第百十四話:ドッペルゲンガー
十字路の真ん中で、四人が睨み合っている。
俺以外の仲間の誰もがそれぞれ出会った仲間たちを偽物だと思い込んでいる。
俺は間違いなく、本物の三船宗一郎だ。
だが他の三人は、本物かどうかの確証はない。
アラハバキはそう告げた。
誰から動く?
ここに居る者達の呼吸音しか聞こえない。
魔物たちが時折起こす、気味の悪い笑い声や呻き、どこからともなくやってくるわずかな風も、地響きのような音も聞こえない。
緊迫した空気が張り詰めている。
じゃり、という音が聞こえた。
誰かがわずかに歩を進めた音だ。
俺ではない。
では誰か。
音を立てた者はすでに空中に跳んでいた。
即ち、それほど素早く動けるものは一人しかいない。
目で見える代物ではない。
動物的な勘で俺は左側の虚空を薙ぎ払った。
「くうっ」
空中で火花が散ると同時にうめき声。
打刀と金属の何かがぶつかり合う。
この少し低めの声はアーダルのものだ。
という事は、彼女の得物である手斧あるいは脇差だろう。
確かに忍者となってからのアーダルの素早さは目を見張るものがあり、単純な動きの速さで言えば既に俺を凌駕しはじめている。
だが、力はどうかと言えば、まだまだ俺には敵わない。
もとより男と女では初めから骨格や筋肉量が違いすぎる。
力による押し合いでは負ける気はしない。
そして、殺気を読む術というものは更に俺は研ぎ澄ませている。
たとえ姿が見えずとも殺気が奔る流れを読めば、何処に何が来るかというのは観えるものだ。
ちらと他の二人に目をやると、ノエルは既に奇蹟の祈りを始めていた。
狙いは誰か。
祈りながらも視線は此方に向いている。
確かに俺の偽物に遭遇していたようだから、二度目の偽物ともなれば怒りも増幅しようと言うものだ。
「天に召します我らが主よ、我が眼前の障害を阻む敵に天罰を!」
祝詞を唱えるノエルの目が更にかっと見開かれ、組んだ両手を天に捧げるが如く上へ掲げると、光の拳のようなものが俺の頭上へと生成される。
「天罰、か」
思えばこれもノエルが復活した時に喰らった奇蹟だったな。
あの時を思いだすとふっとなつかしくなり、笑えてしまうものだが。
光の拳は俺を潰さんが勢いで振り下ろされるが、既に見えているものを避けるのは造作もない事だ。
前転し、躱した所に嫌な予感が背筋を走る。
「貫け」
ぼそりと聞こえた声と共に、稲妻が大気を割って落ちる時の音が響き渡った。
壁際に身を寄せるとほぼ同時に、俺が居た空間を貫いたのは光だった。
遅れて通り過ぎていくのは雷の声。
「当たらなんだか」
それは雷矢であった。
一本の矢のみならず、矢が何本も空間を制圧するかのように俺が居たあたりを射られていた。
放ったのはフォラスで、ちょうど杖を弓に見立てて左手で構え、右手は矢を放った時の仕草をしていた。
「全員俺を狙うとはな」
流石に少しばかり頭に来た。
本物か偽物か関係なく、少しばかり痛い目に遭ってもらおうか。
「ふっ」
口布を取って呼気を一つ吐き、霊気を刀に宿らせる。
下段に構え、逆袈裟の形で打刀を振り上げる。
「破!」
空気を切り裂く速度で振り上げた刀からは圧が発生し、その圧力を持った空気の塊は瞬く間にアーダルを襲う。
アーダルはすぐさま得物を構えて防御の姿勢を取ったが、流石に衝撃全てを受けきれるはずもなく、壁に叩きつけられて背中を強かに打つ。
「がっ」
(なるほどな、剣を素早く振り上げて衝撃波を放つ技というわけか)
「久しぶりに遠当てを使ったが、以前よりも研ぎ澄まされている気がする」
以前よりも振りを素早く、軌道に無駄なく、より鋭く振れている気がする。
最適化されてより強化されたか。
そしてすぐさま、ノエルに向かって俺は駆けて間合いを詰める。
ノエルは体術には前衛職ほど優れないから、奇蹟さえ躱せればどうにでもなるといえばなる。
俺の接近に警戒を強め、竜魂降臨をやろうとしたが、それを両肩をがっしりと掴んで咎める。
「それは今ここで使うべきものじゃない、ノエル」
「えっ、あ、う、うん」
