第百二十二話:影法師との戦い
影法師は構えを取らず、ただ此方をじっと見ている。
脱力した、自然体の立ち姿。
対して、俺たちは戦闘態勢に入る。
刀を抜き、気を拳に纏い、あるいは大槌を構え、杖を握りしめる。
聞いた限りでは影法師という暗殺者は、己が肉体のみを武器として戦うらしい。
それはこの部屋の惨状を見てもわかる。
だが、一体どのような戦い方をしてくるのかは全くわからない。
奴と相対して生き延びた者が居ないのが理由である。
実際、暗殺教団の手練れに狙われて生き延びた者は、指を折って数えられる程度しか居ないだろう。
その中には俺も含まれる。
教団の中で俺を殺せるとしたら、イシュクルと影法師、もしくは教団の長アル=ハキムくらいだろう。
影法師は殺意を放っては居るものの、誰を狙おうとしているかはわからない。
狙いが読めないのも不気味だった。
「ノエル、フォラス支援を頼む」
「わかったわ」
「了解した」
戦いが始まる前に、支援を掛けてもらう。
ノエルからは物理防御上昇、それと女神の抱擁を祈ってもらう。
物理防御上昇によって皆の体の表面は鈍い金属光を放つようになり、更に女神の抱擁によって柔らかな緑色の力場が仲間全員を覆った。
そしてフォラスが影法師に向かって物理防御低下、幻影、恐怖を掛けた。
しかし、物理防御低下はともかくとして、残り二つの魔術に関しては、精神的耐性が凄まじいのか何ら動揺を見せてはいない。
支援を掛け終わり、どうやって仕掛けようかと考えていた所にアーダルが口火を切った。
「はあっ!」
瞬く間に間合いを詰め、手刀を影法師の喉元に放つ。
正確に喉仏を狙った打撃は、しかし同じく影法師も気を纏った右腕で弾いた。
そのまま、ほぼ密着に近い打ち合いとなる。
高速で交わされる拳と蹴り、時折腕や足を掴んでの投げ飛ばしや関節の極め合い。
目まぐるしく変わる攻防。
素手同士の達人の戦いはこれほどのものか。
俺は舌を巻かずにはいられなかった。
今ここで俺が割り込む隙間は全く見当たらない。
同じく、ノエルやフォラスも何か魔術や奇蹟を放とうとしてもアーダルを巻き込んでしまう。
必然として、一対一の戦いとなってしまう。
「小娘、やるようになった」
影法師が口の端を歪める。
わずかに喜びの色が見えたその表情。
アーダルからは殺される所だったと言われている手合わせであったが、やはり過去に戦った者が強くなって再び挑んで来たら嬉しいだろう。
俺も多分、過去に手合わせした者が強くなって再び戦う事となったら心が躍るだろう。
それだけ、俺を倒す為に鍛錬を積んで時間をかけて来たという訳なのだから。
だが、余裕のある影法師に対してアーダルには何か口を開くほどの余裕はない。
影法師の頭蓋を砕く上からの手刀を右の拳で弾き踏み込み、左の掌底で心臓を狙う。
しかしそれは影法師の誘いの一手であり、皮膚ギリギリの所で影法師は半身だけ横にずれて躱し、組みついた。
いわゆる首相撲の形になる。
かつて俺が国々を流れていた時に何処かの国で見た、格闘術のものだ。
組みついてから膝蹴りを腹に叩きこんだり、抱え込んでいる首を左右に揺らして体幹を崩してからやはり強烈な膝蹴りをわき腹に入れたりしている。
たまらず、アーダルは組付きから逃れようと抱え込んだ影法師の両腕を外すが、離れ際に影法師の右中段回し蹴りを強かに横腹に貰う。
アーダルの顔が苦悶に歪んだ。
肋骨の何処かが折れただろうか。
まだアーダルの戦意は挫けてはいないが、実力差は明白だ。
それでも、影法師の体術の一端はかなり見る事が出来た。
ここからは俺も戦いに割って入るか。
これは試合ではない。
死闘、命のやり取りだ。
多対一で卑怯と言われる所以はない。
影法師は俺の気配を察知してか知らずか、激しく打ち合っていたのにふっと後ろに一足飛びして間合いを離す。
そして地面に落ちる自らの影と同化しはじめ、その中に沈んで消えていった。
「影潜み……!」
アーダルがつぶやいた。
なるほど、影法師の名の通り奴は影を操る技を持っているのか。
影に潜んでどう出るか?
