第百十七話:魔界よりの声
道化師の何処を狙うべきか。
護符の力により、いくら急所を狙ったとて再生を始めてしまう。
ならば、護符をまず奴の肉体から切り離すしかない。
「噴!」
踏み込み、左腕の肘から下を切り離すべく刀を振るう。
しかし刀の一撃は肘には至らず、大鎌の柄で遮られる。
「簡単にボクの左腕を落とせると思うなよ」
護符が輝き、今度は俺の足元の地面が真っ赤に染まる。
すぐさま飛び退くと、猛烈な火炎の柱が立ち上り、天井まで届いて水晶を焼いた。
わずかに髪の毛が焦げた臭いがする。
これは浴びたらひとたまりもないな。
「む」
視線を目の前に戻すと、道化師は姿を消していた。
いや、そうではない。
俺の背後にその気配を感じた。
炎で目くらましをしている間に、飛び退く俺の更に後ろに回ってきていたのだ。
そのまま俺の首を掻っ切ろうと大鎌の刃を滑らせる。
刃が首に食い込む前に、俺は刀を挟み込み、少なくとも首が切れるのを阻止した。
「サムライとやらはこの程度か。大した事はないな。サムライなるものは近接戦闘最強とは聞いていたが、噂に尾ひれが付いただけか」
「何故そう思う?」
「こうやって刀さえ封じてしまえば、あとは煮るなり焼くなり好きに出来てしまうからねぇ」
成程、確かにそのような考えも無理はない。
この辺りに居るサムライとはつまるところそう言う存在だ。
刀さえ無ければおそるるに足らず。
実際の所、刀を落としたサムライは大体は初級魔術師並のつたない魔術しか出来ないとノエルは時折愚痴っていた。
「残念ながらお前の命はここで終わりだ、サムライ」
「果たしてそうかな」
俺は打刀の柄から握りを離した。
打刀が落ち、込められている力が不意に動かされた事で体勢を崩す道化師。
同時に鎌の刃からすり抜け、俺は間合いを取った。
そして左腕を前に出し、右腕を顎の下に構える。
右拳は緩く握り、左の拳は開く。しかしはっきりと力は入れず、脱力を忘れない。
左足を前に踏み出し、右足に重心を置く。右足は前には向けず、多少開き気味の足位置にする。足の幅は肩幅より少し広く取る。
これが三船流体術の構えである。
「何のつもりだ、それは」
「お主など、武器なしでも何とでもなるというだけだが」
瞬間、道化師の額にわかりやすく青筋が浮かび上がった。
安い挑発に引っかかるのは道化師失格だな。
「なら消し炭になって吹き飛べ!」
わかりやすく、道化師は左腕を俺に向かって掲げる。
白金の護符は輝き、そこから光を伴う魔術を放とうとしていた。
「今だ、アーダル!」
迷うことなく俺は叫ぶ。
すぐさま、どこぞへと隠れていたアーダルが上から降って来る。
そして道化師の左肩に、気を帯びた手刀で襲い掛かった。
肩から切り落とされた腕は、音を立てて地面へと転がり、血だまりを作る。
「ぐおおおおおっ」
肩口からは血が噴出する。
同時に、大鎌を取り落とす道化師。
瞬時に俺は踏み込んで間合いを詰め、道化師の胸へと野太刀を突き刺した。
道化師の口から血が零れ、俺と胸の傷を交互に見る。
「姿を消した者に対する気配りが無さすぎる。護符さえあれば何とでもなると思っていたのだろうが、逆に言えば護符さえなければお主など問題にはならん」
「もっとも、僕の気配遮断はそうそう気取られるものじゃない。宗一郎さんくらいの実力じゃなければ見破れません」
「油断、慢心、か」
道化師はそのままずるりと地面へうつぶせに倒れていく。
ごふ、と更に血を吐いて血だまりが広がっていく。
息も絶え絶えに、道化師は何か口を動かしていた。
「迷宮は、ぼくらでどうにかなるものじゃない」
「何故、そう思う」
「元々、ぼくも迷宮を何とかしようと思っていた。迷宮を攻略するには冒険者なんかに頼っている場合じゃない。今すぐにでも城の兵士たちを迷宮に順応させ、圧倒的な戦力で制圧すべきだと王に進言していた」
「道化師などがその様な事を考えるのか?」
俺が言うと、道化師は仰向けに寝転がってあざ笑った。
「宮廷道化師は馬鹿じゃ務まらないんだよ、サムライ。王の悩みや相談を受ける事だってある。何より、貴族や王の気に障ることなく諫言をしなければいけない時だってある。勿論、それ以外にも本当の意味での「道化」を務める者も居るがね」
「それで、お主は王に迷宮をどうすべきかを尋ねたのか」
「勿論。だけど、君達が迷宮に来てるという事はつまりそう言う事だよ。口だけで、兵隊を送るつもりは欠片もないのさ。そうやって時間ばかりが過ぎる間も、迷宮の中で育つ悪い気配は大きくなるばかりだ」
「だから、自分で何とかしようと護符を盗んだんですね」
「護符だけで迷宮を攻略など出来るはずもなかろうが」
俺が吐き捨てると、道化師は自嘲する。
「実際その通りだ。確かに戦いの面では護符は大いに役立った。でも、精神を乗っ取られたらどうしようもない。地下八階に来た所で、ぼくは揺らめく炎のような影と遭遇した。その声は甘く、ぼくの心にするりと入り込んできた」
そして道化師は、その声に魅了されてしまったのだと言う。
王に対して抱いていた疑念を増幅され、そこからひいては人間社会に対する憎悪を掻き立てられ、
「あとはご覧の有様だよ。これ以上、迷宮を踏破する冒険者が現れない様にガーディアンの真似事をさせられていた」
