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【完結】侍は迷宮を歩く  作者: DRtanuki
第三部:シルベリア王国編
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第五十一話:闇と光の狭間

 地下三階に辿り着く。

 階段を降りた先の石畳三枚分くらいは見通せるが、その先は闇に包まれて何も見えない。

 迷宮には珍しく、壁には灯火ランプが掛けられている。

 そのほのかな橙色の灯りも、闇は呑み込んでしまう。


闇の領域(ダークゾーン)か」

「どこから進みます?」


 アーダルの問いに、俺は無言を返す。

 闇の領域は、視覚が全く役に立たない。

 サルヴィの迷宮においては、主に迷わせるための仕掛けの一つと言う使い方がされているようで、そこに魔物が現れる事は少ない。

 勿論、視覚を頼りにしない魔物なら襲い掛かって来るが。

 そのような魔物が配置されているのか。

 

 疑念は心に根を張って広がろうとしている。

 迂闊に進めば奇襲があるかもしれない。

 

 しかし、他に判断する材料は今の所存在しない。

 進まない、という選択肢が一番愚かだ。

 このまま座して死を待つなど、一番有り得ない。

 なればこそ、根を張った疑念を振り払い、かつ闇の中に踏み込んでいく蛮勇ただ一つが今の俺たちに必要なものだ。

 何が来ても恐れぬ覚悟のみを胸に抱いて進むしかない。

 殺意に敏感になり、変わる空気の流れと音を探り、その上で触覚にも気を配る。

 

「これより進む。闇の中では目は当てにならん。奇襲には細心の注意を払うんだ」

「わかりました」


 階段より先は前、左、右と通路が広がっている。

 意を決し、左側の通路へと踏み込んで闇の領域へと入る。

 人が作り出した灯りは全く役に立たない。

 俺の提燈ランタンも、アーダルが持っている松明も、火の光自体は発されているがそれが闇を晴らす事は決して出来ない。

 太陽の光なら闇を祓えるかもしれないが、地下の閉鎖的な空間の中には太陽光は入りようがない。

 すえた臭いが鼻につく。

 下層に潜っていくにつれ、空気はじっとりと湿り気を帯びて重くなっていくように感じる。

 空気が正しく循環している迷宮はあるのだろうかとふと脳裏によぎった。

 少なくとも、俺が潜って来た迷宮ではそのような迷宮には巡り合った事はない。


 どれだけ闇が続くかと思いきや、ふといつの間にか灯りに照らされた空間に出た。

 瞬間、鼻をつく甘ったるい独特の匂いが漂っている。


「何だ、この匂い……」


 油が差された灯火ランプのほのかな灯りの空間に出来るわずかな影から、ぬるりと何かが現れる。

 影は地面で人型を描いたかと思えば突如空間の中に立ち上がり、立体感を持ち始めた。

 やがて黒一色から徐々に人の輪郭が現れてくる。

 闇に溶け込む黒い装束は、まさにこの階層の番人にふさわしい。


「しいっ」


 暗殺者は俺たちの姿を見るなり、問答無用で刃物を投擲してきた。

 打刀で弾き、次いで一息に踏み込んで暗殺者に一太刀を叩き込む。

 しかし、暗殺者も大したもので袈裟斬りの一撃を脇差ほどの短刀で流し受けする。

 

「むっ」


 流石に手練れか。

 どうやら次の階層には教団の本部へとたどり着けそうな気がするな。

 それはともかく、暗殺者の目の輝きが尋常ではない。

 血の赤色に鈍く輝き、呼吸は荒く、正気かも定かではない。

 先ほどの甘ったるい匂いとの関連を考えれば、恐らくこいつは薬物か何かをやっているように思われる。

 

「けあっ!」


 暗殺者は高く跳躍し、縦に宙返りしながらその勢いを乗せて斬りかかって来る。


「ぬうっ」


 斬り込みを半歩右に踏み込み、ぎりぎりの皮一枚で刃を躱しながら暗殺者のくびを一刀両断する。

 地面に倒れ込む暗殺者。

 しかし暗殺者の首からは血は噴出しない。

 代わりに赤黒い霧のようなものが首から漏れ漂い、地面に広がっていく。

 

「実体じゃ、ない?」

「そのようだな」


 恐らく、サルヴィの迷宮地下三階にいるような守護者なのだろう。

 呪いでも掛けられているのかは知らぬが。

 その時、倒れた暗殺者の指がぴくりと動き出した。


「ひっ」


 アーダルは小さく悲鳴を上げる。

 首を落としても死なぬと来たか。

 暗殺者は落ちていた頭を拾い上げて首と接着すると、瞬く間に傷は治り接合した。

 虚ろだった目は光を取り戻し、再び赤い目をこちらに向けて笑みを浮かべる。


「何度殺しても、無駄だよ」

「なるほど。確かに一度殺した限りでは死なぬのだろう」


 ならば、動かなくなるまで斬るのみ。

 襲い掛かって来た暗殺者を、なます斬りにしてやった。

 これならば動けぬだろう。

 手足、胴体は細切れとなって地面に散らばっている。

 