「わかるだろう。俺の体温が。俺の匂いが。君は俺の偽物と対峙した時、こうやって間近に触れたか」
「……触れたわ。というか、あいつから抱き着いてきた。でも、なんだか嫌な臭いがしたし、凄く冷たかった。全くぬくもりが伝わってこなかった」
「今ここにいる俺はそうじゃない。生きているからこその熱が、ぬくもりが俺の手から伝わって来るはずだ」
瞬間、こわばっていたノエルの体から力がほどけていくのを感じた。
少しは信じてくれたのだろうか。
「ふむ」
横で俺の様子を見ていたフォラスが顎のヒゲを撫でる。
「偽物はそうやってわざわざ説得などしたりはせんか。口先だけで騙そうとし、隙あらば首筋を狙って牙を立てるであろうな」
「俺がまことの宗一郎であると、そう見えますか」
偽物は果たしてこのような振舞いをするだろうか。
そこまで頭が回るような悪魔であるなら、この演技も見事ではある。
「僕は騙されないぞ、そうはいかない!」
アーダルは得物を仕舞い、両腕に紫色の気を宿らせる。
姿と声色のみを真似るあの悪魔なら、忍者だけが使いこなせる「気」は流石に真似は出来まい。
つまり彼女も本物と結論づけられる。
「人の姿を模った偽物がミフネさんを騙るな!」
左腕を前に構え、右腕は顔の近くに持っていき、手は握り込まずに少し開いている。
爪先はこちらを向いてはいるものの少し斜めにしてかかとは浮かせており、重心は後ろ脚においている。
忍者が徒手に於いて戦う時の構えである。
とはいえ、全く素手で戦うというわけではないのもまた忍者。
懐から手裏剣や苦無を取り出して投げつけたり、あるいは遁術を使って攪乱してくる事もあるだろう。
だが、アーダルは真っすぐに向かってくる。
俺も若いが、まだまだあの子も若いな。
頭に血が上っていると動きが単調になる。
かつて、俺が貞綱と剣の訓練をしていた時もそうだった。
貞綱の挑発に乗ってまんまとむやみやたらに突進し、それをいなされてからの打ち込みを幾度となく喰らってしまったものだ。
殺気がこもりすぎた攻撃もまた読みやすく、一直線に突っ込んでくる喉元を狙った手刀を躱し、俺は懐に膝蹴りを叩き込んだ。
鳩尾に綺麗に入り、悶絶し膝から崩れ落ちるアーダル。
「うげえっ」
口から吐瀉物が漏れ落ち、酸っぱい臭いが漂う。
「仮にイシュクルがお主の相手をしていたらこう言うだろうか。すぐに頭に血が上るなど、忍者として失格だとな」
「く、くそっ!」
口からなお吐瀉物を流しながらも向かってくるアーダルに密着し、腕を絡めて抱き着きにかかる。
「!!!!????!???」
「落ち着け、アーダル。いま、この俺にはぬくもりがある。それを感じられるか」
「……わかります。あの、嫌な腐臭はないです」
「頭は少し冷えたか?」
「え、いや、あの……」
こちらからも触れる事で、アーダルの体には熱がある事を感じられる。
これもまた本物だ。
しかし、アーダルの顔が上気し、また心臓から聞こえる鼓動が早く脈打っているようにも聞こえてきた。
「もう少しだけ、こうしてほしい、かな」
「はいはい、そう言う事したいなら迷宮から無事に抜け出してからにしましょうね」
ノエルが無理やり、俺とアーダルを引き剥がしにかかった。
するのは認めるのか。
「宗一郎が本物だって言うのは分かったわ。アーダルもね」
「ノエルもそうだろう」
「当然でしょ!? 何言ってるのよ」
「じゃあ、そちらにいるフォラスさんは……?」
ずっと俺たちのやりとりを眺めていたフォラスは、はたと自分に視線が集まっている事に気が付いた。
「本物だよ。手を握ってみるかね」
「はい」
近づき、がっしりと握手をする形でフォラスと手を握る。
枯れ枝のような腕。
しかしその腕からは信じられぬような力で、俺の手を握り返してくる。
もちろん、暖かい。
「偽物ではない。本物のフォラス老だ」
「本物だと言っただろう」
フォラスは笑い、手を離した。
ようやく皆が落ち着いてほっと胸をなでおろす。
(そういえば宗一郎、君には便利な道具があったんじゃないのか?)
