第十三章 2
「……これは」
手で触れてみる。
何の凹凸もなく、ペイントという印象はない。うっすらと光っており、ライトで照射されてるような文字だ。
砂時計のアイコンに触れてみると、体表に浮かび上がるように数字が出現した。
00:03:41.258
一秒以下三桁まで表示されたデジタル時計。表示は段々と減っている。
「……あと3分40秒? 迷宮の制限時間……いえ違う、これは」
段々と主旨が見えてきた。私は念のために手近な建物に入り、物影で時間が終わるまで見続ける。その時刻は砂時計のアイコンに触れるたび、15秒ほど表示されるようだ。
そしてゼロ秒を刻んだとき、砂時計のアイコンが反転。赤字のGOALが青字のSTARTに変化する。
00:04:59.329
そしてまた減り始めるデジタル数字。
「……五分おきに攻防が変化する。これはつまりターン制の迷宮」
あられもなく言ってしまえば、鬼ごっこだ。
こちらの腹にSTARTが表示されてるときに、相手のGOALに触れればクリアなのだろう。
私はその旨を通信で伝える。アフロディーテがそれに応じた。
『ゴールとスタートの表示ですか。私のお腹にはありませんね。タケナカさんはどうです』
『えーと、おや、ありますね』
「あるの?」
私は夜の三ノ須を歩きつつ驚く。
『はい、いまスタートの表示で、残り時間は二分弱です』
「……タケナカ、ギブを宣言してみて」
『はい、ギブアップします……おっと、消えましたね』
おそらく、タケナカは先ほどログインを試みたからだ。Tジャックを接続してログイン宣言することが参加の条件、そんなところだろう。
『しかしギブアップしていいのですか。私も多少は戦えますが』
「あなたの専門は銃器とか火薬でしょ、三ノ須で戦わせるわけにいかないわよ。それに演算力も分散したくないの」
何しろ、「白夜封刻の迷宮」でゼウスに敗北したばかりなのだ。さらにゼウスはプルートゥの演算力を丸ごと奪っている。
今現在、ゼウスと私たちの演算力の差がどのぐらいあるのか。おそらくかなりの大差と見て間違いないだろう。演算力を集中させねば戦えない。
「タケナカ……三ノ須が戦場になる可能性がある。一般生徒を避難させて。地下から有毒ガスが出てきたとかそんなストーリーで」
『了解しました。30分で終わらせましょう』
そして学内にサイレンが鳴り響き、合成音声によるアナウンスが流れる。
「……あの二人も避難させるべきね」
私は小走りになって学内の診療所へ。裏口は電子ロックになっているが、タケナカに連絡して開けさせる。看護師に見られぬように移動。
「あ、お姉ちゃん」
カストルとポルックス。銀髪の双子はまだ拘束されていた。全身の骨がばきぼきの状態のはずだが、けろりとした少年の笑みを見せる。
「ゼウスが来るかもしれないの。貴方たちも避難しなさい」
「そーなの?」
私はかいつまんで事情を説明する。
「ふーん、攻守交代型の迷宮、面白いこと考えるねえ」
「でも乗り込んでくるかなあ。お姉ちゃんが三ノ須にいることは知られてるけど、ゼウスのお兄ちゃんとしては自分のとこへ呼びつけた方がいいんじゃないの」
それは確かに。
今のこの避難誘導は、ゼウスがゲーム開始から真っ先にここに攻めてきた場合に備えてのことだ。
アルテミスの時に対応させたように学園内には私設部隊もいる。カメラを始めとして山のような監視設備もある。それを承知でここへ乗り込んでくるだろうか。
「……いえ、来るわ」
少し考えてみて、やはりそのイメージに帰結する。
現実世界の防御には限界がある。まだ迷宮が残っている状況ならまだしも、最後となればどんな手段だって取れる。
それにこちらは私と亜里亜が演算力を有しているが、ゼウスは一人だ。最後の迷宮が出てる状態では演算力を誰かに与えて仲間を作ることもできない。
だが何よりも、ゼウスにとってのクリティカルな攻撃、最大の懸念だけは防ごうとするはずだ。
「ゼウスは高高度核爆発による電子攻撃を常に視野に置いてる。だから自分の居場所を明かして待ち構えることはないと思う。演算力で勝っている以上、その優位が生かせる迷宮での勝負を望むはず」
