第五十二話:忍者、それはダークエルフ
永遠に続くかのように思えた螺旋階段は、唐突にその回転が収束する。
「地面だ! 延々と続いていて地獄まで降りていくのかと錯覚しましたよ」
「さて、もしや地獄よりも酷い場所かもしれんぞ」
「脅かさないでくださいよぉ」
冗談はともかく、ようやく地下四階に到達した。
今までのように全く暗い場所、あるいは多少の灯りが点いているというものではなく、天上に魔力によって光を放つ灯火が設置されている。
魔光灯と呼ばれるそれは、光自体には熱はない。
火の橙色の灯りとは違い、魔力が持つ青い光が煌々と通路を照らしている。
ここは最早迷宮ではない。
人が頻繁に通る事を想定されているようだ。
通路は真っすぐ延びているばかりで、人を迷わせようという意図は見えない。
通路の所々には錆びた鉄格子の扉がある。
鍵は掛かっておらず、入ってみるが何処も空き部屋で、中にたまに骸骨が転がっているくらいだ。
めぼしいものも無いが、罠もない。
明らかにここは誰かを入れて待機させておく場所だったのだ。
通路を歩くにつれ、徐々に目の前に開けた空間が見えてくる。
またも闘技場のような場所だろうか。
つくづく、俺たちは闘技場に縁がある。
不死の迷宮でも闘技場があり、竜人の騎士との壮絶な戦いを繰り広げた。
瞼を閉じれば今でも鮮明に思い起こせるくらい、強烈に脳裏に刻み込まれている。
出来ればもう一度手合わせ願いたい相手だったが、不死の呪いが解け現世を去った今では叶わぬ願いだ。
おそらく、これは最終試験なのであろう。
暗殺者とて毎回暗殺の状況に持っていける訳でもない。
時には真正面からの戦いを強いられる事もある。
俺と戦ったディーンやアンナを筆頭に、他にも襲い掛かって来た暗殺者は誰もが手練れであった。
果たして、闘技場には強者が集っているのだろうか。
血が騒いでくるのを感じる。
通路を抜け、開けた場所まで出る。
やはりそこは闘技場であった。
球状の空間の壁は鉄の板で補強されており、その壁は錆び付いた血が至る所に付着している。
地面は砂だ。砂の中には欠けた歯や骨のような破片がちらほら混じっている。
空間は十分に確保されており、百人以上は入る事が出来るくらいには広い。
向かいの壁には鉄格子で仕切られた扉がある。
あそこから対戦者が入って来るのだろう。
俺たちが闘技場に入ると同時に、鉄格子の扉が開いた。
そこから出てくるのは、得物を持った如何にもあくどい顔をした暗殺者と思しき面々だ。
ざっと三十人は居るだろうか。
「あいつらが侵入者だって話だ」
「特にサムライを倒せば暗殺者としての評定を一気に上げると教祖様は仰っていた」
「サムライったってたった一人だぜ。大した事ぁねえよ。やっちまおうぜ!」
誰か一人の声を皮切りに、ぞろぞろと一斉に襲い掛かって来る。
「アーダル。通路の方に一時避難してくれ」
「僕だって戦えますよ」
「そうじゃない。これから使う技はお主までも巻き込んでしまう。被害を避けるためだ」
「わ、わかりました」
アーダルを通路に避難させ、俺は野太刀を抜いた。
抜きつつ、ちらりと襲い来る暗殺者を眺める。
どいつもこいつも、数に頼んで油断しきっている。
手練れが居るようには思えない。
暗殺者としては三流も良い所だろうな。
数で押してくる相手には、この技だ。
「呼!」
俺は息を吐き、巡っている霊気を一気に野太刀に集束させる。
白い光が渦を描きながら野太刀の刀身を覆っている。
体を捻じり、腕も手首も捻じり、俺までもが渦であるかのように全てを捻じる。
稼働域の限界ぎりぎりまで捻じり切る。
有象無象が目前にまで迫った時、捻じ切った力を解放し爆発させる。
「奥義・五の太刀、旋風」
刀を振り上げるや否や、刀身から発生した霊気の渦は瞬く間に俺を中心に闘技場全体へと広がっていく。
