第五十七話:狂信者たちの巣窟
闇夜に閃いた刃は、鮮血を地面へと撒き散らす。
「くっ」
肝臓を狙った一撃だったが、咄嗟に腕で短刀の軌道を逸らしたおかげで、わき腹を少し抉られた程度で済んだ。
しかし、俺にいきなり刃を向けるとは、狩人は気でも狂ったのだろうか。
あれほど親切にしてくれた人が豹変するとはとても思えない。
狩人が舌打ちをし、次の一撃を繰り出す。
首や心臓ではなく、太腿の動脈を狙って短刀を振り下ろす。
狩人らしい狙い方だ。
太腿には太い動脈が通っており、そこを斬られてしまえば失血死してしまう。
暗殺者顔負けの正確さを誇る斬撃を後ろに下がって躱し、蹴り上げる。
短刀は納屋の天井に突き刺さるが、狩人は武器を失っても果敢に組み付いて俺の首を絞めようと手を掛ける。
流石に体格で俺を上回り、膂力に優れている男を力ずくで跳ね除けるのは難しい。
しかし狩人は獣相手の狩りには通じていても、人間相手の戦いには慣れていないだろう。
特に、俺のような冒険者の相手はな。
狩人の親指をまず掴んで逆方向に曲げると、乾いた枝を折った時に似た音が響きわたる。
「ぐおっ」
親指の痛みに悲鳴を上げ、力が緩んだ瞬間に手首を掴んで捻じり上げて背後に回る。
「寝起きにいきなりなご挨拶だな。ここの村人はみな親切だと思っていたが、俺の勘違いだったかな」
「……何人たりとも、あの洞窟には近づけさせんぞ」
「お主らは狂信者の関係者か? それとも脅されているだけか? 脅されているだけなら、俺に刃を向けたのは忘れてやる」
その時、いきなり納屋に火の手が上がる。
同時に外からけたたましい叫び声が聞こえてくる。
「殺せ、殺してしまえ!」
「どうせ、王に頼まれて俺たちを殺しに来たんだ、やられる前にやってやる!」
狩人は不敵に笑う。
「余所者め。俺たちの聖地を荒そうとした罪を悔い改めて死ね!」
「昼間に見せた顔は、仮面だったという訳か」
「そうともよ。貴様を油断させるための演技だ」
「実に残念だ」
狩人の背後から脇差で刺す。
狩人は倒れ、血が地面に広がっていく。
ただ脅されているだけなら命だけは助けてもいいが、俺に殺意を向けてくるのであれば素人と言えども致し方はあるまい。
急いで身支度を整え、野太刀を抜いて正眼に構える。
「噴、破!」
塞がれていた扉を上段からの振り下ろしの一撃で断ち切り、表に出る。
火の回りが意外と早かったので、狩人を退けるのに手間取っていたら火に巻かれていたかもしれない。
「ああ、煙かった」
俺が出てくると同時に、納屋は炎上し勢いよく燃え盛る。
「な、何で出てこられる! 扉は堅く閉じておいてあったはずだ!」
「生憎だが、木の扉で閉じ込められると思ってたなら大きな間違いだ。俺を閉じ込めておきたいなら分厚い鋼鉄の牢獄でも用意する事だな」
村人たちは、思ったよりも重武装で俺を出迎えていた。
剣を持つ者あり。長槍を持つ者あり。そして斧、弓を構えている者。
中にはどこから調達してきたのか、兵士が着るような鎧まで身に着けている者もいる。
おそらくは、王から差し向けられた軍勢から剥いだのだろう。
女子供までも武器を持ち、俺に殺意を向けている。
その瞳の輝きに迷いはない。
そう。神仏を信じあの世があると本気で思っている者どもの顔だ。
俺はイル=カザレムに流れてくる前の国で傭兵をやっていた時、この手の者と対峙したことがある。
自分たち以外一切を敵だと信じ込め、そして死ねば神の国へ行けると思っている。
一番厄介極まりない相手だ。
死ぬことこそが救いだと思っている。だからこそ迷いなく突撃出来る。
「神の敵を粉砕せよ。敵を打倒し、地獄に追い落とせ。我らが神よ、我らに力を!」
念仏のようにつぶやいているのは、村の長であった。
「ブリザード!」
村長は俺めがけて吹雪の呪文までも放ってきた。
なるほど。俺はあちらさん達の言う神の敵と言う訳か。
ならば俺は仏敵である奴らを焦熱地獄へと導いてやろうか。
鳩尾に力を込め、呼吸を整える。
霊気を身体に巡らせ、刀に霊気が宿り白い靄を纏わせる。
「溌!」
気合と共に野太刀を一振りし、刀から衝撃波を放つ。
「むおっ!」
村長が持っていた杖を衝撃波で破壊すると、吹雪は瞬く間に止んだ。
大抵の魔術師は魔術を練り上げる際、触媒として杖などの道具が必要になる。
道具を破壊してしまえば、魔術を使いこなすのは最早不可能だ。
次いで俺が霊気を練り上げようとしたその時、子どもの一人があっと声を上げた。
「その剣技、我らが教祖様の技とそっくりだ!」
子どもの声に、俺と他の村人全員があっと息を呑んで固まった。
俺と同じ技を使うだと?
