外伝八話:おいしい酒、おいしい話
迷宮探索を無事に終えて地上に上がって来た時には、もう既に日は傾き始めていた。
生きて太陽を拝む事が出来るのが、何よりもありがたい。
皆、喜びよりも安堵の思いが強かったのか、ほうとため息を吐いている。
オーガと出会う想定外の出来事があってよく生き延びられた。
オーガが手負いでなかったらどうなっていただろう。
何人かは死んでいたかもしれない。
だから、皆が生きていてくれたのは本当に神に感謝するしかない。
「よし、酒場に行こう」
イサームの号令と共に、僕らは気分よく冒険者ギルド一階に併設されている酒場に向かう。
冒険者ギルドの酒場は、いつも呑んだくれてる冒険者がたむろしている。
理由はギルド自体が二十四時間いつでも開いているからで、それに酒場も合わせているのだ。
ギルドの依頼受付と達成報告はどの時間であろうとも行われなければならない、という規則がサルヴィのギルドではあるらしく、誰かしら職員は居るようになっている。
酒場は食事処も兼ねており、夜の依頼を終えて腹を空かせて帰って来た冒険者が食べる場所といえば大抵ここしかない。
冒険者のため、それが理由だった。
でも今となってはそんな立派な目的も忘れ去られているような気がする。
僕は呑んだくれが嫌いだ。
父が家に戻っていた時のだらしない姿を思い出してしまうからだけど、呑みすぎて騒ぎすぎたり、周囲に喧嘩を売りはじめたり、吐いて回りを汚すのも嫌でたまらなかった。
酒は飲んでも飲まれるな、って格言あるけどもだったらそもそも酒を飲むなって話だ。
僕は酒に弱いのか、飲んだら眠気に襲われてしまう。
でも、仲間とわいわいやって仲を深めるにはこれが一番だったりする。
僕らも今日は酔っ払いの仲間入りをしよう。
「乾杯!」
黄金に輝くエールが注がれた、木製のタル型グラスをがっちりぶつけあう。
僕はお酒に弱い事をあらかじめ言っていたので、中身は果実を搾ったジュースにしてもらった。
料理も運ばれてきて、皆は思い思いに食べては飲んでを繰り返している。
一番お酒の消費が速いのはリースヴェルトだ。
顔色が変わる事なく次々とグラスに注がれるお酒を飲み干していく。
これが酒豪というものか。
その次に飲んでいるのはルロフとイヴェッテだ。
修道院ではお酒の醸造を行っている所もあるらしく、そこで醸造されたお酒を時々口にしているのか、体がお酒に慣れているという。
「ふむ。初めてこの酒場のお酒を飲みましたが、中々良い味ですな」
「どこで作られたお酒なんだろ。興味あるね」
対して、戦士二人組はどっちもお酒に飲まれている。
イサームは酔っ払ってもテンションがより上がる程度だけど、ユリウスは愚痴が止まらない止まらない。
「だから僕はさ、オーガと戦うなんて本当は嫌だったんだよ。逃げ出したかったけどアーダルが前に立ってる手前、戦士の僕が逃げ出したら恥さらしもいいとこじゃないか」
「でもユリウス。オーガの事調べてたなんてすごいじゃないか。僕なんかそこまで調べてなかったよ」
「自分で言うのもなんだけど、僕は用心深いからね。可能性が万が一にでもあるなら、調べておくに越した事はないと思ったんだ」
「可能性? 何の?」
「魔物が階層を超えてくるのは結構ある事なんだとさ。縄張りを追われたり、あるいは階層で大きな変動があって自分の棲み処を失ったりした魔物が上に来たりするんだってさ。今回のオーガはちょっと違うと思うけどね」
僕はイサームと違って腕はそれほどないからな、こういう風にしなきゃ生き残れないと思ったんだ、とユリウスは酒を飲む。
確かにユリウスは戦士としては平凡な体格で、剣の腕もそこまでではない。
イサームのような向こう見ずな勇敢さもない。
だからこそ別の何かを、というわけで知識をなるだけ詰め込もうとしているのだろう。
それにしても用心が過ぎる。
石橋を叩いて渡らないどころか自分から鉄橋に作り替える勢いだ。
「それで、次はどの辺りを探索する?」
