第三十二話:魂を喰らうもの
女王は不敵な笑みを浮かべ、こちらを見据えている。
黒く艶のある髪の毛は背中まで伸びており、絹の布のような光沢がある。
浅黒い肌に鼻筋の通った、目鼻立ちがはっきりとした顔立ちをしており、その堂々とした佇まいには思わずひざまずきたくなるような威光を感じてしまう。
細身でありながらも女性特有の部位、すなわち胸や尻は豊満であり、世の男たちはその体を見るだけで涎を思わず垂らしてしまうほどの魅力にあふれている。
「ちょっとミフネさん! なんで近寄ろうとしているんですか!」
アーダルの声で、俺は気づかぬうちに女王に近寄ろうとしている事に気づいた。
「あ、え? 何でだろうな……」
「火に入る夏の虫みたいにふらふらしてましたよ」
「ほう、我が魅了が効かぬか、小童。冥府のサキュバスから直々に教えてもらったのだがな」
魅了か。淫魔の類とは未だ遭遇した事が無かったので、知らず知らずのうちに色香にやられていたとなれば、これは相当厄介な相手なのではないか。
何故アーダルには効果がないのだろうか。
たまたま効かなかった、ということなどあるのだろうか?
「しっかりしてくださいミフネさん。ここが正念場なんでしょう?」
不安げに俺を見つめるアーダル。
新人にこんな事を言わせてしまうのは、まだまだ俺も修業が足りないな。
一番気を引き締めねばいけない時に誘惑に負けるなど。
「……しかし、何故お前は蘇った? 霊気を帯びた斬撃を喰らって滅せぬ不死など、今まで俺は見たことが無いが」
「さっきお前らの相手をしていた者は、いうなれば影よ」
「影武者だと」
「お前らは棺を念入りに調べたか? とはいえ、魔術の素養もないお前らは空間歪曲など感知も出来ぬだろうがな」
そう言う事か。
あの影の者の更に下に、空間を捻じ曲げて潜んでいたという訳か。
「どうせお前らは、妾がリッチなどと同じ術を使って不死になったと思っていたのだろう。だから剣を破壊した」
「実際その通りだ。竜人の騎士から、お主はその大曲剣のせいで狂い、国民を虐殺し、戦争をしまくった愚かな王だと聞いたが」
女王は棺の蓋の上に座り、語り始める。
「まずその前提が間違っている」
「どういうことだ?」
「妾は剣を持って狂ったわけではない。妾の野望は世界をこの手に収める事にある」
「な、なんだと」
どうにも大望が過ぎる願いだが、そうでなければ不死になどならぬか。
「世界全てをこの手に収めたいとなれば、とても人の身であっては寿命が足りぬ。ならどうすればいいと思う? そこの盗賊の小童よ」
「え? 寿命を延ばすしかない……のでは?」
「その通り。だがリッチとして不死に転生してもだ、この肉体は徐々に朽ちて行ってしまう。妾はこの肉体が朽ちるのは惜しかった。なんせこの美貌である故にな」
つい俺は頷いてしまい、アーダルに睨まれた。
先ほどからアーダルの視線に殺気がこもっているのは何故なのだろう。
「肉体を維持し、かつ世界を支配するにはどうすればいいか。吸血鬼になる手もあったが、それでは昼間は活動できぬ。妾は死霊術を究めていくうちに、一匹の魔物の事に思い当たった」
それが何か、というのは俺はある程度想像がついていた。
「生命喰らいか」
「そうだ。彼奴らは人の生命力を啜り喰らう。そいつらの事を調べていくうちに、更にそれ以上の存在が居る事も知った。それが魂喰らいだ」
魂喰らいか。
俺の故郷の伝承に残されている鬼と似ているな。
鬼は人間の肉体を喰らい、魂を啜るという話は聞いた覚えがある。
ついぞ出会った事はないが。
「他人の魂を奪い、溜め込み、自らの物とする。さすれば自分の命の命数を使い切っても次の命がある。命が多くあれば結果的に不老不死となる。永遠に若く呆ける事なくこの世に居られる」
その理屈はわかった。
「しかし魂をどうやって集めるのか、という顔をしているな?」
女王は不敵な笑みを浮かべた。
「ちょうどその時、我が手に妙な剣が手に入った。妖刀という触れ込みで持ち込まれた大曲剣だ」
「お主が使っていたあれか」
「そうだ、あれは特異な物質で出来ていてな。なんでも魂を幾らでも貯め込める金属でできているとな」
魂の器となる物質で出来た剣。
そんなものは俺が生きて来た中では聞いた事が無い。
「誰がどんな目的で作ったかは知らぬが、これは都合が良いと思った。妾はこの剣を利用して魂を溜め込む事にした。魂喰らいに変貌するためには魂はいくらあっても困らんからの」
女王は高笑いを上げる。
何が正気だ。
初めからこいつは狂っている。狂人め。
自分の欲望の為に他人を、国民を利用するなど人の上に立つ者の風上にも置けぬ。
「ミフネさん。……顔が怖いです」
知らず知らずのうちに、俺の体はわなわなと震えていた。
「ああ、済まない」
