第八十七話:オークロードとその群れとの戦い
寄生された豚人君主は奥へと引き、豚人の群れが前に次々と現れてくる。
その数は五十以上と見ていいだろう。
時に迷宮内では狭いにも関わらず、少人数で多数を相手にしなければならない。
今がその状況だ。
元々、豚人という魔物は個体として見れば厄介な手合いだ。
肉体は頑強そのもの。
高い実力を持った戦士の一撃や高位の魔術にも時に耐え、手に持った大きな棍棒で一撃を加えてくる。
その腕力は人間の頭蓋骨など容易く砕いてしまう。
では何故、侮られてしまうのか。
一つの致命的な弱点として、頭が極端に悪い。
簡単な囮にすら騙され、罠も疑う事なく引っかかる。
それも何度もだ。
奴らは学習するという言葉が存在しないのかもしれない。
だから実力的には今一つな冒険者でも、油断せず罠や囮に掛ければ倒せる程度の魔物と思われている。
しかし豚人君主に率いられるとまるで違う。
豚人君主は豚人としては抜きんでた知力と洞察力を持って集団を指揮し襲い掛かって来る。
よく統率された豚人はとても手強い。
無駄な動きをまるでせず、こちらへ真っすぐ向かってくる。
そして豚人君主は何処から手に入れたのか、手入れが良くなされた長剣や盾、鎧までも装備しており如何にも君主と言う風体であった。
一歩足を踏み込むと、水が跳ねる音がした。
足元を見れば、爪先がわずかに浸るほどの水が流れているのが窺えた。
濁った水ではなく綺麗な流水だ。
土の地面の上を流れる水。
この階層は地下水脈から水が階層に溢れているようだ。
寄生体はどれくらい豚人の能力を底上げしているのか。
肉体の頑強さに加えて再生力もあるとなれば、かなり面倒な相手になっているのは間違いない。
旋風を使ってまとめて片付けたいが、狭い迷宮内では敵味方関係なく巻き込んでしまう技は迂闊に使えない。
ならばノエルの指向性のある奇蹟、風刃嵐なる奇蹟でも使ってもらおうかと考えたが、あれも魔素の消費が大きいと聞いている。
ノエルにはなるべく回復を担当してもらいたいので、攻撃奇蹟で魔素を消費するのは得策ではない。
となればだ。
「リーンハルト、何か打つ手はないか?」
生命喰らいを片付ける際に魔術を使っていた彼なら、何かしらの魔術は持っているはずだ。
「うむ。この体の持ち主は最初魔術師であったようだ。経験を積んで君主になったのであろう」
やはりどちらもいける口か。非常に助かる。
「魔術師としてはどこまで経験を積んできたのだ?」
「無論、最高位の魔術を習得するまで」
それは心強い。
なればこそ、この状況にあって唱える魔術は一つしかない。
「連中を教育してやろう。我に歯向かうとは如何なる意味を持つかを」
リーンハルトは両手を頭上に掲げると、無詠唱で光り輝く球体を一つ作りだした。
球体は熱を帯び、今にも爆裂しそうな程に膨れ上がる。
「たんまりと喰らえ、悪食どもめ」
リーンハルトは光り輝く球体を豚人の群れへと投げ込んだ。
それは一瞬圧縮し小さくなったかと思うと、瞬く間に爆裂し豚人たちを光の中へ飲み込んでいく。
一切の熱線や爆風は此方へは向かっては来ず、全て豚人の体へと叩き込まれている。
豚人たちは焦げ臭い煙を上げながら地面に倒れ伏した。
「これがニュークリアブラストだ」
核爆滅撃。
噂には聞いていたが恐るべき威力を持つ魔術だ。
別次元に発生させた核爆発を、それらの熱と発生した衝撃だけをこちらの次元に持ち込んで敵にぶつける、という理屈らしい。
核爆発がどんなものなのか知る由もないが、喰らった豚人たちが軒並み焦げた挽肉になっているのを見ると、流石に魔術師が最期に習得する魔術だというのも理解できる。
これほどの魔術を扱うにはそうそうたる知識と技量、そして魔素が要求されるに違いない。
魔術師の奥義としてふさわしい魔術である。
「大方は片付いたか……うん?」
倒れ伏す豚人の群れの遠くには、まだ立っている豚人が居るのが見えた。
その数は二十ほどだろうか。
全員が幽かな青い色の領域に覆われている。
「アンチマジックね。オークの癖に魔術まで使えるなんて、君主の名を冠されているだけはあるわ」
ノエルが口をとがらせる。
魔術障壁はその名の通り、魔術に対して抵抗を示す障壁を張る。
障壁によって核爆滅撃が遮られ、生き残りが出たのだろう。
二十という豚人の数はまだまだ多い。
しかも豚人達は執拗に背後に回り込もうとする。
俺たちの背後に控えているノエルが要と見られているのは間違いなかった。
回復役を務める僧侶さえ叩き潰せば、後はどうとでもなる。
自分たちの頑強さと再生力を盾に、じわじわと追い詰めればいいのだ。
回り込もうとする動きをけん制しつつ、俺たち前衛組で迫りくる豚人を斬ってはいるが再生力が強くなっている豚人には、ただ深く斬り込んでも致命傷にはなりえない。
このままでは長期戦に持ち込まれてしまう。
「もう一度、核爆滅撃は使えないか?」
「残念だが今の詠唱で大分マナを消費してしまった。ファイアーウォールやストーンブラストくらいなら使えるが、今の奴らには致命傷にはならんだろう」
やはり俺が一体一体斬り伏せていくしかないか、と思った矢先にアーダルが言う。
「僕にいい考えがあります。皆は壁や天井に捕まって退避してください」
「何をするつもりだ?」
「勿論、敵を一網打尽にするんですよ。魔術じゃない方法で」
「壁や天井に退避って、わたし達は忍者じゃないのよ」
ノエルが叫ぶが、既にリーンハルトは天井の梁に飛んで掴まっている。
俺も野太刀を使い、壁に突き刺してぶら下がる形になる。
足は地面に着かないように。
ノエルはどうするつもりだ?
