第五十八話:洞窟に住まう竜
滝の裏の洞窟に足を踏み入れてみると、そこには幻想的な風景が広がっていた。
「おお……これはなんと」
洞窟の中には緑色に輝くコケとキノコが群生している。
日光のような眩い光ではない。
緑色にぼやっと発光する灯りは、ひとつでは確かに弱いだろう。
それが群れを作って大量に輝いていれば、十二分に灯りとしての役割を果たしてくれる。
松明や提燈のような道具がなくとも、この洞窟は先を見通して歩くことが出来るのだ。
何より、その美しさに俺はひと時目を奪われていた。
だが、すぐにその気持ちは現実に引き戻される。
天井からの落盤が激しいのか、大岩に圧し潰された人骨がそこかしこにある。
風化の激しいものもあれば、比較的最近のものもあり、まだ人骨にまで至っていない新鮮な者もあったりする。もっともそれらの死体には、既に洞窟に住まう生き物たちが群がっている。虫や動物、微生物が肉を喰らいつくし、直に骨と変わってしまうだろう。
洞窟の地面はやたらと凹凸があり、中には落とし穴に等しいほどの深さの穴もあって非常に歩きづらい事この上ない。
かさかさと言う音が聞こえ、その穴から這い出してきたのは鎧ゴキブリだった。
好戦的な魔物ではないので、見かけてもこちらから手を出さなければ攻撃される事も無い。小さな犬くらい大きい虫だが、きわめておとなしい魔物だ。
人家に出る忌まわしいモノと比べれば、実に可愛らしいじゃないか。
こいつらが掘る穴にさえ落ちなければだが。
幸い、ここは光るコケとキノコのおかげで穴を見落とす事は無い。
不意に、洞窟の中だというのに風切り音が聞こえた。
「ふっ」
背後に振り向きざまに刀を振るうと、それは悲鳴を上げて地面に真っ二つになって落ちた。
大コウモリか。
洞窟ともなれば暗所に適応した魔物が住み着いている。
続けざまに、背後から音も無く近づいてくる魔物がもう三匹程。
振りむいた瞬間にそれは鎌を振り上げた。
鎌を刀で受けると、甲高い金属音が鳴り響く。
シュウという呼気と共に、獲物を舌なめずりする魔物の顔が闇から浮かぶ。
殺人蟷螂と、その背後に八首蛇が二体。
殺人蟷螂は人よりも背丈が高い大型の昆虫系魔物で、その名前の通り何人もの冒険者がこいつの犠牲になっている。
しかし洞窟に潜むのは珍しい。生息域は草原から草木が生い茂る林、森なのだが、ここは洞窟にも光がある為だろうか。
八首蛇もまたその名の通り、八又の首を持った蛇だが八岐大蛇ほどの大きい蛇というわけではない。それでも人間よりも遥かに体長は長く、個々の口を開けば小鹿くらいなら丸飲みしてしまうだろう。
殺人蟷螂の鎌をかいくぐり、首を刎ねる。
しかし油断してはならない。
殺人蟷螂は頭を飛ばされた状態でもなお動きを止めず、こちらの首を狩ろうと両腕の鎌を振るってくる。
それらを刀で狩り取ると、ようやく自分が攻撃手段をも失ってしまい、戦意も挫かれて絶命する。
八首蛇も殺人蟷螂の死を見届けると同時に、二匹で襲い掛かって来る。
だが頭が八つもあると思考がまとまらないのか、てんでバラバラに首は動く。
胴体は一つである為に、小石を投げて何匹かの視線を逸らしてやるともう動きはままならない。
その間に全ての首を斬り落とし、八首蛇も退治する。
蛇もまた生命力が強い動物だ。
頭の方だけは首を落としても安心してはならない。
脳天を突き刺し、あるいは踏みつけて破壊する事でようやく絶命する。
胴体はしばらくすれば出血で動けなくなるだろう。
「ふう……初っ端から中々の歓迎だな」
今回は一人での探索だ。
罠に引っかかったり、怪我をしても誰も助けてはくれない。
背後に気を付けるのは勿論、天井からの落盤や地面にも気を配って探索しなければ。
洞窟はどうやら鍾乳洞にもなっているようで、天井からの水滴から作られた、つららにも似た鍾乳石と石筍が至る所に発生している。
これで魔物がいなければ、国を潤す観光資源になりうると思うのだが、惜しいな。
いや、それに加えてここを根城としている狂信者か。
奴らも排除しなければとなれば、観光地としての道は遠そうだ。