襲い掛かって来た連中は全て霊気の渦に巻き込まれ、壁に激突したり、天井に叩きつけられたり、あるいは渦から発生した真空の刃に滅多切りにされたりもした。
渦がやがて収束したころ、闘技場には呻き声を上げて倒れている奴らばかりだった。
その中に立っているのは俺だけだ。
通路からひょっこりとアーダルが顔を出し、呟く。
「凄い技ですね……」
「集団を相手にするにはうってつけだ」
迷宮はそもそも狭いので、この技は半ば封印気味で使う機会がなく、技の切れが鈍っていないか心配だったが杞憂だったな。
これで終わりか。
歩を進めようとすると、また鉄格子の扉が開いた。
今度は上半身裸の大男だ。
頭は禿げあがっているが髭が三つ編みになっている。
得物は囚人の足に付ける鉄球で、鎖を腕に巻きつけている。
どうやら鎖で鉄球を制御しているらしい。
「数ばかりの雑魚どもでは無理だったな。俺様がお前の首を上げて、特級暗殺者に名乗りを上げるぜ」
「左様か。しかしお主の相手は俺じゃない」
「なんだと!?」
俺の前にアーダルが立つ。
アーダルは手斧を抜き、不敵に笑って手招きをする。
「来な、でくのぼう」
「な、舐めやがって!」
怒り心頭で頭が茹で上がったタコのように赤くなった髭男は、これみよがしに鉄球を振り回して叩きつける。
しかし、もはや大振りの攻撃に当たるようなアーダルではない。
鉄球を躱し、手斧でまず得物を持っている右腕を斬りつける。
続けざまに背後に回り、足の腱を斬る。
「ぐっ!?」
更に、残っている腕の腱をも斬りつけて四肢を麻痺させると、男は立てず地面に転がった。
ほう、とアーダルは息を吐いて俺を見る。
「うむ、良い腕だ」
俺が頷くと、アーダルは笑って答えた。
「ヴァンパイアに比べれば人の相手なら、なんてことはないですよ」
「く、くそっ! こんなガキに良いようにやられるとは」
「数に恃んでとお主は言ったな。だがお主は自分の巨体に任せて相手を舐めた。小さな盗賊だからと言って舐めてかかったお主の負けだ」
「その侍の言う通りだ」
何処からともなく、声が聞こえた。
その声の主がいつの間にか闘技場に居ると気づいた瞬間には、既に鉄球の大男の首からは血が噴出していた。
大男は虚ろな眼で天井を見上げている。
噴出する血を背後に、ぬらりと一人の男が立っていた。
男は黒い装束に身を包んでおり、顔までも頭巾と面頬に覆われていて素顔まではわからない。
しかし、わずかに見える目の部分は浅黒い。
「お前が侍と、盗賊の小娘か」
「僕の正体が一目見てわかるなんて……」
「そんなもん、匂いでバレバレだ。なんで男のフリなんかしてるのか知らんが、俺にとっちゃ意味なんて無いから辞めとけよ。折角の美貌が台無しだろう」
言われ、アーダルは赤面して狼狽える。
この口の上手さは間違いなくダークエルフだ。
しかし、ダークエルフの忍者とは聞いた事が無い。
そもそも似非サムライは西国では何度か見かけたが、忍者は一人も見た事が無かった。
「お主、その格好は伊達や酔狂でやっているわけではあるまいな」
「おいおい、俺を馬鹿にするなよ、三船宗一郎。お前の事はよく知ってるぜ。東国からやってきた本物の侍ってな」
一度手合わせしてみたかったんだよ、とダークエルフの忍者は腰から得物を抜いた。
直刀の長い脇差ほどの刀。
いわゆる忍び刀と呼ばれるものだ。
得物を抜いた瞬間に、抑え込んでいただろう殺気がダークエルフの忍者から溢れ始める。
その殺気にあてられたアーダルは冷や汗が止まらず、その場から動けない。
胃の腑にずんと重く来るような重圧。
怖れと共に、俺の胸には期待と愉しみが訪れていた。
忍者との初めての手合わせ。果たしてどこまで俺と相手はやれるのか。
静寂が、辺りを支配する。
先に動いたのは、忍者の方であった。