いざとなったら俺に掴まればいいが。
「壁にでっかいキノコが生えてるでしょう。あれはコシカケといって軽い人なら支えられるくらい強い根を張っているキノコです。ノエルさんの体重なら大丈夫なはずです」
「わたしの体重をいつ知ったの!?」
「そんなもの見ればわかりますよ。数値にして……」
「言わなくていい! 今すぐ上るわ」
言いながら、恐る恐る壁に何個も生えている顔程も大きいキノコに足を掛け、一番高いキノコに腰を掛ける。
キノコは折れもせずにノエルの体を支えていた。
実に頑丈なキノコだ。
食べたら美味いのかが気になる。
全員の退避を確認した後、アーダルは水の張られた地面にひときわ黒い苦無を何本か間隔を開けて投げつける。
「よし」
アーダルも天上の梁に飛びついて片手でぶら下がると、懐から苦無を取り出して気を送り込んでいる。
首を刈る時に使う紫色の気ではなく、電撃のようなものを纏っている。
「喰らえ!」
気を纏った苦無は一つの黒い苦無とぶつかって甲高い音を上げた瞬間、電撃が発生し瞬く間に水を伝い、伝わった電撃が別の苦無へ伝わるとまた電撃が発生するという工程が繰り返され、通路全体へと電撃が広がるのが見えた。
電撃は生き残っていた豚人全てに伝わり、肉体と神経を電流で焼かれた豚人は倒れ伏した。
魔術ではないので魔術障壁は一切通用しない。
これぞ忍術か。
「プ、ピギイイイイイッ」
残された豚人君主が、全滅した豚人の群れを見て逃げていく。
リーンハルトがすぐに駆け抜けて豚人君主の背中を斬りつけると、豚人君主は無様に前のめりに倒れた。
「逃走の判断が遅い。仮にも君主であるのなら、半数が倒れた時点で撤退の判断を下すべきだった」
既に闘争の意思を挫かれた豚人君主はいかにも命乞いのように頭を地面へこすりつけるが、リーンハルトは容赦しない。
指先から虹色の光を放つと、その光は豚人君主を包み込んだかと思えば瞬く間に肉体を石へと変えていった。
石になった魔物を、踏み抜いて砕くリーンハルト。
「我が信徒を無惨に殺した報いだ」
改めて、リーンハルトは殺された狂信者の方へと向かう。
もはや残されているのは頭のみだった。
「我がふがいないばかりに殺してしまったようなものだ。すまない」
神に等しき者であっても、その様な感情が残っているのか。
俺が不思議に思って見ていると、自嘲気味に彼は笑う。
「これでも我は信徒は大切に思って居るつもりだ。我らを信ずると決めた、憐れな子羊である故にな」
「埋葬しよう。それがせめてもの手向けとなる」
俺とリーンハルトで、階段付近に簡素な土饅頭の墓を作った。
ここを探索し終えたら、改めて弔ってやろう。
如何に狂信者であろうとも、死んでしまえば仏となるのは誰も変わらぬのだから。
「進もう」
埋葬を終えた後、改めて地下七階の探索に入る。
通路は分かれ道などが無く真っすぐ進むのみだ。
通路の突き当り、曲がり角にまで辿り着くと、角の先から何やら争っている声が聞こえる。
「なんだ?」
角の先をちらと窺うと、犬人たちが争っているのが見える。
片方はどうやら犬人王が率いているようだが、数が少なく劣勢を強いられている。
犬人王は上等な剣と鎧、盾を持ち必死に襲い掛かる犬人を斬り払っているが、斬られた犬人は何度も立ち上がる。
傷口があっという間に治っており、口や耳から触手が出ている。
やはり寄生されている。
また一匹の、王側の犬人が噛みつかれて喉笛を食い破られ絶命した。
そして寄生犬人がその死体に触手を伸ばすと、のそりと立ち上がり犬人王へ襲い掛かろうとする。
今や犬人王はただ一匹となっていた。
「奴に助太刀に行くか」
「宗一郎本気なの? 所詮魔物よ」
その意味は助けた所でこちらに牙を剥いてくるという所だろう。
当たり前の考えだ。
魔物は常に侵入者に対して敵対してくる。
助けた所で益はない。
しかし、何事にも例外は存在する。
「どうせこのままでは寄生犬人と戦うのは目に見えている。ならば今戦っていても同じ事だ」
「魔物に恩を売るつもりか。面白い考えをするものだ」
「犬人の王になるほど知性が高いのであれば、俺たちの意図も理解できるはずだ。もし牙を剥くのなら、その時は斬り捨てるまで」
