第一章 6
『どういう事です?』
「迷宮を広くしたいだけならダイソン球とか必要ないでしょ、あの太陽がこの迷宮の鍵なのよ」
中天にある赤鏡、すなわち太陽はいつもと変わらない大きさに見える。だがここがダイソン球だとすれば、放射される熱の逃げ場がなく、内部はもっと高温になるはずだ。少なくとも現実世界の砂漠と同等というのは不自然だ。あの太陽にはどこかに「嘘」がある。
「イカロ、あの太陽を調べたいわ、望遠鏡を用意して」
『やってみます……スタート地点まで戻ってください。一度ログアウトした場合、一定時間ログインが不可能になりますので、そのまま陸路で戻ってください。何か乗り物を出してもいいですが、自転車とか』
「乗りにくいからいいわ、走って戻る」
私の足元、つまり壁の上にロープが落ちる。片方に鉤のついたもので、私はそれを壁面のヘリに引っ掻けて下まで降り、走ってスタートへ向かう。
方向感覚は間違ってなかった、30分ほどでスタート地点のパネルまで戻ってくると、その近くで何やら工事が始まっている。
フックつきのクレーンを持つドローンが飛び回り、一辺三メートルほどの鉄板を迷宮の上に敷いている。その上に何やら大掛かりなものがあって、どうやら電車の車両ほどの円筒のようだ。さらに鉄製の仮設階段も設置され、私はかんかんと足音を立ててそれを登る。
「何このでっかいの」
『XRT(X線望遠鏡)です。最新のものは構造が複雑で再現が難しいので、2006年にJAXAが打ち上げた太陽観測衛星「ひので」が備えていたものをそのまま巨大化しています。大気圏内だと解像度が落ちますが、演算力で補正します』
「望遠鏡ってこういうことじゃなくて……まあいいわ」
『? ええと、X線と可視光、ミリ波などを分解して3Dイメージを作成しています……もうすぐデータが集まるので、画像が得られるかと』
ごとん、と私の側にモニターが落ちてきた。巨大な立方体のモニターである。
「なんでブラウン管なの? 今どき博物館ぐらいにしか無いでしょこんなの」
「拡張世界に送る機械は演算力で物理挙動を再現した物だからです。液晶モニターに比べて構造がシンプルなので演算力が節約できるんです」
つまりアナログなものほど生み出しやすい、ということか。イカロのほうでもいろいろ苦労があるようだ。
ブツンと音が鳴って、映像が映し出される。
『これは……まるで綿毛のような』
同じものを同時に見ているのか、イカロの驚嘆の声が届く。
私の脳裏に浮かんだのは、ケセランパサランという言葉だ。
モニターに映し出された太陽は、まるで綿毛のお化けのようだった。ふわりと綿のような質感が球体を成しており、全体がぼんやりと光を帯びている。実際にはそれはX線を含めた複数の波長を分析した3D映像だ。
見ているうちに映像が細密さを増し、モニターがもう一つ落ちてきて拡大された細部、綿毛のように見える一本を映し出す。長さは500メートルほど、直径は20メートルほどの細長い構造物だ。
『何か……針状のもので全体が包まれています。数はおよそ500億本。互いに細いアームで連結されて、硬構造によって太陽を包んでいるようです。ちょっと待ってください、これが何なのか分析を』
「レーザーじゃないの。これはレーザー核融合装置よ」
『! な、なるほど』
ダイソン球殻天体。
恒星のエネルギーを最大限に利用できるという、文明の最終形態にはしかし、実際にはもう一つ先がある。
それは、太陽の質量を制御すること。
イカロは何かを打ち込んでいるのか、タイピングの音が聞こえる。データが集まってきて、作業もはかどっているようだ。映像の中で針状の構造物が詳細に分析され、レーザー射出装置としての出力などが算出される。太陽から受け取ったエネルギーをレーザー光に変えて打ち出す自立型の装置であり、車ぐらいなら一瞬で蒸発させる威力があるようだ。
『現在、太陽は本来の直径の10分の1、木星ほどの大きさになっています。しかし、本来の太陽直径ほどの範囲に針状のレーザー射出装置が並んでおり、中央の太陽にレーザーを浴びせて核融合を促しているようです。産毛のように密集して見えますが、実際には互いの射出装置は百メートル以上離れています』
太陽から質量を削り、レーザーにより核融合を加速させて熱量を生み出す。これにより太陽は少ない質量で大きな熱量を生み出し、削り取った質量を別のことに利用したり、太陽を長く燃やすために暫時投入することもできる。
私たちの住む本来の太陽系では、約50億年後に太陽が赤色巨星と化し、太陽系の惑星すべてを飲み込むと言われている。この拡張世界ではそれは起こらず、太陽は燃料となる水素が尽きるまで、何百億年でも輝き続けるわけだ。
そして太陽から削った質量で大地を作り、1Gの重力を持つ厚みで球形の大地を作る。太陽の輝きが弱まれば、質量を燃料として太陽に落とす。
これが、すなわち人間にとって太陽系の最終的な姿、というわけか。
この迷宮は太陽系の行き着く形、それを提示しているわけだ。これは創造者である天塩創一の酔狂だろうか。それとも太陽系の未来について世の中に訴えたい気持ちでもあったのか。酔狂にしろ義務感にしろ、とうてい共感を覚えるようなマトモさではないが。
『しかし、これに何か意味があるのでしょうか? 迷宮を走破するための助けになるとはとても……』
イカロが言う。私は少し肩をすくめる。
