第三十三話:女王の誘い
アーダルが女性である。
にわかには信じがたい事実だ。
しかし、うっすらともう一人の俺は実はそうではないか、などと思っていたのだ。
地下一階で尻を見られた時の赤面と平手打ち、地下二階での休息で体を拭いていた時の背中の曲線美、そして女王と対峙した時、うっかり鼻の下を伸ばしてしまった時の俺への態度。
女性であると考えれば全て辻褄があう。
「は、離せっ! 僕は男だ!」
「これだけ近づけば有無を言わさずわかるわ。女子の香しい匂いがお前の首筋から漂ってくるぞ、けひひひひっ」
「くそおっ!」
「まだシラを切るというのなら、ほれっ」
「ああっ!」
無数の黒い手の一つがアーダルを襲う。
アーダルの肉体には傷一つ加えず、器用に革鎧だけを斬り裂き、更に下の布服を強引にはぎ取る。
するとその下から現れたのは、あの夜に見た真っ白い肌だった。
傷一つない乙女の体は、暴れたせいか胸が激しく上下動している。
成長過程のその体はまだ肉が薄く、あばら骨がうっすらと見えて柔らかさを感ずるには程遠い。
あるいは厳しい冒険者家業によって余計な肉は削げ落ちたか。
女王の指は下腹部へまず滑り込み、へそをなぞり、更に肋骨を愛でるかのように愛撫していく。
悩まし気に触られるのは初めてか、少女は戸惑いながらも少しばかり息を荒げて顔を上気させる。
「妾は男は勿論好きじゃが、女もいける口での。ちょうどこの小娘くらいの年ごろが一番の好みじゃ。ただの小童なら魂を喰らって終わりだったが、野に咲く健気な花の如き少女であるなら、魂を喰わずにしばらく飼っていてもよいな」
そう言って女王はまたも目を妖しく輝かせたかと思うと、アーダルと目を合わせがっちりと見つめる。
女王の瞳に魅入られた瞬間、アーダルは金縛りに合ったが如く動けなくなった。
あの目に俺もやられた。
女王が満足気に目を細め、腕を上げ下げするとアーダルも続いて同じように動く。
「俺に掛けた術とは違う?」
「まだ妾では魅力が足りぬ故に女には魅了が掛からぬ。故に霊魂縛を掛けた。これでこの娘は我が人形よ」
次いで女王は、アーダルの額にほのかに赤く光る掌を当てる。
「この娘が何を想い考えているのか読んでみるとしよう」
「やめろ!」
俺が斬りかかる構えを見せると、突如アーダルが突進し俺の背後に回って羽交い絞めにする。
普段のアーダルからは想像も出来ないほどの力で、鬼人にかつて腕を掴まれた時と同じかそれ以上にガッチリと固定され動けない。
アーダルは操られているせいか無表情で、何を思っているのかはわからない。
ただ、乙女の柔肌が背中にあたっており、否が応でも意識させられてしまう。
「もう遅い。妾は完全にこの娘の魂を読み取った」
女王は頷きながら、読み取った情報を咀嚼するかの如く目を瞑っている。
「ほう、これはこれは」
女王はわざとらしく袖で顔を扇ぎながら、こちらまでゆっくりと近づいてくる。
「ミフネ。お前は相当な鈍感だな」
「何の事だ」
「お前はこやつが女であると気づかぬまま冒険を共にしていた。罪な男よの。経験豊富で頼れる冒険者を間近に見た小娘は、お前に憧れと羨望を抱いておる」
「……!」
「そしてわずかに、ほのかにではあるが、この娘はお前を好いておるぞ」
ひひひ、と女王は高貴な服装と出自に見合わない下卑た笑い声をあげた。
俺はついアーダルの方に首を向ける。
無表情を貫いているはずのアーダルの顔が燃えるように赤く染まる。耳までも。
同時に目からは涙がこぼれ、体もふるふると震えている。
これで操られていなければ、恐らくは膝から崩れ落ちて顔を隠しすすり泣くのだろう。
そうできず、俺の目を間近に見るしか出来ないとはどんな心境に陥るのだろうか。
俺がこの辱めを受けた時、果たしてどんな心境に至るのだろうか。
想像もつかぬ。