「そうだねえ。ゼウスのお兄ちゃんってば、あれでけっこう前線まで出てくる人だから」
言葉に出してしまうと違和感がない。何だかイカロの立てた筋書きに乗っているような気もするが、相手がゼウスである以上は油断は禁物、一秒先の行動すら読めない相手だ。VXガスですべての生命体を殺してから乗り込んでくる、なんて可能性まである。
やはり学園内の私設部隊も避難させるべきだろう。軍事力ではゼウスを倒せる気がしない。それに、走破者でない者に物質創造を見せるわけにいかない。
そのような思考は月曜の朝のような億劫な気分を伴う。私は何となく双子に話しかける。
「あなたたちって結局何者なの? いわゆるプロなのは分かるけど、ノー・クラートの護衛か何かだったの?」
「うーん。僕たちってたぶん、お姉ちゃんたちとはズレてるんだよね」
「ズレてる?」
「そう、演算力の世界とは別の物語。僕たちの村はね、もっと違うものと戦ってたの」
「世の中って広いからね、色々いるの。悪魔と悪魔祓いとか、ドルイドと妖精とか、エイハブとモビーディックとか」
「最後のは小説でしょ」
双子は特に視線を合わせるでもなく、天井を見ながら思い出を語るように話している。あらかじめ打ち合わせておいたホラ話という気配……は感じられない。
「僕たちの村って演算力でもまだ見つかってないからねえ。機械と無縁な場所で生活してるから」
「僕たちだけが村を抜けてきたの。都会に憧れてたからねえ」
「でもね、そろそろ居場所がバレそうなの。人の文明に」
「だから今のうちに、人の中に居場所を作っておかないとねえ」
「……」
はぐらかされているのか。それとも言えないなりに何かをほのめかそうとしているのか。
「……それで、どうなの。居場所は見つかりそう?」
「無理そうだねえ」
「人間と僕たちってあんまりにも違うからねえ。ワシとヒヨコぐらい違う」
「子供の僕たちでもプロの工作員やれちゃうぐらいだし」
掴みどころのない双子だ。
入院の際にはちゃんとバイタルデータも取っている。どこからどう見ても間違いなく人間。幼少期からの異様なまでの訓練と、多種多様な生理学的アプローチを受けている形跡はあったが、人間以外の存在になったとまでは言えない。双子を作り上げたのは洗練された訓練であり、最先端の科学だ。オカルトでもファンタジーでもない。
しかし何故だろう。この銀髪の双子。
彼らを見ていると、そのおとぎ話のような話も信じられる気がする。
演算力を得ても、世界はまだまだ途方もなく広く。
まだ見ぬ世界が、いまだ知られていない社会が数え切れぬほど存在するのだ、と……。
「……ま、いいわ。そういうわけだから、貴方たちも学園を出ときなさい」
「うん、わかったよお姉ちゃん。これで今生の別れだね。お姉ちゃんが40越えてからお風呂入りたかったけど、どうしてもって言うなら今入ってあげてもいいよ」
「死ぬときは遺体修復できる程度でお願いね。お葬式には行くから」
「あんたらね……」
冗談で言ってるのか本気なのか。
とりあえず頬をつねっておいた。この二人ならギリギリ耐えられる程度の力で。
※
およそ一時間後。
「ミズナさん、衛星警戒網が高高度飛行する航空機を捉えました。最新鋭の超音速機です。マッハ3.6で飛行中」
タケナカから通信が届く。それはあらゆる国の衛星をハックした上で、映像を高速解析して構築される警戒網だ。三ノ須を中心として半径3000キロ、マニラからウランバートルまでをカバーする防空圏である。自衛隊が運用する範囲より広い。
それは電波探知や光学探査、電離層で跳ね返ってくるラジオ波までも分析し、ステルス機ですら問題なく見つけ出す。
「フライトプランの出てない機ね?」
「そうです。これだけでも見つかった時点で世界中が震撼する事態です。どうしますか、自衛隊に情報をリークすることもできますが」
「日本の防空識別圏に入る瞬間。大規模な電子攻撃をかけて自衛隊のレーダーを沈黙させて。同時に周辺国のレーダーも全部、あ、北朝鮮はいいわ。担当者が処罰されそうだし」
「分かりました。この速度だと防空圏境界線から三ノ須上空まで20分あまり、多目に見て25分沈黙させます。軍事以外にもやっておきますか?」
