第五十話:埋め込まれた悪意
階段を降りていく。
俺の草履とアーダルが履いている革靴の立てる音しか、辺りには音が無い。
降りていく間、俺たちは無言だった。
何が待ち受けているのかを色々と考えていたが、思考をそれに振り向けるのは無駄だと思い考えるのを止めた。
予想出来るものであれば、想定しておくのは悪い事ではないが、今は何が出るのか全くわからない。
鬼が出るか蛇が出るか。
出会った物を見てから今は判断するしかない。
迷いが一番敵だ。迷いは判断を鈍らせ、行動を更に遅らせる。
人間は考えてしまう生き物だ。
脳が発達し、先の事を見通せる思考力を持ったからこそ、今まで生き永らえてきたのだが、とっさの判断においては獣よりも鈍い。
戦いの時には一瞬の判断が全てを決する。
勝利者か、それとも敗北者か。
生き延びるか、それとも死ぬか。
迷いを捨てよ、と師から幾度となく教えられた。
侍として生きてきてもなお、迷いを捨てる事は中々出来ない。
口で言っても、心がけても、迷いは心の中にいつの間にか根を張って現れる。
迷いを捨て、悟りの境地に至る道は未だ遠い。
そんな事を考えていると、階段の終わりが見えた。
ようやく地下二階に辿り着いたのだ。
「一階と比べたら、大雑把な部屋の造りですね」
「というかもはや、これはただの大部屋だな」
相変わらず暗くて遠くまでは見通せないが、この部屋は通路も何も無い。
小部屋もなく、障害物らしきものもなく、見渡す限り空間ばかりが広がっている。
地面は石畳ではなく土。
今まで踏破してきた迷宮とは少し趣が異なるな。
「逆に怪しいですよね、この地面」
「ああ。すこぶる臭うな」
単純な部屋を見て、子供のように喜ぶほど俺たちも間抜けではない。
絶対に何かが仕掛けられている。
それが何であるか、予想が付くまでは動かない方が良いだろう。
階段の前で二人でああでもない、こうでもないと言い合っていると、足音が聞こえた。
瞬間、俺たちは身構える。
一階に通じる階段から降りて来たのは、まだ若い男の盗賊だった。
「あれ、他にも居たのか。こんな所にどうして留まっている?」
「色々あってな」
「負傷か? まあ他人がどうだろうと他人を助けるほど、俺も余裕はない。しかし一階の守護者がいつの間にか倒れていたのはラッキーだった。やったのはあんたらか? そっちの同業者はともかく、サムライのアンタは強そうだもんな」
アーダルがむっと顔をしかめる。
「しかしサムライが暗殺者目指そうだなんて、アンタ何考えてんだ?」
「俺の事情などどうでもいいだろう。ここではお互いに試験を通るのが目的ではないのか」
それに、この男は少々喋りすぎる。
五月蠅い奴は好みではない。
気圧されたのか、盗賊の男は慌てて繕う。
「そ、そうだな。ひとまず俺は先に行くぜ。お互いに受かると良いよな」
そんな事を言って、大空間の先へ消えたかのように思った。
遠くまで行って見えなくなる境目の辺りまでたどり着いた時、それは起きた。
「なんだ?」
男が踏んだ地面に魔法陣の紋様が現れ、次いで足下から青い炎が巻き上がる。
「助け……!!」
叫び声を上げる間もなく、男は業火に包まれて消えた。
業火は一瞬で立ち上り、人が立っていたという証拠すら残さずにその場所を焼き尽くし、辺りには人間が焼けた臭いだけが漂っている。
なるほど、こういう仕掛けか。
実にえげつない。
高温の炎で骨すらも残さないから、死体も見当たらないわけだ。
魔物や暗殺者が見当たらないのも、下手に踏んで死にたくないからだ。
暗殺者になろうとする連中は大概身寄りがなく、しがらみもない奴が多い。
それでも跡形もなく、墓に納められない死に方をするのは浮かばれない。
隣ではアーダルが青ざめている。
「正しい道を選べなければ、チリすら残せずに死ぬってわけですか……」
「この広さを見る限りは、罠は敷き詰められていると考えるべきだろうな」
「地面を逐一調査していけば罠は見つけられると思いますが……一日二日ではとても無理ですね」
そして、悠長に時間を掛けている暇などありはしない。
「罠はその領域に入るか、踏んだ瞬間に作動するかのどちらかだ」
霊気を練り、打刀に霊気の白い光を宿らせる。
「何をするんです?」
「まあ見てろ」
霊気を巡らせた刀を下段に構え、一つ呼吸を置く。
刀を地面すれすれから上へと一刀に斬り上げる。
剣先から衝撃波が生まれ、地面を疾走する。
「この技は……」
アーダルが息を呑んだ。
「竜人の騎士が使っていた技だ。自分なりの技名を付けるとすれば、地走りとでも名付けようか」
大気中に空気の刃を飛ばすのも、地面の中を走る衝撃波を飛ばすのも、コツは異なるが大体の原理は同じだ。
竜人の騎士も闘気を練り上げて衝撃波を作っていた。
彼に出来るならば俺に出来ぬ道理はない。
衝撃波は地面を走り抜ける。
通り抜け、罠が埋め込まれている場所からは次々と罠が作動し始める。
炎柱が間を開けて立ち上るかと思えば、次々と炎の柱が連続して立ち上る場所もあり、如何に広いと言えど大部屋の温度は徐々に高まって来る。
