第七十四話:マルヤムの真意
野太刀の血を拭い、鞘に収めた。
誰もが息を呑み、城は静寂に包まれている。
異国の民にとっては、あまりにも異様な風習だろう。
自決の為に腹を斬るなど、死ぬ手段としては遠回りに過ぎる。
イル=カザレムでは騎士などが自決を果たす場合は首を斬るか心臓を突く。
誰もが死の恐怖を乗り越えて自決出来るかと言うと、それは難しい。
誰もが自分の命は惜しいはずだ。
立派に切腹をやり遂げた貞綱は、真の侍だ。
「見事な自決でした。東方の風習で、切腹と言うらしいですね」
マルヤム王妃は表情を変えずに言いのける。
王国兵や大臣たちは青ざめている者も居るというのに、一体どれだけ肚が据わっているのか。
「よく御存じで……」
「これにて貞綱さまの名誉は守られたかと存じます。誰か、白い布を持ってきて下さい。遺体は丁重に葬ってやらねばなりません」
「……」
俺はこれ以上、何も言う気にはなれなかった。
貞綱の遺体は持ち込まれた白い布で覆われ、何処かへと運ばれていく。
何処の墓へ埋葬されるのか、墓参りは許されるのか、などと胡乱な頭で考えていると、マルヤム王妃は兵士達へ振り向いて声を上げる。
「城下はどうなっていますか?」
「はっ。未だ混乱の渦中にあります」
「では、混乱を収める必要がありますね」
王妃は何やら詠唱を始めた。
しばらく詠唱を続けていたかと思うと、やがてうっすらと何かの像が空間に展開され始める。
それは半透明の王妃の虚像で、城よりも大きく映し出されている。
城下に居る人々でもはっきり見えるだろう。
その証拠に、一瞬だけ首都のざわめきは収まり、今度は何事かという声が上がり始めた。
咳ばらいをした後、王妃は語る。
『首都アグマティの民よ。わたしはマディフ王より見出された王妃、マルヤムである。この度、マディフ王は崩御なされ、わたしは死の淵から蘇った』
王妃は一度言葉を切り、そして大きく息を吸った。
『マディフ王は遺言を残された。その遺言とは、次の王はわたしマルヤムとする、と。本日より王妃マルヤムは女王マルヤムとしてシルベリア王国を統治する。若輩ゆえ、至らぬところもあるかもしれぬが、今後とも民の皆と共に歩んでいこうではないか!』
女王と成る宣言をしても、首都のざわめきは未だ収まらないが、少なくとも誰かの雄叫びや怒号、悲鳴が聞こえているわけではない。
年端もいかぬ少女が女王と成る事に対する戸惑いの声であろう。
しかし、これほどの魔術を使えるとは。
虚像の幻影を作り出し、首都中に通るほどの念話を使いこなす魔術師には今までお目にかかったことはない。
他の魔術がどれほど使えるかは未知数だが、既に熟練の魔術師の域に入っているのは間違いない。
『また、今後よりわたしはシュラヴィク教の信徒となる。シュラヴィク教も我が国民の半数が信ずる宗教であり、これを排除、侮辱、弾圧する事は一切許さぬ。今回の混乱もイアルダト教とシュラヴィク教の対立が原因の一つであると聞いている。皆、ゆめゆめ忘れぬように』
この発言には誰もが耳を疑った。
得体の知れぬ新宗教を認めるのみならず、更には自分も信徒となるとは。
一体王妃は、いやマルヤム女王は何を考えている?
やがて幻影の虚像が消えると、マルヤム女王はほっと息を吐いて、周囲を見回した。
「もちろん、これだけで首都の混乱が収まるとは思いません。直ちに治安部隊を出動させ、暴れている者は捕縛してください」
「は、はっ!」
女王の指示の下、部隊はてきぱきと動き始める。
それを眺めていると、やがて女王は一通りの指示は終えたのかこちらへと歩いてくる。
「宗一郎さま。今回のお仕事、誠にありがとうございます。貴方のお陰で事を成せそうです。事後処理はまだありますが、こちらの仕事ですので」
「はっ」
「カナン大僧正も、苦難に耐えて儀式を執り行って頂き、感謝しています」
「イアルダト教徒としての、大僧正としての責務を果たしたまでですよ」
「本日は城の部屋を用意していますが、どうしますか?」
「俺は遠慮させていただきます。宿の主人が心配なので様子を見たい。なにより城は、どうも落ち着きません」
嘘を吐いた。
マルクがマルヤム女王に対して明らかに敵意を見せている。
城に置いていたら何をするかわかったものではない。
俺の影に隠れてマルクは女王を睨みつけている。
「そうですか。後ほどまた積もる話もありますので、追って使いの者を出します。その時にまた城を訪れてください」
「承知しました」
俺とマルクは城を後にした。
城を出てから、どっと疲れが体じゅうに押し寄せる。
今日は、本当に色々ありすぎた。
貞綱との二度目の戦い。
蘇生の儀式の最中のマディフ王の死。
マルヤム王妃が蘇ったかと思えば、王位継承を宣言。
貞綱の切腹、介錯。
様々な思いが心に渦巻き、感情を処理しきれない。
マルクはまだ泣いている。
「泣くな、マルク。お主は立派な教祖さまの信者なんだから」
「うん」
「いつかはお主が、今度はシュラヴィク教を広めるんだ」
「わかってる。教祖さまの無念を晴らすんだ。その為にはおらも世の中を知って、強くならなくちゃ」