「とはいえ、多分この状態からでも復活してくるだろう」

「そうなんですか!?」

「勘だが、こいつは不死者ではない。不死者であれば、古く高貴な死体(リッチ)でもない限りは刻まれれば二度と立ち上がれぬ。だが古く高貴な死体(リッチ)は復活するとはいえ基本的に死体の姿だ。生前の姿を保っていたのは亡国の女王しかおらぬ」


 あれほどの高度な術を使う者は、このような教団の人員に居るはずもない。


「じゃあ、どうすれば?」

「この場は、逃げる」


 俺とアーダルはともに闇の領域へと駆け込んでいった。

 闇の中ならば視覚が利かぬ故、そうそう相手も追いかけて捕まえては来れぬと思った。

 しかしだ。


「ひゃあっ!」


 アーダルの悲鳴。


「くそっ、もう復活したか!」


 引きずられていく音を頼りに追いかけて行く。

 闇から抜けて明るい場所に出ると、今にもアーダルの首筋に刃が突き立てられようとしていた。

 必死にアーダルも手斧で喉を防いではいるが、明らかに力負けしている。

 

「させんぞ人形め」


 暗殺者は俺に気づくや否や、あっさりとアーダルを手放してこちらに向いて構える。

 上段に構え、そのまま縦に一刀両断しようと振り下ろすが、暗殺者はそれを躱して踏み込んで来る。

 いや、躱しているのではない。

 肩口から確かに深く斬り込んだが、構わずに前に向かっているだけだ。


「何っ」

「お察しの通り、オレは本体じゃねえ。だから幾らでもこうやって踏み込める」


 短刀の刃が閃いた。

 俺の首に浅く刃が届き、鮮血が皮膚に流れる。

 あと一寸ほど深ければ俺の首から勢いよく血が噴出していた事だろう。


「惜しい、あともう少しでお前をれたのにな」

「……その刃、毒は塗っていないのか」

「オレは毒は嫌いなんだよ。あんなのは殺しの腕が無い奴が使う物だ。暗殺ってのはな、必ずこの手で、この刃で殺さなきゃいけねえんだ。血を流させなきゃ、恐怖は与えられねえからな」


 暗殺者の信条など理解するつもりはないが、これは厄介だ。

 命があり生きているものならば、無意識のうちに自分の体の安全を考える。

 戦いの中では即ち回避であり、命を守る行動だ。

 だがこいつにはそのような考えはない。

 常に捨て身で挑みかかり、確実に命を奪う手段をとってくる。

 

 じりじりとお互いに身構えている。

 その時、突如暗殺者の首が斬られ転げ落ちた。


「何っ」


 暗殺者が驚き呆けた瞬間、俺は瞬間的に斬撃を何度も叩き込み、何度目かの細切れにする。

 暗殺者の背後にはアーダルが立っていた。

 手斧を構え、息を荒くしている。


「僕を、舐めるなよ」

「これは驚いた。盗賊という奴らは、てっきり敵を前にして腰が引けて隠れているものだと思っていたからなぁ」

「ひとまず、遠くまで逃れるぞアーダル」

「は、はい」


 駆け足でその場から離れ、俺たちは闇と光の狭間を駆け抜けていく。


 どこまでどう走ったかはわからぬが、ようやく奴を振り切れたようだ。

 現在地を確認するために地図を広げる。

 

「だいぶこの階層の地図、埋まりましたね」

「と言うよりも、全てだな」

「あ、本当だ。でも階段、ありましたか?」

「いや、見かけていない」

「どこにあるんだろう」


 と、なれば隠されているのであろう。

 

「壁や床を探してみるしかなさそうですね」


 アーダルはしゃがみ込み、壁や床を探り始める。

 ほんのちょっとした凹凸でも何かのボタンではないかと注意深く調べていく。

 もちろん、この迷宮自体が暗殺者になる為の試練であるからか、大体がただの罠であることが多い。

 槍が飛び出してくるのは定番で、あるいは毒霧が噴出したり、あるいは骸骨の頭が収められて笑いかけてきたりと、種類は豊富だ。

 歩いては調べ、調べては歩いてを繰り返している。

 だが、見つからない。


「地図では全ての区画を探ったんですが、見つからないですね」

「ううむ、他に何かないのか」


 考えあぐねていた俺たち。

 その時、またも甘ったるい匂いが漂い始めた。

 暗殺者の気配だ。

 闇から現れた暗殺者は、その黒い口布の為によく表情はわからないが、ひときわ殺意を俺たちに向けている。

 

