外伝三十話:絶対零度
憎悪をむき出しにするマクダリナ。
彼女の周囲には白い結晶がキラキラと漂い、地面に落ちていく。
吐く息も白くなり、彼女の周囲の床は既に白く凍り付き始めている。
領主の間はドラゴンが天井を破壊したおかげで城に漂う、じめっとした冷気が緩和されていたのだけども、マクダリナが作り出す冷気のフィールドによって一気に温度が下がっていくのを感じた。
もはや足元から忍び寄る冷気ではなく、肌を突き刺す針のような冷たさが周辺を覆っている。
わたしも対抗してディバイン・エンブレイスを重ね掛けするものの、マクダリナから放出される冷気は、張ったバリアフィールドをもある程度貫いてくる。
寒さによって鳥肌が立ち、歯が震えて音を鳴らしている。
「むうっ」
宗一郎は体から炎を更に放出し、更にルードも消えかけていた炎を再度着火し、剣に纏わせて熱を保つ。
アーダルがようやく吹き飛ばされてからこちらに戻って来たものの、上着を破られたせいで寒さに体を震わせていた。
「これを羽織ってくれ」
宗一郎が鞄から薄いシーツを手渡すと、アーダルは素早く体に巻き付けて即席の服を作る。それでも気休めにしかならないだろう。無いよりはマシとは言え。
わたしはアーダルにミディアムヒールを施すと、触手に突き刺された四肢の怪我はふさがっていった。
見た目の印象よりそこまで深い傷ではなかったようだ。
ムラクはまだ気絶しているみたい。
アーダルが近くまで引っ張ってきたようで、自然とパーティは炎を放出する二人の近くに寄り添う形になった。
「このまま睨み合ってるつもり? その方が私にとってはいいけども」
マクダリナの言葉通り、睨み合う程に時間は彼女に味方する。
「かあっ」
気合の声を上げながら、再度ルードが突進する。
ある程度まで突っ込んだ所で、ルードはおもむろに剣を上段から振り下ろした。
すると炎が剣から衝撃波のように飛んでいく。
波打つ炎はマクダリナの前で突如弾け、視界を塞いだ。
飛び散る火炎に反射的に顔を手で守ったマクダリナの胴を薙ぐ、ルードのフランベルジュ。
勿論触手が守っているのだが、炎を纏った剣は触手の細胞を焼き切ってその下の肌を晒す。
「小賢しい!」
マクダリナは氷塊を呼び出して剣にぶつけ、刃を叩き折った。
「まだまだ!」
折れた剣を捨てたルードは更に距離を詰め、今度は手のひらに生み出した炎を露出した腹部に叩きこもうと掌底を繰り出していた。
肌に触れようとした瞬間、そこにはマクダリナの手が割って入る。
ルードとマクダリナの手が触れた瞬間に、纏っていた炎は消えうせて瞬く間にルードの腕が凍り付き始めていた。
「なんと」
「絶対零度って知ってるかしら。これ以上温度が下がらないという限界の事を言うんだけど、今私はこの腕からその冷気を作り出しているのよ」
「ぬううううっ」
「ルード!」
腕から体へと冷気は伝わり、下半身にまで及んでルードは彫像のように凍り付いてしまう。
炎を出す事すらままならない。
宗一郎が既に駆け出しているけど、無数の触手が近づくのを阻んでいる。
「どけっ!」
「貴方に邪魔はされたくないの」
マクダリナが手首を翻すと、宗一郎の目の前に分厚い氷の柱が立ち並ぶ。
「ぬがあっ」
宗一郎の左腕から青白い炎の奔流が迸り、氷の柱を溶かしていく。
でもマクダリナの所へ至るにはわずかばかりの時が必要だった。
「どうやら、我が命は此処までのようだな」
「まだ諦めるな。俺が行くまでは耐えるんだ」
