外伝十二話:地獄に仏
夜風が冷たくて気持ちいい。
ようやく戦いの疲れも抜けて来た。
肉体的にというよりも、精神的に疲れたように思う。
オーガ以上に強い相手との戦いは、予想以上に僕の精神を削っていた。
皆は大丈夫だろうか。
前衛三人組はそれぞれ違う場所に吹き飛ばされた。
まずはイサームの所へと向かう。
イサームはオアシスの岸辺に倒れていたが、今しがた頭を振って起きだした。
「大丈夫?」
「大丈夫とは言い難いな。肋骨の何本かが折れてる」
呼吸するのも辛そうに、右のあばら骨を押さえている。
しかし骨を折った以上に、イサームの顔は青ざめていた。
「何も見えなかった」
「え?」
「ヴァンパイアの攻撃、アーダルは見えたか?」
「回転しているのは分かったけど、何を喰らわせたかまでは確認できなかったよ」
「俺はそれすらもわからなかった。目の前に現れたかと思ったら、いつの間にか泉の前に転がされていた。あんな化け物が、迷宮下層にはたくさんうろついているのか」
ヴァンパイアが何をしたのか僕が分かったのは、イサーム達より距離があったからだと思うんだけどな。
「とりあえず、安静にしてて」
「ああ」
ひとまず、命に別状は無さそうだ。
次はユリウス、と思って振り返ると、既に彼はこちらまで来ていた。
「ユリウス、無事だったんだね」
「いや、まったく無事と言うわけではないよ」
笑ってはいるものの、ユリウスも怪我を負っていた。
左腕に力が全く入らずにだらんとしている。
左腕に装着していた金属盾も歪んで使い物にならなくなっている。
ため息を吐いて盾を捨てる。
「咄嗟に盾で受けたんだけど、それでもこの様だよ。全くヴァンパイアってのは厄介だ」
「ユリウスはヴァンパイアの攻撃は見えた?」
「少しはね」
これは驚いた。
ユリウスにも戦士としての素質がまるでなかったわけじゃない。
何をしてくるのか見える目、と言うのは誰しもが持っているわけじゃないのだ。
「痛いからちょっと座ってるよ」
ユリウスはイサームと同じように岸辺にしゃがみ込み、休む。
それから少し経ったが、ルロフは戻ってこない。
嫌な予感がする。
「三人でちょっと様子を見に行こう」
ルロフが激突した岩の所まで行ってみる。
「これは、ひどいな」
ユリウスが呻いた。
岩に激突しながらも、ルロフはまだ息をしていた。
本当に頑丈だ。
でも、背骨を折っているみたいで、体を動かす事もままならない。
テントを利用して作った急ごしらえの担架でオアシスの岸辺に移動させたものの、砂漠の過酷な環境の中、移動するのは無理だろう。
イヴェッテはどうかと言うと、彼女も瀕死だった。
ヴァンパイアに血を吸われて生きているのは奇蹟だった。でもヴァンパイアの吸血行為には不死者の呪いが付与されているのか、彼女はかろうじて息をしているに過ぎない。
彼女もまた、動けるような状況ではなかった。
リースヴェルトは魔力を失っただけで、休憩をすればそのうち回復するだろう。
実際、彼女は自力でここまで歩いて戻って来た。
「それで、どうしようか」
夜明け前だが、すでに地平線の向こうは明るくなり始めている。
日が昇ったら、容赦なく灼熱の太陽が照り付けるだろう。
その前にどうすべきか決める必要があった。
「リースヴェルト、君はテレポートを覚えていないか?」
「イサーム、冗談はよしてよ。あんな高度な魔術、私が習得してるはずないでしょ」
亡国の女王が僕の目の前で何度も使っていたものだからわからなかったけど、テレポートってそんなに高度な魔術なんだ。
「誰かが歩いてサルヴィまで戻るしかないだろう」
ユリウスがつぶやく。しかし、誰もが頭の中に疑問を浮かべた事だろう。
誰が街までの方角を把握しているのか。
僕たちはキャラバンについていっただけで、砂漠での針路の把握の仕方は全く知らない。
護衛のつもりだったし、戻る時もついていけばいいと思っていた。
冒険者には何が起こるかわからない。
備えよ、それがただ一つの身を守る術だ。
冒険者ギルドの人に幾度となく言われていた事なのに、今更身に沁みる思いがする。
誰が騙されて砂漠の中で襲われるなんて想像する?
