外伝二十九話:氷の魔女
マクダリナが右の手のひらをこちらにかざすと、そこから閃光が迸る。
「!」
光る瞬間に宗一郎は動物的な勘で横っ飛びして閃光を回避した。
閃光は瞬く間に宗一郎の居た場所に着弾すると、そこに太陽が生まれたかと思うほどの強い光を発し炸裂した。
「くっ!」
咄嗟に視界を光で潰されて誰もが目を覆う中、更に誰かのうめき声が聞こえた。
光が消えて目を開けると、いつの間にかマクダリナがルードに接近し、生成したと思われる氷で作った剣でルードの腹部を突き刺していた。
悪魔へと変貌したルードから赤い血は流れない。
紫色の血が体を伝って落ち、床に広がって染みを作る。
「ぬううっ」
うめき声を上げながらも、ルードはマクダリナを即座に前蹴りで蹴り飛ばした。
蹴り飛ばすと同時に剣の刃は抜け、出血は激しくなる。
すぐにわたしはミディアムヒールを唱えて傷を治すと、彼の読み取りづらい表情からも険しい雰囲気を感じ取った。
マクダリナは蹴られた腹部をさすりながらも、視線はこちらに向けたままだ。
「あいつの腹を蹴った時、異様に固かった。まるで巨岩を蹴りつけたようにびくともしない。逆に衝撃で此方の足が痺れるかと思った」
「ふふ。竜の牙の力は、星の子たちにも良い影響を及ぼしてくれた。おかげでこんなにも強く、しなやかになったわ」
マクダリナは魔術師学院の制服の上を脱ぎ始めた。
しかし、彼女の裸体が晒されたわけではない。
その上半身は寄生体の触手で隙間なく覆われており、さながら鎖帷子のように編みこまれて居たのだ。
おそらくは下半身もそうなっているに違いない。
脈を打つように拍動する触手は、全体がしなやかかつ強靭な筋肉組織で出来ていると考えられる。
寄生体と共存しているどころか、むしろ彼女は飼い慣らしていると言った方がいいかもしれない。
「アシッドバレット!」
後方からムラクが酸の弾丸を放った。
高速で飛来するそれは、生物であればどんな相手であろうとも焼き溶かす。
「無駄」
しかしマクダリナは、分厚い氷の壁を即座に呼び出して酸の弾丸を遮る。
「お返ししてあげるわ」
無数の氷の弾丸を宙に呼び出し、ムラクの方へと指さすと瞬く間に高速で襲い掛かる。
あまり反射神経には優れていないムラクには避ける術はなく、氷の弾丸をまともに浴びて転んでしまう。
「ムラク!」
駆け寄ってムラクの様子を見に行く。
確かに体中に氷によって出来た打撲傷はあるものの、微妙に急所は外してあった。
浴びて倒れ込んだ時にまたも頭を打ったのかもしれない。
「貴方、手加減した?」
わたしがマクダリナに尋ねると、彼女は微笑んで答える。
「短い間だったけど仲間だったからね。ムラクにも星の子の素晴らしさを体感してもらわないといけないし」
「そう言う事ね……」
「さて、次はと」
マクダリナは指先を踊らせるように宙に何かを描く。
すると、軌道にそって氷が生まれ始めたかと思いきや、いつの間にかそれは竜を形取っていた。
氷の竜は人間並みの大きさにまで成長し、出来上がるや否や咆哮を上げる。
行け、とマクダリナが指さした先はアーダル。
氷の竜が冷気を撒き散らしながら襲い来る。
「ちっ、火遁の術!」
懐から何か札のような物を取り出し、投げつけると床にぶつかった瞬間に炎の壁を作り出した。
氷の竜は炎の壁にぶつかり、けたたましい悲鳴をあげるがそれでも炎の中を突破してアーダルに真っすぐ向かってくる。
更に竜に対してもう一つ、札を投げつけた。
今度は炎の壁ではなく踊る炎の精らしきもので、氷の竜の周りを踊る様に舞い、竜はそれらに気を取られてそちらの方へと襲い掛かる。