ありえない。
かつての国許での争いで、俺と同じ三船流を修めていた人は死んだ。
俺を除いた只一人の使い手だった師匠も、シンの国近海を航海中に嵐に遭った時に海に転落してしまった。
今、三船流剣術を使うのは、三船宗一郎ただ一人だ。
「ありえぬ、我が剣技は今や俺しか使い手はおらん」
「でも、オラは見たんだ。教祖様が剣の修行に励んでいた時、体から白い霧みたいなのがもわっと出て来た後、岩を、アンタが持っているのと同じ刀でズバッとぶった切ったんだ!」
「おい、本当かよそれは」
「教祖様と同じ剣を使う奴を相手にしてたら、命が幾らあっても足りねえぞ!」
「教祖様は、一人で百人の兵士を相手にして皆殺しにしたんだぞ! こいつもきっと同じ事が出来るに違いねえ!」
「逃げろ、逃げろ! 洞窟まで逃げるんだ!」
村人たちは勝手に怖れをなし、次々と武器を捨てて逃亡していく。
村の中では一番の実力者とみられる村長ですらも、後ずさりし俺を睨みつけている。
禿げあがった額には汗がにじんでいる。
「どうして貴様が教祖様と同じ剣を使う……」
「それは俺が聞きたい。もっとも、教祖に会えばわかる事であろうがな」
「むう……」
村長は村人たちが逃げるのを見届けた後、闇夜に姿を消した。
誰も居なくなった村で、俺は誰かの家の寝床を借りて改めて朝まで眠りについた。
翌日の目覚めは清々しい。
だが心の中には一点の疑問が生まれる。
狂信集団ザフィードの教祖は何者であるのか。
純粋にその正体を確かめたくなった。
俺と同じ剣を使う者、是非手合わせをしてみたい。
侍として、刀を振るう者として、血が騒いでくる。
さて、狂信者の集まりだった辺境の村から二日ほど更に歩き、ようやく俺はシルベリア王国東の国境の山までたどり着いた。
山のふもとには樹木が鬱蒼と生い茂り、森を作っている。
森の中に足を踏み入れると、至る所に獣道だけではない、人が足を踏み入れた形跡が残っている。
森を通りやすいように低い草木を鉈で切り落としてあり、草が踏みならされている。
所々に樹皮に目印なのか傷をつけてあるものもある。
獣が付けた縄張りではない。
そうであればもっと乱雑で、自分の縄張りをこれ見よがしに示すように大きい筈だ。
目印は小さく、しかし十字の下に弧を描くような傷であった。
人の踏みならした道と目印を辿っていくにつれ、水の音が聞こえてくる。
川の音ではない。それよりももっと勢いが良く、山の静寂とは対比して響いてくる。
やがて鬱蒼とした木々の中から突如、開けた場所に出た。
「おお……」
先ほどから聞こえていた音は、これだったのか。
俺の眼前には滝が見える。
滝壺から流れ落ちた水は泉を作り、落水の勢いは絶える事無く続いている。
これほどまでに太く大きい滝は、今まで見た事が無い。
水も綺麗で、水底までもが見えそうな程に透き通っている。
泉で少し喉の渇きを癒そうと泉のふちに膝を着いた時、目の端に人影が映った。
咄嗟に木の影に隠れ、様子を見ると先日に逃げ出した村人たちであった。
「何処へ行くつもりだ?」
村人たちは泉の周辺の岩場を、飛び石となっている足場を飛び歩きながら滝の裏手へと回っていく。
村人たちの足音は滝の音に紛れて消え、姿も流れる水の背後へと消えていった。
なるほどな。そこが入り口か。
確かにここは、大軍で押し寄せようにもあまりに場所が悪すぎる。
滝の裏手に通じる道もそもそも狭く足場が悪い。
洞窟の中も、けして広い道ではないだろう。
迎撃してくださいと言っているようなものだ。
「どのような迷宮なのか、確かめてみようじゃないか」
そして教祖はどのような人物であるのか。
その顔を拝んでやろう。