いや、騙されないにしても砂漠の中で遅れて仲間の姿が見えなくなったりする可能性だってある。
その為にも自分で方角を把握し、砂漠を歩く術を覚えておくべきだったのだ。
「誰が行く?」
「言っておくが、俺とユリウスは無理だ。歩くのはともかく、魔物と遭遇した日には逃げられずに死ぬしかない」
「じゃあ私が行くよ」
「リースもダメだ。君はついてくるのがやっとだっただろう。行き倒れになりかねない」
「となれば、僕が行くしかないね」
この中では一番、体力も残っていて魔物と遭遇しても対処できる可能性がある。
「アーダル。君が行くとしてもやはり危険だ。僕が提案しておいてなんだが、やはりここで誰かが通りがかるのを待つべきかもしれない」
「ユリウス、いつ誰が通りがかるかなんて全く保証がないだろう。水はともかく、食料が尽きてしまったら終わりだよ」
僕らがこうやって話し合いを続けている間にも、太陽は徐々に顔を覗かせつつある。
気温が上昇していくのを肌で感じる。
汗が噴き出し、時々泉で水を飲まないととてもじゃないがやってられない。
答えが出ないまま、夜明けが訪れようとしていた。
「僕は行くよ」
座して待つくらいなら、僕は動く事を選びたい。
野盗が持っていた水筒を出来る限り持って水をつめこみ、食料を持って立ち上がった。
その時、地平線の向こうから人影が見えた気がした。
ただの幻だ、そう思って僕は行こうとしたのに足が動かない。
そのシルエットには見覚えがあったから。
長く艶のある黒髪を無造作に後ろにまとめた頭。
サルヴィの街の人々と比べたら、彫りの深くない顔立ち。
背丈もそれほど高くない。
砂漠を歩くとあって軽装だけども、こちらの鎧とは異なる、東国の鎧。
そして腰に差している刀に、背負っているもっと大きな刀。
その人の姿を見た時、僕の目からは自然と涙があふれていた。
「ミフネさん!」
叫んで、自然とミフネさんの下へと駆け出していた。
「アーダルじゃないか。どうしてこんな砂漠の真っただ中に? それと、この死体の山と生きている人々は一体どうしたんだ?」
「詳しくは仲間と一緒に説明します」
* * *
「全く、いくら何でも自分で砂漠を歩く術を身に着けてないのは自殺行為だぞ」
ミフネさんに現状の説明をしたら、やっぱり怒られた。
「最低限、方角を把握する道具を持つか、知識を覚えてからこういう仕事は受けるべきなんだ」
「ミフネさんはどうして砂漠に来ていたんですか?」
「ちょうど懇意にしてる商人が隣街に居るっていう連絡があったから、品物を見に行ったんだ」
「なるほど。どうやってミフネさんは砂漠の方角を確認してるんです?」
「星だよ。北に浮かぶ星は、何時、どんな時であっても動かない。だからそれを見て方角を把握する。それと、砂漠であれば砂丘がいくつもあるだろう」
「ありますが、それが何か?」
「あれが何処にあるか、どれくらいの高さかを覚えておくんだ。そうすれば今どのあたりに居るのかが大体わかる」
それでわかるなんて砂漠の民じゃないと無理なのでは。
と思ったが、注意深く歩いてみればわかるのかもしれない。
「でもミフネさん、妖精の地図っていうの持ってますよね。超便利なレジェンド級の奴」
「この地図があれば楽だ、と言いたいのか」
僕は不満を示すようにあからさまに口をとがらせると、ミフネさんは道具袋からそれを取り出して笑った。
「残念だが、この地図は迷宮や洞窟、建物といった閉鎖空間しか記録してくれないんだよ。こういう外の場所は、全く白紙のままなんだ。それでも、素晴らしく役に立つがな」
「そうなんですか」
「方角を把握する道具なら、魔素を感知して方角を示すものもあるだろう」
「あれは高すぎて僕らには手が出せませんよ」
そうだったな、とミフネさんは笑った。
「それで、助けが欲しいんだな」
「はい」
「わかった。それなら俺がサルヴィまで戻って然るべき人材を手配しよう。勿論、それなりの額は頂くが、構わんな?」
「借金してでも払いますよ。だから、お願いします」
僕が頭を下げると、ミフネさんは額をかいてなんだか眉根を寄せていた。
「そんな態度取らないでくれよ。困っている人を助けないのは、侍としての矜持にもとるからな。それに、アーダル。お主は仲間じゃないか」
仲間じゃないか。
その言葉は、今一番僕の胸に響いていた。
「安心して待っていてくれ」
そう言って立ち上がり、ミフネさんはサルヴィの街があるであろう方角へと姿を消した。
「……なあ、あの人は本当に信用できるんだよな」
姿が見えなくなったのを確認してから、ユリウスはつぶやいた。
「疑い深いな。一緒に迷宮に潜って、死線を潜り抜けた仲なんだよ。少しはあの人を信用してもいいだろう」