しかし炎は噛みついた所でひらりとあざ笑うように避けていく。
炎の熱は徐々に氷の竜を溶かして行き、いつしか床には竜の成れの果てである水たまりが出来上がっていた。
「あら、少しはやるじゃない」
「調子に乗るなよ。いくら竜の牙と角を取り込んだからと言って!」
接近戦なら分があると見込んだのか、アーダルはマクダリナにワンステップで踏み込んでオーラを纏った手刀を繰り出した。
確かに魔術師は遠距離からの圧倒的な火力に優れる分、近接戦闘はからっきしだ。
わたし達僧侶は前に立てるくらいの体力と筋力は求められるけど、魔術師はそれすらも要求はされない。
後ろに居て背後から魔物を最大火力で殲滅するのがその職能だから。
だから魔術師が前に立つような事態になれば、いよいよパーティは全滅の危機に晒されているという事になる。
何より、アーダルの気を纏った手刀は同じように気を纏っていない限りは避けるしかダメージを受けない方法が無い。
ただの魔術師が気の操作とやらに精通しているはずもない。
手刀は空を切り裂き、マクダリナの首筋を正確に狙い定めていた。
「もらった!」
その手刀が皮膚に触れた瞬間、不意にアーダルの勢いは止まってしまう。
手刀を繰り出した右肩の付け根に、マクダリナを守っていた筈の触手が深々と突き刺さっていたのだ。
それどころか、左腕や両足にも触手は突き立てられている。
「私に下手な近接攻撃は禁物よ。この子たちが殺意に反応して自動で守ってくれるんだから」
「くうっ」
「そういえば貴方、女の子なのね。そんな格好してるからわからなかったわ」
マクダリナはアーダルに近づき、忍び装束の上を乱暴に触手で切り裂いた。
白い肌が露わになり、まだ薄い肉付きの体が晒される。
激しく動いた事で薄くほのかに赤みを帯びた肌は、流れ出る血が伝って痛々しい。
昨日も見たけどもアーダルの体は本当に引きしまっていて、筋肉の形がはっきりと見えている。
一体どれだけの修業を積めばそのような、しなやかな筋肉になるのだろうか。
そして、裸を晒されたからといって彼女は腕で胸を隠す等はしようとしなかった。
マクダリナを睨みつけ、なおも腕にはまだ紫色のオーラを纏っている。
「生意気な目つきね。動けないっていうのに虎視眈々とスキを伺ってる」
しかしマクダリナは、もうアーダルに構う暇は無かった。
触手がアーダルを放り投げると、既にルードと宗一郎がマクダリナに突進を仕掛けていたからだ。
「噴!」
「かあっ」
ルードが炎を纏ったフランベルジュの突きを繰り出す。
走りながらの勢いを加えた突きは、フランベルジュのリーチも相まって不意を突かれたならば間違いなく喰らう一撃だったはず。
しかしマクダリナの触手は事もなげにフランベルジュを持つルードの腕を掴み、捻じり上げようとする。
「溌!」
宗一郎がルードに巻き付いた触手を野太刀で斬り払い、更に踏み込んで下からの逆袈裟斬りを仕掛けた。
既に霊気を巡らせている刀からは白い靄が浮かび上がり、何物をも切り裂く刃と化していた。
霊気の一撃もまた、触手にとっては禁忌。
故にマクダリナは氷の盾を作り出して刀を受けた。
分厚い氷に阻まれて刃はマクダリナまでは届かないものの、盾自体は真っ二つに切り落としている。
それどころかマクダリナを守っていた触手たちもいくらか切り裂いて、その下の肌が露わになった。
マクダリナに浮かんでいた薄い笑みが消えて、真顔になった。
「やっぱり貴方が一番油断ならないわね、サムライさん!」
即座に触手は再生し、再びマクダリナの体を守る。