むわりとした熱気が辺りを覆う。
そして罠が作動した後に、同じ方向にもう一度地走りを飛ばすと、今度は作動せずにそのまま衝撃波は彼方へと走り去り、壁にぶつかる衝撃音を残して消えた。
「どうやら罠は二度は作動しないようになっているらしい」
想像するに、巻物が埋め込まれているのだろう。
魔法陣を地面にそのまま描いてはそこに罠がある事が一目瞭然だ。
巻物に魔法陣を描き、そこに読み込むのではなく生物の存在を感知する事によって作動させる術式を追加して埋め込んで罠として成しているのであろう。
巻物は一度きりしか使えないが、誰でも使える。
罠として応用を思いついた者には感心すら覚えてしまう。
「これで行く先に危険は無くなった。行こう」
「はい」
こうなってしまえば、罠の大部屋も何も気にせずに歩ける只の大部屋に過ぎない。
適宜、地走りを使いつつ罠を動作させ、歩いていく。
そうして次の階に降りる階段が見えて来た。
勿論、守護者が階段の手前に立っている。
今度の守護者もまた人間にあらず。
俺たちを見下ろす程に巨大で、体は石で出来ている。
荒い作りながらも人間を模して造られている。
その巨体を質量で圧し潰されたら、地面には血の染みしか残らないだろう。
「石の巨人か」
「また僕の手に負えない敵だ」
「気に病む必要はないぞ、アーダル」
「でも、僕はこのダンジョンに入ってからあまり活躍できてないです……」
「向き不向きがある。こいつは、俺向きだ」
石の巨人を斬るなど、アーダルにはまだ無理だ。
技量、腕力、武器、全てが向いていない。
なればこそ、俺の出番だ。
石の巨人は俺たちが近づいてくるのを察知し、唸り声を上げた。
明らかな威嚇であろうが、だからといって俺たちは引き下がる理由はない。
威嚇にも怯まない様子を見て、いよいよ石の巨人は唸り声から叫び声に転じ、巨大な腕を振り上げる。
巨人系の敵全てに言えることだが、奴らは巨体が売りである代わりに素早さが犠牲になっている事が多い。
大きい体を動かす分に力を回しているせいなのだろうか。
小さい方が体そのものの質量も少なく済み、その分を速度に振り分ける事が出来ているのだろうか。
疑問はさておき、石の巨人の動きは輪をかけて鈍い。
振り上げてから振り下ろすまでに三拍くらいの間があった。
地面に叩きつけられる拳を避ける。
土の地面からはもうもうと土埃が舞い上がり、衝撃が地面から壁へと伝わり、轟音が辺りへ鳴り響く。
俺は振り下ろした腕を伝い、石の巨人の肩に登る。
「溌!」
野太刀を振るい、首を落とした。
これにて一件落着、かと思いきや。
「ミフネさん、まだです!」
アーダルの叫びで気づく。
石の巨人は俺を振り落とそうと、地面に倒れ込む姿勢を取った。
もちろん俺は先に着地し、石の巨人がひとりでに倒れる形になる。
「他に弱点を探さないと駄目です!」
全く、これだから生き物以外の魔物は嫌いなんだ。
弱点が何処にあるかわかったものではない。
生き物ならおおよそ首を落とせば済む話なのに、魔法生物や人造物は作動する核の部分を破壊しなければ動きを止めない。
石の巨人の核は何処にあるのか。
人になぞらえた像であるならば、頭以外にあると予想出来るのは一か所しかない。
霊気を巡らせ、特に足に力を入れる。
跳躍し、野太刀を振り上げ、背筋と背骨を全力で反り、軋ませる。
「奮、破!」
兜割だ。
落下の勢いと体のバネを利用した一太刀は、石の巨人の体ですらも断ち切る。
胴体を真っ二つに落とせば、心臓にあたる部分に核があれば一緒に斬っているはずだ。
これで動けないだろう、と思いきや。
「まだ動きます!!」
いい加減しぶといぞ!
何処が動くってんだと思って見てみると、真っ二つにされた体がお互いにくっ付こうともがいている。
しかも下半身は既に接合を果たしているではないか。
核は何処にある?
剣戟を闇雲に叩き込んでいると、アーダルが何かに気づいたようだ。
「なんか、肩を守ってませんか」
言われ、改めて石の巨人を見ていると左手で右肩を守っているではないか。
「そこか!」
寝そべっている石の巨人の右肩を、野太刀の一撃を叩きつけて守っている手ごと叩き割る。
肩が割れ、中から核らしき小さな人型をした何かが零れ落ちた。
それを刀で突くと、石の巨人は落とした頭から叫び声を上げた。
核を破壊したことで、身体が関節部から次々と崩れ落ちていく。
魔力で繋ぎ留められていたのだろう、力が失せて最終的には石の巨人はただの石の山に姿を変えていた。
もう叫び声を上げる事も、暴れる事もない。
「……妙に疲れた」
弱点がわからん敵ほど厄介な奴は居ない。
次から人造人形系の敵の弱点は、注意深く探る事にしよう。
「しかしアーダル、よく見つけてくれたな」
「あ、いや、それほどでも」
「決してお前は役立たずなんかじゃない。必要な仲間だよ」
俺がそう言うと、何だか照れたように体をもじもじとさせていた。
先に進む障害は除かれ、次の階への道も開かれた。
地下三階へと、俺たちは足を踏み入れる。