しかし一つだけわかる事がある。
人の体を操り、あまつさえ心をも無闇に、無神経に暴くのは許されるものではない。
俺の心の動きを察してか、女王は涼しい顔で笑う。
「怒りに燃えるか? その状態で何が出来る。前も小娘が操られた時、お前は殺さずに戦うのに苦心していたであろうが」
その刃を首筋に立てれば、即座に逃れられるぞと女王はささやく。
そんな真似などするか。
確かに羽交い絞めは生半可な手立てでは解けぬ。
ならば俺は二度目の謝罪をアーダルにせねばなるまい。
呼吸を整え、体に霊気を巡らせる。
「霊気錬成の型、瞬息!」
霊気の循環を極限まで上げる技である。
妖斬閃を使う前に使用しており、これは身体能力を飛躍的に向上させる。
特に瞬発力が上がる。
霊気の巡りが極みにまで達した瞬間、俺は腕を万歳のように素早く上げる。
そうするとわずかな隙間が俺とアーダルの腕の間に生まれる。
その後しゃがみ身を屈める事で、腕をすっぽりと抜く事が出来る。
腕が抜けた時には流石の女王も目を丸くしていた。
「御免」
腕を抜いたその次には、肘打ちをアーダルの鳩尾に叩き込む。
如何に人形となっていたとはいえ苦痛には耐えられぬようで、顔を歪ませ膝から崩れ落ちるアーダル。
「すまんな。埋め合わせは後でする」
アーダルが倒れるのを見届け、すぐさま女王に突撃を掛ける。
上段からの打ち下ろしの剣戟は、確かに女王の頭を割る軌道を描いていた。
しかし打刀はするりと女王の居た場所を素通りするのみで、その下の棺を真っ二つにぶった切っていた。
「サムライよ、お前の剣技は確かに並外れておる」
女王は消えたかと思えば俺の背後に既に立ち、耳元に囁く。
「むうっ」
背後に刀を振るう。
またも空を斬る。
反応や速さではなく、空間転移による移動。
詠唱はおろか集中すらも必要としないで空間を次々と移動する様は、俺を惑わせるには十分だった。
「戦場でも名うての戦士だったであろうな。だが妾のような、空間をも支配する者には通じぬよ」
「果たして、そうかな」
俺は刀を仕舞い、居合の型に入る。
呼吸を一旦止め、集中し女王の立つ場所へ一気に駆け抜けて刀を抜く。
「憤!」
女王の首筋を一刀両断する。
俺の狙い通りの剣筋。
今までで一番の刀を振るえたと確信していた。
しかし―――。
刀の切っ先はたった二本の指、人差し指と中指だけで挟まれていた。
幾ら刀を動かそうとしても、うんともすんとも動かない。
「な……」
「魔術を究めればこのような芸当も可能なのだよ。空間を固着してしまえばこのように物体は動けなくなる。まだまだ魔術の追求が足らん故、この程度の狭い幅しか固着は出来ぬがな」
ほっ、と女王が指を離すと刀は突然動き出し、俺はその力に流されて姿勢を崩し転がる。
女王は意味ありげな笑みを浮かべる。
「だがこのまま魔術で圧し潰すのもつまらぬ。少しはお前の剣に付き合うてみようかの」
女王の詠唱と同時に、右手には青い光が発され始める。
その光の色は先ほど見た、人々の魂の色と全く同じだ。
右腕に螺旋を描くように渦巻く光はやがて、形は何の変哲もない長剣の形を取る。
しかし青白く輝く剣は、その形を確固とせずに炎のように揺らめいている。
「霊魂刃。初めて作るならこんなものかの」
感触を確かめるように女王は剣を振り、こちらを向いた。
脱力した状態で構えも何も取らない、まさに自然体。
極まった剣豪であれば構えすら要らぬと聞いた事はあるが、果たしてどうか。
影武者の剣技は中々だったが。
ふと気づけば、いつの間にか女王は間合いを詰めてきている。
「ぼさっとするでないわ」
足取りや衣擦れの音は全く聞こえなかった。
よく見れば、女王はまるで歩く様子を見せていない。
女王は氷の上を滑るように浮遊して移動している。