洞窟内部は狭いとまことしやかに語られていたものの、入ってみれば中々の広さを誇っている。
いつも潜っているサルヴィの迷宮と変わらないくらいには通路の幅も広い。
洞窟が自然と形成されていればそうはなっていないだろう。
所々にはやはり松明を刺す場所も壁に作られており、信者たちが通行しやすいように作り替えている部分もあると思われる。
そんな整然とした通路のような場所に出る。
石筍がやたらと壁際に並んでおり、しかも人を隠せるくらいの背丈まで成長している。
言うまでもなく、俺が襲い掛かるならここを起点とするだろうな……。
「死ねえっ!」
思った通り、石筍の影からいきなり人間が飛び出して来た。
何らかの黒い外套と金で装飾されたと思しき目隠しを装着し、片手には曲刀を持っている。
一人の飛び出して来た狂信者と刃を打ち合う。
流石に教祖が刀の使い手とあって信者達にある程度教えているのか、中々の剣さばきだ。
「それでも、俺の敵にはまだ遠い」
その一人の胴を横に薙いで倒すと、彼らは俺が手強いと見て取り囲むように動き出した。
囲んで叩けば如何に相手が強者であろうとも、数の利をもって倒せるだろう。
俺は呼吸を整え、霊気を身体に巡らせる。
「奥義、五の太刀、旋風!」
場所が洞窟であるのを考慮し、威力は控えめに旋風を繰り出した。
それでも周囲に群がっていた狂信者たちを吹き飛ばすには十分で、狂信者は霊気が作った渦に巻きあげられ、壁や天井に体を強かに打ち付けて気を失った。
「力を弱めておけば、狭い場所でも使えるな」
一人で探索する事があまりないから、今後使う機会は少ないかもしれんがな。
その場を立ち去り、更に先に進む。
洞窟の探索を進めていくと、凄惨な場面に遭遇する。
「なんだ、この有様は……」
身体を食いちぎられた魔物や人間の遺骸が辺りに散らばっている。
乱雑に食われたと表現すべきか、それとも上半身や下半身を丸ごと食われている。
正直、気分が悪い。
人間も魔物も分け隔てなく、両方喰らうのは悪食と言うべきか。
このような食べ方をする魔物は今まで見た事はない。
用心をしたほうがよさそうだ。
散らばった人間の遺体を少しでも供養しようと並べていると、見覚えのある姿がいくつかあった。
先日立ち寄った村の大人たちだ。
彼らは俺を怖れてこの洞窟に逃げ込んだが、無惨な運命を辿る事になってしまった。
「死して屍を晒すのみ、か。惨いものよ」
如何に俺に殺意を向けて来たとて、このような死に様は報われまい。
死すれば誰もが仏となる。
今は心安らかに魂が浄土へ向かって旅している事を願うのみ。
南無阿弥陀仏。
祈り、弔い、立ち上がると、人影を見つけた。
鍾乳石の影に子供が隠れている。
他に保護者らしき大人は居ない。
子供は俺の姿を確認すると、怯えた様子でこちらを見ている。
「お前は……」
「うわっ、来るな!」
言いかけた所で、子どもは脱兎の如く逃げ出していく。
あれは辺境の村に居た子供だ。
見殺しにする気にもなれない。
……追いかけてみるか。
子供の足跡をたどりながら行くと、またも悲鳴が聞こえた。
「大丈夫か!?」
息を切らしながら子供の下へと向かう。
子供はイノシシ程の大きさがある蟻と蛞蝓に迫られ、壁際に追いやられている。
鉄蟻と巨大蛞蝓か。
子供は身を震わせ、目に涙を浮かべながら、俺の方を見ている。
言わずともわかる。
「待っていろ、すぐに片付ける」
蟻の群れを薙ぎ払い、蛞蝓を一刀両断する。
しかし、蟻と蛞蝓は何処かの隙間から這い出してくるようで、幾ら切ってもキリがない。
斬り捨てて間隙が出来た所で、俺は子供を抱えてその一帯を抜け出す。
蟻は縄張りに居なければそこまで追ってくる事はないようで、蛞蝓はそもそも動きが鈍いので人間が走って逃げれば追いかけては来れない。
適当に逃げてある程度広い空間に出た。
流石に少し疲れたので、魔法陣を描いて休憩を取る。
魔法陣は魔物を退ける力があり、その中に居る限りは安心して休める。
しかし、この先どうすべきか。
全く戦いに参加できない子供を抱えての探索は、俺はともかく子供が危険だ。
かといって外に放り出して一人待たせるわけにもいかない。
どうする?