影の中に潜んでも、攻撃に転じるには影の名から姿を現さねばならないはずだ。
地下八階は水晶が輝き明るい階層だ。
影は至る所に生まれている。
何処から出てくるかは予想もつかない。
気配を殺すのも上手く、影に潜んでいる間は更に気配が遮断されており全く感知できない。
すると、アーダルの影の中から何かが浮かび上がった。
後ろだ、と声を上げる前にアーダルは既に反応し振り返っていた。
影から浮かび上がった瞬間、微かな気配は感じられたものの、アーダルも上手く隠蔽している気配を悟れるくらい成長したのか。
影の中から出でる人影。
瞬時に姿を形作り、拳を放つが既に読んでいたアーダルがその拳を払いのけ、踏み込みながら背中から体当たりを放った。
鉄山靠か。
東国のシン国にて見た体術の技の一つであったが、アーダルがそれを習得しているとは驚きだ。
いや、イシュクルが知っていたのだろう。
まともに当たり、影法師がたたらを踏んで後ろに下がる。
致命傷ではない。
影法師の顔が明らかな笑みに変わる。
肉食獣のような獰猛な、笑み。
「短い間によくぞここまで練り上げた。やはり迷宮と言う環境に身を置き続けたからか」
「それだけじゃない。僕の後ろにはミフネさんたちがいる。例え僕が死んでも、貴方を倒してくれるはずだ」
「否。他人を当てにするべきではない。自らの力のみを恃むべきだ」
「考え方の違いです。僕は皆を信じて居ます」
「なれば、まずうぬを殺す」
影法師が吼えると同時に、背後から雷が空気を切り裂いた。
雷の槍だ。
間合いが離れたのを見たフォラスが、すかさず魔術で仕留めようとしたのだろう。
雷の槍は雷の矢よりも更に威力が増しているが、飛来する速さは全く変わらない。
直絶すれば大抵の魔物は悶絶し、体中を雷によって焼かれて死に至る。
「破!」
瞬間、影法師は体全体に紫色の気を張った。
雷の槍が直撃し、落雷の如き音が階層中に響き渡る。
しかし、影法師は雷に体を焼かれた様子は全くない。
それどころか、直撃した雷が瞬時に体を巡ったかに見えて、すぐに地表に散ったのを確かに見た。
まさか雷を通さず地上に受け流したというのか。
今まで気を使うと言えば、体の能力を底上げしたり、攻撃をより強くするために利用していたが、このような使い方には考えが及ばなかった。
これからは防御にも使えないか、試してみる必要はありそうだ。
「無粋な輩めが」
気分を害した影法師の険しい顔に、更に深く皺が刻み込まれる。
瞬時に影の中に潜み、フォラスが作る影の中からあっという間に姿を現す。
「むうっ」
フォラスも反応し、杖を捨てて腰に提げている短剣で対応するが、時すでに遅し。
影法師が放った直突きによって心臓を貫かれ、目を見開き血を吐くフォラス。
そのまま前のめりに倒れたフォラスの下からは、大量の血が流れ出た。
明らかな即死。
「邪魔が入っては敵わぬ」
次いで狙いを定めたのはノエルであった。
懐から小刀を抜いて何をするのかと思えば、ノエルの影に向かって投げつけたのだ。
するとノエルはその場に縫い付けられたかのように動けなくなってしまう。
小刀には気が込められており、その力によって縫い付けられたのだろう。
「影縫い」
ぽつりと影法師が呟き、間合いを詰める。
ノエルの頭蓋を砕かんとばかりに拳を振り上げた。
「フォース!」
だがノエルは、自らが動けぬ状況下にあっても打開する方法を考えていた。
衝撃波を相手に向けて放つのではなく、自分の真下に向けて放った。
衝撃波が地面に当たり、衝撃が飛散してノエル自身にも直撃する。
瞬間、ノエルは後ろに吹き飛ばされて強かに体を壁にぶつけてしまう。
「ぐうっ」
悲鳴が漏れ、ノエルは気を失った。
影法師はその様子を見届けると、こちらに振り返ってひとつ、大地を強く踏みしめて構えを作った。
「邪魔はこれで入らなくなった」
アーダルに向かって走り込む影法師。
今度は俺が割って入る。
刀を一撃を受け止める影法師。
「二対一か。よかろう。我も本来の力を以てうぬらを殺して進ぜよう」
進路を変更し、影法師は俺に向かってくる。
その影法師に向かい、踏み込んで刀を肩口から切り裂くように狙って振り下ろす。
だが影法師の姿は音もなく消え、俺は虚空に刀を振っている。
何時の間にか影法師はアーダルの方に居るのだ。
瞬間移動か?
しかし奴が空間転移といった魔術を使えるはずがない。
影から影に移る影渡りなら、離れた所にも移動できるのはわかるが、潜るまでにはどうしてもある程度の間が必要となる。
その間もなしに、影渡りなど出来ようものか。
「がふっ」
アーダルの悲鳴が聞こえた。
影法師の足刀蹴りを胸に食らって後方に吹き飛ばされている。
即座に転がって体勢を整えるが、なお距離を詰めて乱打を放ってくる影法師。
その背後に俺は斬りかかろうと踏み込むも、影法師はこちらの気配を察知してすぐに振り返り、間合いを詰めてくる。
拳が来る。
そう感じた俺の体は、瞬時に受けに回った。
だが拳はやってこず、戸惑っている間にわき腹に強い衝撃を叩きつけられる。
「ぐっ」
体勢を崩されるものの、足を強く踏みしめる事で倒れはしなかった。
視線を横に移すと、何故か影法師は俺の側面に立っていた。
服を脱いだら、青い痣が出来ている事だろう。
「不可解だ。分身や瞬間移動をしている訳でもないのに、まるで影法師さんを二人相手しているみたいだ」
アーダルがポツリと漏らした。
「うぬらの如き強者ほど、このような手に引っかかるものよ」
その言葉に直感する。
「強烈な殺意を、陽動として混ぜ込んでいるな」
手管さえ分かれば、何とかなるかというとそうでもない。
俺たちは相手の気配や殺意を気取り、先を読んで相手の攻撃を避けたり受けたりしている。
しかし、強烈な意志をぶつけられると体がそれに反応してしまうのだ。
体が感じる物をあえて捨てる、ただ目前にあるもののみに反応するのは、中々難しい。
完全な悟りを得れば、そのような陽動にも反応せずに水鏡の如く返す事も出来るのかもしれないが……。
影法師は俺たち二人の目前にまで迫る。
どちらに来る?
