第五十六話:辺境の村
シルベリア王からひとまず情報を得たので、狂信者の拠点とされる東の山の洞窟を目指す事にした。
街で食糧と物資を買い込んだものの、道案内は雇う事は出来なかった。
「道案内は良いのですが、何処に行くのです?」
「東の国境近くにある山の洞窟だ」
と言うと、皆がみんな怖気づいてしまうのだ。
曰く、東の山には剣鬼が棲みついていて旅人を残忍に襲いその肉を喰らうとかなんとか。
だから東の国境沿いの山、特に洞窟の近くは商人であっても、よほどの用事がない限りは国内の人間は行かないと誰しもが語った。
しかしこれで、王からの情報の信ぴょう性は上がる。
その狂信者集団の頭目は凄腕の剣の使い手である事は間違いなさそうだ。
それに加えて、シュラヴィク教徒であると語る宿屋の主人は、狂信集団ザフィードの事をあからさまに顔をしかめながら話してくれた。
「あいつらは極端過ぎる。私たちだって信者なのに、その教えを一字一句正しく守ってないからと言って迫害を加えてくる。迷惑極まり無い」
「同じ信徒なのにか?」
「ええ。イアルダト教徒との争いの引き金を引いたのも奴らですしね。信仰は違うとはいえ、同じ国民です。このままでは国が二つに分裂してしまう」
そう言う時こそ、王が強引にまとめるなりどちらかを潰すかなりしなければならないのだが……。
「とはいえ、今の王には国を強権でまとめる力はないのだろう?」
「その通りです。老いた王にはもはや国をまとめるだけの覇気はありません。新たな王が必要だと思うのですが、王には子は居ませんしね。前王妃とは一人だけ子を成したのですが、二人とも病気で亡くなってしまった」
「何のために王は幼すぎる王妃を娶ったのだ?」
「多分、新たに子を成す為かと思いますが……。果たしてどうでしょうね」
思いの外、この国の先は暗い。
火種は民のみならず、王宮の内部にも燻っているだろう。
いつかどこかで国は二つに割れる、そんな気がしてならない。
「国境沿いだとは頭でわかっていても、流石に歩くと遠いな……」
数日は歩いたかと思うが、東の国境の山はまだ遠くに薄く霧がかかって見えるくらいには遠景にある。
それにしても、シルベリア王国はここ十年ほど荒れているとは聞いていたが、まさかここまで野盗が出るとは思わなかった。
サルヴィでは冒険者として名高い俺も流石に隣国までは名が通っていない。
冒険者が仲間と一緒におらずに一人で歩いているのを見れば、俺が野盗だとしても格好の獲物だと思うに違いない。
まあ、その判断は一般的には間違ってはいないさ。
相手が俺でなければな。
「貴様ら、揃いも揃って弱すぎるぞ」
俺の周囲には、斬り伏せられた野盗が十数人転がっていた。
目の前にはガクガク震えて小便を漏らしている、生き残った野盗が一人のみ立っている。
迷宮の追い剥ぎどもと比べても明らかに弱い。
あいつらは迷宮内の魔物や初心とはいえ冒険者とも渡り合っているからか、そこそこ強かったのだなと今更実感している。
「どうせ、貴様らは禄に斬り合いも経験していないのだろう?」
「は、はひっ! そうです! 集団で囲んでしまえば、大抵の奴は殺せて物品も奪えましたから……へへ。貴方さまみたいなド偉い強い人には会った事もございませんで!」
俺の足を舐めんとばかりに頭を地面にこすりつけ、許しを請う姿。
まさに野盗とはいえ、反吐が出る。
「去れ。貴様は刀の錆にするのすら勿体ない」
刀を鞘に納め、生き残った野盗に背を向ける。
「へ、へへ……」
歩き出すと、わずかに足音が聞こえた。
その足音は徐々に歩を速め、俺に近づいている。
「死ねえええええええ」
振りむかずとも野盗が得物の斧を持って襲い掛かって来たのは知っていた。
殺気が辺りに撒き散らされ過ぎる。
折角の拾った命を無駄にするのは野盗らしいと言えばらしいが。
振り向きざまに、居合斬りで野盗の胴を薙ぎ払った。
野盗は呆けた顔のまま、ずるりと上半身と下半身が分かれ、地面を血に染める。
「無駄な体力を使わせるな、全く」
刀に付いた血を拭い、再び歩き出す。
……殺す前に、この先に村があるかどうかを聞いておけばよかったな。
野盗を斬ってから更に歩き続けている。
もう何日も野宿を続け、流石に体には凝りが出始めていた。
いくら冒険者稼業を続けているとはいえ、野宿は未だに慣れない。
