第五十五話:狂信集団ザフィード
アル=ハキムに連れられ、暗殺教団入口まで戻って来た。
昇降機という機械で地下一階まであっという間に上がってこれた上に、警報機のすぐ横に昇降機に通じる扉があったのだ。
全く、これに気づければ苦労して降りる事は無かったというのに。
もっとも、昇降機は鍵が無ければ扉を開けられず利用できないわけだが。
「夜が明けたな」
井戸の底から這いあがってみれば、もう既に太陽が地平線の向こうから顔を出し始めている。朝が目を覚まし、そこかしこの店では従業員や店主が店を開く為に準備を進めていた。
「やれやれ、君のおかげで楽しい夜だったよ。徹夜で店を開けるのは久しぶりだ。老いぼれた体にはキツくてかなわんな」
「老体とは思えぬ程元気な癖に何をおっしゃるか。皮肉ですか」
アル=ハキムはにやりと笑うと、俺の肩に手を置く。
「準備したい物があれば我が店舗で物資を買い込んでもいい。安くするぞ」
「いや、今すぐにでも出立します。時間が惜しい」
「そうか。ならば急ぐがよかろう」
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シルベリア王国。
イル=カザレムの東に位置する隣国。
地理的にはイル=カザレムよりも広いが山脈に囲まれた盆地であり、実際に住める場所はそれほど多い訳ではない。
隣国との国境はすべて山で囲われており、内陸国の為に交易もイル=カザレムほど盛んではない。
無論イル=カザレムとの国境も山なのだが、遥か昔に山をくり抜く工事が行われ、他国よりも二国間の往来は盛んである。
しかし山が多いだけに鉱石や宝石、貴金属を多く産出するので、それらを輸出する事で国の財政を支えている。
また国を二分する大きな川があり、農業も盛んな為に食糧輸出も行われており、食料生産に乏しくなりがちなイル=カザレムはシルベリア王国から食料輸入を行っている。
このようにシルベリア王国とイル=カザレムは比較的良好な仲である。
今、シルベリア王国は国を二分する危機に立たされていた。
「それで、君はカナン大僧正を捜索しに我が国へ訪れた訳か」
「その通りです」
俺はシルベリア王との謁見を果たしていた。
シルベリア王国に入る時、あらかじめフェディン王からの書簡を王宮へと送っていたので首都に入ってすぐに王からの出迎えがあったのだ。
シルベリア王は、大分くたびれていた。
元よりかなり高齢と見受けられるが、それだけではない苦労、心労の痕が顔の皺となって刻まれている。
白く長い髭に薄くなった頭髪に垂れ下がった皮膚。
もちろん、王であるので王冠、首輪や腕輪はふんだんに産出される金や貴金属、宝石を使った物を装着しており、王の威厳を示すとともにこの国が豊かである事も現している。
王の顔色は、浮かないものであった。
謁見の間には王の椅子の横にもう一つの椅子があるのだが、今は空席となっている。
「我らもカナン大僧正を探そうとしていたのだが、それどころではなくてな。情けない事に我が国内は反乱が絶えぬ。こないだも辺境の地にて反乱が起きて軍を差し向けており、捜索に人手を割く余裕が無い。君が来るとわかって非常に有難い思いだ」
王のため息は深く、長い。
シルベリア王国の首都、アグマティは確かに栄えてはいたが、不穏な空気が漂っていた。
宿を探すまでの道すがらでも、住民同士の衝突の場面を何度か見かけていた。
彼らは醜くののしり合い、殴り合い、時には刃傷沙汰となって治安維持部隊が駆けつけるくらいの騒ぎとなっていた。
治安が比較的良いとされるサルヴィの街とは比べる程もないくらいに、荒れていたのだ。
「一体この国では何が起こっているのです?」
「十年ほど前に、一人の旅人が我が国を訪れた。我が国の国教はイアルダト教なのだが、その旅人は新たにシュラヴィク教なる教えを民に広めていったのだ。気づいた時には国民の半数がその教えの信徒となっており、以来この有様よ」
「その教えを広めた者は何者なのです?」
「後で知ったのだが、その男こそ教祖アフマドなる者だった。今となっては何処かの国へ去ってしまい、教えを広めているだろう。イアルダト教の僧の中にもそちらに転ぶ者が少なからず居り、我々は困り果てている」
なるほど、だからカナン大僧正を呼び寄せたのだな。
先日にサルヴィの僧から聞いた情報は概ね正しいようだ。
それだけに、あれだけの護衛をつけておいて大僧正が失踪してしまうのは、いかにも解せぬ事だ。
「いつ頃、カナン大僧正は姿を消したのですか」
「余と謁見をし、その翌日には消えてしまっていた。王妃が不慮の事故で命を落としたので、すぐにでも大僧正には蘇生の儀式を行って欲しかったのだがな」
王の背後の壁には肖像画が掲げられている。
そこには今と大して変わらぬ王の座っている姿と、隣に立っている随分と若い……いや、これは幼いと言っても良いくらいの女子だ。
この娘が王妃だとでもいうのか?