マルクの瞳の中に光が宿る。
大切な者の死を前に、泣かぬものが居るであろうか。
誰も慰めてやることなど出来ない。
時が流れる事のみで、ようやく心の傷は埋まる。
宿に戻ると、主人は多少の打ち身はあった物の大した怪我ではないようで、俺たちを出迎えてくれた。
「よくご無事で! さあさあ、宿も無事に守り通しましたし、今日はごゆっくりお休みください」
「厚意に甘えさせてもらう。流石に俺も今日ばかりは疲れた」
体を洗うのもそこそこに、マルクはすぐに寝台に飛び込んで寝てしまった。
俺はと言えば、風呂に入って体を清めて同じように寝台に潜り込んだものの、精神が昂りすぎて眠れそうにない。
背嚢に忍ばせていたドワーフの火酒を取り出し、グッとあおる。
かっと喉が熱くなり、胃の腑が燃え盛る。
それでも、目は冴えるばかりだった。
「……」
暗い天井をずっと眺めながらまんじりとしていると、窓に動く影を見つけた。
隠密にしては随分と不用心だな。
「誰だ。今の俺は虫の居所が悪い。三秒以内に身分を明かさねば斬る」
「ま、マルヤム女王の使いです。至急、城へ来てほしいと言伝です」
「このような夜更けに?」
一体何の用だ。
至急とあらば、どのような時であれ参上はするが、夜中にわざわざ呼びつける意味はあるのか。
使いの者についていくと、表門はもちろん施錠されているので裏口から入る。
夜の城は兵士が所々を警備しているが、その眠たげな夜警の兵士を避けるように城を進んでいく。
まるで誰にも見られる事を望まないように。
「こちらです」
そうして案内されたのは、もちろん謁見の間ではなく城の地下室だった。
今は何にも使われていないようで、城の備品が無造作に置かれている。
かなり埃っぽく、長い事誰も足を踏み入れていないように思えた。
「マルヤム女王。三船宗一郎、参りました」
もしや、俺を始末するつもりか。
疑念が鎌首をもたげ、野太刀の柄に手をやっていると、王女が部屋の奥から姿を現した。
腰に提燈を下げ、背後には仮面を付けた黒い装束の者が一人立っている。
「宗一郎さま。昼は大変申し訳ない事をしました。貴方の師匠である人を自決させるなど」
「誰かから俺と貞綱の関係を聞いたのですか。しかし、貞綱が罪を犯した事には変わりないでしょう」
「その通りです。……ですがわたしは、それ以上に彼には生きるべき理由、価値があると思います」
「どういう事ですか? それに、背後の怪しい男は一体」
その時、背後に居た男は仮面を外した。
その男の顔は、見知った馴染みの顔をしていた。
「――貞綱!? 一体何故」
貞綱はわずかに口角を上げた。
「理由は、女王様が語って下さります。しかし、神は某を二度も蘇らせるとは、何とも意地悪なものだ」
「誰が蘇生した? 今日はまだカナン大僧正は無理なはずだ」
「わたしが行いました。死者復活くらいなら使えるので」
魔術ならず奇蹟までも覚えているのか。
賢者の末裔というのも嘘ではないようだ。
奇蹟も魔術も両方使える者は非常に数少ない。
故に賢者と呼ばれている。
マルクと大して変わらぬ年頃で死者復活まで使えるのは、神に愛されていると言う他ない。
「貞綱はわたしの蘇生の儀式の際に、近衛兵らを一瞬で切り刻み、宗一郎さまと壮絶な戦いを演じたと聞きました。そして彼ほどの剣技を持ち、戦術眼に優れる者はシルベリア王国には存在しないとも。ならば、死なせるよりも生かして使うべきだと判断しました」
「しかし、かつての所業は知れ渡ってしまっている。……だから一度、わざわざ公の場で死なせるように仕向けた訳ですか」
「ええ。そのまま生かして使おうとすれば、必ず批難があるでしょうからね。彼には是非ともやってもらいたい仕事があります」
「見ればわかりますよ」
こんな所にまで呼び寄せて、誰の目にも触れないように案内させて。
貞綱の存在は知られたくはないという訳だ。
当たり前だ。死んでいるはずの人間なのだから。
女王は彼に汚れ仕事をさせるつもりでいる。
「何故、俺をわざわざここに呼び寄せたのです? 貞綱を生かす事を俺に知らせる必要はないでしょう」
「……貴方には一言言っておかねばと思いましてね。結果的に、貞綱を殺させる事になったわけですし。何より、貴方とカナン大僧正、イル=カザレム国には大きな借りを作ってしまいました。いつか、この借りは返さねばなりません」
「いずれ某の手が必要な時が来るかもしれません。その時は喜んで若の下へ向かいますよ」
「それは、有難いが……」
これが本当に年端の行かぬ少女が考えられる事か。
いくら賢者の末裔とはいえ、末恐ろしすぎる。
自然と口から言葉が出てしまった。
「マルヤム女王、貴方は一体何者なのですか。いくら賢者の末裔が見出されたとはいえ、まるで大人が子供に乗り移ったかのように見えますが」
言われると、マルヤム女王は微笑み、首飾りを外して右手に持ってじっと見つめている。
「わたしはどうやら転生者と呼ばれる存在らしいです。貴方が信じるかは自由ですが」
転生者、だと?
一体何なんだ、それは。