「いや、最早体の中までもが凍り付いている。人ならぬ身であるからこそまだ息をしていられるがな。城を墓石として死ぬる事がせめてもの慰めよ。サムライ、エルフの娘、忍び、そしてノームの少年。後は頼んだ。必ずや、この魔女を倒して城に平穏を……」
顔まで凍り付いたその時、マクダリナが氷の槍を生み出してルードの体を貫いた。
胸からひび割れが広がり、やがて全身がひび割れていく。
「さようなら、お城の騎士さん」
氷の槍で再度貫かれると、ルードはバラバラに砕け散った。
床に破片が広がっていく。
「そんな……」
マクダリナは、ルードだったものの頭を踏み抜いて粉々にし、前に出る。
「所詮、この地上に居る者は私の敵じゃないわね。悪魔ですら容易くこうなってしまうのだから」
「訂正しろ。ルードは最後まで人であり、悪魔などではない。彼を侮辱するのは俺が許さぬ」
氷の柱を突破した宗一郎が、マクダリナの前に立った。
彼の体は鬼火を纏い、冷気を退けて熱を保っている。
燃え盛る炎によって彼の周囲には蒸気が激しく立ち上っていた。
「別に、悪魔になってしまったのは事実なんだから良いでしょう」
「ならば、力ずくでもその言葉を変えさせるしかあるまい」
「やってみればいいじゃない」
宗一郎は息を吐くと、さらに右腕の青い炎が激しく猛り始めた。
「奥義・獄炎」
野太刀にも炎が燃え移り、宗一郎は一つの青い炎の塊となる。
ルードがやったように、宗一郎は炎を纏った刀を虚空に振るっていくとその軌道から炎が地面を走ってマクダリナの下へと向かっていく。
「ちっ」
氷の壁で阻もうとしても、次から次へと刀を振るう度に生まれる地を走る炎を捌ききれないマクダリナ。
ついには触手を伸ばして柱を掴み、中空に逃れようとする。
しかし触手を伸ばした瞬間、宗一郎は真空の刃を飛ばして切断してしまう。
甲高い叫び声を上げて床に落ちる触手たち。
「逃がさん」
一足飛びで近づき、燃え盛る左腕を繰り出した。
ただのパンチだったけど、それはマクダリナのわき腹を深く抉る。
炎は体を守っていた触手を焼き尽くし、その下にある肉を焦がした。
じゅう、という音がここまで聞こえ、マクダリナの顔が苦痛に歪む。
「くううううっ」
「貴様は灰も残さぬ」
首根っこを掴まれ、持ち上げられるマクダリナ。
しかし彼女は、絶体絶命の状況に見えてなお不敵な笑顔を崩さなかった。
「貴方、それで勝ち誇ったつもり?」
「何ッ」
その時、わたしのお腹に強い衝撃を覚えた。
「ぐふっ」
お腹を見ると、そこにはマクダリナの体から伸びた触手が深々と突き刺さっていた。
わたしとマクダリナの間合いは、かなり離れていたはずなのに。
遠いから、後ろに控えているから魔術以外の攻撃は来ないと思い込んでいた。
意識の外の油断。
歯噛みせずにはいられない。
血が触手を伝って落ち、口からも血があふれ出る。
そして無数の触手がわたしの体を掴み巻き上げ、マクダリナの下へと連れ去られる。
触手で縛り上げられているせいで奇蹟を唱えて傷を治す事も敵わない。
「さて、これで形勢逆転かしら」
「うおおおおっ!」
アーダルがその時、俊敏な動きでこちらに飛び掛かって来た。
床を蹴って飛んだかと思うと、更に柱を蹴って軌道を変えて幻惑するように向かってくる。
「もう貴方の動きはみんな見切ってるの」
マクダリナの言葉通り、触手は空中を飛ぶアーダルの体を掴んでしまった。
足を絡めとり、腕と胴を縛り上げ巻き付いていく。
わたしと同じようにアーダルも捕まってしまう。
「貴方、素早くて手刀の一撃が厄介だけど、こうやって封じてしまえば何も怖くはないわね」