広げていた迷宮の地図未完成版を指さしながら、イサームが言う。
「今日探索した範囲は、左下の部分と中央と、ダークゾーンまでだ」
「じゃあこの、下に行く階段の途中にあった扉の先とかいいんじゃない?」
「いやいや、中央からそのまま真っすぐ行く方の道でしょう」
「私は何処でもいいけどね、魔物と戦えれば」
思い思いの意見を口にしている。
そうそう、仲間ってこういうものだよな。
最初に組んだパーティの皆とは、緊張もあってあんまり話ができなかった。
そこが追い剥ぎに付け込まれるスキを生んだのかもしれない。
僕だけが死なずに生き残ったのは、本当に運が良かっただけだ。
「……やっぱり僕も、ちょっとお酒飲もうかな」
「おや、大丈夫なのですか? アーダル殿はお酒がそれほど得意ではないと聞いてますが」
「大丈夫だって。すぐに酔っぱらう訳じゃないよ」
店員にエールを頼み、僕も遅まきながら皆と乾杯をする。
エールは苦い飲み物だって聞いていたけど、思ったほどじゃないな。
むしろ炭酸の爽やかさが喉を通り越してスカっとさせてくれる。
何より、キンキンに冷えてるじゃないか。
魔術で冷たい倉庫みたいな空間でもこの酒場は用意しているのだろうか。
それとも出す前にお酒を冷やしているのか。
どちらにしろありがたい。
これは溜まった疲れが吹き飛ぶなあ。
お酒の魔力、ちょっとわかる気がする。
でも、本当にちょっとだけにしとこう。
折角の皆との語らいを、眠気で潰しちゃうのは勿体ない。
「もし、冒険者の方々を御見受けしますが」
そんな時、場違いに慇懃な声が僕らに掛けられた。
声の主は、白くゆったりとした旅装束を身に着けている。
こういう服は、主に砂漠を渡り歩くキャラバンの商人が着ている事が多い。
商人が僕らに何の用だろう。
「わたくし、キャラバンの長を務めているものでございます。貴方がたにお頼みしたい事がございまして」
「依頼ならギルドを通したらいいだろう。冒険者が幾らでも集まってくれるぞ」
イサームがそう言うと、キャラバンの長を名乗る者は首を振った。
「冒険者がただ集まるだけではだめなのです。ある程度気心が知れた、連携の取れる冒険者の方々でなければ」
「ほう、何故だ?」
「わたくしどものキャラバンの護衛を頼みたいからです。小規模なキャラバンとは言え、結構な人数とラクダを率います。集団で護衛してもらわなければなりません。その時、烏合の衆では困るわけですよ」
確かに、パーティ単位の依頼は中々受理されるものじゃないらしい。
冒険者はきままな連中が多く、大抵がその時の冒険が済んでしまえば解散する事も多い。
もちろん、固い絆に結ばれた冒険者パーティもいるにはいるけど、彼らにだって都合はあるし、いつでも依頼を受けてくれるわけじゃない。
サルヴィの冒険者の中で、固定でパーティを組んでいるのは殆どが冒険に慣れたベテランばかりだ。小規模なキャラバン護衛の依頼ごときでは受けてくれない可能性の方が高い。
「なので、ギルドに依頼するよりも直接依頼を掛けた方が良いかと思いまして。それに、直接依頼をした方が中抜きもないですから」
商人は少し狡い笑みを浮かべた。
そう、ギルドに依頼をすると仲介料が発生する。
雑多な依頼を取りまとめて一本化している手間がある以上、仲介料くらいは取って当たり前だとは思うけども。
僕らだって、出来ればギルドの仲介なしで依頼を受けた方がお金がもらえるのはわかってる。でもその実力と名声がない。
ミフネさんくらいになれれば仲介なしに仕事を受けられるだろうけども。
「わたくし達は隣街とサルヴィを行き来して商品を売り買いしているのですが、隣街に行く為には砂漠を超えねばならんのです。砂漠には野盗やオオカミなどが潜んでいます。これらの危険からわたくし達を守ってほしいのですな。キャラバンは十二人。護衛は左右に三人ずつ付けたいので合計六人必要なんです」
なるほど、護衛か。
