ダイスケの悩み
土曜日。
自分の部屋を掃除していた春は、日常を実感している思いだった。これまでは、美里加が来ては、掃除をしたり料理をしたり、一緒に出かけていた。
別れた今となっては、自分でそれをするようになり、充実しているなと実感していた。
ベランダに干した洗濯物が、風に揺れるのを眺めながら、一息つくのにタバコを吸った。
部屋の時計に目を移し、11時を回っていた事を確認すると、春は出かける準備を始めた。
黒のスキニーパンツに、春物のニットを合わせ、春は部屋の鍵と財布をカバンに入れ、スマホをパンツのポケットに入れて出かけた。
亜弥とは、イタリアンの店でランチを一緒にした。その後は、春が出かけたかった個展に一緒に観に行く事にした。
「いいのかな? オレの行きたい所で?」
ランチをした店を出ると、春は亜弥に念を押して聞いた。
「はい。いいですよ」
にこりと笑みを見せ、亜弥は言った。ふわふわとした髪が揺れ、花のような髪の匂いが、春の鼻についた。
そうして、2人で個展のある会場まで移動した。情報は、ダイスケからだった。面白そうな個展だったからと、勧められて興味があったが、なかなか足が運べずにいた。
なるべく、プライベートだから仕事の話は控えようと考えつつも、春は亜弥に仕事の話をするばかりだった。個人的な興味が全く無いわけでは、無いのだが、その方が気が楽だし、春としては会話が弾むと思っていた。
「企画は、楽しいですよ。今回、郡さんにパッケージデザイン依頼した商品は、ティッシュの紙の素材自体にボタニカル成分を配合しているので、少し高級感があるようにしたんです」
「来月、販売するんですね」
「はい。今から、ドキドキしてます」
亜弥の溢れる笑顔に、春も顔を綻ばせて見ていた。シフォン素材のロングのプリーツスカートに、白いシャツの、カジュアルな服装の亜弥は、ぴょんぴょんと跳ねるように歩いているようだった。
「私、結構、心配性で。もう、しつこいって言うくらい、チームの人には色々聞いてて」
「あはは。そう言えば、会社に伺った後も、何通か確認のメールもらってたね」
「泉さんからの引き継ぎとは言え、自分も企画で関わる仕事なので、念入りにしないとって」
「近瀬さんて、ふわふわしてるけど、しっかりされていると思います」
春が小さく首を傾げ、亜弥を見て言った。亜弥は、春と重なった視線を少し逸らすと、恥じらうように小さく笑んだ。
「そんな事は、無いですよ。けど、郡さんに言われると、嬉しいです」
春は、胸のあたりがくすぐられるような気分だった。亜弥は、よく喋り、よく笑う人だった。それを隣で聞いていて、春は楽しく思えた。
恋愛感情になりそうで、ならない。この中途半端な状態に、居心地の良さを覚えてしまいそうだった。
個展は、予想していたよりも良く、出展者の中に大学時代の先輩がいて、話が弾んだ。別れ際に、耳打ちされ、
「可愛い彼女だな」
と、冷やかされ、否定をしたけれどきっと思い込まれているだろうと、諦めて帰った。
「ありがとう。付き合ってもらって。楽しかったよ」
建物を後にして、カフェへ入ると、オーダーを依頼して亜弥と話をした。
「不思議な絵ばかりで、面白かったです」
亜弥は、笑みを絶やさず話していた。退屈しているのではと、春は個展でも少し気にかけていたが、まじまじと絵を眺めていた亜弥の姿は、少し幼げに思えた。
「抽象画だからね。良かった。退屈してるのではと、少し心配だったから」
「いいえ。タイトルと絵の組み合わせに、難解さはありましたが。郡さん、とても夢中になって観てましたね。横顔が素敵でした」
両手で頬を包み、亜弥ははにかみながらそう言った。
春は、謙遜しながらも、亜弥に言われて表情が綻んでいた。
「さっき、話しかけられてた方は、お知り合いなんですか?」
「彼は、大学の先輩なんです。彼も、何点か出展してました」
「そうなんですか。なんか、楽しそうに話してましたね」
クスッと笑い、亜弥が言った。きっと、別れ際に冷やかされた時だろうと思ったが、余計な事は言わないでおいた。
カフェで亜弥と話していると、パンツのポケットに入れておいたスマホが、振動した事に気がついた。短く振動したそれが、誰かしらからの、メッセージだろうと言う事を察していた。