俺もアーダルも迷いを隠せない。
固まっている所に、アーダルの方へと一足飛びに間合いを詰めて襲い来る。
拳に気を纏い、狙うは首。
「遅い」
影法師がつぶやき、貫手によって喉を貫こうとしたその時。
「ぐむうっ!」
影法師のうめき声と共に、背中に火炎が炸裂した。
燃え盛る炎を、地面に転がって沈下させすぐ立ち上がるが、道着の背中は焼けて爛れた皮膚を晒していた。
酷い火傷だ。
流石の影法師もこの攻撃は察知しきれていなかったようだ。
一体誰の仕業なのだろう。
「貴様、何故」
影法師が目を向けた先に居たものは、フォラスであった。
胴を抜かれた部分の服は穴が開いているが、その肉体は元通りに治っている。
蘇生した、というのか?
奇蹟も無しにどうやって。
フォラスは手に巻物を持っている。
どうやら巻物に込められた魔術を以て影法師に攻撃を仕掛けたようだ。
「流石にこれくらいでは死んでくれぬか」
ぽつりとフォラスがつぶやいた。
「侮るなよ魔術師。だが、背後で黄泉返ったうぬの気配を読み取れなかった我もまた未熟なり」
影法師は自分の怪我の程度を判断すると、即座に天井に向かって腕を上げ、手を開く。
そこから噴、と唸ったかと思うと、瞬く間に気の奔流が影法師から立ち上った。
天井が破壊され、崩落が起きて大量の水晶の破片が落ちてくる。
「うおおっ!」
破片は地下九階につながる通路を塞ぎ、山となって積み重なった。
これをどかさなければ先へは進めないが、どさくさに紛れて影法師の姿は消えていた。
「退いたか。形勢が不利と見るや潔く退くのもまた強者の証か」
「……助かった」
アーダルはへなへなと地面に膝をついて転がった。
服が雨でも浴びたかのように汗で濡れ、呼吸も荒くなっている。
気づけば俺も腕が震えていた。
あれほどまでに体術に卓越した者とは今まで対峙した事が無かった。
比肩しうるのは師匠、結城貞綱であろうか。
しかし師匠はあくまで刀による戦いを得手とするし、俺もそれには慣れていた。
体術を主体とした相手と戦うのは慣れていない。
対して影法師は武器を持った相手とは幾度となく戦っている。
その差が明確に出てしまい、俺は後れを取った。
「それにしてもフォラス老、如何にして貴方は蘇ったのです」
「儂がどのような魔術師かを忘れたかね」
「時を操る魔術を追求し、遥か昔より生き続けている、迷宮の管理人を嘯く怪しげな魔術師の老人でしょう」
「後半は余計じゃ。だが時を操る事にかけては、儂の右に出るものはおらん」
フォラスは投げた杖を拾い上げ、髭を撫でる。
「儂は自らが死亡した際、生きている状態にまで肉体を巻き戻す魔術を創造した」
「時を戻す魔術、ですか」
「左様。儂は以前、四次元空間に入った時、時の流れとその座標とは如何なるものかを体で感じ取った。四次元空間は必ずしも時の流れは一定ではない。それどころか、逆に戻っていくものすらあった」
四次元空間の概念をこの三次元空間、特にフォラスに適用させることにより、この魔術は完成されたらしい。
魔術の名は遡行と名付けた。
単純ながら明快な魔術の効果をこれ以上なく表している。
「死を一度回避できる魔術なんて凄いじゃないですか!」
アーダルは興奮して声を上げるが、対照的にフォラスの顔は浮かない。
「代償として、発動した際にマナを全て消費してしまうんじゃよ」
成程。だから影法師に攻撃する時に巻物を読んでいたのか。
「咄嗟に取り出したのがエクスプロードのスクロールだったが、一撃で奴を葬るには至らなかった。もっと破壊力のあるスクロールもあったのだが、選ぶ暇などなかったわい」
「いえ、危ない所だったので助かりました」
とはいえ、この巻物は無闇に使うものではないだろう。
あくまで一度死に至り復活した際の非常手段とも言うべき代物だ。
どちらにしろ、フォラスの魔素が尽きてしまった以上、これより先には進めない。
今すぐにでも影法師を追いかけたい気持ちを抑え込み、皆に話しかける。
「遺憾だが、本日はこれにて迷宮より撤退する」
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