人的な興味が全く無いわけでは、無いのだが、その方が気が楽だし、春としては会話が弾むと思っていた。

「企画は、楽しいですよ。今回、郡さんにパッケージデザイン依頼した商品は、ティッシュの紙の素材自体にボタニカル成分を配合しているので、少し高級感があるようにしたんです」

「来月、販売するんですね」

「はい。今から、ドキドキしてます」

亜弥の溢れる笑顔に、春も顔を綻ばせて見ていた。シフォン素材のロングのプリーツスカートに、白いシャツの、カジュアルな服装の亜弥は、ぴょんぴょんと跳ねるように歩いているようだった。

「私、結構、心配性で。もう、しつこいって言うくらい、チームの人には色々聞いてて」

「あはは。そう言えば、会社に伺った後も、何通か確認のメールもらってたね」

「泉さんからの引き継ぎとは言え、自分も企画で関わる仕事なので、念入りにしないとって」

「近瀬さんて、ふわふわしてるけど、しっかりされていると思います」

春が小さく首を傾げ、亜弥を見て言った。亜弥は、春と重なった視線を少し逸らすと、恥じらうように小さく笑んだ。

「そんな事は、無いですよ。けど、郡さんに言われると、嬉しいです」

春は、胸のあたりがくすぐられるような気分だった。亜弥は、よく喋り、よく笑う人だった。それを隣で聞いていて、春は楽しく思えた。

恋愛感情になりそうで、ならない。この中途半端な状態に、居心地の良さを覚えてしまいそうだった。


個展は、予想していたよりも良く、出展者の中に大学時代の先輩がいて、話が弾んだ。別れ際に、耳打ちされ、

「可愛い彼女だな」

と、冷やかされ、否定をしたけれどきっと思い込まれているだろうと、諦めて帰った。

「ありがとう。付き合ってもらって。楽しかったよ」

建物を後にして、カフェへ入ると、オーダーを依頼して亜弥と話をした。

「不思議な絵ばかりで、面白かったです」

亜弥は、笑みを絶やさず話していた。退屈しているのではと、春は個展でも少し気にかけていたが、まじまじと絵を眺めていた亜弥の姿は、少し幼げに思えた。

「抽象画だからね。良かった。退屈してるのではと、少し心配だったから」

「いいえ。タイトルと絵の組み合わせに、難解さはありましたが。郡さん、とても夢中になって観てましたね。横顔が素敵でした」

両手で頬を包み、亜弥ははにかみながらそう言った。

春は、謙遜しながらも、亜弥に言われて表情が綻んでいた。

「さっき、話しかけられてた方は、お知り合いなんですか?」

「彼は、大学の先輩なんです。彼も、何点か出展してました」

「そうなんですか。なんか、楽しそうに話してましたね」

クスッと笑い、亜弥が言った。きっと、別れ際に冷やかされた時だろうと思ったが、余計な事は言わないでおいた。

カフェで亜弥と話していると、パンツのポケットに入れておいたスマホが、振動した事に気がついた。短く振動したそれが、誰かしらからの、メッセージだろうと言う事を察していた。

亜弥がトイレへ席を立ち、春はそれを確認した。

諏訪すわくんから聞いたぞ。お前、もう、新しい彼女出来たのか?』

メッセージは、ダイスケからの冷やかしだった。呆れながらも、春はダイスケにそれを否定するメッセージを送った。

『ふーん』

意味深な言葉の付いた、芸人のスタンプを送りつけられ、春は、そのスタンプのキャラクターの茶化すような顔と、ダイスケの冷やかしに、苦笑いした。


亜弥とは、カフェでお茶をした後、次に会う約束はせず、互いに

「また」

と、言って笑顔で別れた。

カフェで、ダイスケからのメッセージには続きがあった。今夜、飲む約束をしたが、きっと諏訪先輩が与えた今日の、出来事についてだろうかと、春は察していた。

駅前の居酒屋に入ると、ダイスケは既に来ていた。

「お、色男!」

「だから、冷やかすなって。そんなんじゃないって」

向かい合う席に座り、生ビールを店員に注文すると、ダイスケもそれに便乗していた。手元のジョッキは既に半分を下回っていた。

「諏訪先輩の評価は高かったぞ。会社の人か?」

「違うよ。ま、仕事関係の人だけど」

「へー。お前が誘ったのか?」

ダイスケの質問責めに、春は呆れて乾杯もせずにテーブルに置かれたビールをゴクゴクと飲んでいた。

「違うよ。相手のほうだよ」

「へー。積極的な感じだな。付き合うのか?」

「お前なぁー。こっちは、元カノと別れたばっかなんだ。まだ、そんな気はない」

「でも、誘いに乗ったんだろ? まんざらでもないんだな?」

ダイスケは、右の眉をピクリとあげて、にやけ付いた。

「うるせーなぁ。どうだっていいだろ? お前とそんな、色恋沙汰話したって、酒の肴にもならない」

「言うなぁ。そりゃ、冷やかしもあったけどさ。オレの話も来て欲しくてさ」

ダイスケは、右ひじを立てて頬杖を付いた。そうして、少し遠くを見るような哀愁を見せた。

「なんだよ? 彼女と、うまく行ってないのか?」

「うーん…。なんだろな?」

「なんだよ。お前が分かんないなら、オレはもっとわかんねーよ?」

「悪いわるい。ほら、前に、ソノミから聞いた紗良の結婚の話があっただろ? その話、彼女にもしたらさ、なんだか意識してるようなふうに、思うんだ」

ダイスケの顔がどんどん曇り、終いには顔をうつむかせていた。

「ダイスケ、結婚したくないのか?」

「いや、いつかはとは思うが。今はまだ、したくない。仕事もようやく自分の担当が軌道に乗って来たからさ」

「軌道に乗って、面白くなって来たか」

「まぁ、そんなところだ。それに、なんて言うか、まだそう言う事に腰が座らない」

「オレからしてみれば、もう、何十年と連れ添った夫婦にもみえるけどな?」

「それは、高校の頃から付き合ってたからだろう? 結婚となると、責任とかさ家族とか、社会の中でもあからさまな形になるじゃんか? オレとしては、まだ、気楽なこの立ち位置に居たいんだよな」

真面目に話すダイスケを見ながら、春は、大学の頃の青く、甘い考えの自分がいるのは、自分だけではないのだと、ほっとしていた。

「まぁ、そーだよな。オレも、まだ結婚とか全く考えられない」

「だろ? 紗良はさ、たぶん、直感的と言うか。きっと、オレみたいに慎重になって考えるタイプじゃないから。結婚の価値観が違うような気がするし、仲間内で1番先に結婚したしな。オレの彼女の場合、家庭的と言うか、子供とかの事もきっと考えるだろうし。小さい子残して、夜な夜な仕事して、昼間は子育てとか、考えただけでも疲れそうだ」

ダイスケの彼女は、ダイスケと高校の後輩で、卒業して都内の大学に進学し、今はOLをしている。春は、何度か会ったことがあり、大人しめで素朴な印象を持っていた。

ダイスケの話に耳を傾けながら、春は、なんだかんだで、ダイスケと彼女は然程心配する事もないだろうと、安心していた。


お読みいただき、ありがとうございました。

お話書きながら、昔訪れた写真の個展を思い出しました。可愛らしい写真家さんの、ほっこりするような、作品がたくさんありました。


お話は、まだまだ続きます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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