完全に眠ると魔物や獣、野盗に襲われるので気が休まらない。
そうすると体も休まらないので疲れがどうしても抜けない。
寝床も問題だ。
岩場や石がゴロゴロしている場所は避けて、寝床にする場所には草や葉を集めてなるべく敷き布を掛けて寝てはいるのだが、やはりきちんとした布団とは程遠い感触だ。
何よりも人が恋しい。
いつもなら誰かと共に歩いていたのに。
特に最近は慕ってくれるアーダルが居たのに、今は居ないというのが寂しくてならなかった。
いつの間に俺はあの子の事を頼りにしていたのか。
誰かと言葉を交わしたいという思いが募る中、遥か向こうに人影が見えたような気がした。
自然と速足になって人影の所まで向かう。
近づくにつれ、その人が何をやっているのかがはっきりとわかって来た。
弓を持って空を見据え、矢をつがえている。
視線の先を辿ると、大きく派手な色合いの鳥が木の枝に止まっていた。
狙いを十分につけた狩人は、弓につがえていた矢を放った。
矢は鳥の首に命中し、獲物は地面に落ちた。
狩人は鳥を手に持ち、笑みを浮かべている。
今こそ声をかけるべきだろう。
「おおい」
近づいて声をかけると、狩人は俺を見てにわかに額に皺を寄せた。
物珍しいからか、余所者と見て警戒しているか。
若い男だった。
「お前、この辺りでは見ない顔と格好だな」
「はるか東の国から来た故な。俺は三船宗一郎と申す。冒険者だ」
「へえ、東の人間か。道理で」
じろじろと男は俺を見る。
この視線にはもう慣れている。
「で、何処に行くつもりだ?」
「この先に見える、東の国境の山だ。そこの洞窟に用がある」
「あそこは危険だぞ。知っているのか?」
「知っているさ。狂信者どもの巣穴なんだろう? 俺はそいつらの頭目と話がしたい。差し当たって、どこか集落など知らぬか。宿を一晩借りたいのだ」
東の山に辿り着くまでにはあと三日は必要だろう。
せめて今日くらいはちゃんとした寝床のある場所で眠り、疲れを癒したかった。
若い狩人は、無精ひげをさすった後に人懐っこい笑顔を浮かべた。
「それならこの先にオレが暮らしている村がある。案内しよう」
「かたじけない。これは礼だ」
俺が金貨を差し出そうとすると、男は首を振ってそれを押しとどめた。
「旅人に施しをするのはオレの村のしきたりだ。気にするなよ」
狩人についていくと、やがて村が見え始めた。
何処の辺境にもあるような、こじんまりとした規模。
数十人もいるかどうかと言った所だ。
村人はみな、俺が訪れると歓迎の意を示してくれた。
この辺りを歩く人は商人以外にはほぼいないのか、冒険者の俺を非常に珍しがっている。
そもそも東国の人間を見た事が無くて珍しいのかもしれない。
老若男女、いずれの人々もこぞって見に来ている。
久しぶりに見世物小屋の珍獣の気分を味わっている。
イル=カザレムに初めて足を運んだ時も人々とすれ違うたびに、人の視線を浴びたものだった。
「こんな遠くまでよう来てくれたの。一晩と言わず二日、三日でも泊まってくれていいんじゃよ」
「いえ、急いでおりますので」
「わかっておるよ。用件が済んだ時はまた来てほしいのう」
村の長は鷹揚に俺を迎えてくれた。
村人たちは俺を物珍しがったが、誰もが親切で久しぶりに素朴な人々の善意に触れた気がする。
出された飯も、鶏の丸焼きや麦がゆと言った簡単なものだが、保存食ではなく新鮮な飯が食えて大変美味く腹が満たされた。
夜。
農家の人の納屋を借り、寝床を作って俺は横になる。
さすがに布団は望むべくもないが、屋根があり風と雨が避けられるだけでも有難い。
寝床の材料となる藁がふんだんにあれば、十分に眠れる寝床は作れる。
久方ぶりに良い睡眠が取れそうだった。
提燈の灯りを消し、目を瞑る。
今日こそは疲れを取って、明日はすっきりと目覚めたい。
「おおい! ミフネさん! おおい!」
夜も更けた頃合いに、納屋の扉を派手に叩く音が聞こえた。
久しぶりに良く眠れていたのに、一体何なんだ。
寝ぼけ眼で俺は納屋の扉を開ける。
「夜更けに悪いな、少し忘れていた事があったんだ」
扉を叩いていたのは、昼に会った狩人だった。
「何か急ぎの用でもあるのか?」
「ちょっと耳を貸してくれないか」
狩人は俺に近づき、耳元でささやく。
「あんたを殺す」
声と同時に、短刀の刃が煌めいた。