「お前たちは試験者ではないという情報が入った。侵入者は無惨に殺す」

「試験者であろうとも殺すのだろう。地下二階で盗賊の若者が無惨に焼け死ぬのを見ていたぞ。暗殺者の試験とやらは随分と無慈悲なものだな」

「ぬかせ!」


 暗殺者は今度は両手に短刀を構え、圧倒的な手数で斬りかかって来る。

 毒を使っていない為か、あるいは急所を知り尽くしている故か、暗殺者の攻撃はどの一撃も正確無比に急所を狙ってくる。

 肝臓、心臓、肺、喉、太腿。

 どこも斬られれば命に関わる部位。

 なればこそ、弾くのもまた容易くもある。

 右腕の短刀が肝臓を狙いに突きかかって来たところを斬り上げて短刀を弾く。

 残った左腕の短刀は喉を狙うが、それは逆に踏み込んで間合いを詰めて躱し、密着する。

 斬り合いから殴り合いの距離へ。

 密着して即座に肘を暗殺者の顔に打つ。

 覚悟をしていない咄嗟の衝撃と痛みには怯みを見せ、仰け反って距離が離れる。

 そこを俺は一息に左腕を斬って落とす。


「まだだ!」


 暗殺者は懐から投擲用の短刀を取り出し、投げつけてくる。

 仰け反って躱すと、短刀は天井に突き刺さった。

 その瞬間、暗殺者があっと息が呑む。

 その隙を見逃す俺ではない。

 直ちに首を落とし、残った四肢も落として即座に復活できないようにする。


「アーダル、ここの天井を探ってくれないか」

「え、何故です?」

「この暗殺者が、天井に短刀が刺さった瞬間に少しだけ目を見開いた。何かあるのかもしれない」

「わかりました……というか、短刀のせいか天井がちょっと崩れて何かあるのが見えますね、これ」


 アーダルは壁のくぼみに足を掛けながら上手に天井まで腕を伸ばして探っていく。

 すると、天井が横滑りして動き、そこから階段が降りて来たのだ。


「こんな所に階段があったなんて……」

「よもや、天井を調べねば次の階層に行けないとはな。盲点だった」


 普段のサルヴィの迷宮探索においては、天井を調べる事はしてこなかった。

 上を探った所で上層に戻るだけというのは常識で、大概何もないというのが当たり前だったからだ。

 サルヴィの迷宮の天井は人間三人分くらいの高さにある。

 階層によってはそれ以上あり、そもそも天井を調べるのが無理だった。

 これに気づけなければ、延々と床や壁を何度も探っていただろう。


 暗殺者が復活しないうちに、階段を昇る。

 昇った先に見えるのは、真っすぐな一本道の通路。

 延々と続く一本道を進んでいくと、一人の男が佇んでいた。

 見るからに貧弱な老人で、まとっているボロ布からは枯れた腕が露出している。

 老人は隙間風のような声を上げた。


「オレの精神体を何度も倒しきる胆力と腕前には驚いた。見事なものだ」

「精神体だと?」

「左様。今となってはオレはただの老人だが、かつてはあのような姿だった。精神を練り上げ現世に実体としてもたらす術を会得し、また教団に貢献できると思ったが……」

「なるほど。それでお主は、俺たちの行く手をまだ阻むつもりか」


 枯れ枝の男は、低く笑う。


「馬鹿を言うな。全盛期のオレをあれだけ何度も斬り捨てる相手を前に、このような老人が殺せるものかよ」

「ならば懐の短刀は捨てよ」

「やはり、見逃さぬか」


 男は短刀を捨て、道を譲った。

 俺たちはその横を通る。

 すれ違いざまの事だった。


「しゃあっ」


 男は何かの液体に濡れた手を、俺の目に振り上げようとしていた。

 しかし既に、アーダルに腕を掴まれて目論見は外れる。


「貴方、毒は使わないんじゃなかったのでは?」

「老人になって体も衰えたら、殺し方にこだわってなんかいられねえよ。嫌いだろうとも使わなきゃやってられねえ」

「暗殺者としての気概が未だにあるのは素晴らしいと思いますが、僕に掴まれて振りほどけないのでは、もう引退した方が良いですよ」

「この糞餓鬼が! 貴様に俺の何がわかる!」

「貴方の一切合切何もかも全てわかりませんが、折角その歳まで生き延びたんです。せめて残りの人生を安らかに過ごせばいいのに」

 

 アーダルは老人の濡れてしわがれた手を見つめる。

 老人は自嘲気味に笑い、壁に寄りかかってへたりこんだ。


「オレは教団に尽くして来た。それ以外には何も無い。今更オレから仕事を取り上げられたら、生きる甲斐なんて何も無い」

「アーダル。そこまでにしておけ。仕事が生き甲斐と言うのなら好きにさせてやればいい」

「……はい」

「ただし、次にまた襲い掛かる素振りを見せたら、例え老人でも容赦なく斬る」


 男は俺の返答に無言で頷き、闇の中に消えていった。

 歩いてしばらくした後、かすかに遠くからうめき声が聞こえた。


 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。


 

 

 さて、通路を進んでいくと行き止まり。

 だがここまで来て只の行き止まりの訳が無く、床を調べてみれば螺旋階段が姿を現した。

 今までの石の階段とは異なり、鉄製の階段だ。

 それは最初の入り口のように、延々と下へ延びている。

 俺たちは無言で階段を下り始めた。


 地下の地下。

 その先に潜むモグラどもは果たして一体誰なのか。

 いよいよその顔が拝めるはずだ。

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