空間を操る術の一つか、これも。
女王の剣は力感なく下から振り上げてくる。
受けようと咄嗟に刀を構えるが。
「ぬうっ」
剣は刀を素通りしてくる。
慌てて顔を逸らすが、俺の顔に刃先が掠った。
霊魂の刃は皮膚に火傷のような痕を作る。
じゅうと焼ける音がする。皮膚と肉を抉る斬撃ではなく、代わりにそこの熱を奪われる。凍傷にも似ている気がする。
魂で出来た剣は独特のなんとも言えぬ気配を残す。
それは怨霊たちが近づいてくる時の冷たい気配に近い。恐らくは怨みを残した者たちの命、魂で作られたからかもしれない。
「ほれ、どうした。サムライは妾のような素人剣技に負けるのか」
矢継ぎ早に女王は剣を繰り出してくる。
素人に毛が生えた程度の剣技ながら、実体のない剣というのはこれほどまでに厄介なのかと思わざるを得ない。
剣を受ける事が出来ず、躱すしかないのは慣れていない。
咄嗟に受けてしまおうとして、細かい傷を負ってしまう。
「剣ばかりでは面白くなかろう?」
女王はもう片方の空いた手から青白い光の矢を放ってくる。
これも奪われた魂で作られた矢か。
「察しの通り、霊魂矢じゃよ。体内に幾らでも原料はある故に幾らでも放てるわ」
物理的なものでないから、もちろん矢も躱すしかない。
喰らった場合どうなるのだろうか。
剣を喰らった場合は熱を奪われたが、もし心臓でも貫かれたら血液すらも凍り付くのか。
その場合は死すら免れない。
仔細はわからぬとはいえ、喰らうわけにはいかぬ。
矢と剣の乱舞に俺は防戦一方になりながらも、隙を伺う。
女王は確かに強い。
強いが、戦い方を見れば慢心がそこかしこに見える。
圧倒的な攻撃力でもって一方的に叩き伏せる戦い方しかしてこなかったのであろう。
俺を侮っているのが見て取れる。
空間転移をしてあっという間に距離を詰め、斬ってきたかと思えば離れる。
それを繰り返している。
始めは空間転移に戸惑っていたが、慣れてきて徐々に相手の呼吸を掴めるようになってきた。
不敵な笑みを浮かべ、女王はまたも影も形もなく消える。
一息、俺は刀に鞘を納めて息を吐く。
「溌!」
俺は背後に振り向きながら刀を抜いた。
女王が転移して現れるよりも早く、速く、疾く。
技もまた一つの術である。
技術も極め、追求すればそれは魔術と同等かそれ以上にまで達するのだ。
女王がどう思っているのかは知らないが、俺はそう信じている。
「な、にっ」
女王の胴体は上下に分断される。血は流れない。分断された体からは黒い煙状の何かが溢れている。
女王は目を見開いて、俺と自分の体を交互に見返す。
流石に俺を見くびりすぎだ。
魔術のみで来られたら勝てるかどうかはわからなかったが、斬り合う距離であれば如何に絡め手を使おうとも、そこは侍の領域だ。
負ける道理はない。
不死の例によって煙のように消えていく体は、しかしある時点で再生に転じていく。
先ほど見た光景と同じだ。
斬られた体も煙に包まれた後は、いつの間にか元に戻っている。
女王は起き上がり、斬られた辺りを撫でながら俺に微笑みを向けた。
「よもや、ただのサムライに斬られるとはな」
「……」
「少し動きが単調過ぎたか? これまでお前のような手練れとは近づいて戦った事が無いゆえにな……」
「暗殺者に襲われた時はどうだったんだ。あいつは腕自体は中々だったはずだが」
「イスマイルか。あれは前々から妾に対して殺気を抑えきれておらなんだ。気づかない阿呆などおらぬわ。気配さえ察しておればどんなに腕前があろうと、妾なら転移で間合いを詰めるも遠ざけるも自由自在よ」
暗殺者は気配を抑える技術に優れているはずだ。
だが女王はそれすらも感知したと言うのか。
「妾に一太刀を浴びせられたのはお前が初めてだ。ミフネよ」
「それは光栄だな」