「洗脳は解けたという訳か。どうする、地上へ戻りたいか」
「ぼくは国宝を盗んだ重罪人だ。戻った所で死刑は免れないし、今更戻れない」
何を、と言おうとした瞬間に道化師の体は炎に包まれる。
「ふふふ、やはりね。ぼくを支配した奴がみすみす失敗した者をそのまま生かそうとするはずが無かった」
気を付けたまえよ、サムライ。
ここより下は、途轍もない悪意が蠢いている。
言い残して、道化師は灰となって死んだ。
灰は更に、地面に広がった血の中から這い出て来た黒い影によって吸い込まれ、跡形もなくこの世から消失した。
切り取られた左腕も無くなっていたが、護符は火に包まれてもなお無事に残っている。
俺は打刀を拾い、その切っ先に護符を引っかけた。
「人の心にやすやすと入り込み、その闇に付け込む声の主、か」
「一体、何者なんでしょう」
「わからんが、下に行けば会えるだろう」
何せ迷宮の最奥部には、魔界へとつながる門があるのだ。
道化師を支配したものは、今にも門に施された封印を解こうと様々な方策を講じているに違いない。
そして道化師が守っていた通路の先を見やると、下へ続く階段が見えた。
ようやく地下九階か。
『上手くいかなんだか。折角、上手く手駒に仕立てて迷宮の守護者として働かせていたものをな』
何処からともなく、声が響いた。
「誰だ」
『知りたければ下まで降りてくる事だな。もっとも、そのまま帰ってくれる方が私にとっては有難いがね』
「魔界の主か? 生憎だが、お主らが魔界の門から現世へ出る事はない。俺たちが門を封印する故な」
『その強がりも今限りだ、死の定めより免れ得ぬ者たちよ。君達の世界はいずれ我らが手にする事になる。今のうちに我らに従属するのが賢いと思うがね』
声は薄れ、虚空へと消えていった。
お主らなんぞに好きにはさせんよ。絶対にな。
戦いが終わり、ようやくノエルが目を覚ました。
フォラスの石化を解いてもらうと、俺の下までフォラスがやってくる。
視線は打刀に提げている護符に向いている。
「ようやくこの護符を取り戻せたか。長かったのう」
「是非とも我らでも白金の護符を運用したいのだが、どうだろうかフォラス殿」
「この護符を扱う為にはミスリルの籠手が必要だ。あの道化師が持っていたようなものをな」
「レオンにでも作らせますか」
「いや、ただ籠手を作るだけでは駄目なのだ。ミスリルの籠手に、混沌を制御するための術式を掛けなければならない。それも一回では駄目だ。土に水が染み込み、地下に水脈を作るが如く何年も掛け続けなければ、あの護符を触れる籠手は作れない」
となると、やはり今の俺たちには手に余る代物だな。
「サルヴィの城には、もしかしたらその術式を施した籠手があるかも知れんがの」
「とはいえ、のこのこと城に赴いたら間違いなく王に没収されるでしょう」
フォラスは俺の言葉に対し、眉を片方上げて答えとする。
元よりこれはフォラスが所有していたものだ。
王にむざむざと渡す気などないだろう。
「元来、人間が持つべきものではない。儂がこれを見つけたのもほぼ偶然だ。混沌の根源は確かに無限に等しいエネルギーを引き出せる。だが万が一、扱いを間違った時にはこの世界は終わりを迎えるだろう」
アラハバキの分析と全く同じ事を言っている。
「やはり、今の世にあるべきものではないのですね」
「当時は誰も儂の研究室には入ってこなかったから、物の扱いには無頓着だった。だがその為に、欲深き者に利用される事になってしまった」
フォラスは、開いた手のひらから黒い箱状の物体を生み出す。
「よって、これは虚無の空間に封じ込める」
それはリーンハルトが扱っていたものと全く同じものだ。
俺が引っかけていた白金の護符に漆黒の立方体を近づけると、護符は虚無の中へと吸い込まれて消えていく。
「まず一つの問題は片付けた。そして次だ」
フォラスが見つめるのは、二重身を生み出した鏡だ。
「また写し出されたら、偽物が再び生まれるのでしょうか」
「うむ。何度でもな。破壊せねばならぬだろう」
「少しばかり名残惜しいですね」
「何故だ?」
フォラスは俺に怪訝な目を向ける。
「俺の分身、偽物と言えども自分と対峙するという機会は普通ならばあるはずのないものです。あと一度くらいは、再度自分と戦い見つめ直してみたかったのですが」
「……自己の鍛錬の為か。そなたの剣の腕はもう十分すぎるほどあるだろう」
「それもありますが、フォラス殿。貴方が言って下さった心の鍛錬の為でもあります」
ふむ、とフォラスは頷いて髭を撫でる。
「客観的に自分を見るのは難しい。なればこそ、自分の複製に対し問答をすることで自分を見つめる鏡になると思うのです」
「理解はできるが、そう何度もやれるほどの時はないぞ。次の二度目が最後だ。それが終わったら、破壊して地下九階へ進む。それでよいかな」
俺は頭を下げ、感謝を示す。
するとノエルが俺に寄り添ってきた。
「今日はこれくらいにしない? だいぶ疲れちゃったわ」
俺を含む皆が、その言葉にうなずく。
「帰って休息を取り、次に備えるとするか」
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