サルヴィの街から一歩踏み出せば、そこは魔物や野盗がひしめいている。
商人だけで旅をするには危険すぎる。
僕らの力が必要なわけだ。
「それで、ギルドの中抜き無しでしたらこれくらいの額をお支払いできます。前払いで」
「前払いだと!?」
その一言に反応したのはユリウスだった。
声のトーンと顔からしてありえないという感情が見て取れる。
「もちろん、全額を前払いです。貴方がたを信用しまして」
「いや、その信用は有難いのだが、本当に大丈夫なのか? 僕らが依頼料を受け取ってそのまま逃げるとは考えないのか?」
ユリウスの疑問はもっともだったが、キャラバンの長は笑って答える。
「その時は、わたくしの見る目が無かったと思う他ありませんな。まさか貴方がたがそのような行為に至るとは欠片も思いませぬが」
「あくまでたとえ話だ。俺たちは毛頭そんな事するつもりはない。断言する」
「おっしゃる通りでございます」
「それでどうする、みんな受けるのか?」
イサームの声に、皆が顔を見合わせている。
そりゃ、いくらでもお金はあって困らないし、しかもこの金額は僕らのような駆け出し冒険者にとっては魅力的だ。
食いつかない理由が思い浮かばない。
「幾らなんでも、気前が良すぎだろう」
一人だけ、ユリウスが疑っている。
もっとも、ユリウスが疑うのも当然だ。
商人と言う生き物はケチ臭い連中だ。
気前が良い、という言葉は彼らからはもっとも遠い。
大体、金貨どころか銅貨ですらも一枚でも足りなかったら店を総ざらいして掃除して、見つからなかったら店員やその場に居た客までも問い詰めるなんて噂もあったりする。
前払いにしても、依頼を受けた奴がとんずらするリスクを考えたら半額だけ払って後は仕事を達成してから支払うのが当たり前だろう。
しかし僕らは酔っ払っていた。
「大丈夫大丈夫! 僕らはやり遂げますよ!」
「心強いお言葉ですな。では明日の朝に、街の西門でお待ちしております。詳細はその時にでもお話ししますので」
「了解!」
商人が去ったあと、僕らは前祝いと称して更にお酒を注文し、飲みまくった。
気づけば完全に日も傾き、月が真上に昇っている。
「そろそろ帰ろうよ。これ以上飲んだくれてたら明日の仕事に遅れるよ」
未だに素面のリースヴェルトが言うと、皆が頷いた。
あれだけ飲んで平気なのは、一体どんな内臓をしているのか気になる。
「それではみなさん、宿に戻りますか」
「わたしたちはサルヴィの寺院に泊まるけど、他のみんなはどうするの?」
「俺とユリウスは冒険者の宿に行く」
「私は、別口で泊まれる場所があるからそこに行くわ」
「僕は……馬小屋でいいよ」
「馬小屋? お金はまだあるでしょ、何で?」
「今日はそういう気分なんだよ」
実を言うと、ミフネさんに会いたくなった。
今日起きた事を話したかった。
「ふうん。まあいいだろう。じゃ、明日遅れないように、街の西門でな!」
皆とわかれ、僕は冒険者の宿からちょっと離れた馬小屋に向かう。
ケモノくさい。馬がいなないて喧嘩してうるさい。
わらの上には簡素な敷物と枕。虫よけの薬が無いとノミダニで満足に眠れない寝床だ。
それでもここで寝る冒険者は多い。
馬の世話を手伝えばタダで泊まれるから。
今日はここに泊まる人は、僕以外いないようだ。
ミフネさんもどこかに行っているのか、煮炊きをする鍋とかだけが残されている。
もちろん、盗む価値の無いどこでも売っている安物ばかり。
「どこに行ったんだろう、ミフネさん」
ずっと休むと言っていたはずだけど、用事でもあったんだろうか。
なんだか胸の内にもやもやが渦巻いてきた。
水飲んで寝よう。
明日は早いんだから、余計な事を考えている場合じゃないんだ。
僕は自分の寝床を整えて、外にある水道から水を汲んで飲んで顔を洗って、寝床に転がった。
すぐさま睡魔が僕を襲い、あっという間に眠りにつく。
……眠りにつく直前、僕はミフネさんの顔を思い浮かべていた。
折角いろんな事があったのに、な。