「くそっ」
「さてお侍さん。人質が二人も居るけどどうしましょう。貴方が私を殺そうとしたら、この二人も道連れにしちゃうけど」
「躊躇っちゃダメ、宗一郎。あなたが武器を降ろしても皆殺しにされるのは変わらないわ」
「ミフネさん、僕らは死んでも構わない。寺院に行けば生き返れるんですから。だからこいつを倒してください!」
宗一郎は歯を食いしばり、こちらを見つめている。
マクダリナを殺したらわたし達も道連れになる。
武器を捨てたら、もろとも皆殺し。
ならば倒した方がいいかもしれないけど、蘇生は確実に生き返らせてくれる保証はない。
わたしが蘇生した時は、多くの祝福された供物を用意してなお、三度の蘇生を願う必要があった。
その三度目だって、マルヤム女王とやらが授けてくれた「生贄の魔石」の本来の用途によって魂と肉体を引き戻したから可能になったわけで。
アーダルは若く生命力に満ちているから可能性は高いだろうけど、わたしは長らく狭間の世界に魂を置いていたせいでまだ魂が現世に馴染み切っていない。
体も死の状態に長く留め置かれていたせいで生命力が落ちている。
二度目の死は、今度こそわたしという存在が「失われる」可能性の方が高かった。
出血が止まらない。
触手が、ぎりぎりとわたしを縛り上げ苛むたびに苦悶のうめき声が上がる。
宗一郎の食いしばる歯の音が伝わり、彼の口からは血が滲み出ていた。
「く、ああっ」
「止めろ!」
宗一郎が叫んだ瞬間、それは起きた。
「がふっ」
宗一郎は血を吐き、地に膝を着いている。
見れば、氷を分厚く纏った触手が宗一郎の心臓を貫いていた。
もちろん青い炎によって氷は瞬く間に融け、触手は焼けて悲鳴を上げるのだが、それでも威力は十分だった。
鬼の力は解け、人に戻り炎は消えて床に倒れ伏してしまう。
「仲間想いというのは時に弱みになってしまうものね。貴方たちの結束が固いのは大変結構だけども、非情にならなきゃ勝ちはもぎ取れないものよ」
そんな事はわかっている。
それでも宗一郎は情を捨てきれなかった。
わたしを、アーダルを捨てきれなかった。
優しくて愚かな人。
だからこそわたしはあの人に惚れたんだ。
倒れて、血が広がって、彼の体温が失われていく。
「宗一郎!!!」
「彼氏が死んで残念。でも大丈夫。彼の体は星の子の器にして、私の僕になってもらうわ。貴方たちは氷の彫像にして残してあげる。誰も寂しくない」
マクダリナの高笑いと共に、吹雪が吹き荒れ始めた。
吹き付ける強風と冷気と雪は、瞬く間にわたし達から熱を奪い始める。
全てを白く覆い尽くそうとしている。
寒さによって意識も朦朧とし始めていた。
宗一郎。
貴方と一緒に死ねるなら悪くはないかも、なんて考えたら怒られるよね。
最後まで諦めるな、諦めが死を呼ぶんだって。
でも、これはもう無理だよ。
……。
……遠のく意識の中、頭の中に何かの声が響き渡る。
――我が呼び掛けに応えよ。巫女の使命を果たすのだ――
誰。貴方。
巫女なんて何処にいるの。
――巫女は其方である。我は竜の祖。其方らと共に在るもの也――
わたしが巫女だなんて冗談でしょ。死ぬ前に笑わせてくれるわね。
――今しがた、其方が導いた竜の魂が我に知らせてくれたのだ。巫女は今もなお地上にその血脈を繋ぎ、生きていると。其方の死は我らが竜の神性の喪失を意味する――
だったら、わたしに力をちょうだい。
全てを蹴散らす力を。
愛しい人を取り戻す力を!
――ならば与えよう。我が力、竜の祖が力をその身に降ろそう――