「お前の魂を喰らうのはやはり惜しい。どうだ、妾の部下、いや伴侶とならぬか。女王の夫は強き者こそがふさわしい」
「お主に伴侶は居なかったのか?」
「居たが、所詮はお前に負けるような奴よ。要らぬわ」
「俺に負けるような奴……?」
これまで戦ってきた奴の中で、それらしき者は思い浮かばないが……。
竜人の騎士も暗殺者も違う。ましてや地下二階の貴族などは不貞の相手にしかならんだろう。
ここまで考えて、ようやく俺は答えに行きつく。
「さっきの影武者か」
「その通り。あ奴も中々強かったが、所詮は二流だったと言う訳よ」
「夫婦の契りを結んだらどうなる?」
「妾が世界を支配した暁には、その半分はお前にくれてやろう」
世界の半分が俺のものに。
かつて三船家が支配していた領土、松原は猫の額ほどの狭さしかなかった。
それでも領地を維持するにあたって、先祖は計り知れぬ苦労を重ねて来た。
世界の半分とはどれほどの広さであるのか、俺にはもはや想像もつかぬ。
武士たるもの、やはり広い領土を支配するのは夢である。
甘い言葉に俺の心は揺さぶられる。
「返事はどうかの? 妾も気は長い方ではない」
「お主の言葉に嘘は無いようだ。戦った事で世界を支配するほどの力を持っているのも肌で理解した。伴侶となれば勿論、不死となって永遠の時を生きられるのだろう」
「ならば……」
女王は期待に満ちた目で俺を見つめる。
「だからこそお主は拒絶せねばならぬ。世の理から逃れた不死が世界を支配するなど、あってはならぬ。それに俺はもはや領主の息子であることを捨てた、一介のはぐれ侍にすぎぬ。大それた夢を抱いては身を亡ぼす」
それに、だ。
「俺には将来を誓い合ったひとが居る。彼女を裏切るような真似など出来ん」
その言葉を聞いた瞬間、女王の瞳から光が消えたのを見た。
「ついでに言えば、お主は強い男と見れば次々と乗り換えるのであろう?」
「……否定はせぬ」
「なら尚更、伴侶など御免被る。先ほどの影武者のように捨てられては敵わぬしな」
「……そうか。非常に残念だ」
俺は刀を構え、女王に刃を向ける。
「さて、魂喰らいの女王よ。貴様は何度殺せば死に至る? 死なぬのであれば死ぬまで刀を叩き込むまでだが」
その時、女王の瞳が赤色に輝き無数の黒い手が体から現れる。
閃光の如く向かってくる黒い手を何本か斬り飛ばすが、それでも次々と現れる無数の手になすすべもなく俺は捕まってしまう。
黒い手は俺を握りつぶさんばかりに力を込め、骨が軋む音がする。
やはり今までの戦いは余興に過ぎなかったと言うのか。
女王はもはや執着はなく、冷たい瞳で俺を見ている。
感情を失った女ほど恐ろしい存在はない。
「ぐっ」
「黄泉帰って初めて好いた男だ。出来れば魂を喰らいたくなど無かったがの」
黒い手は女王の間近にまで俺を引き寄せる。
女王は少しだけ顔を歪めると、黒い手は俺の胸を指先でなぞる。
「我が肉体の一部となり、永遠を共に生きよ!」
黒い手は俺の胸に突き刺さり、心臓よりさらにその奥を握る感触が俺を襲った。
氷よりも冷たいそれは、まさしく俺の魂をわしづかみにしている。
急速に意識が遠のいていく。
アーダルはまだ立ち上がらないのか。
せめて彼女だけでも逃げて……。
大声を出そうとも思ってももはや体の自由が利かない。
「安心せよ。ミフネ。小娘もお前と同じく魂を抜き取り、我が肉体の中で生きるのだ。妾の糧としてな。我が体内で融けあって混ざり合うが良い」
俺の思考を読んでか、女王は高らかに笑った。
痛みも苦しみもいつの間にか感じなくなっていく。
これが、死というものか。
今まで俺だけが生き延びてしまったが、ついに俺の番が来た。
……それだけの事だ。
しかし残念だ……彼女を生き返らせてやる事ができなかった。
すまない。
――俺の意識は、闇よりも昏い所へと沈んでいった。