亜弥がトイレへ席を立ち、春はそれを確認した。
『諏訪くんから聞いたぞ。お前、もう、新しい彼女出来たのか?』
メッセージは、ダイスケからの冷やかしだった。呆れながらも、春はダイスケにそれを否定するメッセージを送った。
『ふーん』
意味深な言葉の付いた、芸人のスタンプを送りつけられ、春は、そのスタンプのキャラクターの茶化すような顔と、ダイスケの冷やかしに、苦笑いした。
亜弥とは、カフェでお茶をした後、次に会う約束はせず、互いに
「また」
と、言って笑顔で別れた。
カフェで、ダイスケからのメッセージには続きがあった。今夜、飲む約束をしたが、きっと諏訪先輩が与えた今日の、出来事についてだろうかと、春は察していた。
駅前の居酒屋に入ると、ダイスケは既に来ていた。
「お、色男!」
「だから、冷やかすなって。そんなんじゃないって」
向かい合う席に座り、生ビールを店員に注文すると、ダイスケもそれに便乗していた。手元のジョッキは既に半分を下回っていた。
「諏訪先輩の評価は高かったぞ。会社の人か?」
「違うよ。ま、仕事関係の人だけど」
「へー。お前が誘ったのか?」
ダイスケの質問責めに、春は呆れて乾杯もせずにテーブルに置かれたビールをゴクゴクと飲んでいた。
「違うよ。相手のほうだよ」
「へー。積極的な感じだな。付き合うのか?」
「お前なぁー。こっちは、元カノと別れたばっかなんだ。まだ、そんな気はない」
「でも、誘いに乗ったんだろ? まんざらでもないんだな?」
ダイスケは、右の眉をピクリとあげて、にやけ付いた。
「うるせーなぁ。どうだっていいだろ? お前とそんな、色恋沙汰話したって、酒の肴にもならない」
「言うなぁ。そりゃ、冷やかしもあったけどさ。オレの話も来て欲しくてさ」
ダイスケは、右ひじを立てて頬杖を付いた。そうして、少し遠くを見るような哀愁を見せた。
「なんだよ? 彼女と、うまく行ってないのか?」
「うーん…。なんだろな?」
「なんだよ。お前が分かんないなら、オレはもっとわかんねーよ?」
「悪いわるい。ほら、前に、ソノミから聞いた紗良の結婚の話があっただろ? その話、彼女にもしたらさ、なんだか意識してるようなふうに、思うんだ」
ダイスケの顔がどんどん曇り、終いには顔をうつむかせていた。
「ダイスケ、結婚したくないのか?」
「いや、いつかはとは思うが。今はまだ、したくない。仕事もようやく自分の担当が軌道に乗って来たからさ」
「軌道に乗って、面白くなって来たか」
「まぁ、そんなところだ。それに、なんて言うか、まだそう言う事に腰が座らない」
「オレからしてみれば、もう、何十年と連れ添った夫婦にもみえるけどな?」
「それは、高校の頃から付き合ってたからだろう? 結婚となると、責任とかさ家族とか、社会の中でもあからさまな形になるじゃんか? オレとしては、まだ、気楽なこの立ち位置に居たいんだよな」
真面目に話すダイスケを見ながら、春は、大学の頃の青く、甘い考えの自分がいるのは、自分だけではないのだと、ほっとしていた。
「まぁ、そーだよな。オレも、まだ結婚とか全く考えられない」
「だろ? 紗良はさ、たぶん、直感的と言うか。きっと、オレみたいに慎重になって考えるタイプじゃないから。結婚の価値観が違うような気がするし、仲間内で1番先に結婚したしな。オレの彼女の場合、家庭的と言うか、子供とかの事もきっと考えるだろうし。小さい子残して、夜な夜な仕事して、昼間は子育てとか、考えただけでも疲れそうだ」
ダイスケの彼女は、ダイスケと高校の後輩で、卒業して都内の大学に進学し、今はOLをしている。春は、何度か会ったことがあり、大人しめで素朴な印象を持っていた。
ダイスケの話に耳を傾けながら、春は、なんだかんだで、ダイスケと彼女は然程心配する事もないだろうと、安心していた。
お読みいただき、ありがとうございました。
お話書きながら、昔訪れた写真の個展を思い出しました。可愛らしい写真家さんの、ほっこりするような、作品がたくさんありました。
お話は、まだまだ続きます。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