「そうね、できればハッカー集団の愉快犯に見せかけて」
最後とは言え、これだけでも何人かが仕事をクビになったり、のちのちまで外交上のしこりになったりしそうな工作だ。被害を受けた人は可能な限り探しだしてフォローはするけど、後ろめたさは残ってしまう。
ゼウスに強硬突入させることに比べればマシ、という言い訳はできるが、私も慣れてきているのが怖い。
「ミズナさん、ただいま戻りましたわ」
亜里亜の声。彼女はイカロの体を学園の外に移すため、いったん三ノ須を出ていた。
「亜里亜、一度だけ言うけど、イカロについて病院にいてもいいのよ」
「私だってまだ戦えますわ。それにミズナさんだけでは不安ですもの」
「分かったわ、それじゃ私はグラウンドに出てるから、亜里亜は建物の中から様子を見てて」
私は夜風にジャケットをはためかせつつ立つ。ここはいちおう近くにシェルターへの入り口がある場所だ。毒劇物ほかケミカルチェック用のセンサーも完備している。
だが何というか、最後だからという感傷から言うわけでもないが、そんな搦め手の戦いにはならない気もする。
「航空機が二つに分かれました」
「分かれた?」
「パラサイト・ファイターというやつですね。コバンザメのように大型機が小型戦闘機を抱えたり、爆弾槽に戦闘機を格納しているという飛行機ですよ。いろいろな理由で冷戦期ごろに姿を消しました」
ゼウスはその技術を復活させたわけか。マメにいろいろやってるものだ。
それは超小型のVTOL機だったらしく、自由落下の速度で静かに降りてくる。やがて三ノ須の上空で底面から噴気の炎が見えて、高音とともに着地してくる。
中から現れるのはパイロットスーツに身を包んだ青年。ゼウスだ。
彼は汗だくだったが、気だるげな印象が常の彼だけに疲労の程度がわかりにくい。翼を伝って飛び降りると、パイロットスーツを面倒くさそうに脱ぎ捨てる。
「お疲れさま、大変だったでしょ。その狭そうなコックピットで太平洋横断は」
「何てことはないよ。と言いたいけど結構大変だった。振動がきつくてね」
ゼウスは薄いブルーのランニング姿となって、その下にある砂時計のアイコンに触れる。今は彼がゴールの側だ。
「最後の迷宮、概要は把握しているかい?」
「まあね。あなたが今ゴール側なら私とは逆。ゴールとスタートの表示が交互になってることは間違いないわ。私のおへそは見せないけど」
「結構。最後だと言うなら僕も無駄なことはしたくない。できれば抵抗せずにゴールを明け渡してくれるとありがたいんだけど」
「その前に」
彼我の距離はおよそ30メートル。だが何というか。彼と相対してもあまり気分が高まってこない。
「ゼウス、一つ聞きたいの。今現在、この世界は現実だと思う? それとも拡張世界だと思う?」
「うん?」
ゼウスはかるく周囲を見渡し。
「どういう意味かな」
「そう、やっぱり貴方の周りではこの現象が起きてなかったのね。この異変はおそらく三ノ須限定。イカロは戦場が三ノ須になることを読んだ上でこれを仕掛けた。であればやはりここは現実。現実の一部を拡張世界と同じ状態に置いている……」
ゼウスは軽く手を開き。
そしてようやく気づいたようだ、素直な驚きを目で表す。
「まさか、物質創造が……」
「私も少しずつ分かってきた。イカロがどうしてこの迷宮を用意したのか。三ノ須に何が起こり、そして世界に何が起ころうとしているのか」
これは、まさに世界を変える迷宮。
ならば私も、まずは精一杯楽しんでみようか。
心を空にして、そして無意識の目で演算力を探す。
それは地底湖のごとく、冷たく静かで圧倒的な存在。私は目を見開くと同時に――叫ぶ。
「空山龍哭!」
Tips パラサイト・ファイター
戦闘機を別の航空機、おもに爆撃機などに搭載し、長距離を移動する爆撃機の護衛をさせようとしたもの。吊り下げ方式、爆薬槽に格納する方式などが考案され、いくつかの試作機も作られた。
のちに空中給油が発達するとともに、運用思想としては姿を消した。
類似思想に飛行船などを利用した空中空母などがある。