冷静でいなければならぬというのに、俺は何を。
「そう怒るな。千年以上前の話じゃ。お前には関係なかろう?」
「やかましい。貴様に民の上に立つ資格など無い!」
「そんな資格など必要なかろう。妾の下に居る人間は全て妾に尽くす存在である故にな」
「減らず口を……」
「まあよい。そして妾は魂を集め始めた。民を処刑し、隣国をも蹂躙し殺しつくして魂を剣に吸わせ続けた。剣は魂を吸うほどに呪いもため込み、力を増していった。いつしか妾は剣を持った為に狂った王として呼ばれた。お前に言わせれば始めから狂っていたらしいがの」
女王は続ける。
「国民が逃げ始めた頃に、十分な魂が集まったのでこの墳墓を建てた。妾は魂喰らいとなる為の儀式を執り行い、千年ほどの眠りについた。その間は何も出来ぬ故、空間を歪曲させて誰からも感知されぬようにしたわけだ。ま、その間にどこからか魔物が入り込んでここの主を気取っていたらしいがの」
「そして千年が経って、魂喰らいとやらに転生したわけか」
「その通り。しかし、復活したばかりでは只の不死にすぎぬ。魂の貯蔵数が無いから、その時にもし解呪などを喰らえばひとたまりもない。故に妾は護衛を置き、更に罠で阿呆な者どもの魂を喰えるようにしておいた。そうすれば阿呆が妾の棺の前に自動的に落ちてきて、魂を喰える」
「だが、貴様の前まで来れるものは中々現れなかった」
「それでも構わなかったがの。もう妾は不死だ。時間は妾の味方である。魂を溜め込んだ大曲剣を破壊する者が現れれば話が速かっただけでの」
「自分で破壊すれば手っ取り早かったのでは?」
アーダルが言うと、わかっておらぬなと言う風に女王が口角を上げた。
「剣は魂と共に呪いも溜め込んでおった。それを破壊すればどんな呪いが降りかかってくるかわかったものではない」
「貴様ほどの魔術師、死霊術師であれば呪いの扱いなどお手の物ではないのか?」
「自分で作った呪いを自分で解放する阿呆など何処に居るのかという話だ。違うか? それに、この手の呪物は誰がどう扱っても必ず周囲に呪いをまき散らす。故に他人に破壊してもらい、呪いを引き受けてもらうのが一番という訳よ」
呪いを跳ね除けるほどの力を持った者が目の前に現れたがな、と女王は呟く。
「ともあれだ。お前のおかげで剣から解放された魂を吸収でき、妾は完全なる魂喰らいと成ったわけだ。もう死を恐れなくともよい。お前らも妾の配下となれば、死の恐怖から解放されるぞ」
「黙れ。元より不死になど成る気もない」
過去から這い出した亡霊め。地上に出てくる前に俺が成敗してくれる。
俺が刀を構えると、女王の瞳は妖しく輝き始めた。
「それは残念だ。しかし、お前に選択肢など無いのだよ!」
我が右腕として働くが良い!
女王が叫び、瞳が鮮血の色に発光した瞬間、俺は金縛りにあったかのように動けなくなる。
「な、なんだこの面妖な技は!」
「ふふふ、あとはゆっくりと近づいてお前の魂を妾の色に染めてしまえば、忠実な下僕となる」
「そうはさせない!」
動けない俺に変わって、アーダルは俺の腰に提げている道具袋を探る。
「あった、喰らえ!」
取り出して彼が投げつけたのは、竜人の子の角だった。
陽の気を持ち邪気を祓うと竜人は言っていたが、果たしてどのくらい効果があるのか。
女王のようなおぞましい怪物にも効くのか。
不安と疑問が渦巻く中、投げつけた角は女王の胸に突き刺さる。
「ぐおおおおおっ!」
女王は地が震え、獣が怯えるような声と漆黒の煙を体から上げて悶え苦しむ。
その瞬間、俺の金縛りは解けた。
「やったかな?」
「いや……どうやらまだだ」
確かに竜人の角は効果があったようだ。
女王の体は灰に還ったかに見えたが、すぐに逆戻りするかの如く肉体は再生した。
命を、違う魂を身代わりにして復活したのだ。
漆黒の煙は徐々に収まり、煙の中から現れた女王の瞳は血走り、憤怒の色に染まっている。
「おのれ小童め……妾の邪魔をしおってからに、許さぬ!」
「ああっ!」
目障りだと言わんばかりに、女王は体から伸びる無数の黒い手を発生させてアーダルを掴み、自分の所まで引き寄せる。
あまりの早業に俺の目で追う事すら出来なかった。
「アーダル!!」
「ぐっ……ぐあっ」
女王はアーダルの喉をわしづかみにし、体を持ち上げる。
女の細腕とは思えぬほどの力だ。いや、これが不死の膂力というものだ。
アーダルを食い殺そうかとせんばかりの顔の歪みは、しかし徐々に緩んでいやらしい笑みへと変わっていく。
「ほほう、これは面白い」
「何が面白い!」
「ミフネ。お前、ここまで一緒に来て気づかなかったと言うのか?」
「何?」
「この盗賊の小童、女だぞ」
耳にした瞬間、俺の脳髄には大きな鉄槌の打撃を喰らったかのような衝撃が走った。