そしてマクダリナは無数の氷塊を作り出している。
「アイスクラッド!」
人の胴体ほどある氷塊は雨あられのように宗一郎に降り注ぐ。
しかし宗一郎はそれを避けようともせずに、刀を構えて立っているだけだ。
「どうしたの宗一郎!」
――破壊と滅亡を司るものよ。人々に畏怖され、なお暴虐の限りを尽くさんとする荒神よ。今一度、その力を我に貸し給え――
呼、と息を吐いて一瞬霊気の靄が解き放たれると、宗一郎の左手首に掛けられている数珠玉の一つがひび割れて床に落ちた。
同時に、宗一郎の体が青白く燃え盛る炎に包まれる。
地獄から呼び起こされたような、灼熱の奔流。
あるいは魂の色にも似すぎている。
炎はやがて落ち着くと、収束して宗一郎の姿が現れ始めた。
「……あれは、何?」
わたしにはまるで見当がつかないものだった。
それは悪魔にも似ているようで、でも雰囲気は全く違う。
宗一郎の額には角が一本生えている。
体格も若干良くなっているようにも見えた。
なにより、体から迸っている気の流れがさっきとは違っていた。
白い靄が覆っているのではなく、はっきりとした気流が彼の体を巡っているのだ。
一夜を共にした時、宗一郎が語った鬼とはもしやこのようなものなのだろうか。
自分の中には鬼に連なる血が流れており、肉体の内に鬼神の意識を抱えていると彼は言った。
彼は怪物へと変貌してしまったのだろうか。
「闘気錬成の型・刹那」
宗一郎の体から爆裂した気の渦が巻き起こったかと思うと、続けて炎が体を再び覆った。
「奥義・焦熱」
身を焦がすような爆炎が発生し、向かってきた無数の氷塊は熱に触れてあっという間に溶け、床に水となって落ちていく。
これにはマクダリナも息を呑んだ。
「貴方……どうやらただの人間とはちょっと、いや大分違う存在なのかしら」
「れっきとした、ただの人間にすぎぬよ。少しばかり変な力を持っただけのな。隣に居るルードとなにも変わらぬ」
「だいぶ貴方に興味が湧いてきたわ、サムライさん。貴方こそ星の子の器となり、新たな人類となってこの世界を支配するべきよ。きっとそう!」
マクダリナの目に輝きが生まれる。
対して宗一郎は、頭を掻きながら呆れたように答えた。
「かつて同じような事を、不死の女王にも言われた覚えがあるな。夫婦となって世界を支配せぬかと」
「あら、そうなの。でも貴方はそれだけ魅力的な人なのよ。それで、どうなのかしら。返事の方は」
「生憎だが、貴様の欲望に付き合う気は全く無い。何より、俺にはこの人が居る」
ぐいと、宗一郎がわたしを抱き寄せて微笑んだ。
そのぬくもりと優しい瞳は、いつもと変わらない宗一郎だ。
姿は変わっても、彼は何も変わっていない。
「宗一郎。良かった。化け物にはなっていないのね」
「今はまだ、な。いずれ俺は内なる鬼と対峙する時が必ずや来る。その時はノエル、君にも俺の隣に居てほしい」
「馬鹿言わないでよ。貴方を支えない訳がないでしょ。必ず、わたしは貴方の隣で支えてあげるわ」
宗一郎はマクダリナに向き直り、答える。
「俺にはノエルが居てくれればそれで良い。新たな人類に成るだとか、世界をこの手に支配する等と言った願いは俺の身には過ぎた欲望だ。大きすぎる欲は、身を滅ぼす原因となるのだ。マクダリナ、貴様とその寄生体の願いは今ここで断ち切らせてもらう」
「……残念。貴方の果てしない可能性に期待してたんだけどもなぁ。仕方がないから、貴方を倒した上で星の子の器にでもなってもらおうかしら!」
目の輝きが失せたマクダリナは、憎悪を露わにして牙を剥いた。