俺の視線が背後にあるのを見た王は、笑顔をようやく見せた。
「美しかろう。前王妃が死んでしまってな。二人目の王妃だ」
「はっ」
いや、他国の事に口ははさむまい。
俺は只の冒険者なのだ。
なによりこの国は俺が根を張る場所ではない。
「それで、蘇生の儀を妨害しそうな者どもに覚えはございますか」
「シュラヴィク教の信徒であれば誰もが良くは思わぬだろうな」
「と言いますと?」
「シュラヴィク教は生も死も全て神の御心の上に定められたものと教義にはある。蘇生の儀など命を弄び、神の意思に背く所業としか見られぬであろうな。しかし、そんな異教の教えなど知った事ではないわ。必ず王妃をこの手に取り戻す」
王は声を荒げて叫び、目が血走っていた。
荒げた息をしばらく呼吸をし、落ち着けると次の言葉を続ける。
「しかし、実際に我らの邪魔をする連中などは一つしか無い」
「一体どのような存在なのですが」
「それこそが、狂信集団ザフィードだ」
狂信者、か。
サルヴィの迷宮にもそのような集団は居るな。
奴らは基本的に迷宮に引きこもり、外には滅多に出ずに何かを迫害などしないが。
自分たちの聖堂に入る無礼者を排除こそすれ、だ。
「奴らは国の至る所に潜んでは自分たちの教義に背くものを徹底して攻撃する。カナン大僧正が居なくなったのは、確証はないがこの集団が何かをやったと見て間違いはないと私は見ている。国を扇動しているのも奴らだ。奴らを潰さぬ限り、国内は荒れ続けるであろう」
「その集団を制圧、殲滅しようと思った事はないのですか」
王は質問に対して、拳を握りしめ歯をむき出しにし、額に皺を寄せる。
「奴らは神出鬼没。たとえ軍を出したとて、いつの間にか姿を消している。それに、奴らの拠点は洞窟にある。洞窟は通路が狭く、それでいて広大な迷宮よ。大群で押し寄せたとて個別に撃退されるのみ」
と言う事は、何度かザフィードなる集団を殲滅しようと軍を動かした事があるのか。
少ない数で大軍を相手にする場合は、まさに地の利を利用した戦法が有効だ。
集団の頭目は戦の心得があるのだろうか。
そしてなにより、と王は言葉を紡ぐ。
「かの集団の頭目は恐るべき剣技の使い手なのだ。たとえわが軍の精鋭が束となって襲い掛かったとて、全て斬り伏せられるだろう」
恐るべき剣技、か。それは一度お目にかかってみたいものだ。
「頭目の姿について情報はありますか」
「聞いた限りではあるが、そうだな。ソウイチロウ=ミフネ。君に姿格好はそっくりだ。着ている服も似ている」
言われ、俺の目は点となった。
西国に来て以降、俺と似ている人間など聞いた事が無かった。
東の国から来た人間と手、シンの国の人間は俺とはやはり顔立ちが細かく異なるし、服装が何より明確に違う。
「もう少し細かくいで立ちはわかりますか?」
「背丈も君と同じくらいだ。東国の鎧を着こんでおり、藁で作られた履物を履いている。そして、君と同じ武器を持っている。カタナとか言っただろう、その剣は」
刀を持っているのか。
もしや、俺と同じように日ノ出国からやって来たのか。
しかし、あの国はいまや国内外に出入りするのは遥かに厳しくなったとダークエルフの商人から聞いている。
交易をするのも限られた商人しか認められていない。
俺が国を出た時よりも十年は経過したであろうか。
戦国の世であった国をまとめ上げて支配する為政者が現れ、方針を定めていてもおかしくはない。
ダークエルフの商人曰く、国外にひとたび出れば戻って来たとしても獄に繋がれる事は免れないと。
最悪、斬首刑に処される可能性すらあるらしい。
僅かにあった故郷への思いも、いよいよ霧散しようとしている。
「もしや、わが故郷の同胞やもしれませぬ」
「ならば気心は通じるかもしれんな。だが、狂信者には変わらぬ。遭遇した場合、話が通じぬと見たら直ちに斬るべきであろう」
「承知いたしました。その集団の根城となっている洞窟はどのあたりに?」
「うむ。地図を用意した」
王が椅子から立ち上がると、椅子の横に置いてある木製の机に広げた地図に近寄り、目を向ける。
王が手招きをしている。
手招きに従い、近寄って同じように地図を見る。
王が指さすのはこの国の東部に位置する険しい山脈だ。
「ここだ。この洞窟こそが狂信者どもの棲み処だ」
「首都から大分遠いですね」
「たどり着くまでには数日を要するであろうな」
数日か。
イル=カザレムと違いこの国の土地勘はあまりない。
道案内でも雇うべきか?
「とはいえ、君には是非ともカナン大僧正を見つけ出してもらわねばならぬ。彼が生きているうちにだ。国に来て早々申し訳ないのだが、出来る限り急いで出立してもらいたい」
話を聞いていると、生きているかどうかも怪しいものだがな。
ザフィードなる集団の頭目がどれだけ理性があり、カナン大僧正がどれだけ自分に利用価値があるかを説けるか、あるいは頭目が大僧正に人質としての価値があるかを見いだせるかが心残りではあった。
とはいえ、王の言う通り出来る限り早くカナン大僧正を探す以外に俺に出来る事はない。
もし死んでしまっていたら、その時は割り切るしかない。
遺体を回収したら後はアル=ハキムに託すのみだ。
「わかりました。準備を整えたうえで、すぐにでも東の山脈の洞窟へと向かいます」
言うと、王は頷いて俺の肩に手を置いた。
「頼むぞ。君に全てが掛かっている。我が王妃の為にも、イアルダト教の未来の為にも」
俺の為にもな。