「便利な道具? ああ、そういえばこれがあったな」
鞄から真理の手鏡を取り出すと、フォラスが目を見開いた。
「これは、割られ散逸したはずの真理の鏡、を加工したものか? 一体なぜ三船殿が持っているのだ!」
「それほど大層なものなのですか? リーンハルトから貰ったのですが」
「これもまたアーティファクトの一つ。鏡に映し出せば大抵の代物の価値や真理が分かると言われるものだ。誰が作ったかはわからぬがな……」
「え、じゃあそれを最初から出せばよかったじゃない宗一郎、なにやってるのよ」
「最初から出すも何も、お主たちは出す間を与えてくれなかったじゃないか」
のんきに鏡を鞄から出そうとしていたら、俺は三人にやられていたぞ。
「全く、本気で俺を倒しに来ようとするんだからな。疑心暗鬼なのは分かっているが」
「まあまあ。でもおかげで、皆本物だとわかってホッとしましたよ。万が一にも誰か殺してたら酷い事になってたわけですし」
「全くだ。幸いみな手傷も追わずに済んだし、迷宮の先へ進もう」
それで何処へ行くかだ。
三人は十字路のそれぞれから来た。
少なくとも、探索を出来るような状況ではないから真っすぐこちらへ来たと考えてもよいはず。
「僕の方には、分岐はなかったですね」
「儂もそうだ」
「ノエルは?」
「うーん。そういえばわたしの辿って来た方は一つだけ分岐があったわ」
「なるほど、ではそちらへ向かってみるか」
俺から見ると真っすぐ行く道だ。
陣形を組んで、しばらくまっすぐ進む。
すると、左か右へと別れる丁字路に差し掛かった。
「わたしはこの右から来たの」
「じゃあ左へ行こう」
左へ行く。
魔物は相変わらず水晶の中に閉じ込められ、蠢いている。
だがそこから出てくる気配はない。
俺たちが自由に歩いているのをうらやみながら、出ようと足掻いているが思いのほか、水晶の拘束力が強いのだろう。
気味が悪い風景だ。
「あれ、行き止まり?」
「僕に任せて」
アーダルが前に出て、壁を調べる。
丹念に水晶壁を探ると、アーダルは壁の一部分に手を押し込んだ。
すると、水晶が割れて粉々になったのだ。
「ここだけ壁が薄くなっていたけど、まさか割れるとはね……」
「ともあれ、道が先にあるのは僥倖。進むとしよう」
更に歩いていく。
またも一直線の道が続く。
なんというか、姿を化ける魔物や鏡から囚われた者が出てきたりと仕掛けはひねくれている割に、迷宮そのものの構造は単純に出来ている。
「なにか、遠くに見えますね」
アーダルが言った。
一直線の道の先には、俺が見た鏡よりも遥かに巨大な鏡が鎮座しているのが見える。
ここから見えるのだから相当な大きさだろう。
「さて、俺が見た鏡には冒険者が閉じ込められていた。今度は何が閉じ込められているかな」
「そんな仕掛けがあったの?」
「ああ。あれだけ大きな鏡となれば、上級悪魔や竜が出てきてもおかしくはない。気を引き締めて掛からねばな」
誰もが武器を構え、周囲を警戒して進む。
やがて通路から鏡が置いてある広間まで出た。
広間は大鏡が置いてあるだけはあり、巨大な空間となっている。
竜の一匹くらいは余裕で眠れるねぐらくらいの広さだろうか。
鏡はしかし、俺が先ほど見たものとは違って本当に鏡だけが無造作に地面に埋め込まれている、飾り気のないものだった。
鏡にはもちろん俺たちの姿が映し出されている。
「ふむ。この鏡の中には俺たちの姿以外何もないな」
「じゃあ、何の仕掛けも無いって事ですか?」
「……そうは思えぬな。この鏡には、強い魔力を感じる」
「魔力?」
「何かが絶対にある、というわけですね」
「その通り」
鏡の後ろから、俺たちのではない声が聞こえた。
そしてひょっこりと鏡の上に立ち、姿を現すのは道化師。
「君達がボクの罠を突破して来るとは思わなかったよ。シェイプシフターの不完全な擬態には引っかからないとは、少しばかり君達を舐めていたようだ」
「当たり前だ。人に化けきれぬ魔物に引っかかるものか」
「そう言われても仕方ないとボクも反省した。だから、こんなものを用意させていただいたという訳だ」
道化師が指を鳴らすと、鏡の下から魔法陣が浮かび上がり、光を発する。
そして水晶で出来た祭壇が地面から盛り上がり、姿を現した。
「これは……!?」
「この鏡は特別製でね。とある悪魔の魂を練り込んで作らせてもらった。その悪魔は人間が大好きでたまらなくてね、いつか人間になりたいと思っていた。さあ悪魔よ、今こそその願いを叶えさせてやるぞ!」
鏡は道化師の叫びと共に激しい光を放つと、鏡の中から映し出されているはずの俺たちの姿がぬるりと鏡の中から現実に這い出て来た。
全く同じ、俺とノエルとアーダルとフォラスの四人。
ただし鏡から出てきたので、武器の利き腕などは違う。
それ以外は本当に全く同じだ。
「本当にこいつらは俺たちと同じなのか……?」
真理の手鏡をかざすと、手鏡は文字を浮かび上がらせた。
<ドッペルゲンガー。二重身。
世の中には自分と似たものが三人も居り、それと遭遇するとやがて命を落とすと言う言い伝えがある。
全く同じ人物と言うものは二人として存在しない。
まして迷宮で出会うとなれば、それは魔物である。
ドッペルゲンガーは姿を真似た人物の性格と思考、能力すら模倣しきる。
そして何時の間にかパーティに紛れ込み、冒険者たちを混乱させるだろう。
光に照らせばドッペルゲンガーには影がない為、それで判別は可能だ。
しかしもしオリジナルが死んでなり変わられてしまった場合、影すらも奪われてしまい、本当の本物となってしまうだろう>
「参ったわね。全く同じ存在と戦う事になるなんて想像もしてなかったわ」
「さて、どうしたものかな」
「……宗一郎、何で笑ってるの?」
ノエルの言葉で、初めて俺は笑っていると気づいた。
そうか、俺は笑っていたのか。
全く本当に同一の存在だとすれば、これほど心躍らせるものはあるだろうか。
同じ存在の俺と手合わせできるなど、願ってもない事なのだから。
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