「宗一郎はいつも斬り捨てるとか言うのね。まあ確かにそうなんだけどさ」
言うや否や、俺は駆け出して犬人王の隣をすり抜けて寄生犬人の群れ十匹へと向かう。
相手は俺を確認すると、すぐさま手に持った剣で襲い掛かるが、犬人程度の剣技では俺に当てる事すら叶わない。
身体能力が強化され、いつもの犬人よりも素早いのはわかるが、それでも目で追えない程ではない。
一つ、二つ、三つ、四つ。
前に立ち塞がった犬人の首と胴とを斬り落とし、狼狽した残りの犬人はアーダルとリーンハルトが首を飛ばし、ノエルが頭蓋を叩き潰す。
うぞうぞと体を治す為に寄生体の触手が這い出て来たところを、アーダルの火遁術で燃やしていく。
甲高い鳴き声と共に、寄生体は燃え盛りながら焦げていった。
その様子を犬人王は唖然としながら見ていた。
一体何故人間たちが自分を助けたのかわからないと言った風に。
俺は犬人王に振り向いて言う。
「犬人の王よ、行け。危機は去った」
俺の言葉を聞くと、犬人王は状況を飲み込んだようで、じりじりと下がっていく。
角を曲がろうとした際に犬人王は一声雄叫びを上げると、暗闇の奥に指を差し、やがて去って行った。
「この先に何かがあるという訳か」
指さした先を歩いていくと、やがて地下八階へ進む階段が見えた。
その先には、おそらく墜落してきた隕石であろうと思われる物体が壁を壊して突き刺さっている。
壊れた壁の隙間から、所々地上から差し込まれる光が漏れている。
しかし、隕石と言うには、これはあまりにも奇妙だった。
「なんだ? ほとんどあれは金属じゃないのか」
隕石は光が反射してより眩しい金属の光沢を放っている。
鏡と見紛うほどの反射で、迷宮の様子をそのまま自分の体に映しているのがわかる。
「一体あれは何なんでしょう?」
「皆目見当がつかぬ」
「でも寄生された魔物が群がってるわね。さっきのオークとはまた別口のオークに、腐った腐肉みたいな魔物、フローティングアイ、ファイアージャイアントにフロストジャイアント、アイアンゴーレム、レッサーデーモンになんか宗一郎みたいな格好した奴まで居るわ」
多種多様な魔物があの隕石らしきものを守っていると解釈すればよいのだろうか。
あそこには一体何が潜んでいる?
「あれこそが、AztoThの乗って来た船だ」
リーンハルトがぽつりと呟いた。
……発音がよくわからなかったが、寄生体の親玉の名前でいいのだろうか。
それにしてもあれが船?
脳内に疑問符がいくつも立ち並ぶ。
「あれが船? 全然そんな風には見えないわ」
「そうですね。船と言えば帆を張って海を行くあの乗り物ですよね」
「どう見ても金属の塊にしか見えないが」
「君達の文明レベルではそう思うのも無理はないな。あれは宇宙船だ。空の彼方よりも遥か先に、宇宙空間というものが広がっている。宇宙を旅するための、まぎれもない船なのだよ」
宇宙空間など初めて聞く代物だ。
一体それは何なのか、空よりも高い場所へ行った事もないので想像もつかない。
「宇宙とは何なのか、全く概念が分からん。一体どんな所なんだ」
「宇宙とは即ち、この世界の殆どを占める空間である。この星が世界のすべてではない。空気が無く、寒く、そして無限に思えるほどに広がっている暗黒の空間だ。その中に、星々が点在している。この世界の本当の在り様だ。まあ君達にはまだ理解できぬであろうが、いずれ宇宙に出れるようにまで文明が進化したら分かるであろう」
随分と偉そうに講釈を垂れると思ったが、そもそも神を自称する輩だった。
何時になったら宇宙に行けるようになるのか。
少なくとも、俺が生きている間には行けるようにはならぬであろう。
「船はやすやすと扉を開いてはくれぬだろう。何かしらの方策が必要だ」
「そのような物がこの階層にあればよいのだがな」
「無ければ無いで、その時はまた何か考えればいいでしょ」
まずはこの階層を余すところなく歩くのが先決か。
ひとまず俺たちは、宇宙を飛ぶ船なるものは置いておく事にし、階段の手前にある通路の扉の方へと向かおうと、取っ手に手を掛けた。