「イカロ、レーザー射出装置をよく見て、並びにムラがあるでしょ」
『確かに、少しムラがあるようです。完璧に敷き詰められてはいない……』
「天体望遠鏡を出して、10万円ぐらいのやつ」
私の言葉に、イカロは少し戸惑いの気配を寄こし、心配するような声で応じる。
『ぼ、望遠鏡ですか。ミズナさん、いくらアバターとはいっても、肉体は物理的にシミュレートされています。太陽を望遠鏡で見たりすれば』
「いいからいいから」
少しの沈黙。
がしゃりと音が鳴って望遠鏡が現れる。私は角度を調節して、それを太陽に正面から向ける。
私は日除けの黒いアームカバーを外し、両手で伸ばしつつ接眼レンズの前にかざす。
それは、白い円の中にうっすらと現れた。
――N9K
『文字が……』
「黒点観測の要領。手の混んだ仕掛けの割に、やってることは子供の謎掛けみたいね……」
拡張世界の中で太陽系を大改造し、ダイソン球を作り、太陽の質量を削ってレーザーを数百億本も並べていく。そして密集濃度のムラによって文字を生み出す。
この迷宮の全てが、この3文字のヒントのためにあったということか。私は感心を通り越して呆れ果てる。とはいえこれは明らかな製作者の意思だ。何もとっかかりのなかった迷宮に、ようやく指針が得られた。
「さすがにこれがパスワードってことはないわよね?」
『いえ、3桁では総当たりで到達できますから……N9Kというのはつまり、スタート地点から北方に9キロということでしょう』
「太陽の見た目の回転方向は分かるでしょ? それでダイソン球の自転方向も分かる。この地殻が地球だった頃と変わってないはずだから、自転方向を向いた時に左手側が北よ。
『分かります……9キロでしたらマッピング済みの範囲です。ゴーグルに表示します』
保護ゴーグルの中で緑色の光が生まれる。迷宮の一角に緑色の光柱が生まれ、それがまっすぐ太陽まで伸びる。便利なもんだ。
『大型ドローンを用意します。使ってください』
いつの間にか迷宮の上に敷き詰められてた鉄板とか、大型望遠鏡だとかは消えている。出てくるときには落下音があるけれど、消えるときは一瞬なのがやはりデジタルな創造物、という印象だ。
私の真上から風が吹き付けてくる。先ほど鉄板を敷いていた大型ドローンが頭上にあり、縄梯子を降ろしてくる。私はそれに捕まり、ふわりと宙に浮く。
そして移動すること十数分。
「実際に移動しないといけないのは面倒ね、ワープできればいいのに」
『迷宮の製作者が指定すれば移動できますが……基本的にはスタート地点から物理的に移動することになります。この音声もスタート地点から電波で飛ばしてます』
拡張世界というのは案外に不便なものだと思う。物理法則が完全に再現されている世界とはいえ、現実には数メートルの距離にいる相手と電波で会話するとは。
「もうすぐ着くわ。歩いて近づくからドローンの高度を下げて」
――――
――
「高度を下げて」
返答がない。
代わりに、ゴーグルから強烈なノイズが響いてきた。
「……」
私は目を凝らして緑色の柱の周囲を暗記し、そこまでの道筋をイメージしてから保護ゴーグルを外す。ややクリアになった視界の中で目をしばたたく。
そして縄梯子を数段登り、保護ゴーグルをグローブ代わりに拳に装着して、大型ドローンのプロペラの一つを突く。
もう一つ。4つ升目上に並んだプロペラのうち、対角線のものを二つ。
「あたた……」
痛覚カット率はさほど高くないらしい。現実世界なら革手袋をはめててもやりたくない行為だが、今は仕方ない。
ものの見事にブレードのひん曲がったプロペラが動きを止め、浮力の足りなくなったドローンが高度を下げる。実際には墜落と言える速度だと思うが、私は縄梯子から体を離して地面に着地。ざざざと砂煙を上げながらなんとか二本の脚で降りる。
「……あのノイズ、妨害電波ってやつ?」
あのドローンもスタート地点から電波で制御されていたはずだ。妨害電波によって制御を失ったのだろう。いきなり墜落しなかったことは感謝したい。
前方に音が生まれる。
迷宮の角から現れるのは、大型のバイク。
どことなく見覚えのあるフォルム、確かCB750という古典的名車種だ。ウインカーとミラーが外され、さらにカウル類も根こそぎ外されたネイキッド仕様になっている。機械部分がむき出しになって無骨な印象の上に、肋骨のような鉄製のフレームをかぶせてエンジンを保護している。
これからバイクスタントでも繰り出すような軽快さで、よく見ればハンドルの位置もやや高い。
私は気温41度、湿度1%以下の環境で眼球をひりつかせながら、それでも目を丸くした。
そのバイクに乗っていたのは、黒のロングドレスと豊かに広がったスカート。
胸や袖元、スカート全体を濃い黒のフリルで装飾し、胸元には三連の濃紫色のバラ。足元はさすがにローヒールだがエナメルの光沢を放つ黒の靴。そして黒のミラー仕立てのフルフェイスメットという人物だったからだ。
「あ……暑くないの?」
第一声はさすがにそれになった。
※
Tips AHキー
アルターハイディングキー、拡張世界に隠す鍵のこと。拡張世界の中にパスワードを物理的なオブジェクトとして隠すというセキュリティ方式。この場合のオブジェクトとは三次元物体だけでなく、拡張世界内で手書きした文字、テープに残した音声、拡張世界の中でエミュレートしたPC内のデータなどを含む。拡張世界へのアクセス権を別のパスワードで封じる場合もある。