頭を悩ませていると、おずおずと子供が口を開く。
「あ、あの……助けてくれてありがとう。おら、見殺しにされても仕方ないと思っただ」
「目の前で子供が殺されるのは見たくないからな。お前たちは確かに俺を殺そうとしたが、今や同じく魔物に追われる身だ」
「うん……。なんか、今日はおかしいだ」
「おかしい、何がだ?」
村の子供は膝を抱えながら、口をとがらせる。
「あんなに魔物たちがギラギラと殺気立ってるのは、初めて見ただ。おらたちは大抵、この洞窟に住んでる魔物たちの縄張りや習性くらい知ってるから、それに気を付けてさえいればおら一人でも洞窟は歩けるだ」
「魔物が殺気立ってる、考えられそうな理由はあるか?」
「うーん……わからない。ごめんよ」
「いや、いい。しかし、どうする? 村に戻るにも子供一人では大変だろう。出来る限りお主の事は守るつもりだが、一緒についていくか」
「お侍さんは何処にいくだ?」
「ちょっとお主らの教祖に用があってな」
「うーん、わかった。ええよ。そこまで案内するだ」
「いいのか? 俺は教祖にもしかしたら刃を向けるのかもしれんぞ」
「もしそうなっても、教祖さまなら絶対負けないから大丈夫だ。助けてくれた恩も返さなきゃだし」
子供はようやく、にこりと笑った。
それだけ絶対の強さを誇っているのだろう。教祖とやらは。
「この洞窟、確かに広いけど下にはそれほど広がってねえ。地下二階はおらたちの聖堂になってんだ」
「そこなら安全なのか?」
「教祖様が魔物を退治してるから、魔物たちは学習して地下二階には絶対入ってこねえんだ」
「よし、わかった。では行くとしよう」
村の子供に案内され、ついていく。
「こっち、こっちだ」
「やたらと狭いな。入れる隙間あるか?」
子供は自分の体を基準に考えているからか、大人の俺が入り込めるかを考えていない。
比較的俺が小柄でなんとか助かっているとはいえ、鎧や篭手をもう洞窟の壁にこすりまくっている。あとで鍛冶屋に持ち込まないと駄目だなこれは。
体を隙間に押し込め、水で満たされた通路を泳ぎ、更に上へ下へと縦穴を登り降りする。
「もう少しだよ」
「やれやれ……こんなに洞窟探索は大変なものだったか」
やっと広い空間に出てきたが、子供の顔色が何やら青ざめている。
その時、異様な臭いが鼻を貫いた。
地面や壁には何かがのたくった様な粘液が残されている。
臭いはそこから発されているようだ。
一体なんの魔物が残したのだ?
「や、やばい……。まさかあいつが動き出してるなんて」
「あいつとは何だ?」
「ケイブドラゴン……。自分の縄張りからは決して出ない魔物だったはずなのに」
「そいつが何らかの理由で縄張りから出てきて、人間や魔物を喰ったって事か。道理で魔物が荒れている訳だ」
「早くここから逃げよう! 鉢合わせしたら命がないよ!」
その時、洞窟の空間全体が震動し、鍾乳石がひび割れて落下し始めた。
「ひいい!」
震動は徐々に大きくなり、地震かと錯覚するほどの震えが俺たちを襲う。
「もうだめだ、おしまいだぁ!」
「諦めるのはまだ、早い。死ぬなら戦ってから死ぬ、それが侍だ!」
ドラゴン、即ち竜なれば俺の背中の得物の出番と言うわけだ。
野太刀を抜き、大きい魔物が入ってこれないような隙間に子供を隠し、来たる竜を待つべく構える。
やがて天井の岩をぶち抜いて現れたそれは、竜と言うには似ても似つかぬ姿であった。
しかし、その大きさだけは竜と例えてふさわしい大きさである。
とぐろを巻いて俺たちを見下ろす様は、まさしく竜と呼ぶにふさわしい貫禄だけはある。
「巨大な、蚯蚓だと……?」