「わかってはいるが、どうしても不安なんだよ。前払いでお金を渡す事もないだろうに。それで逃げられたらどうするんだ」
「ミフネさんはそんな事をする人じゃない。あの人は何よりも信用を大事にするんだ。それ以上、侮辱するなら僕が許さない」
ユリウスの喉に、僕はハンドアクスを突きつける。
「わ、わかったよ。疑って悪かった」
僕の勢いに、ユリウスは尻込みした。
あの人は決して、人を見捨てるような性分じゃない。
短いとはいえ、一緒に過ごして来たんだから僕がこの中では一番知っているんだ。
第一、それなら未だに寺院で蘇生を待っている人をとうの昔に見捨てているはずだ。
……その人の事を考えるだけで、なぜか僕の胸はちくりと痛んだ。
そうだよ。僕だってあの人の仲間なんだ。
やがて、灼熱の砂漠の時間を迎える頃合いに、唐突に助けが現れる。
「やあ。君たちがオアシスで立ち往生している冒険者たちかい」
「うわっ!」
オアシスの岸辺にテレポートで現れたのは、砂漠には似合わない黒ずくめのローブを着た魔術師と、仏頂面をして白の法衣に身を包んだ僧侶だった。
「何者だ!」
「おっと、戦闘態勢は取らないでくれよ。君達を助けに来たんだ。サムライに頼まれてね」
「ミフネさんに?」
「そうだ。動けない重傷者は何処にいる?」
「そこのテントに寝かせています」
魔術師と僧侶はテントに向かい、ルロフとイヴェッテの様子を見ている。
「これは酷い怪我だね。何もしなければ、どちらも数日中には死ぬよ」
「我が奇蹟でも、こちらの女は手に負えぬ呪いが掛かっている」
やはりイヴェッテの呪いは、寺院に行かなければ解けないようだ。
ルロフの怪我にしても、僧侶が持っている奇蹟の力を全て行使しないと治せないらしい。
「そういうわけで、ワタシが責任を持ってこの重傷者二人を送り届けよう」
「全員を転移させられないのか?」
イサームが尋ねると、魔術師は首を振って力なく笑った。
「残念ながら、今のワタシではこれが限界だ」
風が吹いてローブがめくれ上がった。
その下から見えた右腕と右足は、木で出来ていた。
「……もしかして、貴方はカイムスさんですか」
リースヴェルトが尋ねると、彼は頷いた。
「冒険者を引退して久しい身だというのに、よく覚えていたね」
「黒ずくめのカイムスと言えば、魔術師界隈では名が通っていましたから」
「それは嬉しいね」
先ほどの笑顔と違い、今度は心から笑ったように見えた。
「体が万全であれば、全員帰す事も不可能ではなかったよ。でも、今の体では魔力の巡りが良くないんだ。集中力も落ちてしまった。テレポートのような高度な魔術は集中を乱せば失敗に繋がりかねない。だから、連れ帰れるのはワタシ含めて四人までなんだよ」
そうすると、必然的にルロフとイヴェッテしか連れて帰れない事になる。
「じゃあ、僕たちはどうすれば?」
「その為に拙者が居る」
僧侶は、怪我をしている二人に向かって奇蹟を唱える。
「ミディアムヒール」
柔らかな光がユリウスとイサームの怪我をした場所を包み込む。
「すげえ。もう痛みも何も感じない」
「腕も動かせる。治ったのか、これは」
僧侶は頷き、懐に手を入れると僕に何かを投げた。
「方位魔石だ。これはサルヴィの方向を常に指し示すように調整してある。健康な者はサルヴィまで歩いて帰れ。幸い、水筒や食料は十分あるんだろう」
そう言う事か。
テレポートで帰れない事がわかっていた以上、薄々は予感していたのだけども。
「結局、砂漠を歩いて帰るの? 嫌よ私は」
リースヴェルトが難色を示した。まあ彼女は体力もないし、不平を言うのはわかるよ。
「迎えに来ても良いが、ワタシがテレポートを使用できる回数は一日二回までだ。明日になってもいいならそうするが、当然費用も上積みになるぞ」
その一言に、流石のリースヴェルトも黙り込んでしまった。
テレポートを利用して書簡や荷物を届けたりする仕事をしている魔術師は、少ないながら存在するが、彼らの誰もが高額な依頼料を取る。
もちろん、その利便性と速さに見合うだけの価値はあるのだが、一介の冒険者が支払うにはかなりきつい額だ。まして、普通の冒険者は使う理由があまりない。
ミフネさんが結構お金がかかるぞ、と言っていたのはこういう訳だったのか。
おかげで今回の依頼料が全部パーになってしまった。
「君達も無事で帰って来る事を祈るよ」
カイムスさんともう一人の僧侶と共に、ルロフとイヴェッテはテレポートで帰還した。
「じゃあ、僕たちもそろそろ出発しようか」
残っている誰もがのろのろと立ち上がる。
暑い所をこれ以上歩くのは辛いのはわかるし、僕もそうだ。
でも、これで街まで帰る道筋が出来て僕は気分が軽かった。
借りた方位魔石は、赤く塗られた針が確かにサルヴィの方角を示していた。




